ノーザニス地方篇

第一章

第15話 寒さと服装

 船から港へ降りた途端吹き抜けた寒風に、リーシャはぶるぶるっと思わず身震いした。それもそのはず、普段から動きやすい服装を心掛けているリーシャの格好は露出が多く、この地域の気候に適しているとは到底言えない。


「うー……昨夜辺りから急に冷え込んだわね……。ノーザニス地方恐るべし……」

 という言葉と一緒に漏らした吐息は白い。

「そうか? 別に王都とかと大して変わらねぇ気がすっけどなぁ」


 頭の後ろで手を組みながらぶっきらぼうにそんな事を宣うラトを、リーシャがげんなりして見やる。


「あんたって寒さにも強いわけ? 敏感なのか鈍感なのかどっちなのよ」

「わぁリーシャさん、ラトさん、見てくださいあの山! 白いですよ! 白い山ですよ!」


 と、ミィナが弾んだ口調で言って、遥か前方に聳える山々を指差した。見るのが初めてではないリーシャからすれば、然して興味も無いのだが、ミィナの目にはきっと違うように映っているのだろう。

 しかしそれより何より、リーシャはとにかく上着が欲しかった。

 実を言うと防寒具は山へ入るときに揃えれば良い、などと考えていたのだが、どうやらその目論見は甘かったらしい。


「取り敢えず、さっさと買う物買って、山に入る準備を済ませちゃいましょ。もう寒すぎて肌が痛いくらい」

「ああ、そういえば……。私ったら興奮しちゃって、寒いのもすっかり忘れてました。……あ! あのお店なんかどうでしょう?」

 言いつつミィナが示した先に、“防寒具等取り扱ってます”という立て看板付きのよろず屋を認めた。


「ミィナちゃんナイス!」



           ********


 暫くして店から出てきたリーシャとミィナは、動物の毛皮を用いたもっふもふのロングコートに身を包んでいた。リーシャはてっぺんに水色のぼんぼんがくっ付いたニット帽を被り、ミィナは両脇からもぼんぼんが垂れたニット帽を被っている。両手にはめた茶色いミトンは、二人ともお揃いだった。


「お前ら面白い格好してんなー!」


 アヒャアヒャと二人を指差しながら、ラトが腹を抱えて笑う。そんなラトに、リーシャはじとっとした視線を向けて反論した。


「あのね、分かってないみたいだけど、あんたが変なのよ? こんな馬鹿みたいに寒いのに、いつものインナーにジャケットだけって、一体どういう事よ。ホントはやせ我慢してるんじゃないの?」

「やせ我慢? 何じゃそりゃ。痩せて我慢するのか? リーシャお前、変なこと言う奴だなぁ~~」

「もういい」


 ふいっとラトから顔を背けて歩き出すリーシャに、ミィナは苦笑を零しながら付いて行った。と、不意にリーシャが、コートのポケットから折り畳まれた紙を取り出したかと思うと、歩きながらそれを広げる。


「リーシャさん、何ですかそれ?」

「ん、これ? ノーザニス地方の地図だって。さっきのお店で、ランゴード村の場所を聞いたらサービスでつけてくれたのよ」


 言って、リーシャはちょっと得意げにウィンクをして見せた。

 その中身はというと、サービスでくれるものなどどんな安物かと思いきや意外と詳細な地形図で、びっしり引かれた等高線の間に時折小さく地名が記されていた。因みにその地図によると、ランゴード村はここから北東に山を二つ超えた先にあるらしい。

 と、その時、ミィナが何かを思い出したように声を漏らした。


「あ、そう言えば……多分その地図を貰ってた時だと思うんですけど、リーシャさん達が話してる声がちょっと聞こえまして、“やめといた方が良い”とか何とかって言ってた気がするんですけど、何の話をしてたんですか?」


 というミィナの質問に、リーシャはちょっとバツが悪そうに目を逸らして頬を掻いた。


「あー……うーん……まぁ訊かれちゃったら黙ってるわけにもいかないわよね。なんか最近になってから急にドラゴンが頻出するようになって、北へ向かう人間を襲うらしくて……。でも、かと言って山から降りてくる気配はないから、たぶん竜人族からの貿易断絶の意思表示だろうって言ってたけど。でも原因が分からないらしいのよ。何か失礼を働いたわけでもないみたいだし……」

「ドラゴン、ですか……」


 先日ミィナは初めて、船上にてドラゴンを目にした。あの、畏怖の感情すら覚える偉大な風格は、今もしっかりと目に焼き付いている。


「で、でもっ、ドラゴンに襲われてもラトさんがいればきっと大丈夫ですよね!」


 ドラゴンを殺したというキマイラを撃退し、更に、リーシャと連携したにせよあの水竜を一撃で倒してしまったのだ。もはやこの二人に勝てない存在などあるまい。しかし、そんな彼女の言葉に対するリーシャの反応は、予想よりも鈍かった。


「……うん、そうね。たぶん大丈夫よ」


 何か気がかりなことでもあるんだろうか? そう感じたミィナが、まさにそれを尋ねようとした矢先、先に口を開いたラトが話題を変えてしまった。


「お、あれが出口か?」


 と彼が指さす先に、小さな門が見える。

 いや、門そのものはおそらく小さくはないのだろう。しかし王都の大門を一度目にした後だと、随分ささやかに感じてしまった。

 門の前まで行くと、門の両脇に立つ番兵が携えた長槍を交差させ、行く手を阻んだ。その後にこんな忠告を受けた。


「君たち、この先に行くつもりなら止めておいた方が身のためだぞ」

「ええ聞いたわ。ドラゴンが出るんでしょ?」


 そう事もなげに言ってのけたリーシャに、番兵二人が兜の下で訝しげに眉をひそめて顔を見合わせる。それから、やれやれといった様子で肩を竦めると、あっさり道を開けたのだった。


「命を落としても知らないぞ」

「ご心配なくー」


 彼らにニッコリと微笑みかけて歩き出すリーシャ。遅れて、ミィナも軽く会釈をしてから門を潜り抜けた。だが後に続くラトだけが、何故だか引き留められてしまった。


「流石に、君をこの先に行かせるわけにはいかないな」

「え? 何でだ?」

「ドラゴンの件は、まぁ言うなれば可能性の話だ。もしかすると遭遇しないかもしれないしな。しかし君のその格好で山に入るというのは、まさに死にに行くようなものだ……。他人の人生にとやかく言う気はないが、自殺をするつもりならこの先には行かせられないな」


「やー、でも俺、全然寒くねぇんだけどよ……」

「そんな訳がないだろう……。この地域がどれだけ寒いかなど、毎日ここに立っている我々が一番よく知っている。鎧の下じゃあ、手や足が四六時中かじかみっぱなしだよ。さぁ、分かったら君も着替えてくるんだ」

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