第13話 歓迎と手掛かり

 相手がリーシャと分かった途端に態度を豹変させた男は、店先とは打って変わった意気揚々とした様子で三人を店内へ招き入れた。


「いやぁ……それにしてもまさか、姫様が我が家にいらっしゃるなんて感激ですよー! ささ、こんな埃っぽい場所で話すわけにもいきません、どうぞ奥の居間へ!」


 言われるがまま、至る所に埃が積もった薄暗い店を抜け、男の後ろを付いて奥の扉を潜ると、店の方とは対照的に実に清潔感漂う居住空間が待ち構えていた。

 ドアの開閉音で、台所で水仕事をしていた一人の女性がぱっと顔を上げた。鮮やかな金髪を頭の上でお団子にした、すらりとしてとても綺麗な女性だ。


「あなた、お帰りなさい。今日は――」


 口にしかけた言葉が途中で止まったのは、その視界にリーシャを認めたからだろう。

 思わず手にしていた食器を取り落とし、ガッシャーン! という盛大な破砕音が鳴り響く。

 しかし彼女がそれを気に留める様子は無く、口をパクパクさせて男の顔を見やる。すると彼はにやりと微笑んで小さく頷いた。


「ああ、姫様だよ」

「まあ何てこと! こんな突然いらっしゃるなんて……。全然片付いてないのにどうしましょう! ……ああ、お皿が!」

「おいおい、少し慌てすぎじゃないか? 手を切るといけないからそれは僕がやるよ。それよりもレレイラ、姫様とお連れの方々をもてなしてくれ」

「え、ええそうね。あーえっと、姫様どうぞご自由に掛けて下さい」


 レレイラと呼ばれた、手を拭いながら台所から出てきた女性に促され、三人は暖炉をコの字に囲むソファーに腰を下ろした。女性がリーシャににっこりと微笑みかけながら尋ねる。


「お飲み物は何にしますか?」

「あ、いえ……そういうのはお構いなく……。あの、それより聞きたいことがあるんだけど、どうして二人は私のことを知ってるの? 初対面だと思ってたんだけど……」


 すると台所で割れた食器の片づけをしていた男と、目の前のテーブルを布巾で拭いていた女性が、きょとんとして顔を見合わせる。それから少し考えるような仕草を取った後、二人揃って手を打った。


「いいえ、姫様は覚えてらっしゃらないでしょうけれど、確か姫様が五歳ぐらいの時に一度お会いしているんですよ? 随分とご立派になられましたけれど、お母上のローラ様のお若い頃にそっくりなので、すぐに分かりましたとも」


 微笑ましげに言いながら懐かしそうな眼差しをリーシャに向けていた。と、そこへ割れた食器の始末を終えた男もやってきて、リーシャの向かい側のソファーに腰かけた。その隣に女性も座る。


 こうして並んだ二人を見ると、改めて二人の整った容姿に驚かされる。透き通るような白い肌と、煌めく金髪、そして尖った耳。いや、確かにエルフの中では普通なのだが、長らく人間とばかり接触していた所為で、際立って彼らが美しく映った。


「そう言えば自己紹介がまだでしたね。私の名前はキエル・ウェイヴ。キエルとお呼びください。そしてこちらが妻のレレイラです」


 紹介を受けたレレイラが優雅に会釈をした。彼女が再び顔を上げるのに合わせてリーシャも、それぞれの紹介をしていった。


「えっと……まぁ私は良いか。こっちの黒髪のがラト・ドラゴノート。それで、こっちの女の子がミィナ――……」


 と、本当に今更ながら、ここに来て初めて未だミィナの姓を聞いていなかったことに気が付いた。言葉に詰まったリーシャに、ミィナが慌てて言い添える。


「あ、私は姓が無いのでミィナで大丈夫です!」

「そうですか。ラトさんとミィナちゃん、どうぞお見知り置きを」


 改めてお辞儀をするウェイヴ夫妻に合わせて、ミィナもぺこりと頭を下げたものの、ラトは例によって無作法に胸を張って笑顔を作るだけだった。


「はい、よろしくお願いします!」

「おう、よろしくな!」」


 それから顔を上げたミィナが、ウェイヴ夫妻とリーシャの顔を交互に見比べながら、不思議そうな表情を浮かべて尋ねた。


「あの……私まだ状況が吞み込めていないんですけど、“姫様”っていうのは……?」

 レレイラが意外そうに手で口元を押さえる。

「あら、まだ姫様から聞いてらっしゃらなかったんですか」

「ああそっか、ミィナちゃんにはまだ話してなかったっけ……。ごめんごめん、隠してるつもりは無かったんだけど、わざわざ言うべきだとも思わなかったから」

 リーシャが顔の前で手を合わせ、謝罪と共にそう前置いた。


「私、エルフ族長老の孫娘なのよ。だからまぁ、里の皆からは“姫様”って呼ばれてるんだけど、正直ちょっとくすぐったいのよね……」


 リーシャが言いながら、ちらりと夫妻を見やると二人はちょっと困ったように苦笑を零した。


「私たちも姫様と呼ぶのに慣れてしまって、今更リーシャ様とお呼びするのも何だか変な気がしてしまうんですよ」

「僕らの中では、幾つになっても姫様は姫様ですから……。それにしても、こんな急にいらっしゃるなんて本当に驚きましたよ。少し前に里の方から“姫様が素性の知れぬ少年と旅に出た”という知らせがあった時は、もうどれほど心配したことやら……」


 話しつつ、密かにラトに目をやり嘆息するキエルに、今度はリーシャが苦笑い浮かべる番だった。そんな彼の話を、ラト自身が全然聞いていないのがせめてもの救いだ。


「まぁ素性が知れないってのは間違ってないけど、少なくとも悪人とかじゃないからそこは安心して良いわよ」

「はぁ……なら良いのですが……」

「えっと、それじゃあキエルさん、そろそろ本題に入ってくれると嬉しいんだけど……。私たち、それを聞きたくてここに立ち寄ったのよ」


 すれを聞いたキエルは居住まいを正し、前のめりになっていた体を起こして背筋を伸ばした。


「おっと、これは申し訳ありませんでした。久しぶりに姫様にお会いできて、つい話が長くなってしまいましたね……。えー……姫様がお知りになりたい事というのは、近頃の人間の動向について、という事で宜しいですか?」

「ええ、まさしくそれよ。何かあったの?」


 しかしリーシャの問いに、キエルは黙って瞑目し、残念そうに首を小さく左右に振った。

「……いいえ、恐らく姫様が求めているような情報はございません。ただ……」

 そこで一旦言葉を切ったキエルがぐっと身を乗り出し、それまでよりも抑えた声でこう言った。


「三日ほど前、王城が直々に“ベテランのハンターを募る”旨の募集文を発付したのです」


「ってことは……彼らが竜殺しの犯人って事?」

 “ハンター”とは、ドラゴン討伐の際、正式な討伐部隊だけでは手が足りないと判断された時に限り、臨時で雇う非公式の戦力全般を示す呼称なのだ。

 けれどキエルはまたしてもそっと頭を振った。


「いえ、実は以前にも同じような事がありまして……。その時里にも報告したのですが、竜が殺され始めた時期とはズレがあったのです。きっと、竜の死体発見報告がされ始めるより一年ほど前の話でしたので、姫様のお耳に入る事が無かったのだと思います」


 確かに、一年となるとかなりの相違だ。だとするとやはり、彼らが竜殺しに直接関わっているとは考え難い。


「実際今回も、彼らが王都を出発して以降に竜の死体を発見したという報告は入っていないのですよ。どうやら国外まで赴いている様なのですが、いずれにせよ事件との関連性は薄そうです」

「そう……。まぁでも一応、頭の片隅にでも置いておくわ」

「ええ、それが良いでしょう。今のところ僕からお話し出来ることはこれぐらいですね……。あとは恐らく、姫様が長老様たちから伺っておられる事と大差は無いかと存じます」


 もう少し有用な情報が得られるかと期待していた内心、あまり良い収穫が無かった事に対する失望が隠せない。ふぅ~~っと溜め息を吐きながら、ソファーの背凭れに凭れ掛かった。


「ああ、それともう一つ訊きたいことがあったの」

「はい、何でしょうか」

「キエルさんは、キメラって知ってたりする?」


 こちらはあまり期待をせずにした質問だった。

 恐らくキメラを知っている人物であれば、その名を聞くだけで何らかの反応を示すはずなのだが、案の定キエルは腕を組んで眉間に谷を刻み、首を左右に振るだけだった。


「申し訳ありません……。その、キメラとやらは一体?」

「あー、えっと……頭が獅子で体が山羊、尻尾が蛇で、背中に翼が生えた全長一〇メトル超の魔獣……かな。詳しい人曰く、この国にはいない生物みたい」

「……それはまた、随分と奇怪な……。もしやそのキメラが竜殺しであると?」

「まだ断定は出来ないけど、多分そう。四日ほど前にカルビナ南の森でキマイラに遭遇した時、まさしくこの王都の方角へ逃げて行ったのよ。だからもしかしたら、目撃されてるかもって思ったんだけど……」


 と、その言葉を聞いたキエルが、記憶を辿るように顎に手を当ててリーシャから視線を外す。じっとテーブルの角を凝視したまま、数秒間動きを止めていた。

 その内キエルが、スッと鋭く短い息を吸った。


「……城の方から、稀に獣の臭いが漂って来るんです」

「獣の臭い……?」

「ええ、勿論普通の人間には感じ取れない程度の微かなものです」

「それって家畜の臭いってこと? でもそれがどうしかしたの?」


 リーシャの問いに、キエルはどう答えるべきか迷うように、一度その口を閉ざした。それからあまり気が進まない様子で、再びゆっくりと話し始める。


「姫様、もし気分を害されたら申し訳ありません。……純血のエルフならば、臭いで動物を嗅ぎ分けるなど造作もないことなのですよ。姫様の嗅覚は人間寄りですから、ピンと来ないかもしれませんが」

「今はもう気にしてないから大丈夫よ。それで……そのことがどう関係してくるの?」


 リーシャを気遣うように恐る恐る言葉を発していたキエルが、安心したようにほっと息を吐く。けれどすぐにまた真剣な面持ちに戻った。


「先ほど私が“獣の臭い”と表現したのは、今まで嗅いだどの動物の臭いとも異なったものだったからなのです。もうここまで来れば、賢明な姫様なら既にお気付きでは?」


 問われたリーシャの脳内では既に、キエルの言葉の意味とさっきまでの話題の内容とが組み合わせられ、その結果、一つの可能性が導き出されていた。


「……キメラが城にいる、ってこと……?」

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