歓喜と悲劇のオニオンガール #3 シスターズ
「あんた、臭うわよ」
開口一番そんなことを言われ、ノエルは激しく落ち込んだ。
無理とは分かっていても、できればスルーして欲しい。
ノエルに対しては一切オブラートに包まないのがロキである。
これ以上触れてほしくないので、ノエルはわざとらしく無視することにした。
「遅刻だよ、ロキ姉。いっつもあたしのこと怒るくせに」
「ごめんね、大事な会議が長引いちゃって。抜け出せなかったの」
「ま、いいけどさ。でももうちょっと早く来てくれてたら、わたしがオニオンガールになることもなかったのにさ」
下を見つめたまま小声でぶーたれてるノエルに、隣を歩くロキが苦笑する。
「一人で何ぶつくさ言ってんの。何よオニオンガールって」
その問いに答えないノエルの足取りはどことなく重い。
ロキも返答がもらえると思っていないのか、小脇に書類一式を抱えたままスタスタと歩いている。
あまりにロキの足取りが軽いのでもっとゆっくり歩いてよと文句を言おうとしたが、流石にそれは子どもじみてると思ったので止めた。
「それにしても、あんたもいちいち派手ねえ。誰に似たのかしら」
そう言って、ロキはため息交じりの笑みを見せた。
あの後すぐに彼女は姿を現した。
戦意喪失気味の空しい雰囲気の中、激しい苦痛に顔を歪めて蹲るリンを見つけたロキは状況の行方を咄嗟に読み取ったらしく、すぐに治療室で応急処置を受けてくるように指示しその場を解散させていた。
見当違いの口答えも目立った反発も見させず、静かに立ち去らせたロキの影響力の大きさを見たノエルである。
そして、校舎を一通り案内するわと言ったロキに伴われながら、こうして連れ立って歩いているわけだが、ノエルはそれを聞いて思いっきり口を尖らせた。
「だってあんなことするんだもん、当然の正当防衛だよ。いや、正当防衛でもないか。わたしは何もしてないし。ただ本で守っただけだもんね」
不貞腐れる様子がありありと伝わるノエルの表情だ。
ロキの前では子どもの頃の癖を安心して見せられるので一緒にいると楽だった。
「まあ、少なくともあんたから手を出してはいないわけだし、おとがめはないと思うわよ。安心なさい」
折れた手首を押さえるリンから去り際に覚えておけよと月並みな因縁をつけられたが、当のノエルは素知らぬ顔を決め込んだ。
訳も分からず巻き込まれて危うくぶっとばされかけたのだ。
自分の身に起きた悲劇を飲み込めず顔中に脂汗を浮かべてさえいなければ、逆にこっちから文句の一つも言ってやりたいくらいだ。
暗澹なる気持ちになりかけ、ノエルはそれを振り払うように大きなリュックを背負い直した。
「ルカ兄とライ兄なら鉄でもなんとかしそうだよね」
「あの二人ならそういう非常識をやってもおかしくないのは確かね。できるかどうかはともかく」
ノエルにとってのロキとは七つ年上の友人であり、幼馴染であり、姉代わりだった。
一方で三人の兄とも直接の血の繋がりこそないもののノエルは実の兄のように慕っている。
非常にかわいがってくれた。
そう、本来は実の妹のように扱われるべきところを実の弟のように扱われるほどに。
粗野で粗雑で挑戦的で、面倒嫌いで几帳面で楽天的な彼らと四六時中一緒にいたおかげで、周りの年頃の女の子が好む遊びにはノエルはまったく興味を示さなかった。
家の中でお菓子を食べたり年頃の女の子特有のオハナシに興じるのは自分にはどうも合わない。
地元の池で魚釣りをしたり素潜りをしたり橋の上から30メートル下の水面にダイブしたりしてるほうが面白いのだ。
昆虫採集も結構好きである。面白がって蜂の巣をつつき、怒りに駆られた蜂の大群に襲われたのも今となっては古き良き思い出のひとつだ。
まあ文字通り死にそうな目にはたくさんあったが。
そんなこんなで今のノエルの性格形成はそんな兄たちの教育の賜物とも言えなくもない。
そんな三人の腕白少年を口一つでねじ伏せられる勝気なロキがいたからこそ、跳ね返り具合もお転婆娘程度で済んだとも言える。
もしロキがいなかったら男の格好をした女として大学デビューしていた可能性もなきにしもあらずだ。
「それにしても、あの子も大切な時期にやってしまったものね」
思い出したような表情でロキが嘆息した。
それはおそらく禿頭のリンのことだろう。
「大切って?」
「しばらくしたら、武芸科で選抜試験があるのよ」
「なら棄権するしかないね」
ノエルはそっけない。
痛みを抱えて出場という問題ではない。
そもそも剣を握れない。
もっともノエルにしてみれば、あの男に同情の余地はなかった。どちらかというと、同じ剣術科というほうに嫌悪感を覚える。
「ほら、あれだよ。ミイラ取りがミイラになったってやつ」
「あんたはミイラか。用法を間違ったまま使うと常識を疑われるわよ。武芸科だといっても世間並みにはきちんと勉強もしとくのよ」
意味もなく胸を張るノエルをロキが嗜める。
ノエルははーいなどと分かったか分かっていないかのような気の抜けた返事をした。
「で、あんたもエントリーできるけど、どうする?」
「んー。ちょっと考えておくよ。まだ何も始まっていないしね」
これからやらなくてはいけないことは山積みだ。
イーギスがどんなところなのかもほとんど知らない。
自分も試験を受けるかどうかを考えるのはその後でいい。
ロキは顔を近づけて、改めてノエルをまじまじと見つめてきた。
「どしたの?」
元々それほど化粧をする人ではなかったが、今では唇を艶やかにするルージュといい、きつすぎないアイラインといい、同性も羨む綺麗な金髪といい、バッチリである。
おまけにこれは昔からだが、ロキはスタイルも抜群にいい。
以前何かの雑誌で見たのだが、そういう雑誌に掲載されているモデルさんですとかカミングアウトされても、もう全然、余裕で通用するだろう。
片や自分は万年ズボンにパーカーときた。
スカートなど一着もないどころか、女の子を主張できるアイテムは両耳の小さなピアスくらいだ。
思い返せば動きやすさを重視してダボっとした服ばかり好んで着ていた気がする。
自分にとっては一張羅扱いなのだが、背中のリュックに詰めてきたのもそういう服ばかりだ。
そしてあげく男と勘違いされる始末である。
別にひがむ気はないが、この無駄に美人すぎるロキを前にすると無意識に萎縮してしまう自分を止められない。
自己嫌悪に打ちひしがれるノエルの頭上にロキが掌を置いた。
「それにしてもあんた大きくなったわね。わたしと同じか、いやもう負けたか」
「あれから十センチは伸びたんだよ。毎日牛乳飲んでるんだから」
「もう十分じゃないの。ほどほどにしときなさい。これ以上飲んだら身長ばかり伸びて、せっかくのスタイルも崩れるわよ」
そんなことを言ってくれるロキの横顔に意を決し、ノエルは思い切って聞いてみることにした。
というより、聞けるとしたら彼女しかいない。
「あたしってどう?」
ノエルの問いかけはたいてい唐突である。
「なにいきなり。どうって?」
「あたしって女の子に見えるかな」
「どうしたのいきなり。女の子でしょあなた。まさか男の子なの?」
「んなわきゃないでしょ!」
「何一人で怒ってるのよ。よく分からない子ね」
「さっき、あのリンってやつに、男に間違われたんだあたし。こんなカッコしてるせいかな」
しょげるノエルである。
なんだか自分で言葉にしてしまったせいで余計落ち込んでしまった気がする。
その言葉に姉はひとしきり笑った。
「笑わないでよ!こっちはこれからの性別を真剣に検討しなきゃいけないほどマジなんだからさ!」
何がツボに入ったのか知らないがロキを爆笑させてしまった。
腹を抱え涙が出るほどおかしいらしい。
ここまで笑うロキも珍しい。ノエルはいたって真面目なのだが。
それにしても美人が大笑いしても絵になるものだ。
「ごめんごめん。あーおかしい」
手にした書類を全部床に落としてしまっていることに気付いていないようだ。
そんなにか。
ノエルはちょっと泣きたくなった。
「大丈夫よ。あんたは」
「何がどう大丈夫なのか、ちゃんと教えてっ」
「あんた、自分で気付いてるかどうか知らないけど、十分かわいいよ。私よりもスタイルいいし。仮にあたしが男だったら、あんたみたいな元気の良い女の子を好きになってるかも。今は確かにちょっと野暮ったい感じがあるけど、私のようにやれば、あんたかなり化けると思うな」
そんな風に評されると思っていなかったので、ノエルは一気に赤面した。
ノエルは細身で手足も長い。
余計なぜい肉がない上に背があるため、自分でもスタイルに関してはそんなに悪くはないと思っている。
「そ、そうかな」
地元でも初対面の人から男の子に間違えられることもあったノエルだが、素材はいいのに腕っ節と男勝りが残念だと地元の男たちが一様に嘆いていたのを今更ながらに思い出した。
当時のノエルはそんなことへの興味は皆無に等しかったのだが、十八にもなればやはりそういうものとは無縁ではいられないらしい。
おまけにここは聖シオンの最先端の流行が集る州都マーセルである。
さらに、なまじ大好きな姉がこんなにも美しくなり、なんだかイイ匂いもするしキラキラ輝いても見えるのだ。
心臓の音が周りに漏れるのではないかと思えるほどドキドキしているノエルは無理やり話題を変えた。
強烈にあからさまだが致し方ない。
「と、ところでロキ姉はさ雰囲気変わったよね!わたし、最初誰だか分からなかったし」
「髪を伸ばしたからかしら。似合ってるかな」
お互いがなにせ一年ぶりだ。
以前は同姓にも好かれるマニッシュな美人という評だったが、今ノエルが話しかけているロキは美しさに磨きがかかっていた。
以前にもまして女の部分が強調されているのは、なにも髪の長さだけが理由ではない気がする。
密かにロキの真似をしていたノエルも(結局何もできていないが)いつかは定番のショートカットをやめて、目の前にいる憧れの女性のように髪を長くする時がくるのだろか。
しばらくの間はロキに付いて宿舎、食堂、カフェと見て回った。
彼女がいなければ、とてもじゃないが迷わずに行きたい箇所に行けるとは思えない。
イーギスは広い。
膨大な敷地面積を誇る上に建物の数も多かった。
男女ともに寮が完備され、共同で利用できる食堂も一つや二つではない。
軍事訓練校としての一面のほうに注目が集るイーギスだが、研究施設や図書施設などのアカデミックな機能も十全に備えており、それらを含めると全てをくまく見て回るのに最低でも三日はかかる。
引き出しの多い机のように一つの建物の中にも実にたくさんの部屋があった。
階段を上がり終えた二人の足は最後の目的地に向かっている。
学長室だ。
最上階である三階に位置する学長室に、この名門イーギスを統べるトップがいる。
本来なら一学生のためにわざわざ時間を裂けるほど時間に余裕のある人物ではないのだが、ロキが無理を言って頼み込んだというのだ。
「あんた以外の一年全員は入学式のセレモニーで学長を見てるのよ。二ヵ月遅れでここに来たのはあんただけだし、特別に時間を作ってもらってるから、挨拶の一つでもしておいたほうがいいわ。これからお世話になるわけだからね」
ここにきて、ノエルはちょっと緊張してきた。
偉い人、上の人という言葉にどうも自動的に苦手意識を持ってしまう。
話もとてつもなく長い。
地元の町内会の会長は大の演説好きで、子どもながらにずいぶん辟易していたものだ。
とはいえ、確かにロキの言うことは正しいので、ここで聞き分けのない子どものように固辞するわけにもいかなかった。
そんなことを内心思っているノエルにロキが声をかける。
学長室は目前に迫っていた。
「本当に顔に出るわね。観念しなさいよ」
「な、なに、観念って」
「とりあえずこれでそのニオイを消しなさい。当然のエチケットよ」
ロキが胸元から消臭スプレーを出す。
「う、うん」
恐れおののくノエルにニヤリと意地悪な笑みを見せ、ロキが扉をノックする。
規則正しい音が三回響き、しばらくしてから中からどうぞという男性の返答が聞こえた。
「失礼します」
「待って、まだ心の準備が」
呼吸を整えている往生際の悪いノエルを無視してロキは扉を開いた。
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