始動

 本来、肌が焼けるほどの熱いその空間は、今はそれほどの熱さはなかった。だが、籠もった空気の息苦しさが変わることはない。

「いつ、そいつは来るんだ?」

 うんざりした様子で、ラリーが問いかける。

「もうそろそろじゃないかなー」

 ぐでっと机にあごを置くような姿勢でアメリアが答える。周りには、瞑想するように瞳を閉じて椅子の背もたれにもたれかかっているテミスと、国歴書を読んで気を紛らわしているグラシャが、昨日と変わらない配置で座っていた。

 ラリー達は、明日会わせてあげると宣言したアメリアの言葉を信じ、昨日はそれぞれの寝床へ帰ったのである。


「もうその答えは何度も聞いたぞー」

「まだ五回くらいじゃないかー」

 立ちこめるムシムシとした空気に当てられて、会話する二人の声も自然と間延びしたものとなる。アメリアが、あごをずらすように顔を机に突っ伏す。

「ていうかお前、これより熱いところで仕事してるんだろうがー」

「仕事の時は集中してるしこんな嫌な熱さじゃないもーん。くそう、なんでこんな所で鍛冶をせにゃならんのだ私は」

 愚痴り始めてさらに重くなったように感じられた空気を一変する音が、その部屋の中に響く。バッと素早く顔を上げたアメリアが、不用心な言葉を扉に放った。

「開いてるよー!」

 その言葉を聞いて、軋んだ音を立てながら扉が開いた。現れた人物は、相変わらず温度を持たない瞳で、中にいる人物と視線を交差させていった。


「アメリアさん、この方達は?」

「君の味方とでも言っておきましょう。まぁ、話せば解るんじゃないかな」

「じゃあ、好みの異性でも話し合いましょうかね」

 そう言いながら入り込む兵士の格好をした男は、それ以外の表情をしたことが無いようにも思える仏頂面で用意された椅子に座り込む。そこは、ラリーと向き合う形となっていた。

「貴方は……生き別れの、お父さん?」

「何言ってんだお前」

 二人の間に飛び交った初めの言葉は、ふざけたものだった。

「冗談ですよ。貴方、お名前は?」

「名乗るときは自分から、ってよく言わないか?」


 それも、そうですね。とその言葉に頷きながらゆっくりと彼は立ち上がる。

「私は、天才の戦士にして、破壊の行使者にして、最高の美男子カルロス・バーン君だよっ」

「真似するな!」

 カルロスが拳を突き上げながら、無表情のままで言葉を吐き出す。それに、アメリアが過剰な反応を示した。ラリーはカルロスを驚愕とした、寧ろ恐れているようにも見える目で見つめる。

 その瞳に移る人間は、もう少し愛想が良ければ異性に好かれそうな美形だった。が、機械めいた丸みの少ない顔の作りは、その仏頂面からより人間味を無くしている。短く切り揃えられた髪は触れば刺さりそうな程硬く見えた。

「……バーンってことは、まさか、」

「おや。そんなにこの名字が珍しいですか?」

「お前、まさかマカロフ隊長の息子か?」


 ラリーが単語を一つずつ溢すように言う。それはまるで、息苦しくてしゃべるのも精一杯のようにも感じ取れた。

「え? 貴方が私のお父さんでは?」

 真顔で吐き出されたその言葉を聞いても、ラリーは表情を変えることなくカルロスを見つめる。訪れた静寂に耐えきれなくなったように、カルロスが言葉を続けた。

「……冗談ですよ。そうです。私は、マカロフ・バーンの息子です」

「だったらなんで、敵国の兵士に」

「小さい頃から鍛えられてきましたし。それが当たり前だと言われてきました」

 その単語に苛立ったように、ラリーがカルロスを睨みつける。

「でも、今は昔と違う」

「察して下さいよ。アメリアさんが言ってませんでしたか? 貴方たちの味方だって」

 そこで一旦言葉を切って、カルロスが間を持たせる。

「敵の内部にいた方が、いざというときに便利でしょう。内通者がいた方が、やれることも増えますし」


 その言葉を最後に、部屋に沈黙が訪れる。

「……裏切らないって、保証はないよな」

 瞑想を続けていたテミスがゆっくりと目を開けて、カルロスに問いかける。

「ええ。大丈夫ですよ。それにこの子を殺そうとした貴方の方が裏切るのでは?」

「よく知ってるな。驚いたよ」

「情報は可能な限り集めてますから」

 そう言って、カルロスがヒラヒラと右手を振る。その相手を舐めてるような動作を見て、ラリーがカルロスに問いかけた。

「今、この国の兵士は何人いる?」

「そうですねぇ。私も詳しくは知りませんが、400人近くいるんじゃないんですか?」

「思ったより少ないな」

「ここはいわば人を住まわせるための場所ですし。ここから兵士をどこかに向かわせることはしませんから」


 だから、ここに居る兵士の練度は低いですよ。とカルロスが続ける。それに加えるように、ラリーがカルロスに問う。

「隊長格は何人いる?」

「コナー隊長一人ですね。貴方も関わりが深いでしょう。なんせ、彼は裏切って現在の地位を勝ち取ったんですから」

 ああ、と頷いたラリーを無視して、カルロスは言葉を吐き出し続ける。

「その裏切りのせいで父も死んだんですからねぇ。私にも、彼に思うところはありますよ」

 彼の言葉に、初めて色が付いた。込められた怒りは隠しようもなくラリー達に伝わり、思わずカルロスの顔を見る。その顔に浮かべられたのはいつもの仏頂面ではなく、口の端だけを吊り上げたような歪んだ笑みだった。その角度は非常に急で、それとは逆に薄い。思わずゾッとさせるような笑みだった。

「……アメリア」

「な、何? ラリー」

「お前、コナーのことを第一部隊隊長とか言ってなかったか?」

「それは違いますね。確かにここでは一人しかいませんが、特別部隊とか言われてますし。しかもドルトニアの方から監視員が来てますし」

 アメリアにかけられた問いを遮るようにカルロスが答える。その顔は普段通りの仏頂面に戻っていた。それを聞いて、ラリーの瞳の湿度が増す。それを受けて、アメリアがうう、とたじろいた。

 そこに、バタン、と大きく本を閉じる音が響く。その場にいた全員が、それを鳴らした人物を見やった。


「テミスさん、僕を暗殺する期限とかはあったりするんですか?」

「うーん、今日から三日後だね。そのときまでに報告しなければ私は晴れて反逆者だよ。まぁ失敗したって言えば私よりもっと強い人が来るんだろうけどさ」

「つまりは、三日以内に行動を起こさないとお前は離脱することになるんだな?」

「そういうことになるね」

 飄々とした様子でテミスが言う。その言葉を聞いて、グラシャが満足そうに頷く。そして、力強く言葉を放った。


「期限は残り三日。……作戦を、立てましょう」

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