隔離病棟 ②
病棟は薄暗く青い電灯で微かに廊下が照らされていた。
『ゴーストタウン』全体に言えることだが、薄暗くても表札や案内板などに書かれた文字は蛍光ペンで縁どられたようによく見える。
俺が確認できただけでも、診察室やレントゲン室などがあり、『隔離病棟』という不穏な名前の割には普通の病院のような内装をしていた。
ユウマは靴を脱いで手で持ち、人差し指で静かにするように無言で指示する。
俺たちは息を殺し、足跡を立てずに院内を進み始めた。
ユウマは一階の捜索や撮影は行わず、階段を見つけるとそそくさと二階へ上がった。
二階には病室が並んでおり、給湯室や浴室、トイレも見えた。
ユウマは即座に給湯室に向かい、中に入るとそこでようやく一息をついた。
「一階は職員だらけだろうから素通りさせてもらった。そこにいた場合は運が悪かったと思ってくれ……」
「分かってる。ここからは総当たりか?」
「あー、カイカくんらしい意見だけどそれでいける?」
「問題はないが、可能なら患者から話を聞いて妹さんの情報を集めよう。院内にいる時間が長くなれば警備員に見つからずとも、患者づてに噂が回ってしまう」
方針を決めるなり、俺たちは給湯室から出た。
扉を開けると、目の前に顔のない人物が立っていた。
「っ~~~」
ユウマは驚きのあまり叫び掛けたが、俺が咄嗟に口を押えて事なきを得た。
「あら、素敵な仮面だねー……」
取り乱す俺たち三人に反して、顔のない人物は緊張感のない言葉を呟いた。
ガウンタイプの水色の患者衣を着ており、体つきと声からしておそらく相手は女性だ。
「ごめんね、突然立ってたから驚いちゃって」
フェキシーが小声で明るく話しかける。
「別にいいけど、患者さんじゃない人がいるのは珍しいねー……」
「うん。実はある患者さんのお見舞いに来たんだけど、道に迷っちゃってねえ。よかったら案内してくれると嬉しいなあ」
相変わらず口が回るなと、俺は感心した。
「うーん……わたし、この病院には詳しくないけど……でも、できるだけ話は聞くよー」
「そうだ、良かったらあなたの病室に案内してよ。こんな時間に廊下で話してたら、警備さんたちに注意されちゃうかも」
「いいよー……お散歩の帰りだったから……。人と話すの久しぶりだなー……」
顔のない患者はあっさりと提案を承諾して、廊下を歩き始めた。
患者の女性の足取りはとてもゆったりとしていて、俺は少しだけ気持ちが焦った。
これだけの大人数では一目で見つかってしまうだろう。
微かな足音だけが響く、無機質な通路を歩いていく。
「……待て。ここはさっきと同じ通路だぞ」
ユウマが声をかけたことで、俺は元の場所に戻っていることに気付いた。
「あれー……どっちだったっけ?」
「えーっ……というか、あなたの病室は何階?」
「うーん……三階だよー……」
そもそも階が違った。
俺は女性のその様子を見て、今すべきことを理解した。
「……分かった。みんなで三階に行こう」
「うん……いこー……」
俺が患者の女性の代わりに先頭に立ち階段へと向かう。
幸い警備員に遭遇することはなく、俺たちはあっさりと三階に着いた。
「それで部屋はどこかわかる?」
俺はなるべく声のボリュームを落として聞いた。
「うーん……いつも警備の人が部屋に案内してくれるのー……」
すると、女性の声もそれに合わせて少しだけ小さくなった。
「ねえ、その仮面オシャレだねー……わたしにもくれるー?」
話題が急に飛ぶ。
「うん……あげるよ」
フェキシーは女性の手を握り、チョコレートのマスコットの仮面を『顕幻』させた。
「ありがとー……!」
「気に入ってくれてよかった。それで、部屋はどっちの方?」
三階に着いたのに合わせてフェキシーがそれとなく訊ねる。
「たしかー……隅の方だよ……。緑のランプの前……」
患者の女性は仮面を被ると首を傾げた。
「誘導灯のことかな?」
「〝EXIT〟と書かれていなかったか?」
「うーん……」
立ち止まっていても仕方ないので、俺たちは三階を散策していくことにした。
早く捜索を進めた方がいいのだが、それを提案する人は誰もないなかった。
「この仮面……元の世界にも持って行けたらいいのにー……」
「元の世界で付けてたら流石に変じゃないか?」
ユウマがフェキシーの方をちらりと見てから言った。
フェキシーが負けじと舌を出す。
「いいんだよー……顔なんて見えない方が……この世界の好きなところー……」
「……そうかもな」
ユウマが黙り込む俺たちの代わりに同意する。
「怒った顔も……笑う顔も見ないでいいから……。あ、ここかもー」
患者の女性が一つ病室の前で立ち止まった。
近くに誘導灯はなかったが、きっと勘違いなのだろうと思った。
「よかった。それじゃあ、わたしたちは行くね?」
「あ、待ってよー……お見舞いいくんでしょー……どんな人ー?」
患者の女性は部屋の前から立ち去ろうとする俺たちを呼び止めた。
俺は覚えてると思わなかったので、一瞬だけ言葉に詰まった。
「……うん。探してるのは十代の女性で、でも少し大人しい感じで、それから……歌うのが好きな子だ」
「えー……とー……」
患者の女性は首を傾げていて見るからに答えに困っていた。
「無理はしなくて――」
「知ってるかもー……」
「――えっ?」
「散歩してるときに……とても綺麗な歌声が聞こえてー……」
「そ、それはどこで?」
俺は思わず前のめりに聞いてしまった。
患者の女性は驚いた様子だったが、頭に手を当ててさらに考えた。
「四階の大きな部屋だったかもー……トイレの近くでー……中に入ったら大きな窓があったよー……」
驚いたことに、自分の部屋よりもよほど鮮明に覚えていた。
「わたしが話しかけたら……仲良くしてくれてー……友達になってくれたんだよー……」
女性は胸に手を当てるととても嬉しそうに言った。
「それからー……部屋に行くといつも歌ってくれて……今日も会いに行ってたんだよー」
俺はそれを聞いて少し泣きそうになった。
「ありがとう。その子にも君が教えてくれたって伝えておくよ」
「……うん。よろしくねー……」
患者の女性はドアを開けて部屋の中に入った。
ベッドと液晶があるだけの簡素な部屋、そこにはすでに一人の小さな患者がいた。
「ごめん、部屋間違えたかもー……」
「あはははははっ」
顔のない子供は俺たちのことを見ると笑い始めた。
「はははっ、ははははっ」
その笑い声は子供の見た目に反して低く、胸の奥をざわつかせるものだった。
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