隔離病棟 ③
顔のない子供の笑い声が止むと同時に、俺たちの間に嫌な沈黙が落ちた。
「……僕を壊しにきたんでしょ?」
子供は感情の分からない声で俺たちに問いかけた。
「い、いやそれは――」
俺は言いながら部屋に入ると、患者の女性の袖を引いて外に出ようとした。
「知ってんだよォ! お前らが僕を『ゴーストタウン』から連れ出そうとしてんのは!」
子供は野太い声で叫ぶとベッドの脇にある赤いボタンを押した。
「離れよう!」
フェキシーがそう言ったが、敵の到着は思いのほか早かった。
病室に突然、ヘルメット被った白衣の人物が突然現れる。
「ん、また君か……ん?」
その人物は俺たちを見るなり、空中に手を翳した。
「珍しいな。オオカミ少年がオオカミを発見するなんて……『顕幻』」
そう呟くのと同時に、空中に白くカラーリングされた自動小銃が出現する。
俺は患者の女性の手を引き、咄嗟にドアから離れて壁に身を隠した。
――ドドドドドッ。
乾いた銃声が響き渡り、荒々しい弾痕が白い壁に刻まれる。
一瞬遅れていたら、ただでは済まなかった。
「おっと、先に応援だったな……」
顔を隠した白衣の男性は淡々とポケットの無線に触れる。
「待て。こっちには患者がいるんだぞ!」
「外患誘致した疑いがある、勢い余って一緒に排除しても構わないだろう……こちらドクター、『3010』に侵入者だ、警備員に応援を要請する。可能なら『清掃人』も呼べ」
「取り付く島はなさそうだな」
「……妹さんの場所は大体分かった。敵を排除しながら進もう」
ユウマの小声の提案に俺達が頷く。
廊下の奥で慌ただしい足音が聞こえてくる。
「行こう!」
俺がまず一瞬だけ顔を出して、部屋にいる医者に向けて炎を『顕幻』させた。
赤い炎が室内を照らし、医者が呻き声を上げている隙に、音が響いてくる階段とは反対方向に向けて走り始める。
「逃がすなっ!」
背後から声が響き、銃弾が足元に飛んでくる。
「やむを得ないな」
先頭を行く即座に進路を変更、角を曲がって射線を切る。
ユウマはポケットから、青い眼をした甲殻類の化け物のようなフィギュアを取り出した。
その甲羅に生えた刺を、自らの指に刺して声を漏らす。
それがユウマの〝スイッチ〟のようだった。
「『顕幻』、『
ユウマの言葉と同時に進行方向の壁に、大きな粘着質な卵が複数出現した。
俺たちが通過する瞬間、卵に小さな亀裂が入るのが見えた。
「彼らはマザーへの敵意に反応して攻撃を加える意外と理性的な子供たちだ」
「えっと、マザーって……」
「もちろん創造主である私だよ」
数秒後、背後の廊下から悲鳴と銃声が響き渡った。
ユウマは建物の構造を完全に把握したようで、俺たちはあっという間に階段に着いた。
「君は……ここでお別れだ。仮面を捨て階段を降りて一階で助けを求めるんだ」
ユウマは俺が手を引いている患者の女性の方を見た。
彼女は先程から息を切らしており、見るからに怯えている。
「……巻き込んでごめんね」
フェキシーが悲しそうに言った。
「……う、いいんだよー……気をつけてねー……」
患者の女性はフラフラとした足取りで階段を下り始めた。
俺はその背中があまりにも儚く見えたので後を追いたくなったが、すぐに首を振って、階段を上り始めた。
▼ ▲ ▼
四階に着くなり、ユウマは目に入った病室の扉に手をつけた。
「一応、彼女はヒントをくれたが記憶に頼りすぎるのも危険だ。『バムシュート』が時間を稼いでくれているうちにコンタクトをとろう」
部屋を開けると私服でくつろいでいる患者が、こちらを見て驚きの声を上げた。
「間違えました、失礼しました」
俺は一目で別人と分かったため、即座にドアを閉めた。
今の一瞬で分かったことだが、病室は三階までの物と比べて広く家具も多かった。
そのうえ、患者服も着ておらず見るからに待遇もいい。
セレンはモルフォナの番組で歌を歌っていた。そうした役割の有無が待遇の違いを生んでるとするなら、セレンが四階にいるという情報は正しいのかもしれないと思った。
「記憶が正確なら、トイレの近くって情報も正しいかもしれない……」
俺がそう考えて周囲を見渡すと、通路の奥にトイレの表札が見えた。
「なあ、一度あの子の証言を信じて、トイレの近くの病室を探さないか」
「……分かった。それなら急ごう」
ユウマは俺の意見に頷いて廊下を進み始めた。
「窓があったということは外側だな」
そのとき、先頭を行くユウマの進行方向に気のせいか白い線が見えた。
「ん?」
「ユウマっ、止まって!」
フェキシーもその違和感に気付いたのか大声で叫ぶ。
だが、間に合わずにユウマはその白い線を踏んだ。
その瞬間、彼女の体が宙を舞い、天井に潜んでいた黒い何かと接触した。
――グチャリ。
肉の潰れる音が聞こえた。
「うああああああああああっ!」
悲鳴を上げたユウマがその場に放り出された。
「ユウマッ!」
俺は近付いてユウマの姿――右足がないことに気付いてギョッとした。
放り出されたのではなく、足を千切られたのだ。
――クチャッ。
「……美味い」
天井から肉を咀嚼する不快な音と、そんな悪趣味な感想が聞こえた。
周囲に同化したような色合いで気付かなかったが、天井に巨大な蜘蛛が張り付いていた。
蜘蛛はユウマの右足を掴んだまま、天井を伝って俺たちから離れた。
そしてクルっと地面に着地すると、蜘蛛の皮を脱ぎ、そこに一人の男性が姿を現す。
「本日四皿目の高級食材、感謝致します」
そう言って口元を拭った男の顔は継ぎはぎだらけで、本能的な嫌悪感が込み上げた。
話し方、表情、そのすべてに悪意が篭っているように思える。
「お前が、『清掃人』か……」
ユウマは青ざめた顔で男の事を睨んだ。
「言い得て妙だ。おれが普段、清掃業者のフリをして敷地を徘徊してるからそんな渾名がついたんだろう」
俺は男の話を聞いて嫌な汗が背中を伝うのを感じた。
この街において、もっとも注意を払わない対象が清掃業者の制服を着た人間だ。
「お前らの活動範囲も大体分かるぞ、これは脅しじゃない」
「ユウマ、今すぐ『隔離』して。そうじゃないと、精神がやられちゃう」
フェキシーは男の言葉には耳を貸さずに、ユウマの傷口を抑えた。
「……いや、まだだ。私がこうして痛がっていれば必ずあの子たちがやってくる」
ユウマの言葉に呼応するように、階段の方から奇声を上げながら何体もの甲殻類のような化け物――『バムシュート』が飛び出してきた。
「ゲテモノに興味はないんだがな……『
男は巨大な皮を被って即座に、蜘蛛へと変身した。
蜘蛛に化けた『清掃人』に対して、『バムシュート』が一斉に襲い掛かる。
『清掃人』は巨大な脚と体から飛び出る糸を器用に操って対抗した。
ワイヤーのような強度をした糸は、『バムシュート』の体を難なく裂き、周囲に青色の血液が飛散する。
「……それじゃあ、私は離脱する。目的を忘れるなよ」
ユウマはそう言うと目を閉じ、光の分子のように散って『ゴーストタウン』から離脱した。
「『バムシュート』が戦っているうちに、行こう!」
俺はユウマの意志を受け、張り巡らされた糸を躱して廊下の先へと飛んだ。
そのまま、振り返らずに病室を探すために進もうとする。
だが、フェキシーが付いてこない。
「おいフェ……急げ!」
「わたしはこいつを足止めする」
「何言って――」
フェキシーの顔を見て、俺は口にしかけていた言葉を忘れた。
底冷えするような冷たい表情、明確な殺意をもって蜘蛛を見ている。
その手には何かが握られていたが、良く見えない。
「早く行って。わたしはこいつから話を聞かなきゃいけないから……」
「わかった! すぐに戻るから」
俺は患者の女性の証言を信じて、トイレ付近の病室のドアを片っ端から開けて回った。
そして、三つ目のドアを開けたとき、俺はようやくその人物と再会した。
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