第14話 部屋と出発

「まぁあくまで、何の根拠も無い仮説に過ぎませんが……」


 確かにキエルの言う通り、それは互いに知り得た情報を都合良く組み合わせただけの、単なる憶測だ。それなのにどうしてかリーシャは、それが案外的外れでもないような気がしてならなかった。


 しかしこの件については、これ以上ここで考えていても仕方があるまい。

 それはキエルも同様の事を思ったのか、若干前のめりだった身を起こすと「そう言えば……」と話題を転換させた。


「姫様たちは、またすぐに旅立たれてしまうのですか? それとも暫く王都に滞在するおつもりで……?」

「ううん、明日には王都を出る予定。私たち今、ノーザニス地方に向かっているとこなのよ」

「なるほど、ノーザニス地方へ……。確かに、ドラゴンに関わる事で彼ら以上に精通している者もおりますまい。もしかすると、既にキマイラについての更に詳しい情報を得ているかもしれませんしね」


 もう恐らく竜人族にも、ドラゴンの個体数が減少しているという知らせが、エルフの里から届いているはず。だとしたら彼らも彼らなりに独自の調査を行っていても不思議ではない。


「ところで、明日発たれるということは姫様、今夜は王都で過ごされるという事ですよね? もう宿はお決まりなのですか?」

「それはこれから探そうと思ってるんだけど……。キエルさん、どこか良い場所を知ってたりする?」


 というリーシャの反問に、キエルはぱっと目を輝かせた。それから胸の前で手を叩いて、身を乗り出しリーシャの手を取った。


「そういう事でしたら、是非とも我が家にお泊り下さい!」


 正直、これから宿場街まで足を運ぶのもなんだか億劫おっくうだったので、それは素直に嬉しい申し出だった。


「じゃあ、お言葉に甘えて」

「聞いたかレレイラ! 姫様たちが今夜は我が家にお泊まりになるそうだぞ!」


 幾つか湯呑を乗せたお盆を台所からこちらに運んでくるところだったレレイラに、キエルが振り向いて呼び掛ける。

 すると彼女は自分がお盆を持っていることも忘れて、咄嗟にぱっと両手を口に添えた。


「それは本当ですか、姫様!? ……――ああっ! お出ししようと思った飲み物が!」

「まったく、君という人は……。後始末は僕がやっておくから、君は部屋に姫様たちをお連れしてくれ」


 額に手を当てて溜め息を吐くキエルを眺めながら、リーシャとミィナの二人も思わず苦笑を零してしまった。それを見たレレイラが恥ずかしそうに頬を染める。


「お見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ないです……。えーと……お部屋は二階にご用意してますので、どうぞこちらへ」


 言って、レレイラがリーシャの荷物を持とうとするので、リーシャは慌ててそれを制して、自分で持つという意思を伝える。流石にそこまでしてもらう訳にもいくまい。

 里でもそうだったが、周りの大人の、自分をやたら甘やかしてくるこういう態度に、リーシャ自身ほとほと呆れ果てていた。

 階段を上がりながら、前を歩くレレイラの少し弾んだ声が、彼女の肩越しに届く。


「たまに里からの遣いの方が参られるので、いつでもお客様がいらしても良いように普段から支度はしてるんですよ。ただ、まさか姫様がいらっしゃるとは思ってませんでしたけれど」


 二階へ上がると少し広めのスペースが設けられ、向かって両脇に、向かい合うようにして部屋の扉があった。


「どうぞ」


 促されて入った部屋の中には、ベッドが二つとクローゼット、それにデスクがあるだけで、広さは十畳足らずといったところだろう。高めの金額を出せば、この程度ならその辺の宿屋でも泊まれるレベルでしかない。


 けれども床板の隙間にはほとんど埃は見当たらないし、ベッドシーツや掛け布団カバーたるや、ミルクも顔負けの白さである。レレイラが毎日丁寧に掃除や手入れをしていた様子が、ありありと目に浮かんでくるようだった。


 こんな良い場所にただで宿泊できるなど、そうそうない。

 だのに、一番最後に上がってきたラトが、部屋に入って来るなりそれを台無しにした。


「いやっほ――――い!!」

 背負っていた荷物を部屋の隅へ放って、一目散にベッドへダイブしたのだ。

「やっぱベッドが一番だよな! 船のハンモックはずっとゆらゆら揺れてて、なーんか落ち着かなかったかんなー」


 予想はしていた事なので、今更それにどうこう言う気も無い。

 リーシャは諦念を滲ませた溜め息を一つ残して回れ右をすると、反対側の部屋へ入っていった。間取りはほぼ同じで、向こうとこちらで唯一違う点を挙げるとすればカーテンの色ぐらいだろう。


 ベッドの脇に荷物を下ろして、脱いだ上着をクローゼットのハンガーに掛ける。けれどもブーツは履いたままで、ベッドに腰かけた。


「姫様、ご夕食はどうなさるおつもりなのです? 特に予定が無いのであれば、私がご用意致しますが……」


 尋ねられたリーシャは、反射的に“いえ、それは悪いです”と断りそうになってしまった。とは言え実際には、レレイラから向けられる期待の眼差しに負けて、いつの間にか頷いていたのだが。


「ええっと……じゃあお願いして良いかしら」

 というリーシャの返答が余程嬉しかったのか、レレイラの表情がぱぁっと華やいだ。


「はい! 腕にりをかけてお作り致しますのでっ! ああ、そうだわ姫様……夕食の支度が出来るまで少々時間もある事ですし、町を散策されてみては? この辺りは色んなお店が揃っているので、丁度良い感じにお暇が潰せると思いますよ」

「うーん、そうね……。旅に必要な物は大体カルビナで買い揃えちゃったから、別に今欲しい物とかは無いんだけど、まぁせっかく王都に来たんだしそうさせて貰おっかな。それじゃ私たち、ちょっと休んだら出てきますね」

「ええ、かしこまりました。私も最高のお料理が出せるよう精一杯頑張りますので、是非楽しみになさっていて下さい」


 部屋を出て行くときにぺこりと礼儀正しく一礼して、レレイラは静かに扉を閉めた。

 ぱたぱたと階段を下りていく足音が遠ざかっていくのを聞き届けてから、リーシャはぱたんと上体を倒した。ブーツは履いたままだったので、足だけベッドの外に投げ出したまま仰向けに寝転がって、ぐーっと伸びをする。


「じゃあさ、ミィナちゃんのお姉さんを探しに行こっかー。私も付き合うからさっ。ここに来るまでの間も、一応ラトが匂いで探してたみたいだけど、ラトの鼻が絶対とも限らないし。やっぱり自分の目で探すのが一番じゃない?」


 天井を見つめながら、頭のすぐ上で自分と同じくベッドに座っているだろうミィナに問いかける。ほとんど間を置かずに、元気のいい返事があった。

「はい! ありがとうございます!」


             *********



 結局、その日は陽が暮れるまでしらみ潰しに金持ちの家を当たってみたのだが、王都ともなると裕福な生活を営んでいる人間の絶対数も多く、数件調べた程度ではミィナの姉に関する情報を得ることは叶わなかった。


 ともあれ、気を落としてキエル宅へ戻った三人を待っていたのは、出来立てほやほやのレレイラの手料理。それらを腹の中へ収めた彼らが徒労を忘れるのに、5秒とかからなかった。


 食事を終えた三人は、リーシャとミィナが一緒に、そして最後がラトという順に湯浴みをすることになった。“是非姫様の背中を流したい”というレレイラの申し出を、リーシャは丁重に断ったのだった。


 その夜――きっちりと整えられた寝床の中で、ラトは勿論のこと、リーシャとミィナでさえも吸い込まれるように眠りに付いた。




 翌日の早朝に、三人はキエルの家を発った。

 リーシャとしては、店先で礼を言って別れるつもりだったのだが、どうやらそれではキエルとレレイラの気が治まらないようで、結局二人とも“北の船着き場”まで見送りに来たのだった。


 そして午前八時――丁度時間通りに船は出航した。キエルとレレイラの二人は、水平線の彼方へ船が消えるまさにその時まで、名残惜しそうに見送っていた。





 更にその翌日、陽が頭の真上辺りまで昇ったころ。

 ラト、リーシャ、ミィナの三人が乗る客船は、何かトラブルが起きるようなことも無く“レーン港”に到着したのだった。

 そこはレイクスティア最北の港町。竜人族の居住域、ノーザニス地方の――


 玄関口である。

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