第6話 白猫のお客さん

 人間の言葉を喋った彼女は、釣り銭入れに硬貨を置くと、あらと可愛く首を傾げた。


「店員さん、気が利くわね。猫語が解るお札をちゃーんと貼って対応して下さるなんて。もっと手間取ると思っていました」

「えっ」


 青の瞳が見詰めている頭頂部辺りを探ると、紙を掴んだ感覚があった。

 何者かを確かめれば、梅の透かし模様が入った和紙に、律儀にも「猫語が解る」と書かれてある。

 猫が何やらにゃあにゃあ鳴いて、自らの頭を前足で叩く。戻せと言っているらしい。くるみが再び頭にお札を戻すと、猫は再び女の声で話し出した。


「まだ取っちゃ困ります。私のお買い物は終わってないんだから。ここの海苔弁当を手に入れるために、苦労して来たのに……」

「あ、すみません。すぐご用意しますね」


 釣り銭はけっこうだと断る彼女は、弁当が出来上がるのを、カウンターの上で気取った仕草で座って待っていた。ぺろぺろと背中の毛繕いを始める様子からしても、綺麗な猫ではあるけれども、あくまで普通の猫のようだ。


「ねえ、私、ちょっとここの様子を見ていたんだけど、あなた、お友達と梅園の神様の取り合いをしているのかしら?」


 菜箸から唐揚げを取り落としそうになったくるみは、顔を真っ赤にした。振り返れば青い瞳がちらりとくるみを盗み見た所だった。かち合ってしまった視線をさっと逸らした猫が、気まずそうに一つ瞬きをする。


「いやだ、店員さんたら、そんなに泣きそうな顔をして」


 思い出してしまったくるみの胸は、締め付けられているように苦しかった。そんな事は、仕事中の今は、考えたくない。今は客であるこの猫に、持たせる弁当のことだけを、くるみは考えていたいのだ。


「心のことは自分でだって止められないものよ、猫だって人間だって、仕方が無いじゃありませんか」


 弁当に視線を落としたくるみに、優しい声音で白猫が言った。猫と言えど、恐らく、くるみからしたら年上の女性なのだろう。白猫はくすぐったそうに肩関節の毛を震わせている。

 猫とこんな風に会話出来るなんて、おとぎ話の世界みたいだ。そう思ったくるみはふと、青年が言っていたおまじないが、お札の事だと気付く。彼がこのお札を貼ってくれなければ、幾ら狭間の弁当屋の客だとは言え、白猫とは話せなかっただろう。彼は猫の客が来る事を分かっていたのかもしれず、また助けられてしまったのだ。気付いたくるみは唇を噛んだ。


「あの、うちの店はどちらで知って、来てくださったんですか?」


 手を動かしながら、背中の毛皮を舐めている猫に尋ねる。どういう経緯で彼女が来たのか、梅園の神がどういう理由でそれを知ったのか、くるみは知りたかった。


「どちら、だったかしら……とにかくこのお店は猫の間では有名ですもの。あの噂がありますでしょう?」


 稀に猫又と呼ばれる二本尾の客が来る事はあったが、猫の間で店が有名だったとはくるみも初耳だ。


「あの、噂って……」

「ところで、クリスティーナ様は最近は想い人の男性といらっしゃっているのかしら? ここの常連とお聞きしましたけど」


 質問を質問で返されたくるみは面食らった。そんな名前の客をくるみは知らないし、福尾さんだって外国人のお客は知らないだろう。


「クリスティーナ様……申し訳ありません、ちょっと、お名前を知らない方だと思うんです。そういう方もいらっしゃるので」


 白猫は気にした風もなく、逆三角形の顎を上向けると、うっとりと目を細めた。


「あら、そう? でも、ここのお弁当のおかげで、恋が実ったって彼女も仰るから、私、来ましたのよ。クリスティーナ様と想い人の殿方は、今度、同棲を始められるとか」


 用意できた弁当をビニールへ入れて、カウンターへ置いたくるみは、目を瞬かせる。クリスティーナという女性のことだけに終わらず、謎がまた増えてしまった。


「ええと、うちのお弁当で、恋、が実ったんですか……?」

「あら? まさか、お店の方がご存知ないのかしら? ここの海苔弁当に入っている唐揚げを食べると、想い人と両思いになれるっていう噂があるでしょう? 噂通り、唐揚げを食べたクリスティーナ様に、想い人は夢中なんですって」

「…………うちのお弁当にそんな噂があるんですか」

「まああ、私達、猫のメスの間では、有名な話ですのよ!」


 唐揚げと猫。どこかで聞いた話だ。

 とにかく、くるみは噂は噂でしかないと思った。大体、弁当を作っている本人自体が、恋をした事がこれまで無く、そして今は自身が恋愛で悩んでいる。


「…………申し訳ないんですが、それは、ただの噂です。そういったお話を、お客さんから聞いたこともありませんし。ところで、梅園の神様のことを、ご存知なんですか?」


 白猫はくるみの質問に答えないまま、ビニール袋の持ち手を器用に首に掛けると、颯爽と地面へ降り立って尾っぽをぴんと持ち上げた。


「店員さんたら、正直ね。とにかく、私はこれからこのお弁当が冷めないうちに、あの人へお届けしようと思います。せっかくですもの」

「あ、はい。普通の弁当で申し訳ないです……あの、良いお昼になりますように」


 丁寧に頭を下げたくるみに、白猫は目を細めた。


「噂が本当じゃなくても、また来るわ。私はあなたみたいな人間って、好きよ。クリスティーナ様もそう仰ってたわ…………そうそう、好きといえば、私達、猫はみんな、梅園の神様は好きよ」

「えっ、そうなんですか? あの……」


 くるみがどもっている間に、来た時と同じように軽快な足音をさせて、白猫は去って行った。

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