第3話 異形の怪物と旅仲間
「――ちょ、え、ラト!? 何であんた、空から降って来てんのよ」
「あん?」
と、そこで初めてリーシャの存在に気付いたように、ラトは顔を上げた。
「うおっ! リーシャお前、こんなとこで何やってんだ?」
「何って……それこっちのセリフなんですけど……」
呆れ交じりに答えるが、一方のラトは何やら訝しげな表情でリーシャをまじまじと見つめている。
「お前……実は変態だったのか」
言われて初めて、リーシャは自分が下着姿であることを思い出す。茹でられたタコのように耳の先まで顔を真っ赤にして、ばっ! とすごい勢いで両手で胸を覆い隠した。
「じろじろ見るなぁ! 好きでこんな格好してる訳ないでしょうが! ミィナちゃんを人質に取られててこうするしかなかったの!」
と、こうなってしまった経緯を簡潔に説明。するとラトはそれで納得したのかしていないのか、突然ハッと何かを思い出したように勢い良く立ち上がった。
「――っと、そうだ。んなどうでも良いこと話してる場合じゃなかった! とにかくお前ら、すぐにここを離れろ!」
素早くリーシャの腕を引っ掴んで走り出そうとする。が、急に言われても何のことだかさっぱりである。リーシャはラトの手を慌てて引き剥がして、モヒカン男の方を指し示した。
「ちょっと! 言ったでしょ、まだミィナちゃんが人質に取られてるの! って言うかあんた、さっきから何をそんなに慌ててんのよ……」
問うたが、ラトは明後日の方向に目をやりリーシャの言葉など全く耳に入っていないようだった。すると不意に、ぽつりと呟く。
「……遅かったか。来るぞ」
「は? 来るって一体――」
――何が? そう尋ねようとしたのだが、リーシャが言い終える寸前にその言葉は低い飛翔音に掻き消された。
突風が林道を駆け抜ける。
世界が影に覆われる。
ズゥン……と地響きを立てて、少し離れた道の真ん中に巨大なシルエットが立ちはだかった。
ドラゴンと見紛うほどの巨躯。恐らく頭から尻尾の先まで少なくとも十二メトルはあるだろう。しかし、明らかに竜種とは掛け離れた、異様な相貌だった。
頭部を含めた前半身が獅子、後半身が山羊、尻尾があるべき
未知なる生物に、リーシャは愕然としつつも思わず見入ってしまった。
そんな中、幾つかの悲鳴が重なる。
「ヒィィィっ!? た、助けてくれ!」
すっかり忘れていたが、ちょうど怪物の足元に、下っ端盗賊の三人が立ち竦んでいた。一人は腰を抜かして尻餅を付き、もう二人は頭上を見上げたまま恐怖に動けないでいる。
刹那、彼らの姿が
ぐしゃっと不快な音が響いたかと思うと、道脇の細めの樹木が数本、ばきばきと薙ぎ倒される。
「…………!!」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
リーシャが瞬きをして目を開いた時には、三人の姿は影も形も無かったからだ。だが依然降り立ったままの場所で屹立する怪物が、太い前脚を内側に振りきったような体勢であるのを目にし、ようやく悟った。
――強すぎる。
「うそ……何なのよ、あれ……」
呆然として呟く。しかしラトはその質問には答えず、背負っていた荷物をどさっと地面に下ろすと、彼女の肩に静かに手を置いた。その瞳は一直線に、あの怪物を見据えていた。
「ミィナは頼んだぞ」
「……は? ちょっ――」
突然、リーシャの脇にいたはずの彼の姿が、土煙を残して掻き消えた。
異形の怪物目がけて駆け出したラトは、突進をかけつつ背後に手を回す。腰の後ろに差していたダガーを素早く抜いた。
「さっきの借りは、返す!」
自らを
常人ならざる脚力を発揮し、一気に五メトルほどの高さまでジャンプする。空中でダガーを順手に持ち替えると、天高く真っ直ぐに掲げた。
「大剣ッ!」
ラトの叫びに応じるかの如く、ダガーが白色に輝き出す。瞬く間にその輪郭を変形させてゆく。光が完全に収まったとき彼が握っていたのは、自身の身長に迫ろうかというほどの大剣だった。
「かぶとぉ~~~~」
身体をぐぐっと弓なりに反らし、その反動で宙返る。落下と回転の勢いが乗った極大の武器を、渾身の力で叩き下ろした。
「割りぃ!」
ダガァァァァン!! という轟音が世界を揺らした。しかしその一撃は見事に空振りし、地表に炸裂して深い亀裂を地面に刻んだ。
怪物はその巨体からは想像できないほど軽い身のこなしで、ラトの攻撃を躱していた。
飛び退いた怪物が、今度はラトへ飛び掛かり反撃。
鋭い鉤爪が剥き出た前足を神速で叩き付ける。
ぎゃいんっ! と鋭い金属音と共に、ラトの身体が軽々と後方へ弾き飛ばされた。空中で体勢を立て直し、数メトル離れた地面を半ば滑るようにして着地。だがその口元には、僅かに笑みが浮かんでいた。
それもそのはず、攻撃を受けたのは大剣の腹。彼自身は大した痛手を負ってはいない。武器をぴたりと体の正中線に構える。怪物に恨めしげな視線を向け、独りごちた。
「にゃろ、やっぱ遅いのはダメかぁ……。――片手剣」
ラトの言葉に応じて再び武器が光に包まれる。数瞬後には、彼の身長ほどもあった巨剣がその半分程度の長さのショートソードに変化していた。
《オールブレイド》――使用者の意思によって、あらゆる刃物に姿を変える魔法武器である。
「次は当てる!」
宣言して、地を蹴った。とても人間とは思えない速度で、一瞬にして距離を詰める。
「らあああ!」
苛烈な気勢と共に剣を斬り上げる。ようやく斬撃がヒットし僅かに血潮が飛び散った。しかし分厚いタテガミに阻まれ、胸元に浅く切り込みを入れた程度に収まってしまう。
だが、まだ終わらない。
間髪容れずに斬り返し、続く二撃、三撃を叩き込む。同箇所への連続攻撃によって傷もより一層深くなる。斬り付ける度、敵が苦しげに洩らす唸り声が、有効なダメージを与えている事を物語っていた。
しかし、トドメに放った刺突が空を切った。
ぶわっ! と突風が巻き起こり、敵の巨体が宙に浮いた。恐らく懐に潜り込まれては不利だと判断し空に退避したのだろう。
上空からグオオオオ! という野太い怒号を響かせた。
対するラトも負けじと叫び返す。
「ずりぃぞ、空飛ぶのは! 降りてきて正々堂々戦えコラー!」
その言葉を理解したのかどうかは分からないが、怪物は勝ち誇ったように再度咆哮する。と同時に、尻尾の大蛇がぬっと頭を地上に向ける。喉元が大きく膨張。次の瞬間、両顎をほとんど平行にかっ開いたかと思うと、喉の奥から紫の煙を放出した。
きっとどんな人間から見ても、それが毒であることは明白だっただろう。
だが何故かラトは逃れようとしない。そしてリーシャ達が固唾を呑んで見守る中、彼は信じられない行動をとった。
なんと、あろうことか突然その場に屈み込んだのだ。
毒の霧が容赦なく降り注ぐ。
――直撃。
ラトの姿が瞬く間に霧に覆われる。彼のシルエットすらも確認出来ないほどの濃霧。それがどれほどの猛毒であるかは、霧に触れて変色した周囲の草木がこれ以上ないほど瞭然と示している。
モヒカン男も、ミィナも、一瞬の出来事にはっと息を呑む。けれどリーシャだけは、微笑を崩さぬままその様子を一瞥しただけだった。
なぜなら、ラト・ドラゴノートという少年が、あの程度でやられはしないことを知っているから。
だから、耳を澄ませば、ほら――。
ちゃんと聞こえてくる。今にも爆発せんと身体を縮める、彼の猛る呟きが。
「……俺に毒はぁぁ~~…………」
ぼひゅっ! と厚い煙の中から、矢ように飛び出す影があった。
「効かああああ――――ん!!」
もはや生物の域を超えているとすら思えるほどの大ジャンプ。その高度は五メトルを超えて更に上昇する。ショートソードを大上段に構え、声を張り上げた。
「太刀ッ!」
武器が輝き、美麗な刃を浅く湾曲させてぬぅっと一気に伸びる。その刀身の長さたるや、先ほどの大剣などまるで比較にならない。二メトルを軽く凌ぐ美しき長刀が彼の手に握られていた。
「と、ど――…………けっ!」
太刀を振り抜くと同時、ラトの身体が刹那の間、空中で停止する。
その切っ先は、大蛇の首元に深々と食い込んでいた。
すぱっ! と白い剣閃が宙に円弧を描く。怪物の尻尾の先端――蛇の首が切断され、真紅の鮮血が宙に
「ハッハー! ざまみろ!」
溢れんばかりの笑みを浮かべるラト。
しかし幾ら彼でも翼が無ければ重力に逆らう事は出来ない。Vサインを天に突き付けたまま、地面へ落ちていった。
「――短剣」
その呟きによって半メトル足らずのダガーに戻ってしまったオールブレイドを、腰の鞘に収める。降下しつつ宙返りで体勢を立て直したラトは軽やかに着地。直後、ぼとっと大蛇の頭部が彼の足下に落下した。
天を仰ぐと、口に両手を当てて得意げに声を張り上げた。
「どうだ、いてぇだろ! さっき俺を吹っ飛ばしたお返しだコノヤロー!」
怪物は小さく呻り声を零しながらフラフラと空を旋回している。
それはまるで、小指をぶつけた人間が痛みを堪える為にその場でぴょんぴょん飛び跳ねている様子に似ていると、その時ラトは思った。
と、暫く頭上の空を旋回していた怪物だったが、不意にくるりと方向転換をするとラトに背を向け、逃げ去るかのように北の空へ消えて行った。
飛び去っていく背中に叫ぶ。
「次会ったら覚悟しとけよー!」
森の木に隠れてその姿が完全に見えなくなった頃、突然ラトが舌を見せたかと思うと、不味いものでも食べたように思いっ切り顔を
「…………うべぇ! なんか舌がビリビリしてきたぞ、何だこれ! そういや目も沁みるしよ!」
涙ぐんだ目をごしごし擦りながら、ぺっぺっと道端に唾を吐きまくるラト。そんな彼の背後でリーシャは盛大に溜め息を吐いたのだった。
「当たり前でしょー。触れただけで植物が枯れちゃうような猛毒食らってんだから。いくらラトでもそのぐらいなるわよ。……あーあ、そういう間抜けなトコが無ければすごいカッコイイのに……」
「おうリーシャ、もう服は着たみてぇだな。で、そっちはどうなった?」
「そんなすぐに状況が変わる訳無いでしょ、ゲイルロッドだって取られちゃってるんだから。……見ての通りよ」
びっと親指で背後を示す。ラトがそちらへ目をやると、まだモヒカン男がミィナを人質に取ったまま惚けたように立ち尽くしていた。
ラトに見られている事に気付き、気を引き締めるようにミィナを拘束する腕の力を強める。
「ち、近付くんじゃねェ! このバケモノめ、そこから一歩でも動いてみろ! このガキを殺してやる!」
喚き散らす彼の瞳は小刻みに揺れ、かなり怯えているのが見てとれる。リーシャを脅していたときのような余裕は、もう見られない。
ラトは口をへの字に曲げて、かったるそうに後頭部をがしがしと掻き毟る。それから何を思ったか、不意に屈み込むと、足下に落ちていた木の実ほどの小石を拾い上げた。
「あー……その、なんだ、その子を放してくれよ。そうすりゃ俺達は何もしねぇからさ。お前を殺したり捕まえたりなんかしねぇし、追いかけたりもしねぇ」
「……テメー、この状況が分かってねェのか? 命令出来る立場にあるのは俺だぞ!」
モヒカン男が更に声を荒げる。しかしラトは少し困ったような表情を浮かべて、う~むと呻くだけだ。
「まぁ、一応警告はしたかんな。もう文句は言うなよ」
「はァ? てめ、何言って――」
刹那、眼にも留まらぬ速さでラトの右腕が振られた。
弾丸の如き速度で飛翔した小石が、モヒカン男の眉間にびしっ! と命中。彼は悲鳴を上げる間も無く白目を剥いて仰向けに倒れ、結局それきり動くことはなかった。
まさかの呆気無い幕切れに、リーシャはえー……と幻滅の吐息を洩らし、人質に取られていたミィナに至っては何が起きたか分からないようで、ラトとモヒカン男を交互に見比べてオロオロと困惑している。
ラトは、手を
「にっしししし、これで一件落着だな!」
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