第二章
第12話 認識と王都
穏やかな水平線を、乗員が二人だけ増えた一隻の客船が航行していた。船尾からは幾本ものロープが伸び、その先端には首の無いドラゴンの死体。まるで船を追いかけているかのように、水面近くを静かに引っ張られていた。
だがそんな異様な光景とは裏腹に船の甲板では、引き上げられたドラゴンの頭部を前にして、乗員たちによる宴が催され乗員たちがどんちゃん騒いでいる。
けれどそれも、当然と言えば当然だ。
竜種の素材は、全身を覆う鱗や甲殻の一枚一枚でさえ小さな物でも二万ギルを下らないほどの超高級品。そんなドラゴンの良質な死体が丸々手に入ったのだ。浮かれぬ方が不自然というものだろう。
しかし昼下がりから祝杯を上げバカ騒ぎをする男たちの中に三人の姿は無く、乗客たちが再び彼らを見たのは、王都ウォータリアに到着した客船から彼らが下船した時だった。
『お前らのお陰で大儲けだぜ! ありがとよぉ!』
『ドラゴンを倒しちまうたぁ驚いた。しっかし、お前らから渡し賃を貰うわけにはいかねぇな!』
『君たちは命の恩人です! またいつか機会があればその時は力になりますよ』
そんな幾つもの感謝の言葉を背に受けながら、三人は下船した船着き場を後にした。
リーシャは声を掛けられる度に愛想笑いを振り撒いていたが、しかしラトにおいては彼らを一瞥することもなく、ただ無表情に歩みを進めるだけだった。
早足に歩くラトの後ろを、リーシャとミィナは小走りで追いかけた。
王都ウォータリア――城下町全体が高さ十メトルの頑丈な城壁に囲まれた、半径一キロメトルの円形城郭都市だ。東西南北に一箇所ずつ設けられた巨大な出入り口は、それぞれ“大門”と呼ばれ、リーシャ達が下りた船着き場から最も近くに聳えるのが“南の大門”であった。
大門の目の前にあるちょっとした広場に差し掛かった辺りで、好い加減ラトの身勝手な行動に嫌気が差したリーシャが、ひょいっとラトの進路に立ち塞がって無理矢理その足を止めさせた。
「ねぇラト、あんた何怒ってんの?」
「俺、あいつら嫌いだ」
そう答えたラトが表情を変えることは無かったが、それでも隠し切れずに心の奥底から怒気が漏れ出てしまっている。“あいつら”と言うのが、一緒に船に乗っていた人間達を示していることはすぐに分かった。
「ドラゴンを……何だと思ってんだ」
囁くように言ってまた歩き始めたラトの歩調は、先程よりもゆっくりとしたものだった。
だから今度はリーシャも制することをせず代わりにラトの隣に並ぶと、頭上の空を仰ぎながら、半ば諦念を滲ませた口調で呟く。
「今更気にしてたってしょうがないじゃない、そんな事……。人間たちにとってドラゴンっていうのは、“時に恵みをもたらす災い”としか認識されてないんだから」
「だけど……あいつら素材とか金とかばっか言ってて、全然水竜の気持ちを考えようともしねぇじゃんか」
「だって、ほとんどの人間はドラゴンに知性があることを知らないんだから……」
というリーシャの言葉に、思わず反応したのはラトではなくミィナの方だった。
「ドラゴンってそんなに頭が良いんですか?」
「それはまぁ、人と会話できるぐらいだしね……。人って言っても竜人族だけど。それにさっき船でも、繁殖期でもない限りドラゴンが自ら人間を襲うことは無いって言ったでしょ? それは何でかって言うと、人間に害を為し続ければいずれ自分たちが殲滅されてしまうことを、彼らがちゃんと分かってるからなのよ。ドラゴンは決して群れる事が無いから、大軍に攻められると多勢に無勢で流石にひとたまりもないからねー」
「なるほど……」
馬車が四台並べるほどの幅がある大門の下には“検問所”が設置されており、そこではエルフ族、竜人族の無許可の入市を制限するための種族検査が行われていた。
とは言え、係の兵士に耳と額を見せるだけの簡単なものなので、三人とも何事もなく通過したのだった。
「ところでリーシャさん、このまま北の船着き場へ行くんですか?」
「ううん、その前にちょっと寄りたいところがあるの」
*********
王都の街並みはカルビナのそれと然したる差は無かった。両脇に鉱物灯や魔法灯が等間隔で立ち並ぶ石畳の道路が王都の中心へと向かって伸び、広い通りでは、構えている露店から食欲をそそる良い香りが漂ってくる。
子ども達がボール遊びをしていたり、道端で話し込む主婦や、馬車や人々が往来する光景は、他の町村と何ら変わりはない。
時折、屈強な戦士や武器を携えた旅人とすれ違うのは、闘技大会が近いからだろう。
だがそれを差し引いても、圧倒的に異なる点が一つだけ。
それが王城の存在だ――。
天高く聳えるその建造物は、背を向けでもしない限り常に視界に入り続けるほど巨大であった。雲を貫くが如く屹立する円錐塔は、最も低いもので七〇メトルを下らない。それだけで城下町にある時計塔の三倍以上だ。
それは余りの巨大さゆえに、時として町に影を落とす。
リーシャ達三人は、大門付近の道具屋で買った城下町の地図と、周囲の景色とを見比べながら、王城の影となり既に夕暮れが訪れたように仄暗い街を、ゆっくりと進んでいた。
王城を中心に放射状に延びるメインストリートから細い脇道が分岐し他の大通りに繋がる、というだけの単純な構造ではあったものの、如何せん似たような家並みが続くため、リーシャは少し道を間違えただけでもすぐに迷ってしまうような気がしていた。
それ程に、とにかく広いのだ。
だから王城から二〇〇メトルも離れていないような、王都の中心街にある目的地に辿り着くまで、およそ一時間半もの時間を要してしまった。
「ん~~っと、ここで良いの……かな?」
大通りからは外れた小道に構える、一軒の怪しげな道具屋の前で立ち止まったリーシャが、小首を捻って腕を組む。その頼り無さげなコメントに、ミィナが困ったように苦笑を零した。
「リーシャさんが分からなかったら、私達にはもっと分かりませんよ……」
「だって、私も王都なんか来たの初めてなのよ……。でもここの近くにそれっぽい店も他に無いし、多分間違ってないと思うんだけどなぁ」
「入ってみりゃ良いじゃねぇか」
などと簡単に言ってのけるラトに、リーシャが恨めしげな視線を向ける。
「もしそれで違ったら嫌じゃない。こんな店出来たら入りたくないもん」
まぁそんなことをいつまでも言っていた所で、何が変わるわけでもないし、結局はこの店に入らねばならないのはリーシャも分かっているのだ。
リーシャは諦めたように短く嘆息して、ドアの取っ手に手を掛けた。
「冷やかしなら帰って下さいね?」
唐突に背後から掛けられた言葉に三人が揃って振り向くと、そこには顔の半分が隠れるほど深くフードを被った、怪しげな男が一人。その口振りから、この店の主、或いは関係者だろう事が推測出来た。
けれども、どうやらこちらに余り良い感情を抱いていないらしい。
リーシャは胸の前で小さく手を振りながら慌てて頭を下げた。
「ごめんなさい、別にふざけてた訳じゃないの。ただ、ちょっと入る勇気が無くて……。もしかしてこの店の人?」
「店主ですよ」
「あ、だったら一つ聞きたいんだけど……この近くに“キエル・ウェイヴ”っていう男が住んでないかしら?」
というリーシャの問いかけに、男の肩がびくんっと大きく震えた。それから恐る恐る顔を上げ、片手でフードの裾を少しだけ持ち上げる。ようやく垣間見えた彼の瞳は驚愕に見開かれ、リーシャを真っ直ぐに凝視していた。
震える唇がゆっくりと動き、掠れた吐息と共に微かな声を発した。
「姫さま……?」
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