白波景良 一
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躓いた、と評しよう。俺の人生は、数千回打つところの数百回ぶんを打ち損じた刀のような、不真面目で不揃いで不出来なものだと思えたから。
役者業は思ったより肌に合わなかった。数多受けたオーディションは九分九厘が落ち、唯一受かったドラマ出演の機会もその演出と馬が合わず、直に降板を告げられた。
自分らしさや個性を求めるくせに、結局は自分の都合のいいように動くコマが欲しいだけなのだろう。主権を握る立場の人間は、自分が絶対的なブレインだという驕った考えを手放せなくなるのではないだろうか。随分と偉そうなその態度を見ただけで伝わった。
ここまでが、俺の感じた相手側の不満点。もちろん、俺にだって悪いところは幾つかあった。
拘りが強いせいで演出の理想からかけ離れた方向へと突っ走るし、大した実力もないくせに自分の演技が大層なものだと思い込み、脚本の凡そを感じ取ったら直ぐに、ある程度をアドリブ混じりにしてしまう。
好き勝手を履き違えて、周囲へ向けるはずの協調性の矢印を全て自分へと向けて、独りよがりな演技へと突っ走った。それは求められていない。けれどもそれをその瞬間に、どうしても忘れてしまっていた。
思えば、昔からそれが課題だった。『人の気持ちを理解しろ』だの『空気を読んで発言しろ』だの、正しい解の導き方を説いてくれるわけでもないくせに、その方法を教える自信がないからか、はたまた、そもそもその解に自分も辿り着けていないからか、その場を宥めるためだけにそう言った大人の言葉を、俺は忘れていない。
心のどこかでそれが最大の課題だとは思っていたけれど、解く方法を知らなかった。その皺寄せが、今になって降りかかってている。専門学校や養成所でも再三教え込まれたが、その時はどこか上の空だった。
〝どうせ〟という諦めがあったからなのかもしれない。俺が人の気持ちを理解して、それに適当な言葉を紡いで、関わった多くの人を喜ばせることができる日は、きっと暫く訪れない。
次第に心が疲れてきて、以前のように動くことができなくなっていた俺は、事務所に休業申請を出した。それは難なく受け入れられて、手に余るほどの暇が与えられた。その暇を使って俺はここ、地元へと帰った。先祖が遺しただだっ広いだけの自宅に、少しだけ小さくなった母親と父親がいた。
母親は心配そうな顔をして出迎えてくれて、父親はどこか他人事だったが、酒を飲み交わすうちに母親よりも大きな心配をしてくれていたことが伝わって、久しぶりに家庭の温かみを肌で感じ、その日は数年ぶりに熟睡できたと思う。
変なところで欲深い俺は、多くの人に好かれることに固執している。10人そこに人がいるなら、その全員に好かれたい。そこにいない何十億とその余りにすら、〝好き〟の烙印を
紙に書いたその思考を何回も火に焚べたが、脳の最奥にあるその種は俺の思考に深く根付いていて、そんな上辺だけの
そんな勇気もそこまでする意味も感じられないので、今日ものうのうと生きているわけだが。
そう考えながら公園を歩いていた。蹴った石は側溝に身を打ちつけながら深いほうへと転がっていって、遠くで鳴る水音として息を終えた。
子供の頃はここでよく遊んだものだ。錆びたブランコ、装飾が剥がれている滑り台。子供の頃は背丈と同じだった植林されたてのか細い木々も、枝分かれしたところに背伸びしても届かないくらいには成長していた。
木登りは趣味ではないが、ここまで高いと登り甲斐があるものだという感心の意を、温い息と共に吐く。
夏も半ば。木々の木陰はお世辞にも涼しいとは言えなくて、涼むためには余程大きい木陰を探すか、いっそ海に浸かって……いや、そこまでの気力はない。せいぜい乱雑なヘアセットが崩れるくらいの海風に吹かれて程よく涼み、程よく夏を感じるのがいいだろうか。
ここは海浜公園だ。敷地内の丘を幾つか越えた先に砂浜と海がある。
そこを目指すべく、額に滲んだ汗を拭った。
♢♢♢
今日は風があった。初めて水平線が見えた辺りからもう海風が涼しくて、ここに足を運んだことを内心嬉しむ。潮の匂いが鼻に抜けて、それがどうも塩辛くて、喉越しのいいフルーティなビールで相殺してみたくもなった。
車でここまで来たわけでもないので、飲んではいけない理由もない。と思って自販機を探すも、片田舎の海浜公園だ。疎らにしかそんなものはなく、最後に見たのは丘を越える前の地点。この先にあったかどうかも憶えていないから戻ろうかとも思ったが、生憎そこまでの根性も野心もないし、あったら図々しく休業なんてしていない。
砂浜を深く踏み込む。サクリ、サクリという、俺の体重を乗せた子気味良い音が海風に流されて、先程越えた丘の向こうへと飛んでいく。夏とは思えないほどに涼しげだ。今日に限って海水浴に興じる人は老人すら1人もおらず、この空間を独り占めできるらしい。
波の音や砂の感触、潮の匂いも、俺が独りでは持て余すことが分かりきっていた。でも余したからといって誰が損するわけでもないのだから、余せるものは余していこう。必要な気配りと不必要な気配りを仕分けしていけばそのうち、生きやすくなるのかもしれない。
そう考えながら波打ち際へと歩いていると、水平線が歪み始めた。日射病だろうか。いや、頭は至って冴えていた。しっかりと汗はかいているし、それを補うための水分補給も欠かさなかった。その歪みは次第に大きく広くなって、やがて人の輪郭を象った。
それには顔があった。身体があった。目と眉はなく、鼻と口のような器官がうかがえた。ただしそれらは透けていて、その奥に立ち込める積乱雲が容易に見えてしまう。
『波のうねりは好き?』
『キミもボクらに混ざろうよ』
不気味だった。それが話しているとひと目で分かるのに、音は鼓膜の傍で木霊していた。口はその言葉とは互い違いに開閉していて、まるで、人ならざるものが人の猿真似をしているようで。
……いや、猿よりは些か聡いように見える。
『ねえ、混ざらないの?』
『ねえってば』
……言葉は喉の中で詰まっていた。微かに息こそ漏れるものの、金縛りにでも遭ったような、気味の悪い違和感が、そこにはあった。
『混ざらないんだ。じゃあ、キミの怖いものを教えて?』
「……自分」
『うん。もっと詳しく教えて?』
「思うように動かない自分。何を考えているかが分からない自分」
そう誘導されると、スラスラと口から漏れ出た言葉。そう、今吐いたこれだけが、俺の絶対的な真実だ。
心で思っていても、冷静さを少しでも欠いてしまうと違うように出力してしまう自分。後悔も反省もしているようで行動に伴わない自分。悲しいようで笑っていて、怒ってるようで泣いている。そんな、正しくどのような感情を抱えているかが分からない、そんな自分が、怖いから。
後腐れのない生き方をしたいのに、道すがら腐って路傍に倒れ込む。そんな情けない生き方をしたくないのに、どうしてもそうなってしまう。
自己証明の未熟な役者に味はないだろう。向き合ったことのある根っこがあって初めて、だ。
そうだ、怖いのか。怖いんだ。明日歩くべき道が分からなくなることが。
自分を主張した結果、自分がなくなってしまった。なくなっていない。元よりなかった。だから今、罪を持っていることだけが、俺の生きた証となっている。
嫌だ。俺はここにいる。潔白とは到底言えない。
……誰か、助けてくれ。
『うん。分かった。じゃあ、ボクと一緒に直そうか。そうしたら、うねりに混ざってくれるかな』
「……分かった。受けて立とうじゃねぇの」
元より、もう戻る気はなかったのかもしれない。自然に二言は通用しないだろうし、この奇妙な現象に身を委ねて、抱えに抱えた罪を贖って、そのまま海へと身を投げよう。
何も考えず海の流れに揺蕩うほうが、きっと性に合っているだろうから。
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