白波景良 二
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白波景良 二
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『いつものところに今日も来て』
まだ日の
寝耳に水、というほど突拍子もないわけではないが、あれの正体が海水なら、文字通りそう表現するのが正しいのかもしれない。
それくらいに気味が悪くて、気持ちのいい目覚めだった。
〝自分なり〟を頭ごなしに否定される、大好評のシリーズものとも
皮肉なものだ。無邪気に毒を受けた末に、無邪気に解毒剤を打たれているのだから。
でもそう思うと、無邪気さに託けて贖いから逃げるのか? という自問が脳裏を撃ち抜く。あの海へ贖罪を溶かして、それはもう手放したのだから、知らない島の砂浜にでも流れ着けばいいと思ってしまっている俺がいること。
薄ら寒い本音のひとつ。それも確かなのだから。
だって、あれと会話が成り立っている。くすんでいるが
つまるところ、俺もいずれ、海の藻屑となるんだ。先の贖罪は前金で。
『ねえ、来ないの?』
「……心配しないでも、行くから」
『ふふ、心配はしてないよ。キミは、きっとつらくない。波のうねりに混ざったら、そうなんだから』
……この身を擲つ覚悟はもう決まっている。命を懸けた贖罪だ。きっと俺が迷惑を振りまいた人間たちの最寄りの海へと行き着いて、手に付いた砂を洗い落とすために掬い上げてもらえるだろう。
そのために、俺は今日も快適な死地へと向かう。今日は、何を贖わせてくれるのだろうか。
♢♢♢
『よう
「結構似てる」
『そう? キミの頭の中を見た甲斐があったね』
それは、今日も渦巻いて姿を象る。賑やかさに欠ける海岸線で、その声だけが俺の鼓膜へと響いてきた。
パーマのかかった長髪と、肚に響く低い声。目と眉は無いにしろ、それは専門学校時代の親しい……親しかった友人の姿。出会ったその日に記憶の全てを読まれていたらしく、もう俺にプライベートは微塵も残っていない。
更新ペースの下がった薄っぺらい俺の記憶に価値を見出されたような気がして、少しだけ口角の端が弛んだ。
『じゃあ、早速始めようか』
「悪い、これだけ置かせてくれ」
傍らにビデオカメラを置いて、録画する。夢かもしれないけれど、海がこちらへ話しかけてくる機会なんて、腐りきった役者としても、最上に美味しい一大イベント。
これが幻覚ではないのだとしたら、撮れ高の塊だ。録画しておくに越したことはない。
『ふふ。やっぱりキミは腐っても役者なんだね』
「ああ、存分に腐ってる。気が済んでからも笑ってくれ。……でも悪いな、性分なんだ。遺書みたいなモンだし、許してくれよ」
『怒ってないよ。いずれボクたちになるんだから。キミは家族に怒ったことはある?』
「ある」
『うん。そうだね。中学生の頃に、両親に当たったね。それもいずれ贖っていこう。ボクらは怒らないからね。すっきりした気持ちで溶け込んでくれるほうが、いいからね』
波打ち際へと腰を下ろす。服が濡れない間合いはもう既に学んでいるので、準備を整えて、俺は今日も罪を贖う。
『さて景良! お前が俺にしたことで後悔していることは何だ?』
「……2年次の卒業公演。お前が主役に決まったことに納得がいかなくて、目の敵にしていたこと」
『そうだね。キミはそれを悩んでいるね。どうすればいいのかな』
2年制の専門学校。その2年次、卒業に際して行われる公演である卒業公演。キャストは数段階のオーディションを経た後、講師陣によって厳正な審査のもとに決められる。
細かいことを除けば、そこにあるのは演技の善し悪しだけ。自分の演技がいちばんだと思い込んで驕っていた俺は、論なく主役の座を勝ち取れると信じ込んでいた。
最終オーディションにも手応えがあった。普段下手な演技をする同級たちは
けれど、俺がいちばん上手い。最初のオーディションで落ちた奴が路傍の礫だとするのなら、今この場に居るのは原石たち。その中でも一際輝きを放つのは、俺自身だけだと思っていた。
でも最終的に主役に抜擢されたのは、俺じゃない原石のひとり。声量だけはあって、でも繊細な演技や自然な演技は俺よりもレベルが低かった、そいつ。俺は当然抗議をした。台本は既に渡されていたため、その像を自分に当てはめて、俺は俺なりにいちばんの解像度で演じたつもりだった。
けれど、その役は下に見ているそいつの手の中に収まっていた。俺の出した全力は、審査員のお眼鏡には適わなかったらしい。その時からだった。少し自分を見失って、その要因を全てそいつに押し付けて、自分を責め立てるヴィランとしての像をそいつに重ねた。
以来どうしても目を見ることができなくなって、次第に疎遠になっていった。今では申し訳ないと思っているが、当時はこのように身勝手な被害妄想を拗らせていたため、本気で彼をヴィランだと思い込んでいたのだ。
人当たりのいい奴だった。誰からも好かれる、柔らかな雰囲気を携えた、けれども演技にはいつでも全力で取り掛かっていた奴。そう気づけたのは、今この瞬間が初めてだったのかもしれない。
『キミはその子に悪いと思っているね』
「……ああ。この気持ちは嘘じゃない」
『分かっているよ。キミは反省している。その贖いは、海を揺蕩って、いずれ彼に届くはずだよ』
「……そうだな。そうだといい」
『うん。きっと』
♢♢♢
気がつくと辺りは夕暮れになっていた。大して話した記憶もないのに、水平線へと消えゆく太陽がその時間の長さを、どうしようもなく示していた。
眼前に広がっていた波のうねりは穏やかになっていて、もうそこに人を象っていたそれはいなくなっていた。
録画ボタンを止めた後は、いつも宛もなく海岸線を歩き続ける。海へ向かっているわけでもないのに、自然と身体は海のほうへと傾いていて、やはりアレは怪異に準ずる何かしらなのでは、俺はこの世ならざる者に
いや、生まれていたことを
まあいい。いずれ俺は海になるんだから。そんな瑣末なことはどうでもいい。
暮れ泥む空は陸風を誘って、そのうち海は肌寒さを覚えるだろう。意思があることを明確に知ることができたのだから、上着のひとつでも貸したいものだ。
大気がその役割を果たしているのでは、いやでも、大気があるから肌寒さを覚えるのでは、と生産性も宛てもない堂々巡りを繰り返しているうち、海浜公園は果てを迎えた。
眼前に広がる高い石垣の上には、遊歩道が広がっている。海のほうへと伸びたそれは岬の役割を果たしていて、余程暇な地元の老人たちは
1人いるかも分からないが、俺はそういう老後を過ごしたい。ああ、老後もなにも、海になるんだから関係ないか。姿もいずれ無くなって、水面か水中か、それともその境目か。分からないけれどその辺りを揺蕩って、絶えずうねる波に身を任せ、珍しくもない魚や海藻に頬をくすぐられながら暮らしていくのだ。太陽なんて、飽きるほどに見ていられるだろう。
だから老後も何も関係ない。文字通り流されるままだ。
石垣から引き返し、今日も寝るために自宅へと帰る。母親曰く帰省した時よりも日増しに
海を見てみろ。童謡にもあったろう。広い。大きい。園児ですらそう覚える海を眺めていたら、痩せっぽちな人ひとりなんてどうだ、くだらない。
多少窶れても話してられる。贖いだって結局何ひとつ、ひと時も忘れていないじゃないか。なら、十分だろう。俺がすることは贖うこと、そして海に受け入れられることだ。そのためなら命だって惜しくない。
だって、あの海のうねりは俺みたいなはぐれ者のことを受け入れてくれる準備を、畏れ多くも整えてくてれいるのだから。
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