少年

 少年は、隠れていた。

 燃え盛る王城の中にある王妃の部屋。そこのクローゼットに赤ん坊を抱えて入っている。

 不意に、キィという軋んだ音を立ててドアが開いた。そこから兵士が一人、入ってくる。ドキリ、少年の心臓が高なる。クローゼットの中からでは、外の様子は窺えない。

 が、それがより少年の不安を掻き立てた。

━━いきなり扉を開けられたらどうしよう。

━━この赤ん坊が泣きだしたら、どうしよう。


 部屋の中を、まるで家探しでもするような足取りで歩き回る足音。それが、少年を竦み上がらせる。金縛りに会ったように体が動かなくなり、吐き気が全身を駆け巡った。

 その足音が少しずつ、だが確実に近づき始めた。少年の体が強張り、歯の根が噛み合わなくなる。それを無理矢理歯を食いしばって抑えようとするが、震えが噛み合わせたそれを滑らせ、軋んだ音を立てた。

 しかしそれは、より大きな音に掻き消された。

「お前、何をやってるんだ?」

 部屋の中に響いた声は、明らかに敵である者の声だったにも関わらず、少年を安堵させた。本来恐怖の対象であるはずの暗闇が、少年に酷く安心感を与える。バレなかった、バレなかったと言う声が心から響き、高鳴る心臓とは裏腹に少年の頭は冷めていった。


 兵士が声の元を見やると、そこには自分と同じ装備をした人間がいた。それに、兵士がため息を漏らす。

「見て解らないか? ……生き残ってる奴を探しているだけだが」

 板一枚を隔てた向こう側から聞こえる声に、少年の心臓は過敏に反応を示した。

「火事場泥棒しているようにしか見えないな」

「してねぇよ!!」

「まぁいいや。マカロフ隊長がここから逃げていったらしい。追うぞ」

「生きているのか? あの中で?」

「死体が歩くと思うか?」

「・・・・・・だな」

「ああ、急ぐぞ」


 ドタドタと騒がしい音が響いた。そして、唐突に対照的な静寂が部屋を包み込む。

 その隙に、少年が顔だけを出して周りを窺った。その髪の色は黒く、肌は浅黒かった。

「もう、誰もいないよな……」

 そう言いながら、少年はクローゼットから抜け出した。その腕に抱えられた赤ん坊は、少年とは真逆の白い肌を持っていて、薄く生えた髪の毛は特徴的な藍色をしていた。

 少年が扉まで駆け寄り、そこから顔だけを出して周囲を探った。

「誰もいないな……よし」


 決意を固めた顔で、少年は部屋を飛び出した。その勢いのまま通路を駆け抜け、奥にある王の執務室へと入る。開け放ったその扉を、急ぎながら静かに閉めるという器用なことを少年はやってのけた。

「ハァ……ハァ……」

 少年は、辛そうに肩で息をしながらその顔を綻ばせた。それは、今までの張り詰めた表情とは違い、年相応の物だった。書類が山積みになった机の上に赤ん坊を置き、王室の奥にある本棚に手を掛けた。

 金具に止められているように見えたそれは、少年が引っ張ると少しずつ動き始めた。


 ある程度動いた所で少年が本棚から手を外し、元々本棚があった場所に駆け寄る。するとそこには、人一人通るのがやっとそうな扉があった。それを見て、少年の口角が自然と吊り上がる。

 少年は赤ん坊の元に駆け寄った。こんな状況の中でも寝息を立てているその顔は、この世の残虐さとは、まさしく今起きている惨状とはまったく無縁に見えるほどに、無邪気そのものであった。

 その寝顔を複雑な表情で数秒見下ろしながら、少年は赤ん坊を抱きかかえた。そして、赤ん坊の下にあった革表紙の、持って角で殴れば人を撲殺できそうな程の体積と質量を持った本が目に映った。


 考えるように、少年は本を見つめる。

 少年は難しい決断もって逃げるには明らかに邪魔になるそれを右手に持ち、赤ん坊を左手だけで抱えなおした。片手で持つにはやはり辛いのか、その手がぷるぷると震えていた。

 そして扉の元にしゃがみ込むと、抱えた本を床に置き、右手で扉を開けた。すんなり開いた扉の奥には虚ろな暗闇が顔を覗かせていて、それ以外は何の装飾も施されていなかった。

 少年は右手で本を拾い上げ、体の前に回した。丁度、赤ん坊が少年と本に挟まれるような体制になる。


 そしてそのまま、少年の体は深い、扉の奥の闇へと呑まれていった。

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