夜更け

「おい。客だぞ」

 宿屋に着くなり早々、黒マントの男が横暴な態度でそう言った。

 ここは、宿屋「アルベルゴ」。朝食と夕食が出る宿屋としては、破格の値段だと評判だが、1室1室の面積狭く、ベッドも1部屋に1つしかない。

 その部分は批評ではあるのだが、その狭さ故の安さであるため、宿泊者も文句を言うことはない。


 カウンターを通ると1階に食堂、その奥には風呂場がある。そして2階から4階にかけて部屋がいくつもある。商業区に住む人間は、その地価の高さから家を持てない者も多い。

 ここは、そういった者達を毎晩泊めていた。元々、それが狙いなのだろう。黒マントの男も、家を持たずここに寝泊まりしている。


「おお。お前さんか。いつもよりおそかっ……」

 カウンターから顔を出した宿主が、男の姿を見てにこやかに話しかけ、そしてその言葉が隣の少年を見て止まる。

「居たか。部屋、開いてるか?」

「お前らに貸す部屋などない。帰れ」

「はぁ?」


 宿主の全く予想外だった言葉に、男が素っ頓狂な声を上げる。幸い、まだ夕食には速く、食堂に人は居なかった。

「いきなりどうした?」

 その質問に、宿主は怒気を漂わせながら答えた。

「どうしたもこうしたもないだろ……! お前こんなベッドが1つしかねぇちんけな宿屋に可愛い娘連れ込んですることといやぁ……」

 その言葉を聞いて咄嗟に男が宿主の口を強引に塞いだ。そして、宿主に言い放つ。


「安心しろ。ああ見えて男だ」

「はぁ?」

 今度は宿主が声を上げた。そして、男の後ろにいる中性的な容姿の少年をジッと見つめる。少年がペコリとお辞儀をした。

「男なのか?」

「本人はそう言っている」


 やけに真剣な顔をして言う男の言葉を聞いて、宿主は一瞬納得した顔になるが、すぐにハッとしたように顔を上げた。

「いや、男でもダメだろ」

「しっかり2部屋借りるわ。当たり前だろ? そんなこともわかんないのか? バカなのか? 死ぬのか?」

「なんで死ななきゃならんことになる」

「細かいことはいいんだよ。とりあえず2部屋借りたい」

「……なら、一人分の料金でいい。いつも泊まってくれてるからな。サービスだ。……俺の生死は細かいことなのか?」


 その言葉に、男が少し驚いたような顔になった。

「珍しいな。いつもはがめついお前が」

「1言余計だ。ほら、鍵だ。2階の一番奥とその隣の部屋な」

 喧嘩しているような言い合いをしている2人だったが、その顔には薄く笑みが浮かんでいた。男に鍵が2つ渡され、男はその対価を宿主に払った。


「話がついた。行くぞ」

 そう言いながら、男は少年に鍵を1つ放る。少年が両手で危なげなく鍵を掴んだ。そして、小走りで先に2階へと向かって行った男を追いかける。

 2階は、廊下にズラリと並ぶ様にして扉があり、それが奥まで続いていた。鍵の番号をから、少年が奥の部屋で、男がその隣の部屋のようだった。それぞれの部屋に分かれ、2人は部屋に入った。

 中は、洗面台、小さな机にベッドしかなく、酷く狭かった。


 部屋に入った男は、マントを外し、その下に隠れていた荷物をベッドに放り投げた。

 露わになったその体躯は、ゴツゴツとした筋肉に包まれていた。が、それは無駄なものではなく、固く引き締まっている。だが、その体には明らかにおかしな部分があった。


 左腕が無い上に、両足が義足なのだ。

 義足というのも、足を模したものではなく、付け根に固定する接続部から、三日月のように反った木の板が付けられている。それによって、凄まじい瞬発力が生まれるようであった。

 男は、大剣を背負い、義足をつけたままで腕立て伏せを始めた。勿論、片腕である。

 少しずつ、男の体から汗がにじみ出ていった。


 一方、少年はベッドに腰掛ける様にして座っていた。その足元には少年の荷物が置いてあり、そして、少年はそこから1冊の大きな本を取り出した。

 革の表紙のその本は、持って角で殴れば人を撲殺できそうな程の体積と質量を持っていた。

 本の中央辺りに薄い木の板が挟まっており、そこから少年が本を読みだす。伏し目がちに目を動かし、その細い指がページを繰る。その光景は、幻想的な程に美しかった。


 2時間程経った。男が汗だくになりながらトレーニングを終わらせ、1階の風呂場でそれを流してから、少年の部屋のドアをノックする。

 まだ本を読んでいた少年は、その音に気づいて顔を上げる。そして、ドアに向かっていった。

「どちら様ですか?」

「俺だ」

 少年がドアを開け、そこにいる男を見て笑顔になった。

「どうしたんですか?」

「飯の時間に丁度いいと思ってな。下に食いに行かないか?」

「勿論です」

 少年が男の提案に乗る。例のごとく男が先に階段を降りて、その後ろに少年が付いて行った。


 この宿屋の朝食、夕食は日ごとに決まっている。今日の夕食は、何か魚を焼いたものだった。一応メニューはあるのだが、選べない以上わざわざ見る者も少ない。

 男と少年もそうであるらしく、食堂のカウンターから料理を受け取ってから特に何の料理であるか聞かず、食べ始めた。そして、30分程で食べ終わる。


「ここも、美味しかったですね」

「……気分で選べないのが難点だがな」

 あえて宿主に聞こえる様に男が言う。その行動に思わず少年も苦笑していた。そして、今度は逆に囁くように少年に言った。

「そういえば、お前剣を1本も持ってないのか?」

「ええ」

「……じゃあ、明日はお前に剣を買ってやるよ。いい鍛冶屋がいる」

 その言葉に少年が目を見張る。

「国令に反しますよ? 兵士にバレたりしないんですか?」

「勿論だ。バレないようにやってる。これ以上ここで話すのは危ない」


 そう言って、男が立ち上がった。

「よし、もう寝るぞ。お前も今日は疲れただろ。よく休め」

「わかりました」

 それに頷きながら、少年も立ち上がる。

 ただ、部屋に帰っても男はまたトレーニングを始め、少年も遅くまで本を読んでいたのだが……。

 こうして、夜は更けていった。

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