第三話 黒衣の姫は級友を救う

 「わっ、わっ、わっ……!」


 私の真下の裏路地で、白亜たちは明らかにガラの悪い男たちと揉めている。


 「まずい……まずいよね!?」


 焦るあまりに空転しそうな頭の歯車をどうにか嚙み合わさせて、考える。

 こういう時は、どうするんだったか──


 地上の路地裏からは怒声に近い男たちの声が聞こえてくる。

 白亜が二人の女子生徒を背にかばって男たちに向き合っているが、白亜一人でどうにもならないことは明らかだ。


 「っ、そっ、そうだ。警察……!」


 私は魔力の黒装束からスマホを取り出し、操作した。

 通話アプリを呼び出し、こういう時、ばあちゃんが言ってた番号は──


 震える指で通話ボタンを押した。すると──


 『はい、こちら〈夢見島市警察署〉の通報窓口です』


 突然、響き割った音声に、私はぎょっとする。


 「なんでスピーカー設定なんかになってるのーっ!?」


 驚いたあまりに、スマホが手の中から滑り落ちて──


 「わあっ!?」


 手を伸ばしても既に届かないとこrまで落ちていくスマホに、とっさに──


 とっさに魔力の触手を伸ばした。

 地面に落っこちそうになるスマホを、すんでの所で掴み取る。


 「よっ、よかった……。気付かれてなさそ……」


 手が滑った拍子に通話が切れたスマホを、手元に引き上げようとした。


 けど──


 「うっ……?」


 気が付くと、建物の屋上の橋から身を乗り出し過ぎていた。

 体勢を立て直そうとして間に合わず、私は路地裏に真っ逆さまに落ちていった。


 〇


 「……っ!」


 とっさに空中でくるりと身を翻して、なんとか無事に着地する。

 しかし、地面に溜まっていた水たまりに足から突っ込んで、盛大に水しぶきと水音が立ってしまった。


 振り向くと、路地裏に差し込む街明かりに妙にきらきらと輝く水滴。

 その向こうで唖然としている、男たちと白亜の姿が見える。


 それで、当然──何事もなく済むわけもなくて。


 気が付けば、路地裏にいた派手な身なりの男たち、それに、白亜たちも全員が呆然となって私の方をぽかんと見ていた。


 一瞬、どきりとしたけど、私も今は魔力の黒装束を着ている。

 ちゃんと素顔も隠している。白亜たちに正体がばれた様子はない。


 (こうなったら……こっちに、注意を惹きつけるしかない……)


 私はごくりと固唾を呑んだ。


 覚悟を固めて震えを押し殺して、腰に手を当て路地裏に仁王立ちになった。

 そ、それっぽく振る舞おう。こういうの、ヒーロー映画でよくあるじゃん。


 「……ああん?ふざけた格好して、ハロウィンの予行演習か何かか?」


 白亜たちに先頭に立って詰め寄っていた男が振り返る。

 獣人種の若い男だ。ニット帽の下に鼠色の毛むくじゃらの顔がある。


 「誰だ?てめぇ?」


 突然上から落っこちてきた私を警戒して、男たちがこちらに向き直る。

 ここまではいい。絶対に白亜たちは巻き込めない。


 私はすっと身構えて、声の震えを押し殺した。


 「おっ、お前たちに名乗る名などないっ!」


 よし、どうにかそれっぽく言えた。

 だが、その途端、獣人種の男が「ぷっ」と噴き出し、そればかりか周りの男たちまでげらげら笑い始めた。


 「なにかと思えばヒーロー気取りのガキか。そういうのは家でやれよ」


 獣人種の男は興味を失ったように私から目を離し白亜たちに向き直る。


 無遠慮に笑われ、まるで相手にされなかった。

 正直、穴があれば入りたい位恥ずかしかったけど──ここで引きさがれない。


 「……なっ、何を揉めてるのか知らないけど、大人が学生の女の子を相手に寄ってたかって、大人気なくない!?」


 私がなおも声を張り上げると、うんざりした顔で男たちが振り返る。


 「あのなぁ、こんな時間にこの辺うろうろしている学生なんてどうせろくなもんじゃねぇぜ?」


 「俺たちはちょーっと、注意してあげようとしただけだ」と、ニット帽の獣人種がにやにやと仲間たちを振り返る。


 しかし、その瞬間、白亜が奮い立って声を上げた。


 「最初にしつこく絡んできたの、そっちでしょ!私たちは帰るとこだった!」

 「うるせぇよ‼」


 途端に、獣人種の男がびりびりと路地裏の空気を揺るがせて吠えた。

 白亜の後ろの二人が、怯え切った様子で身を縮め、白亜の顔も青ざめる。


 私は──すっと、表情を引き締めた。

 白亜たちの側にも原因がないとは言えない状況だけど──でも──


 ──「……こんなの見過ごせない」


 私は自然と強張っていた体の力みを抜いて、路地裏の地面を踏み締めた。

 こっちが雰囲気を変えたのを、男たちも感じ取ったのだろう。


 あの獣人種の男が、忌々しそうに私をかえりみる。


 「……おい、お前、あそこのヒーロー気取りのガキ黙らせて来い」


 そう命じられた、一人の大柄な男が私に近づいてくる。


 「ねぇ!誰だか知らないけど、早く逃げて!」


 路地裏の奥に追い詰められた白亜が叫んだ。 

 「お前もいちいちうるせぇんだよ!」と、獣人種の男が白亜に詰め寄る。


 と、同時に、大柄な男が私めがけて拳を振り上げて──


 ──「大丈夫」


 私はその動きを目で追って、素早く身を屈めた。

 そのまま地面に手を突いて殴りかかってきた男の足を払う。


 悲鳴を上げて体勢を崩した男が水たまりの中に頭から突っ込んだ。


 ばしゃっ、と街明かりを受けて輝く水滴が飛び散る。


 倒れ込んだ男を、私は影から伸びた触手で拘束し路地裏の隅に転がした。

 そのまま、改めて路地裏の男たちに向き直る。


 奥で白亜に詰め寄っていた獣人種の男も、大きく目を見開いている。


 「大丈夫だから……」


 私は、路地裏に集まる男たちを一人一人目を留めて、最後に白亜を見た。


 「今の内に、逃げて」


 〇


 白亜と二人の女子生徒は、男たちが呆気に取られているのに気付いたようだ。


 「逃げようっ!」


 白亜が他の二人を促し、路地裏から駆け出した。

 その行く手を遮ろうと、数人の男が動いたけど──


 ──私は、動きかけた男たちの足を、密かに忍ばせていた触手で絡め取った。


 体勢を崩された男たちの間を、互いに庇い合うように一塊になった白亜たちが逃げていく。


 「すぐに警察を呼ぶから!」


 路地裏の出口まで一気に駆け抜けた白亜が私を振り返って叫ぶ。

 その声を聞いて、私は肩越しにうなずいた。


 これで、ひとまずはいい。けど──

 ──私の方は、そう簡単に逃げられそうにない。


 獣人種の男が、のっそりと路地裏の奥から近づいてきた。


 「てめぇ、なにもんだ?」


 先ほどまでとは全然違う。凶暴さを隠さなくなったその男が尋ねる。

 でも──本気で怒ったばあちゃんに比べたら、こんなの屁でもない。


 「……さっき言ったじゃん。悪党に名乗る名なんてないって」

 「ふざけやがって!」


 獣人種の男が、丸太のような腕を振り上げ殴りかかってきた。


 私は、地面を蹴って宙返りをし、振るわれた腕を避ける。


 このまま逃げてもいいけど──でも、今度は白亜たちを狙うかもしれない。

 私は建物の壁を蹴って高く飛び上がると、そのまま次々に路地裏にいた男たちの頭や顔を踏みつけていった。


 そうして、もう一度、地面に降り立った。


 「……てめぇ」


 私が向き合うと、路地裏に立っているのは私とあの獣人種の男だけになっていた。


 「大人を本気で怒らせたな」


 そう言って、獣人種の男がジャケットの内ポケットから何かを取り出す。

 折り畳み式のナイフだ。鋭いその刃を私に向けてきた。


 「…………」

 「舐めてんじゃねぇぞ!ヒーロー気取りのガキがっ!」


 そう吠え猛るように言って、男がナイフを突き込んでくる。

 私はその軌跡を見極め、すっと息を吸って下腹に力を込めて──


 突き込まれたナイフの刃をブーツの踵で素早く蹴りつけた。


 獣人種の男が唖然とした表情を浮かべる。

 彼の手に握られているナイフの刃は、根元から真っ二つに折れて──


 私が蹴り折った刃は、建物の壁に深々と突き刺さっていた。


 「おっ、お前……お前……」


 獣人種の男が、ごくりと唾を呑み込む。


 私は、怯えの影がよぎるその顔を睨み上げた。


 「……ぶっ、武器とか持ち出すの、さすがによくないよ」

 「なっ、なっ……」

 「武器を持ち出した相手に『絶対に手加減するな』って、ばあちゃんに言われた」


 私は息を吐いて「だから……」と、男を睨む目に力を込めた。


 「

 「……っ!」


 息を呑んだその獣人種の男はくるりと私から背中を向けて、その場から逃げ出そうとした。私はその死元に伸びている路地裏の暗がりに眼を向ける。


 獣人種の男の足元から無数の魔力の触手が勢いよく飛び出した。

 悲鳴を上げた獣人種の男の全身をぐるぐるに触手で絡め取り、縛り上げる。


 「……後は白亜が、警察に連絡してくれてるはずだよね」


 私は、あの獣人種の男と他の男たちを身動きの取れないよう魔力で縛り上げて、路地裏の片隅に引きずっていった。


 魔力は私の体から離れたら、その内消えてしまうし──


 「うん、この人たちが証言しても、私の素性がバレることもない」


 このまま、この場所を離れてしまっても問題なさそうだ。

 パトカーのサイレンの音が遠くから聞こえ始めたのを確かめ、私は建物の壁を蹴って、一息に屋上まで駆け上がった。


 私は、パトカーのサイレン音を聴きながら、建物の屋上を飛び移っていく。


 そして、現場から十分離れた住宅地で、一旦、地面に降りてマスクを外した。


 「……心臓が張り裂けるかと思ったぁ……」


 詰まっていた息を吐きながら、思わず笑みをもらす。


 そこは、満開の夜桜が見える、細い住宅街の道路の一角だ。

 この時間は人通りもないし、私は晴れやかな気分でその桜を見上げた。


 「でも……白亜たちを助けられてよかった」


 それから堪え切れず、私は思わず両腕で自分の体を抱き締め「う~~~っ!」と、押し殺した声を上げて、地面をばたばたと踏み締めた。


 「今日の私、ヒーローだった!……こんなの毎日続いたら、さすがに身がもたないし、やるつもりもないけどっ。でもっ」


 私だって、やれるんだ。

 そう思えるだけで、これまでの鬱屈した気分が雲が晴れるように消えていった。


 「……ちゃんと、明日、白亜と話そう。正体を明かすわけにいかないけど……」


 私はそう心に決めてうなずくと、再びマスクで素顔を隠してその場から離れた。


 〇


 翌日──その日も、なんの変わり映えもしない一日だった。

 朝から曇りがちで、時折ぽつぽつと弱い雨が降る。


 でも、自分の心持ちは随分と違う。


 体育館での授業の後、一人で器具を片付けようとしている白亜に声を掛けた。


 「はっ、白亜っ……さん」


 私が声を掛けると、白亜が目をしばたき、こちらを振り向いた。

 少し心配していたけど、元気そうだ。私は内心胸を撫でおろす。


 「黒依……」

 「てっ、手伝うよ」


 私が言うと、白亜はやや面喰いつつもうなずいた。


 ──「きっ、昨日……あの後、どうだったの?」


 おそるおそる私が尋ねると、白亜が目をしばたいた。


 「『あの後」って……?」

 「えっと、えっと……『ユミハマ』に行くって言ってた……」


 なんだか探りを入れられてるような気がしてどぎまぎした。

 でも、私が答えると、白亜も「ああ」とうなずいた。


 「……ちょっと色々あってね。『ユミハマ』にはもう行かない」

 「うん、うん!それがいいよ!」


 私が勢い込んでうなずくと、器具を体育倉庫へ運ぶ白亜が不思議そうにした。


 「あっ、いや……。『ユミハマ』って、怖い所だって後から聞いたから……」

 「……うん、そうだね。行かない方がいい」


 私が誤魔化すと、白亜も静かにうなずいて、二人で同時に器具を体育倉庫の床に下ろした。


 白亜は少し躊躇ためらう素振りを見せた後、私の方を振り向いた。


 「……その、黒依、今日は私、バイトあるからすぐ帰るんだけど……」

 「えっ?」

 「今度、よければ一緒に、帰ろう。……校門まで、とかじゃなく」


 白亜が、少し緊張した面持ちでそう切り出した。

 私は一瞬、呆気に取られた。白亜は照れ臭そうに目を逸らした。


 「……他のクラスの子たちだけど、友達、紹介したいから」

 「えっ、あっ、うん……」


 私は反射的にうなずいてから慌てて白亜の手を握って、もう一度深くうなずいた。


 「うん!」


 〇


 なんだか一気に視界が開けた気分だ。


 私は寮への帰り道、ほくほくとスマホを握り締めて歩いていた。

 白亜と連絡先を交換したスマホだ。


 「これって、友達ができたって事だよね。そうだよね」


 何度も立ち止まって、トークアプリのアイコンを確かめる。

 さっき、やりとりを交わした『黒依です、これからよろしくね』というショートメッセージと、白亜の、可愛らしい何かのキャラクターに『よろしく!』という吹き出しの付いたスタンプを見てにやける。


 くすぐったいような気分で寮へと向かう。


 こんな気分になれるなんて、ちょっと前からは考えられなかった。


 「……そうだ!」


 私は思いついて、今度はばあちゃんの方にメッセージを送る。


 「『ばあちゃん、今日友達ができました。心配しないで。私は大丈夫です』っと」


 うきうきと、そのメッセージを送ってスマホを鞄にしまう。

 これは順調と言っていいのではないだろうか。


 我ながら現金だけど、これなら『本来の目的』もうまくいく気がする。


 そう思って、寮へ続く曲がり角を曲がった時だった。


 「っ!あっ、ご、ごめん……」

 「…………」


 ちょうと曲がり角を曲がった所で、小柄な影とぶつかりそうになって飛び退く。

 獣人種の男の子だ。見たところ小学生くらい。


 近くの子だろうか、と思いつつ、謝ってからその横を通り過ぎようとする。


 だけど──


 「明日川黒依」


 急に呼び止められて「へっ?」と思わず間の抜けた声を上げて、振り返る。

 獣人種の男の子は、まるで子供尾と思えない鋭い目付きで私を見ていた。


 「いや、本当の名前は違ったよな。あんた……あんたに話があるんだよ」


 その獣人種の少年は、低い声で私に告げた。

 夕陽の中で、ざあっと強い風が吹きつけて、私は思わず目をしばたく。


 「クロエ・アスタルテ」


 私は驚愕のあまり、言葉を失って少年を見詰めた。


 (ああ……ばあちゃん、ごめんなさい……)


 ──大丈夫と伝えた数秒後に、大丈夫じゃなくなった。

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