隔離病棟 ④

「カイカ……?」


 赤銅色の髪の女性、顔を失った妹の声を聞いて俺は泣きそうになった。


「セレン、ここにいたんだな」


 俺はセレンに駆け寄り、彼女の細い体をぎゅっと抱きしめた。


「……ちょっと……いきなりやめてよ」


 弱い力で押し返され俺ははっとして体を離した。


「悪かった。お前が意識を失って……俺は心配で……」


「……それはごめん。でも、事前に言うわけにはいかないでしょ」


 セレンは顔のない頭を横に向けた。


「……カイカも使ったの?」


「いや、この世界にはクスリを使わなくても来る方法があるんだ」


「……そっか。じゃあ、リスクはないんだね。よかった」


「よくない。セレン、一緒に帰ろう」


 俺は声が震えそうになるのを必死で堪えた。

 決定的な問いかけだった。

 これを断られたら……そう思うと、言葉が出なくなりそうだった。


「政府からの支援はあるよね。それでわたしの入院費は賄えない?」


 薄々分かっていたが、セレンの答えは遠回しな拒絶だった。


「体は弱り続けてる。今は良くてもこのままじゃいずれ――」


「死んでもわたしの魂はここに残り続ける」


 セレンは迷いなく言い放ち、俺は言葉を失った。


「知らないかもしれないけど、それがこの幻想の街――『ゴーストタウン』の目的だから。死んだ後も共有された幻想世界の中に意識が残り続ける。わたしはこの世界で歌姫をやるの……」


「……そんなの、なんの保証もないじゃないか」


「この世界に入ったうえでそれを言う? ここはもう一つの現実だよ」


「……でも、セレンだって本当は半信半疑だから、肉体を完全に死ぬ状況に置かなかったんじゃないのか? それに、まだ若いセレンが生きることを放棄してまでも、いつまで続くかもわからないこの世界にいるのは……あまりにも無謀すぎる」


 俺はない頭を回して必死に説得の言葉を紡いだ。


「もう迷ってない。だって現実にチャンスなんてないよ」


「そんなこと……」


「そんなことあるでしょ! 現実世界で活躍してる人は皆最初から持ってる人なんだよ!」


 セレンは初めて聞くような大声で俺を拒絶した。


「わたしはね、ネットでの活動で音楽家の知り合いとかができて……いいえ、その前から有名ミュージシャンのインタビュー記事とか見て薄々気づいてた。業界の最前線で活躍してる人は、みんな子供の頃から親の影響でクラシックを聞いたり、楽器を習ったりしてて、音感もあって……もういくらわたしが足掻いても届かないところにいるんだよ」


 その声は震えていて、顔はないのに涙を流しているのが見えた。


「あの人たちは恵まれたコミュニティの中でもっと成長する。差はどんどん開いていって……わたしもきっとあの路上ミュージシャンと同じになる。それが分かってるから、わたしはアイツを見るのが嫌だったんだ」


 セレンの感情の吐露を、俺は黙って受け止めることしかできなかった。


「この世界はまだ、誰の足跡もついてない。今なら『ゴーストタウン』初の歌姫としてみんながわたしの歌を聴いてくれる。こんなやり方でしか、わたしは自分に付加価値をつけれない。価値さえあれば、きっともっと沢山の人がわたしをサポートしてくれるはず」


 セレンはそう言いながら、いつの間にか落ち着いていた。


「そう。ここにいるのは成功のための足掛かり……それにここには、わたしの歌を求めてくれる人が沢山いる。この世界でしか笑えないような人たちが……」


 先程の顔のない患者のことが脳裏に浮かんだ。

 彼女との交流がセレンの意思を固めたというなら、そんな皮肉な現実はない。


「だから、カイカ。せっかく来てくれて悪いけど、わたしのことは諦めて……」


 俺は掛ける言葉を見つけられなかった。

 ただ現実に絶望してここにいるなら、まだ説得のしようはあったかもしれない。

 でも、セレンが明確な目的を持ってここにいるなら……俺はどうやってそれを止めればいい。

 そのとき、背後――部屋の外で大きな音が響いた。


「……そうだ。フェキシー……」


 俺は働かない頭で部屋の外へと向かい始めた。


「カイカ……」


 セレンが何かを言いかけたが、俺はそれを聞くこともなく部屋の外へと出た。



            ▼     ▲     ▼



 『隔離病棟』の廊下は青い炎で包まれていた。

 そこにはいくつかの足を失った蜘蛛の化け物と、いつか見た半透明の巨大な獣の姿があった。


「フェ、フェキシー……」


 俺は息を呑んでその神々しささえ感じる二つの怪物の姿に魅入った。


「……ああ、早かったね。いも――じゃない、目的の人は?」


 半透明の獣は平然と人語で返事をした。


「……フェキシー……君は……」


「あ、この姿なの忘れてた。ごめんね、すぐに片付くから……」


 フェキシーは床を強く蹴り、蜘蛛の別の足を噛みついてそのまま引きちぎった。


「ぐっ……」


 苦悶の声を漏らして蜘蛛はさらに後退する。


「調子に乗るなよ……おれがお前を攻撃しないのは……お前の正体が分かったからだ」


 蜘蛛は糸で防壁を作りながら言う。

 直後、半透明の獣の口が光ったかと思うと、青い炎の弾が放たれる。

 糸は焼き切れ、半透明の獣はさらに蜘蛛に覆いかぶさる。


「今はわたしが何者かなんてどうでもいい……! それよりも、お前が持っていたコレについて説明しろ!」


 半透明の獣――フェキシーはそう叫び、握りしめた何かを蜘蛛に突き付けた。


「お前の懐から落ちたぬいぐるみの欠片だ」


「……歓喜のあまりそのまま『顕幻』してきてしまったか。戦利品だよ」


 俺はそれを聞いて頭の中が真っ白になるのを感じた。

 そのぬいぐるみの手は、いつかクラムが握っていたペンギンのものだった。


「子供を殺したの?」


「……ああ。お前らあのガキの知り合いか?」


「答えろっ!」


 フェキシーは蜘蛛の体に爪をめり込ませ、肉を割くようにして動かした。


「があああっ……こ、殺してはねえよ。ただ、あのままならどうなるかな……」


「お前っ!」


「フェキシー!」


 俺は正体がバレるのもいとわずに叫んだ。


「急いで帰るぞ!」


「……はははっ、あのガキの両親は『モルフォナ』を裏切った。その巻き添えだよ……」


――〝内部に入り込んだ鼠を排除する〟


 俺は『清掃人』の発言で、ニコル捜査官の言葉を思い出した。

 まさかそれが、クラムの両親だったとは……。


「……行こう」


 フェキシーはそう言いながら、俺のいる方へと後退した。

 その体がゆっくりと人間に戻っていく。

 俺はフェキシーには何も聞かずに手を握った。


「……ありがとう。信じてくれるんだね」


「ああ、急ごう」


――『隔離クローズオフ』。


 俺の意識はやがて曖昧になり、『ゴーストタウン』の光景も揺らいだ。

 俺は最後に一度だけ、セレンの病室の方を見た。



            ▼     ▲     ▼



 気付くと俺はジオラマの並ぶ『スタジオ』へと戻っていた。


「……帰ったか」


 一足先に帰ったユウマはライダースーツを着て、ドアの前に立っていた。

 表情は暗いが、足は無事で特に体調が悪そうな様子もない。


「ユウマ! クラムが危ない」


「君たちも知ったのか。すでに私たちの方にも連絡は来ていてMMが現場に急行している。私も行きたかったが入れ違いでここに敵がきたら危険だったから……」


「……なにがあったんですか?」


 俺は心臓を掴まれているような気分になり、何とか声を絞り出した。


「クラムの家族が外で強盗に遭ったらしい」


 ユウマは暗い面持ちのままそれに応えた。


「どうしよう。わたしたちも急いで……」


「ああ。行っても何もできないが、行くしかない」


 俺たちは急いでガレージへと向かった。

 けれどその道中、ユウマの携帯に一件の着信があった。

 ユウマは手で俺たちに待つように合図して、電話越しに相手が話すのを黙って聞いた。

 相手の声は小さくて聞き取れない。


「……ぁ……分かった」


 ユウマはそう弱々しく返事をすると、そのまま電話を切った。

 俺たちの方を向く、ユウマの顔は今にも泣きそうだった。

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