港町カルビナ篇

第一章

第1話 林道と盗賊

 針葉樹林を二つに分断し、南北に続く“カルビナ街道”という林道がある。その半ばにて歩を進める三人の影があった。

 リーシャとラトの二人は昨日、その森より更に南のとある小さな村を後にしたのだが、その際、訳あってミィナという名の少女も港町カルビナまで同行することになっていたのだった。



「そう言えばまだ聞いてなかったけど、ミィナちゃんは何でカルビナに行きたいの? それもそんなに急いで」

 歩きながらリーシャが尋ねると、隣を歩くミィナは栗色の髪をそっと耳にかけ僅かな逡巡しゅんじゅんを見せたのち、浮かない表情のままゆっくり口を開いた。


「出稼ぎ……です」

「ふーん、そっか」


 リーシャは納得したように相槌を打ったが、しかし本当にそれだけが目的だとは思えないミィナの物憂げな面持ちに、どこか引っかかるものを感じた。

 けれどこれ以上ミィナの事情に踏み込むのも、野暮というものだろう。そもそも、たった十四歳の少女がわざわざ危険を冒してまでこの道を通ろうという時点で、普通ではないのだ。村を出発する直前、“私も連れて行って下さい”とミィナに懇願されたときは正直驚いた。

 最初は軽くあしらうつもりだったのだが、あの時、彼女の瞳の奥に宿っていた強い意志に気圧され、結局最後はリーシャが折れてしまったのだ。

 だがやはり、今になって、本当にミィナを連れてきたのは間違いではなかったのか、と自問してしまう。

 というのも、最近になってこのカルビナ街道が通る森にドラゴンが棲み着いた、という噂が流れているからだった。目撃情報も複数件あるらしく、単なる噂である可能性は低い。

 それでもこの道を使おうとする辺り、ミィナにはかなり急ぎの用事があるのだろう。他の道を使うとなると、二日は余計にかかってしまう。


「でも運が良かったわね、こんな時にこの道を通ろうだなんて物好き、私たちぐらいしかいないと思うし」

「……お二人は、どうして?」

 今度はミィナに問い返され、リーシャはどう答えるべきか少しばかり迷った。

「うーんと……まぁ端的に言うと、ドラゴンを探しに、かなぁ」


 という短い回答に、ミィナは驚愕を露わに目を見開く。それもそうだろう。逆の立場だったら“ドラゴンとの遭遇を望む”人間など、自殺願望を持っているとしか思えない。


「でも心配しないで。私達、別に死にに来たわけじゃないから。もし本当にドラゴンに襲われたとしても、きっと後ろのお兄さんが何とかしてくれるわよ。ねー、ラト?」


 と前を向いたまま、背後を歩いているはずの旅仲間である少年に呼び掛ける。

 しかし返事は無い。

 ラトは、自分が興味のない話にはまったくもって頓着が無く、けれども一応、話を振れば“ああ”とか“おう”とか気のない返事はするはずなのだ。いつもなら。

 だからアクションを起こす前に、何となく嫌な予感はしていた。


「ちょっとラト、聞いてん――」


 振り向きざま、口にしかけた言葉が途中で止まる。

 いない。

 後ろには、ただ自分たちが歩いてきた道のりが遥か遠くまで伸びているだけ。そこにあるべき仲間の姿が、影も形も無かった。

 虚しく風が吹き抜け、枯れ草の塊がコロコロと転がっていく。数秒間、ぽかーんと口を開けて唖然としてしまった。


「ああ、もうっ! まーた一人で勝手にどっか行っちゃって……」


 町にいようが森にいようが山にいようが、ラトの単独行動は日常茶飯事。最早ここで狼狽えてしまった方が負けなまである。

 額に手を当てて、深々と呆れた溜め息を吐くと、その様子を見たミィナが目に見えてオロオロし始めた。


「えっ!? ラトさん、居なくなっちゃったんですか!? い、一体どこへ……」


 こんな森の中でたった十四歳の少女が、僅か四つ年上なだけのお姉さん――リーシャのことだが――と二人きりにされたのだから、不安になるのも仕方がない。それでも自分が全く頼りにされていないことが、リーシャとしては少々心外であった。


「あー……多分ラトのことだからそのうち追い付いて来るでしょ。気にせず先に行くわよー」

「そ、そうですよね! 一本道ですし、方向さえちゃんと分かっていればすぐに道に戻れますし……」


 とミィナが自らを励ますように、わざとらしく大きく首肯した。

 振り返って歩き出す。そのとき――

 ピシッ! という小枝を踏み折ったような微かな音をリーシャの耳が捉えた。すぐさまミィナに目をやるが、彼女には聞こえなかったようで、背後を細かく気にしながらもそのまま歩みを止めない。


 ――二〇メトル先の木陰に、何かいる……。


 そのことを敏感に感じ取ったリーシャは、さっとミィナの胸の前に手を出してそれ以上の前進を制した。ミィナが不思議そうに彼女を見上げるが、リーシャは音のした方を注視し続ける。


「隠れてるつもりなら、さっさと出て来なさいよ」


 もしも自分の勘違いならそれに越したことはないが、そうでない事はリーシャ自身が一番良く分かっている。聴覚と視覚の鋭さなら、ラトにも劣らない自信がある。

 数秒の間を置いて、“彼ら”はその呼び掛けに応じた。


「おいおい、この距離で今のが聞こえちまうのかよ……。嬢ちゃん一体どんな耳してんだ?」


 低く野太い声を響かせながら姿を現したのは、トサカのように逆立ったモヒカン頭が特徴的な華奢きゃしゃな男だった。続いて彼の仲間と思しき男たちも現れ、ぞろぞろと行く手を阻むように立ち並ぶ。

 後ろの方までは見えないが、人数はざっと十五人程度だろうか。

 粗雑な身なりや、携帯している悪趣味な武器等々から、彼らが無法者の集団であることは容易に窺い知れた。


 と、そこでリーシャは一つの矛盾にぶつかった。

 “何故ここに盗賊がいるのか”ということだ。もし噂通りこの森がドラゴンの縄張りであるなら、これだけ大勢の人間が森にいられるはずがないのだ。

 だが現にこうして彼らは待ち伏せていたわけで、それはまさに、ドラゴンがこの森に存在していないことを示唆していた。


(無駄足、だったか……)


 と心中で密かに落胆したものの、今はそうも言っていられない状況なのは変わらない。

 ふと傍らのミィナに目をやると、口をきつく引き結んで、震える手でぎゅっとリーシャの服のすそを握り絞めている。これだけの人数の敵を前に、逃げ出したくなる衝動を彼女なりに必死に堪えているらしい。

 であるなら、ここでリーシャが弱腰になる訳にはいかなかった。


「一応訊くけどあんたたち、私たちに何か用? 用が無いなら私たち急いでるから、そこ、どいて欲しいんだけど」

 というリーシャの強気な態度に、一番最初に出てきたリーダー格と見られるモヒカン男が驚き交じりに肩を竦める。

「おうおう、気のつえェ嬢ちゃんだなァ。けど悪いがただでここを通す訳にゃいかねェんだわ、これが。……持ってるもん全部置いてきな。そうすりゃ傷付けたりなんかしねェからよ」


 男は白々しい微笑を浮かべて、優しく諭すようにそう言った。しかしその要求内容は呆れるほど理不尽。だからという訳ではないが、リーシャも不敵に微笑んで応対する。

「もし、断るって言ったら?」

 そんなあくまで挑戦的なリーシャの発言を、男は鼻で笑い飛ばした。それに同調するように彼の部下達もニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。


「おっと、抵抗なんぞしねェでくれよ? 俺たちも出来る事なら女子供相手に手荒な真似はしたかねェんだ」

「あっそ、じゃあ断らせてもらうわ。あんたらの言う事なんか聞く義理無いし」

 半ば男の声と被るように重ねられた言葉に、彼の頬肉が僅かに引き攣った。

「威勢が良いのは悪いことじゃあねェが、状況を判断する能力はちゃーんと身に付けねェとなァ、嬢ちゃんよ。そっちが抵抗するってんなら俺らも容赦出来ねェぜ?」


 言うと、腰に差していた得物を抜いて、それを見せつけるようにわざとらしくチラつかせた。

 けれど今更そんな物で脅された程度で臆病風に吹かれるリーシャではない。

 無言で背中に手を回すと、ボディベルトで括りつけていた愛用の武器を取り外す。折り畳まれたそれを素早く組み立てて、左足を前に半身に構えた。


「やれるもんなら、やってみなさいよ」


 無駄に挑発的になってしまったのは、きっとラトの影響も少なからずあるのだろう。

 しかしリーシャの一連の動作を見ていた盗賊達は、呆気に取られたように固まっていたかと思うと、唐突に腹を抱えて嗤い出した。


「ギャハハハハッ! そんな棒一本で俺たちと闘る気かよー!」

「おいおい、ギャグかってーの!」

「ごっこはお家でやりましょうね~~っ!」


 リーシャが手にしているのは自身の身長かそれ以上の長さの棍であり、その見た目はただの金属棒である。両端がこぶのように丸くなっている事を除けば、到底武器には見えない。

 しかし彼らが、本当にそう思って油断しているのなら、それはそれでリーシャにとって都合が良かった。言いたい放題なのは少々癪ではあるが……。


「ミィナちゃんはちょっと下がってて」


 忘れてはならないのが、ミィナはただの民間人であるということ。戦い慣れているラトやリーシャとは訳が違う。うまく真剣みが伝わってくれたようで、ミィナはこくりと小さく首肯すると数メトル背後の木陰へ避難した。

 それを見届けて盗賊たちに向き直る。


「それで? やるなら早くして欲しいんだけど」

 モヒカン男はまだ笑いが収まっていない様子だったが、溜め息のようなものを一つ吐いて、ようやく命令を下した。

「――だそうだ。お前ら、お望み通り相手してやれ」

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