浜に打つ白波

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浜に打つ白波


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 それからの日々は短く、瞬きをする間に夜を越している日さえあった。暇をしている団員を数人捕まえて、葦考を交えて会議を開いて、改めて作品の向かう方向性、伝えたいテーマ、必要な画角などを話し合った。

 俺が当時作った『Surgeサージ』は、ストーリー性も何も無い、ただ俺の贖罪をビデオカメラに焼き付けただけのひどく無骨な代物だった。そこに葦考が前後のストーリーを追加したものが『Re:Surgeリ・サージ』だ。


 前者には、ストーリー性と簡単さが足りない。ただのっぺりと備忘録なのか遺書なのか分からない、成人男性が海に向かって叫ぶ映像を見せられても、簡単に心は動かない。

 それに、見えないものに言葉をぶつけているのだから、軽く見ずとも難解だ。深く見てようやくその意図に……まあ、その実何も考えていないから、意図も糞もない。海のうねりが喋るなんてことはあるわけがないのだから。そのシチュエーションを許してくれるのは、感受性のメーターの蓋が割れてるか、そもそも付いていない奴だけだろう。それほどまでにこの映画は、つまらなくて難しい。


 それにエンタメ性を加えたのが後者だ。まず、きちんとストーリーがある。それにCGを採用したおかげで、白波景良のこぼれた激情がくうを切ることはなくなった。きちんとぶつけていた相手が可視化されたから。


 けれどもこちらは、主演の演技力の下手さが目立つ。そりゃズブの素人だからそうなるのは必至だが、ギリギリ見れるか見れないかの瀬戸際にあるのは確かだ。それに、携帯カメラで撮影したのだろう。音質が悪い。効果音も少し安っぽく、節々に改善点がある。


 そして、葦考から上がった遠慮がちな、仄かな怯え混じりのひと言……CGの完成度に関して。これは『Re:Surge』をそれたらしめるレゾンデートルすらも否定することと同義になってしまうため、作者本人である葦考が敢えて口にしたのだろう。俺はそれを聞くなり、おずおずと縮まりこむ葦考の頭を敢えて雑にひと撫でした。


 ……お前の証だ。お前の味だ。俺なら三ツ星はくだらない。決して隠してやるものか。俺たちができることは、お前の味に薬味を添えることだけ。引き算は時に卑下だ。足していけ。ただでさえ立派なお前は、必ずもっと背を伸ばす。

 あしは弱い植物だ。だが、いつだってお前のいちばん上のレイヤーに貼り付く称号が指し示している。お前は誰よりも考えられる葦なんだろう?


 その思いは口にしなかった。だが、含んだ相好と雑なひと撫では、浜村葦考こいつという葦がひときわ考えだす音を誘い込んだ気がして止まなかった。


 ……そして、これは俺の『Surge』にも言えること。どちらも一人で作ったからか、画角があまりにも一辺倒だ。同じ視点で進み続けるのも乙ではあるのだが、この映画には少しだけ動きがほしい。これはアシスタントを使うことですぐに改善しそうだ。


 双方の欠点を補い合うかたちで。そして、双方の利点はより伸ばすかたちで。そうして俺たちは、改めて映画を作る。

 ロケ地は葦考たっての希望で、俺の地元の海浜公園になった。リメイク前の『Surge』を撮った場所であり、俺が海に呑まれかけた場所。

 思い返せば少し怖いけれど、映画以外に自己主張をするのが苦手そうな奴が挙げた案だ、聞いてやらない義理はない。仮にもし誰かがまた俺のように海に拐かされたとしても、俺たち総出で引き戻す。数で勝てるかは知らないが……第一、俺には確信があった。

 の起こす再演はもうない。俺には心底呆れていて、遠い別の海岸線に旅立っている、と。


 というわけで、俺たちは俺の地元へと足を運ぶ。湯水のように紙幣や硬貨が湧き出てくるのなら旅館に案内したが、貧乏劇団にそんな予算があるわけがなく、浜村親子と団員から集めた数名のアシスタントは、俺の実家の空き部屋を幾つか使ってもらうことになった。

 数代続いていた広い家だったことが、ここになって幸いする。昔はだだっ広い空間が虚ろな気分を誘って好きではなかったが、今となってはこういうかたちで活用できたことを嬉しく思っている。


♢♢♢


「白波。そこもうちょっと声張れ。脚本に演技が着いていけてない」

「僕はいいと思うんだけどな……」

「ベテラン演出が言ってんだ。肥えた目を信じろ青二才」

「青二才とか言われた! 景良さ〜ん!」

「俺の落ち度だからなあ……悪い、諌められねぇわ」


 砂浜に三脚と値の張るカメラを立てて、数名のアシスタントと演出家1名、楽しそうに見守る脚本家兼助監督1名、そして唯一の役者にして監督の俺のフルメンバーで、今日も撮影に取り組んでいた。


 歴然とした夏を迎えた日中は立っているだけで汗が滲むほどに暑く、持ち込んだクーラーボックスで冷やしてあるドリンク類はいつも昼頃には数を減らしていて、補充するために奔走するアシスタントが1人いたくらい。健康を気遣って走ってくれた彼には、下げた頭を上げる気を希薄も希薄にさせていた。


 今回の映画は自主制作だ。最低限の予算で運営を進めている。足りなくなれば俺のなけなしの貯金から惜しみなく出すつもりでいたけれど、これが存外上手く回っている。

 自宅が広く空き部屋が多かったぶん、たくさんの人を泊める旅館のような役割を担ってくれていたことが特に大きい。それなりの大所帯で旅館なんかに泊まろうものなら予算は指数関数的に増加する。先代に改めて感謝する日が来てくれたことが嬉しい。クランクアップの後にでも、こいつらを連れて総出で墓石の大掃除と洒落こもう。


 制作はどこまでも恙無く進行している。葦考の書いた脚本は、歴だけはある程度長い目の肥えた俺から見ても、大変出来のいいものだった。

 まとまりのない幾つかの場面を繊細な糸で結びつけて、その縫い目や結び目はきちんと見えないように作られている。空いた穴はしっかりとかがっていて……いや、それ以前に何より、面白い。


 面白みのない贖罪。独りよがりの果ての果て。そこにほとんど変わりはないはずなのに、どうしてかそれがエンタメに姿を変えるその衝撃には、初めて台本を見せてもらった時に慄いた。

 他者に認めてほしいという幼さと、幼さゆえに招いた地獄。終盤では、そこから脱却していく背中を映して。俺が辿った道を全て、葦考は俺と思考を共有せずに成し遂げていたのだ。

 もしかして、葦考もこの映画を作る過程で学んだのだろうか。人の生来抱える幼さと、そこから抜け出すための方法を。


「……よし、そこはOK。一旦休憩を挟んで、次はシーン17を撮るぞ」

「分かりました」


 砂浜に腰を下ろし、冷えたドリンクを喉に流す。喉の奥に張り付いた夏の蒸し暑さをそのまた奥に押し込んで、そこには青々とした茶葉の清涼感だけが残っていた。


 ふと隣に座った葦考に、ひとつ問いかけてみる。


「……なあ、葦考」

「なんですか?」

「……なんであれだけ、あの映像……映画か。に惹かれたんだ? 正直、面白いもんじゃないだろ。俺の演技だって、演技から離れていた頃だから……いや、これは言い訳か。でも力不足は否めなかったし、なんというか……」

「えぇとですね。……人間味を感じたからですよ」

「……人間味?」


 サクリ、という一対の音を両の踵から響かせて、葦考は立ち上がった。


「景良さんは、すごく人間だったんです」

「……意味が分かんねぇな」

「人は誰しも焦ります。周囲との差が離れるほど。置いていかれることなんてザラにありますし、一緒に走ってくれる人なんて、きっと本当はいないんです。立ち止まった時に傍で見守る人は、それを3度繰り返せばもう、背中も見えなくなると。そう思うんです」

「…………」

「捻挫が秒読みの足首を癒すうち、ペースを落とさずに走っている人は遥か先に行きます。走りながら弱音を零したり、罪を贖うことは、難しいです。人は弱音を見せる時、止まってしまうんです」

「…………」

「けれど、その止まっている時間から抜け出させてくれる何かは、必ず存在します。それは多分……いや、絶対、他者から植え付けられて、自分の中で咀嚼できるモノ。僕の場合はそれが『Surge』の中における、景良さんの独白でした。あなたは、犯した罪を全て憶えています。それを贖おうという気概が、液晶越しにも伝わってきました。……僕は、いつか罪を犯してしまうことが怖いんです。でもあなたがいたから、それと向き合う方法を知れた。忘れないことです。逃げないことです。それがすごく誠実に人間臭くて、好きでした」

「……よく観てくれてるよ。んで汲み取りすぎ」

「……ふふ。何回観たと思ってるんですか」


 頬を崩して笑う葦考。まだ中学生だろうに、ここまで人生に対するテーマ……まあ後付けにはなるが、それを孕んだ作品を楽しむことができるのだから、人は恐らく、彼を大人びていると評価するだろう。

 ……だが。


「ひとつの物に執着するって、子どもっぽくて可愛いと思うぞ」

「子どもっぽいって何ですか。まだ子どもですから当然ですよ」

「それもそう……うん? それでいいのか?」

「いいんです。子供っぽい一面もあってこそ、じゃないですか?」

「はは。お前は多分役者気質だよ」

「うーん……脚本家気質ですよ?」

「お前も磨けば光るかもしれない。ラッキーなことに、身近に良い研磨剤があるじゃねぇか」

「……でも景良さんは、ケイライズに入れてくれないじゃないですか」

「そりゃそうだろ。ガキだからな」

「…………」

「むくれんなって。ちゃんとお勉強を済ませてからなら、正式に入団試験を受けさせてやるから」


 あんなに輝かせた子どもらしい、純粋な興味と羨望に溢れた眼差しを、俺は向けられたことがなかったから。俺も葦考に救われているのかもしれない。

 俺が動き出したことで葦考も動き出したのなら、この選択が間違いじゃなかったのだと思い込める。


 それが、少し嬉しかった。


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