第3回 愛知県豊田市小原の市場城:山に上がった鱸
愛知県三河地方の山間部にある市場城を訪れました。これまで見てきた山城と違って石垣が組まれていて近世城郭に脱皮しつつある形態です。一方で裏側には愛知県で唯二(看板によれば、本によれば他にもあるらしい)という畝状空堀群が構築されています。
とある動画で紹介されていた冊子(小原の城郭)がほしかったのですが、配布場所の小原観光協会は土日休み……検索してみたら小原和紙美術館で配布しているとGoogleのAIが回答してきたので言ってみたら配布していませんでした。
どうやら上の施設(和紙工芸体験館)で御城印が売られているのをパンフレットと混同して回答してきたようです……小原和紙美術館目的で行った時に見た企画展「奥田美樹 Natural ~自然のかけら~」を二度見ることになりました。エディアカラ動物群やバージェス動物群を連想させる作品が、直接モデルにしているのか、現生生物を単純化していったら辿り着いたのか気になるところです。
なお、冊子はタイトルで検索したらネットで公開されていました。
さて、市場城に駐車場から登る道は、かなり急で息が切れそうでした。実際に使われていたルートは別だったらしいと「愛知の山城ベスト50を歩く」で知りました。城内のルートも改変を受けてしまっているそうで、城としての現役時代を脳内で再構成して歩く必要があります――が、自分には出来そうにありません。
まず坂道を登ったところにある分かれ道を右に進みました。
市場城一番の見どころとなっているⅡ郭の石垣は崩壊の危険があるということで至近距離までは接近できないようになっていました。ちょくせつ石の大きさを測りたいとかでなければ十分に観察はでき、石垣の角部が算木積みっぽく見えても角の左右両方で石が長く見えていることから、平らな大きい石を重ねて積んでいることが分かります。
一つ上のⅠ郭はⅡ郭より大きな石を積んでいましたが、前掲書によれば近年に積んだ石があるとのことです。
狭くて登り坂の進入路に対して石垣が覆いかぶさるように並んでいて圧迫感はかなりのものがありました。これを登って攻める兵個人の気持ちを想像すると心が折れそうになりますが、それでも強い功名心や、やむにやまれぬ事情があれば死狂いで突撃することになるのでしょう。
とてもつらい。
最高部のⅠ郭は不定形でなかなかの広さ。来た方向の裏に回ると楽しみにしていた畝状空堀群に出くわします。
しかし、見てもなかなか分からず……木が生え、枝や葉っぱが降り積もった状態では、竪堀をそれと見分けるのに時間が掛かりました。小さな立て看板直下の空堀が二本並んでいるところは割と分かりやすかったのですが、縄張図入の看板によれば右手にも二本あるはずで、一本がなんとなく(ここかな)と思う状態でした。トレーニング不足です。
現状での分かりやすい竪堀二本は片方から片方に移動できそうでした。もちろん、往時はもっと深くて間の土盛りも高く、そうは行かなかったのだろうと想像しました。
この場所に畝状空堀群があるのは下の平地との高低差がやや小さいからでないかと推量しました。
さらに先にある石垣の枡形虎口は存在がとても分かりやすく、畝状空堀群よりこちらに魅かれてしまいました。でも、周回できる経路のせいで、どっち方向に対して防御しているのか、混乱してしまいました。
常識的に考えて櫓台のあるさんざ畑(家臣屋敷)側が城内だと思います(「小原の城郭」もこちらを城内としています)。戦い方を考えても枡形虎口に入った敵を櫓台から攻撃する順番が適当でしょう。
しかし、この家臣屋敷は登ってきたところの分かれ道を左に行くと大した障害物もなく辿り着けてしまい、他の方向は枡形虎口や石垣で守られているゾーンに簡単に入れるルートが存在するという不思議な構造になっています。
これはどうも、後世につけられた道のようです。この場所を指してではありませんが、「愛知の山城ベスト50を歩く」には「破壊道」という強烈な言葉が出てきていました。
江戸時代に描かれた方位が少々怪しい「諸国古城之図」では家臣屋敷の曲輪に降りていく道があり、降りた先の右が枡形虎口になっているようです。畝状空堀群は描かれていません。
豊田市の赤色立体地図では「さんざ畑」の下の曲輪が巨大な枡形になっているようにも見えますが、どうなのでしょう。やはり自分の目には枡形虎口と畝状空堀群に囲まれた空間の方が――整地はされていませんが――家臣屋敷の部分よりも強固に見えてしまいます。
赤色立体地図では、さんざ畑と同水準の東部分に主郭の方から土砂が崩れてきた痕跡が写っています。この辺りに枡形虎口で守りたかった登り口があったのでしょうか。
よく整備されているのに、その整備の一環である遊歩道のせいで、自分には難解な城です。
とりあえずの解釈として、登城口から左に曲がって入れるルートは往時にはなく、さんざ畑の下の曲輪が高低差は小さいが垂直に近い切岸で防御。さらにさんざ畑に登ろうとする坂道はさんざ畑からの横矢(+北東平地からの十字砲火)で防いでいて、枡形虎口の裏を守っていたと考えておきます。
坂道もなくして梯子で行き来すれば更に守りやすくできますが、平時の利便性を犠牲にしすぎでしょうか。もっと考えるにはマクロに市場城を攻める軍勢の接近経路や駐屯地も考えて縄張りを見なければいけません。
なかなかの規模と威容を誇った市場城ですが、一説によれば城主の鱸氏が豊臣秀吉による家康への国替え命令に従って関東に移動しようとせず、勘気をこうむって追放されたとのことです。
やはりちょっとやそっとの城では、小田原城を陥落させた天下人には勝てません……。
そんな時代になったら最高権力者には単独では抵抗しても無駄だからと、防御力よりも城の魅せる機能を強化する流れも出てくるのでしょうか。
もしも自分が市場城を改修するなら、原型は分かりませんが家臣屋敷の曲輪に簡単に入れるのは防ぎたいですね。斜面を遮断するように登り石垣を設けたら威信も示せて一石二鳥なのではないでしょうか。でも、市場城は登り石垣の成立より前の城なのかな(Wikipediaを読むと基本的には朝鮮出兵以降に流行したが、それ以前の登り石垣状の遺構も確認されている様子)。
あと、石垣が連続している南側は逆襲のため城兵が出撃した時に追撃を振り切るのが難しいかもしれません。逆襲を終えて撤退する城兵と一緒に登ってこられると、石垣から登り坂を見通して敵を撃てる利点が殺されそうです。城兵の収容はもっぱら枡形虎口の側からすることを考えているのでしょうか。
セオリーとしては出撃と収容は別の場所からした方がいいので、石垣の下り坂から逆襲に出撃して、城の西側をぐるっと周って枡形虎口から収容――は遠すぎる気がします。それこそさんざ畑の下の曲輪に梯子を掛けて収容ができれば良さそうです。
城主の供養塔の近くで綺麗な赤く丸くツルツルのキノコを見つけました。隣には同じキノコの傘が開いた状態と思われるものもありました。画像検索したところ見つけた時に連想したタマゴタケっぽいです。白い衣のイメージがありましたが、それは落ち葉の下に隠れてしまっていたようです。
その辺りにはうるさい藪蚊が飛んでいて2匹を仕留めました。
駐車場の綺麗と噂のトイレは利用しませんでしたが、浄化槽のボコボコと曝気がされている音は聞いてきました。
参考文献
愛知の山城ベスト50を歩く 愛知中世城郭研究会・中井均 2010年
東海の名城を歩く 中井均・鈴木正貴・竹田憲治 2020年
小原の城郭 小原村文化財保護委員会 作図:千田嘉博 1993年 https://www.city.toyota.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/005/390/01.pdf
広島市立図書館所蔵「諸国古城之図」 https://www.library.city.hiroshima.jp/hiroshima/webgallery/kojo.html
余湖くんのホームページ http://yogokun.my.coocan.jp/
久太郎の戦国城めぐり http://kyubay46.blog.fc2.com/
豊田市/文化財デジタルアーカイブ 赤色立体地図 市場城跡 https://adeac.jp/toyota-city/viewer/ct00000004/sekishoku_ichiba/
市場城の発掘調査がちょうど一年前に実施されたけど、報告書はまだ刊行されていません(が、やっぱりGoogleのAIは出ていると嘘をつく。鳥取の市場城と混同しているようです)
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