テンプレに飽きたらこれを読め、悩め
- ★★★ Excellent!!!
他の爽快感を売りにする修正主義的なナラティブ再生産である近現代歴史改変モノではあまり触れられない日本自身が侵略戦争における罪業の一部を詳細的に描写しているところは驚きました。
ナチスの勝利?を匂わせるタイトルとあらすじだけを見れば眉を顰める文言は反感を買いそうで、それでも開けてみれば単純すぎず、登場人物の挙動と感情変化、周りのディテールなどのバランスがとってもよくて、専門用語は多いんですが特に読書体験を影響することもなく、読みやすいです。
章ごとのあとがきはこの歴史改変モノのプロットとロジックそして創作理念をわかりやすく説明されているので、情報はほどよく消化されます。
なにより、核爆の描写はこの貧しい語彙では只々すごいとしか言いようがありません。
物語自体はifの世界を見せてくれることでリアルとの整合性が合わなくて気持ち悪く感じる部分もあるでしょうが、それがいいと思います。我々の知っている家父長制、資本主義、国家主義、西方中心主義などの構造によって限定された常識で築かれた世界観を揺さぶられるのはいいことです。『Noughts and Crosses』、『ミノタウロスの皿』、『動物農場』や『家畜人ヤプー』のような異化やカウンターナラティブは脳のトレイニングにもなるので、かなり好きです。
個人的な感想は、リアルはナチス・軍国主義日本に勝るとも劣らない戦勝国たちの罪業が裁かれることは無い戦勝国史観似基づく欺瞞と不平等に満ち溢れたクソゲーだけど、枢軸国が勝ったら多分もっとやばい世界になるのではないだろうか?と思うと中々許せない気持ちになります。核がもたらす緊張の中のバランスゲームを想像すると怖い気持ちになりますが、よく考えたらリアルだって似たようなものなのに、常識が固まっている分だけに何故か受け入れてしまいましたね。やはり、昔観たアニメ『South Park』で選挙に関するエピソードで話された通りに、選挙だろうと世界秩序だろうと、Giant Douche と Turd Sandwichの間でしか選べないのか。
科学者の葛藤について、リアルのオッペンハイマーが引用した中二心を擽るセリフを調べてみました。原典は『バガヴァッド・ギーター』11章32節で、サンスクリットの kālaḥ asmi は通常「我は時なり、世界を滅ぼす者」と訳されます。英語の “I am become Death” は彼(や当時の英訳)の翻訳選択による表現です。
『ギーター』11章は、戦場で戦うのをためらうアルジュナに、神クリシュナが宇宙的な姿(ヴィシュヴァルーパ)を示し、「私は“時”であり、世界を滅ぼす者だ。君が戦おうと戦うまいと、ここにいる戦士たちはいずれ滅ぶ」と語る場面です。つまり、個人の意思を超えた“時間=破壊の原理”を告げる台詞。ここからオッペンハイマーは「世界が変わってしまった瞬間」を言い表す引用として用いました
なるほど、確かに核競争…いや、最近のAIのGEOやAGI競争、今も止まらない資本と費主義の無限成長、国際競争力、GDP、植民、宗教…日常生活でも、職場、進学、ファッション、スマホも情報依存などありとあらゆるところでクリシュナの言葉は適用できますね。
所詮外によって定義されるのが人類、完全に構造から抜け出すことは不可能、でも『ギーター』は「抗うな」とは言ってません、「自分のダルマ(義務・役割)を見極めろ、でも結果に執着しすぎるな」という哲学らしい。流されているだけの自分に気付いて、その上で何を大事にしたいのか、どこまでが自分の意思なのか、どうせ飲み込まれるのならどんな態度で生きるのか…フランクルみたいですね、いい勉強になりました。
以上は単に考えを纏めたものに過ぎません、あえてレビューを書くのなら、テンプレ歴史改変モノに飽きたらこれを読め、それだけです。