第7話 予約時のミス

 まだ日も登り切らない時間、制服のワンピースを身に付け、エプロンのリボンを締めたくるみは、女性の死霊に観させられた、彼女の思い出らしい映像を、思い出していた。一生懸命、箸を握る小さな手や、じゃがいもを口いっぱいに頬張った、男の子の幸せそうな顔。


 あの子は女性を失った今、どんな物を食べて、どんな生活をしているのだろう。


 厨房へ立ったくるみは、男の子がじゃがいもの一つ一つを、慣れない箸で一生懸命に食べていたのを思い出しながら、じゃがいもの一つ一つを丁寧に洗い、芽を取って面取りをした。厨房の奥まった場所にある、古びたパイプ椅子で、くるみの祖母が静かに見守っていた。


 くるみが蓋を開けた寸同鍋から、鰹出汁の香りと共に白い煙が上がる。形良く煮しまったじゃがいもと、柔らかく仕上がった牛コマを掬いあげたくるみは、味見用の皿へと盛り付けをして、箸とともにパートの森尾さんに手渡した。

 顔も身体も全体的にふっくらとした、丸いフォルムの森尾さんは、眉間に深い縦皺を作ったまま、まずは匂いを嗅いでいる。


 早朝、初めてくるみ1人で仕込んだ肉じゃがが完成した。


 見た目は祖母や母親が作っていたのと大差なかったが、弁当屋の名物でもある冬季限定の肉じゃが弁当として販売出来るかは、味に掛かっている。

 出勤して来て早々に、今日の日付に肉じゃが弁当の予約票が貼ってあるのを見た森尾さんは、怒っていた。

 何故なら、今日の肉じゃがの出来次第では、肉じゃが弁当は出せないし、本来は予約も入れられないはずだからだ。けれど、あの客の思い出を垣間見てしまったくるみは、彼女の注文を無碍むげには出来なかった。


 失敗は許されない。

 緊張するくるみの目の前で、森尾さんが最初の一口を口へ運んだ。一口、また一口と肉じゃがを頬張る森尾さんは目を閉じている。けれど、まだ怒っていたらしいその怖い顔は、段々、蕩けるように綻んでいった。


「これは……優しい、優しい、良い味に仕上げましたね」


 皿が空になる頃、やっと森尾さんが関心したようにそう言った。不安に曇っていたくるみの顔がぱっと明るくなる。


「肉じゃが弁当出して良いの?」

「ええ。また腕を上げましたね、くるみお嬢さん」


 森尾さんは自らの丸い腹をぽんぽんと叩いた。祖母の代から味に五月蝿かった森尾さんに太鼓判を押して貰えたくるみは、早速、店先のホワイトボードへ、売り切れ御免の肉じゃが弁当の文字を書き込んだ。


「さて、お店を開けましょうか……ところでくるみお嬢さん、その予約注文のお客さん、何時に来るんですか? やけに予約票が白く見えますけど」


 慣れた手つきでシャッターを開けた森尾さんに、何気なく聞かれてくるみは青ざめた。

 あの客は男の子に弁当を渡してくれと言ったが、そもそも取りに来るとは言っていないし、渡すのを何処の誰かも言わなかった。


「……森尾さん、どうしよう」


 店の金庫の中の売り上げ封筒の中には、昨日、くるみが先払いで受け取ってしまった、血濡れた小銭が入っている。森尾さんはくるみがまだ喋らないうちから、何やらくるみがやったのだと勘づいたようで、再び眉間に縦皺を作った。

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