第22話 レイリアル ようやく旅に出る

 レイリアルが谷風の村に来て、二か月が過ぎた。剣術の教師としての契約の期限は切れた。足の調子も良くなり、隊長も良好。旅には万全である。村を出ていかない理由はなかった。


「本当に行くつもりかね。君が望むなら、ずっとここに住んでもらっても構わないんだよ」


 プリオナイル族の族長代理ミダロが、猫特有の大きな目を少し細めて言った。


「ありがとうございます、ミダロさま。でも、これ以上留まると情が湧きすぎてしまいます。今でも離れるのは惜しいですが、こればかりはどうにも……」


「そうか。それは仕方ないな……」


「お待ちください、族長代理! まだ、レイの怪我は完全には……」


 ゴルサがレイリアルの出立を阻止しようとする。レイリアルは小首を傾げてゴルサを見た。いつも、いつ出発するのか訊いてくるので、早く出ていって欲しいのだと思っていた。


「ゴルサ、私の脚の怪我はもう治りました。先生も問題ないと言っています」


 先生とは、この村唯一の治療師のことである。独学で治療について学んだ人物で、戦士たちの怪我を長年ひとりで見てきた。怪我の治療の実績であれば、街の医者よりも確かである。

 谷風の村の重役のひとりに納まったオルガルもこの場に居り、ゴルサが反対する理由を察した。


「レイに出ていって欲しくないと、素直に言えば良いのに」


「な、ち、が」


 ゴルサの視線が泳いだ。


「出ていって欲しくない? どうして? 私がこの村にいることに、あなたは反対だと思っていました」


「別に、反対なんてことは……。ただ、まだ教わってないことがあるから……」


「ゴルサは君のことが好きなんだよ」


「あ、お、ま……」


「そうなのですか。こんな『毛皮無し』は嫌いだと思っていました」


 ゴルサは大きな体を震わせながら、議場から走って逃げ去ってしまった。


「ちょっとからかい過ぎましたね」


 レイリアルが肩を竦めると、ミダロが苦笑した。


「人が悪いな、君も。ゴルサと同い年とは思えないほど落ち着いている。メネルは皆そうなのか?」


「いいえ。この村の子たちと同じですよ。私も……同じでした、少し前までは」


「……そうかね」


 レイリアルは二日後に発つことを告げ、議場を後にした。川の少し湿気を含んだ涼しい風が通り過ぎ、レイリアルの頬を撫でる。

 崖の半ばにあるこの空中に浮いた村で過ごした二月フタツキは、レイリアルにとって療養以上の価値のあるものであった。人に剣術を教えるとこで、自分の体に教えが沁み込んでいくのがわかった。見て覚えたことを、頭の中で理論にして理解する。さらに、それを他者に教える際に、言葉に変換する。こうして、さらに理解が深まっていくことを知った。

 ただ、それは自分の中にあるものを反芻していただけである。それ以上の実戦に置いて価値のあるものを、レイリアルは掴んでいた。これは誰にも明かしていない。この村に来てから、最も長い時間をともに過ごしたであろうゴルサにも言っていなかった。


「本当に行くのか」


 議場の外ではゴルサが待っていた。レイリアルは微笑み頷いた。


「ええ。この村も、あなたのことも好きです。でも、旅立ちます」


「俺も……」


「あなたはこの村を守るために強くなったのでしょう。それを無駄にしないでください」


「……悪かったよ。毛皮無しなんて言って。ほら、あのときの俺は気が立ってたから」


「わかってますよ。というか、毛皮無しと呼ばれても、私からすれば別になんともないというか……」


 この村の人々は、今や全員が武器を取って戦えるようになった。女子どもを含め、戦うための準備ができている。

 魔人デーモン族は、女子どもを含め全員が戦士だと、レイリアルは思っていた。だが、そんなことは全くなかった。むしろ、レイリアルたち恒人メネル族よりも、その分別がハッキリしている。

 まず、女は戦わない。戦えないわけではないが、家や家族を守ることを優先させる。魔物を倒すために村の外に出ることはない。次に体格の小さな者は、戦士に成れない。それは純粋に、筋力も体力が劣るからという理由である。実際のところそれは概ね正しいが、例外も存在することを、伝統が封殺してしまっていた。

 これは部族を守るための、画一化されたシステムなのだと、レイリアルは理解した。仮に戦士たちが全滅しても、村自体は残り、子孫を残すことができる。全員が戦えば、それだけ部族の全滅の恐れも出てくる。それだけ避けなければならなかったのだ。

 今は時代が変わったとしか言えない。皆が戦うことを覚えなければ、生き残れない時代だ。

 プリオナイル族は猫の顔を持つ魔人だけあって、動体視力と身体能力に優れていた。そして、部族特有の魔法『漁綱イサツナの加護』は、汎用性の高い、便利な加護である。レイリアルの新地流剣術と、漁綱の加護を合わせた戦闘方法で、剣術の弱点である間合いの短さを補うことができる。

 漁綱の加護は、掌から自在に紐を出すことのできる魔法だ。太さや長さを調整でき、人ひとりくらいは支えられるほどの強度を持つ。紐は器用に曲げたり編んだりできるため、空中で突然網アミを出現させたり、どこかに引っ掛けて体を運んだりすることもできる。

 この村に来たとき、折れてしまった剣の代わりに、レイリアルが貰い受けた剣は、不思議な形をしていた。短めの刃は菱形に近く、先端の方が太くなっている。そのため、重心が柄ではなく切っ先に寄っており、剣というより斧に近い運用が必要だ。鍔がないため、余計にそうなる。さらに恒人メネルの使う剣の、重心を調整する役割のある柄頭ポンメル部分は輪になっており、柄頭による打撃は考慮されていない。

 菱剣リョウケンと呼ばれる剣である。

 これらは漁綱の加護との併用を考えた独自の形である。先端が重いのは投擲のための仕様であり、柄頭が輪なのはここに紐を引っ掛けて使うためだ。プリオナイル族はこの独自の戦闘術で生き抜いてきた部族なのだ。

 レイリアルは鍛冶屋に頼み、使い慣れた形の剣も作ってもらった。投擲ではなく、小回りを重視し、扱いやすい剣である。作り慣れていない形の剣は、菱剣を逆さにしたような形だったが、出来はかなり良いものであった。偶然にも奇跡的に、レイリアルの小さな手に馴染む、取り回しの良い傑作となる。逆菱剣ゲキリョウケンと名付けられたそれを、レイリアルは愛用した。

 そして、村の者たちがレイリアルの真似をはじめると、プリオナイル族は菱剣と逆菱剣の二本を腰に佩く、一風変わった戦術を取る部族になってしまった。

 レイリアルがたった二か月でこの村に与えた影響は大きかった。彼女が出ていくことになったことを村人たちが知ると、ほとんどの者がオルガルの家に駆け付けて、引き留めようとした。そうされるとレイリアルも絆されそうになるので、オルガルの家を出て、人気のない崖の上に避難するしかなかった。

 オルガルの家に居辛くなったのはそれだけではない。オルガルの下の子ローレンは出ていくことを意外と受け入れていたが、上の子であるピガロサは剣を本格的に習うことができず、悲しむ前に怒ってしまっていた。別に剣を教えることを約束した覚えはないのだが、彼の中ではそのような約束をしたことになっていたらしい。

 日が沈み、オルガルの家に帰ったときも不機嫌であったが、レイリアルが旅支度を整え始めると、彼女を止めることができないと悟ったのか、別れを惜しみつつも準備を手伝ってくれた。

 最後の日は村人たちとの別れに終始した。皆、惜しんでくれるのは良いが、様々な物を渡そうとしてくるので、オルガルが全部断ってくれなければ、ひとりでは運びきれない荷物になってしまっただろう。この村では訪問者は珍しく、長く滞在する者はもっと珍しかったから、どのような対応をしたら良いのか、慣れていないのだった。

 次の日の早朝、皆に見送られながら、村の出入り口に向かうと、ゴルサまで旅支度をしてやってきていた。


「断ったはずだけど、伝わってなかったのでしょうか」


 レイリアルが言うと、ゴルサは鼻で笑った。


「別にこの村から出ていくわけじゃない。お前が王都までちゃんと辿り着けるように送るだけだ。長代理からは許可も貰ってある。大体、街道を行くとはいえ、ひとり旅なんて危険過ぎるだろう。お前はベルトリアでの生活に慣れていないようだしな」


 それは確かにそうなのだが、ゴルサだって長旅は初めてのはずだ。反論しようとしたが、止めておいた。確かに恒人メネルの少女ひとりと、魔人デーモンの連れがいるのとでは、ベルトリアでの旅の流れが変わってくることは必然である。


「……わかりました。けれど、付いて来られないようなら置いていきます。その覚悟はしておいて。そして、私を見捨てる覚悟も」


「んなことはわかってる! 言われなくてもな」


 オルガル一家がレイリアルを囲み、抱きしめた。


「レイちゃん、いつでも帰ってきていいからね。絶対に無事でいて」


「レイ、気を付けて行け。ゴルサ君、レイを頼んだぞ」


 こうして、ようやく旅に出ることがレイリアルは、ゴルサを道連れにベルトリア王都を目指す。その目的をひた隠しながら。


 ◆


「待て待て待て、レイ! お前、ずっとこの速度で行くつもりか? 魔物に会ったらどうするつもりだ。息が上がった状態で戦うのか⁉」


 レイリアルは立ち止まり、後ろにいたゴルサを振り返る。ゴルサは息を切らしているが、レイリアルは涼しい顔だ。


「いきなり弱音? ついて来れないなら置いていくと言ったでしょう」


「だからって、この速度はお前……」


 全速力とはいかないが、ほぼ最速に近い速度で、ここまでの街道を走り抜けてきた。ゴルサも最初こそは何も言わなかったが、休憩なしに走り続け、流石に息が上がってきたようだ。


(私より体格も良くて体力もあるはずなのに……。もしかして種族的なものなのかな)


 恒人メネル族が特別、体力のある人種だとは聞いたことはないから、もしかしたらプリオナイル族の特性なのかもしれない。

 辺りには多数の魔物の気配はあるが、襲いかかってくる様子はない。それでも安心できない。見渡しの良い丘に登ったところで、レイリアルたちは休息を取ることにした。

 ひと息ついたゴルサは、なぜこんなにも急ぐのかとレイリアルに目で問うてくる。


「これくらいは普通の速度でしょう。私の先生なら、もうこの倍は進んでいるはず」


「それはさすがに盛り過ぎだろ……。ん?」


 ゴルサが立ち上がり、遠くを見つめる。レイリアルもその視線の先を追った。そこには球上の建物が、不自然に森の中に鎮座している。街道にある避難所だ。


「もうこんな近くにあるのか。そうすると半日、時間が空くな」


「あそこでは休みません。次の避難所まで進みます」


 ゴルサは表情で信じられないと訴えてくるが、レイリアルは無視した。彼女も立ち上がり荷物を持ち始めたので、ゴルサは覚悟をようやく決めた。彼女に置いていかれないようにするには、彼女より速く走るしかない。ゴルサが走り出したとしたとき、レイリアルが彼の襟首を掴んで止めた。首が締まり、思わず咽込む。


「な、なにすんだよ!」


「あれを見て、ゴルサ」


 レイリアルが指した方向を見やると、遠くで葉と土埃が舞うのが見えた。それは小さな渦を巻き、やがて巨大な竜巻となると、巨大な四足の魔物が宙に放り出される。魔物は必死に何とかしようともがくが、結局は何もできずに地面へと叩き付けられた。


「マンティコア……、魔物同士の争いだな。近付かないでおこう」


 ゴルサが冷静にそう言うと、街道を行こうとする。しかし、レイリアルは彼の襟を掴んだままだ。


「おい。まさか、倒しに行くとか言わないよな」


「ゴルサ、やっぱり何か変です。この二か月、巡回の兵士たちがひとりも来なかった。避難所がこんなに近いのに、大型の魔物が争っている。ここまで走ってきて、ひとりともすれ違わないなんて」


「それはそうだけど、うちの村はかなり寂れているからなぁ……。わざわざ、こんなところに留まって、危険に突っ込む必要はないだろ。避難所に入ろう」


「もうひとつ。あの風、あの魔力。私は見たことがあります。私が村に来たときのこと覚えていますか」


「そりゃ、覚えているが。それがなんだよ……」


「ジンです。私はジンにやられて、仲間とハグれました。あのジンがこの道の近くにいては、村が危険に晒されます。倒しておきましょう」


「たった二人で勝てる相手か⁉ それに前、何もできずにやられたと言っていたじゃないか」


「二人じゃありません。私ひとりでやります。ゴルサ、あなたは私とジンが相討ちときに、ジンに止めを刺して貰いたいのです。可能ですか」


「可能ですかじゃない……、馬鹿にするなよ! お前が戦うなら、俺もやるに決まってるだろ! 足手纏いになんかなるほど俺は弱くない!」


 レイリアルは小さく溜息をついた。そして、ゴルサが突き出した拳を、手の平で包んだ。


「言葉足らずでごめんなさい。ゴルサ、あなたの強さは知っています。そうではなくて、ジンには個人的に戦いを挑みたいのです。私自身、久々の実戦ですし、新しい力も試してみたい。勝つ自信はあります。でも、万一のときを考えて、あなたに支援を頼みたい。私が身動き取れなくなったとき、確実にジンに止めを刺して貰いたい。あなたの加護と剣なら、それができるから」


 ゴルサが毛皮の下で顔を赤くしたのがわかる。彼の表情はわかり易い。ゴルサはレイリアルの手を振り払うと、悪態をついてから了承した。


「くそ! わかった。……だけど、危険だと思ったら、すぐに俺も参加するからな」


「はい。でも、勝負は一瞬だと思います。私が死ぬか、あちらが死ぬか。それだけです」


 レイリアルは駆け、戦いが続いている場に近付いた。

 マンティコアは四足獣に近い形の魔物だ。巨大な雄獅子の体、長い尾はサソリのように節があり、先端は棘付き鉄球のような形状で無数の毒針が覆っている。頭部は人か狒々に近いが、鋭い牙は列をなして並び、鮫のようである。人を好んで食うと言われる恐ろしい魔物だ。

 マンティコアの咆哮が周囲の植物を豹変させる。植物は巨大な毒の棘となり、もう一匹の魔物に襲い掛かる。やはり、ジンがそこにいた。

 ジンは身軽に棘を躱すと、長い腕を払って突風を巻き起こす。棘は折れ、突風に乗ってマンティコアに襲い掛かる。全身を刺し貫かれたマンティコアだったが、その皮膚は固い。致命傷にはならなかったようだ。

 怒り狂ったマンティコアは、ジンに飛び掛かり、その鋭い尾を振るった。だが、届くことはない。ジンの長い腕が振り上げられ、マンティコアの体は再度空中に舞い上がる。そして、ジンが腕を振り下ろすと、今度は自然落下ではなく、圧倒的な空圧によって、地面に頭から突き落とされ、土埃が舞った。凄まじい衝撃波が納まると、頭部を破壊されたマンティコアの体が、力なく地面に横たわっていた。

 ジンはゆっくりと死体を吟味すると、その体を喰らい始める。魔物は魔物を喰らい、その肉で力をつける。それがこの魔大陸での摂理である。

 レイリアルは自身を加護の力で包んだ。

 自分の加護ではない。ガーネルトムの加護、『暗闇の加護』だ。この闇は光を通さず、光を反射しない。目まで包んでしまえば自分自身が何も見えなくなる、とても使い難い加護だった。

 どうやってガーネルトムはこの力を使い熟していたのだろうか、彼女の姿は完全に暗闇に覆われていたはずだ。ガーネルトムが種族的にこの暗闇を見通せる特殊な目を持っていた可能性はある。けれど、そんな単純な話ではないはずだ。ガーネルトムがその力を使ったとき、彼女は必要以上に力を広げて見せた。だから、レイリアルも同じように力を広げてみた。そうすると、わかったことがある。この暗闇は物理的な力が働かない代わり、暗闇の中にある物を、指先で触っているかのように感じ取ることができるのだ。

 体を隠し、影から影へ暗闇を伸ばし、ジンを包囲していく。周囲の地形を手に取るように把握し、自身の視界以上に世界を見る。

 レイリアルの手の平から、紐が伸びていく。それは蔦植物のように広がり、そして自身の暗闇の中に入り込み、それと同じようにジンを包囲していく。プリオナイル族の『漁綱の加護』である。

 ここまで力を広げると、自分自身も動けなくなる。動いてしまえば力の繋がりが切れ、物理的な力を持つ魔法の紐は消え去ってしまう。だから、レイリアルは勘付かれるギリギリまでジンに近付き、包囲を完成させた。

 ジンが異変を感じ取る。マンティコアのハラワタから、血にマミれた顔を上げる。レイリアルは魔法の紐を八方からジンに投射した。

 魔法の紐には重さも、威力もない。だから、ただ投射しただけでは速度は出ない。プリオナイル族は先端に剣をつけ、それを重りとすることで弱点を補っていた。レイリアルは紐の先端に、土の塊を生成することで、複数の紐を同時に素早く投射することができるように訓練した。ウィルヘルムの『地の加護』である。

 自身の体に絡まってくる紐に、ジンは気を取られる。風を舞い起こし、それを振り払おうとする。それを待っていたレイリアルは、動く。

 ジンの風は強力な魔法だ。ありとあらゆる物を吸い込み、舞い上げ、吹き飛ばす。しかし、その力にはがある。魔法で生み出した風は、自然の風とは違い、形を持っているのだ。レイリアルの目にはその形がハッキリと見て取れた。

 腕だ。ジンから伸びた無数の腕が、団扇でも仰ぐように、懸命に物を動かしている。その腕の動きを見れば、風の隙間を抜くことができる。そうレイリアルは踏んでいた。

 地の加護を使い、空中で加速し、風を起こす魔力の腕を躱す。目論見通り、ジンの体を隙間なく覆っているように見えた竜巻は、レイリアルを素通しした。だが、そこまでだ。

 ジンは小蝿を打ち落とすかの如く、長い腕を振り下ろす。

 マンティコアに止めを刺したのと同じ一撃。腕に不可視の魔法の腕を生やし、風を纏った破壊的な一撃。この距離では、避けることは叶わない。レイリアルの体など、地面の染みにしかならないだろう。

 死が目前に迫る。


「……ハァッ‼」


 思わず声が漏れた。ウィルヘルムの技を思い出す。地面からの力を全身に感じる。振動が空気を震わせ、甲高い音が鳴る。レイリアルの剣が振り上げられ、ジンの振り下ろされた腕に触れたとき、ゆるやかな振動が周囲の木々を揺らした。

 新地流・破鱗流し・滅。

 ウィルヘルムが一度だけ見せた技を、レイリアルは実戦の中で完全に会得した。ジンの魔法の風と同じ力で、その威力を相殺したのだ。

 ジンは何が起こったかわからず、自分の腕を見る。自身を取り巻いていたはずの風が全て消え去り、刹那の無風。すぐに魔法の腕で風を生み出そうとするが、そのときにはジンの首は地面の上を転がっていた。

 結局、ゴルサに出番はなかった。それどころか、レイリアルの戦いを前に、呆然と見ているしかなかった。


「レイ……、お前は一体……」


 その声に振り向いた彼女の目は、ゴルサの知っているレイリアルの目ではなかった。だが、それはすぐにいつもの目に戻った。


「お前、どうやって漁綱の加護を使ったんだ……」


 漁綱の加護はプリオナイル族のみが持つ生まれつきの魔法である。一緒に時間を過ごしたからといって、学び取ることができる類のものではない。それに他の加護の力。どんな魔人デーモンも複数の加護は持たない。まして、加護の力が弱いと言われる恒人メネルには、そんな芸当は不可能だ。


「そ、それがお前の加護の力なのか……?」


 加護を模倣する加護。あるいは奪い取る加護。ゴルサはそんなものは聞いたことはないが、今見たものは信じるしかなかった。


「それは……私にもわからないのです。私には魔法の加護の力はないと言われました。成長して加護の力に目覚める人もいるらしいですが、私はそうはならなかった。でも、私には人の動きを読み、魔力を力がある。そして、視たものをそのまま真似ることができる」


 ゴルサは恐怖に慄いているのか、体を震わせた。


「お前……、お前……」


「ごめんなさい、ゴルサ。黙っていて。部族の力を勝手に真似されるなんて嫌ですよね……。本当にごめんなさい」


 ゴルサは跳び上がって、レイリアルの手を両手で取った。


「すげぇよ、すげぇ! 最強だよ、最強! そんな強い加護があるなんて、初めて知ったぜ! これは……これは! すんごい旅になるぞ! 伝説で語られるような、すんごい旅に! 急いで街に行こう! そこから俺たちの英雄譚が始まるぜ! 俺だって負けてられねぇ!」


「えぇ……」


 てっきり、軽蔑されるか、不気味がられると思っていたレイリアルは、その反応に拍子抜けすることになる。


(男の子って、みんなこんな感じなのかな……。フィリームズがいたら、ゴルサとは話が合っただろうな……)


 戦いの後だというのに、なんだか力が抜けてしまったレイリアルは、疲れが出たらしい。それに気が付いたゴルサはレイリアルに肩を貸すと、避難所まで引き返した。予定を変え、そこで一泊することになった二人は、簡素な食事を取り、ジンとマンティコアから採れた素材の換金で、何を買おうかと興奮しながら相談して、少し早めに眠りついたのだった。


 ◆


 レイリアルとゴルサが向かった街は、風谷の村からもっとも近い場所にある街だった。アリミベルと呼ばれたその街は、巨大な河川と大きな湾に面し、多数の大型漁船を擁する街として、ベルトリア有数の大都市である。

 街は活気に溢れていた。というよりは、てんやわんやと言った様子だ。何か大きな変化があったらしい。子どもたちは駆け回り、大人たちも駆け回り、大きな荷物が擦れ違いの優先順位で揉めている。


「何か食べましょうか。それと宿を探さないと」


 ゴルサに言うが、後ろに居たはずの彼が見当たらなかった。レイリアルは彼の姿を探して辺りを見渡すと、キョロキョロフラフラと遥か後方にいるのを見つける。レイリアルはゴルサのいる位置まで戻った。


「どうしたの? 体調が悪いの?」


 表情の優れないゴルサは、何か毒気にでも当てられたのかと思ったが、そうではないらしい。


「いや、その……、こんなに人が居る所初めてで……。色んな部族がいるし、うるさいし、家はデカいし……。もう何が何だか……」


 要するに人混みに酔ったのだ。そして、おのぼりさんで緊張しているのだ。魔人デーモン族は感覚の鋭い種族だから、こういった都市に慣れるのは時間がかかると聞いたことがある。それは部族にもよるらしく、小さな村を維持する部族は、都会の喧騒を嫌う傾向にあった。ゴルサのプリオナイル族は、その傾向の中にあるようだ。


「じゃあ、どこか座れる店を探そう」


 レイリアルはゴルサの手を取ると、フラフラの彼を引っ張って歩き出した。

 この街には飲食店はたくさんあり(いかがわしいサービスをする店も多い)、そのひとつの比較的小綺麗な店に入る。海辺に面した小さな店だ。今は食事時でもないので、客は疎らである。ゴルサを座らせてから、店員に適当に注文する。すぐにテーブルにはいくつかの料理が運ばれてきた。

 実を言えば、こういった店に入るのはレイリアルも初めてだったが、フィリームズが昔、店に入ったら堂々として、小銭を見せて適当に食べる物を要求すれば良い、と言っていたことを実践したのだ。助けなければいけない人が居るのと、ひとりでの旅では、勇気の出し方が変わってくる。


「ごめん……。世話をかける。なんか俺、足手纏いにしかなってないよな……」


 ゴルサは食べ物を前にしたら少し元気が湧いてきたようで、情けない姿を見せたことに落胆していた。


「別に良いですよ。ひとり旅よりは気が楽です。そういえば……、一緒に来てくれたことのお礼を言っていませんでしたね。君がともに来てくれると言ってくれたとき、とても心強かったです。ありがとう」


 ゴルサは顔をポリポリと掻く。照れ隠しに出された飲み物を、一気に飲み干した。


「うぷ……。なんかこう、そう素直に言われると、調子が狂う」


「え。いつも、お礼は言っているつもりでしたけど……」


 食事をしながらも、レイリアルは周りの会話に聞き耳を立てる。


「王さまは俺たちを見捨てたって聞いたぞ」


「馬鹿言え。『鱗断ち』が街長になったのは、王の命令だろ。俺たちを助けるために、英雄を呼び戻したに違いない」


「けど、鱗断ちは戦士だろうが、こんな商人みたいな真似ができるのかね」


「それが面白いところだろうが。最強の戦士が、商いも政治もできる。まさに傑物って話だ」


「はぁ。ま、何にせよ、金が入るようになって助かるわ。商人たちは大忙しみたいだけど」


 話を聞いていると、どうやら英雄『鱗断ち』が帰還して、街長の地位に就いたらしい。戦争による景気低迷を解決するために、魔王が遣わしたのだろう。


「ゴルサ、鱗断ちって誰なのか知っていますか?」


 ゴルサが信じられないものを見るようにレイリアルを見るので、何かまずいことを言ったのかと心配になる。


「非常識なやつだとは思っていたが、まさか、ここまでとはな」


「な、なんなんですか」


 ゴルサは食事の手を止める。


「いいか、レイ。この国には戦士はたくさんいるが、英雄と呼ばれるやつは四人だけだ。ひとりはもちろん魔王グリムネルさま。建国の英雄で、最強の魔術士だ。そして、鱗断ちも建国の英雄であり、最強の戦士。黒竜ヴァルノクスを倒した、真の英雄さ」


「黒竜……、初めて聞きました。どのような逸話が?」


 よくぞ聞いてくれたというかのように、ゴルサは前のめりになると、レイリアルに語り始める。


「その昔、ベルトリアには国はなく、魔人の小さな村が点在していた。誰も大きな街が作れなかったのは、この大陸の中央にある巨大な湖『ツイの湖』に住む『黒竜ヴァルノクス』が街を滅ぼすからだ」


 興が乗ってきたのか、ジョッキの飲み物のおかわりを飲み干して、店に響く大声でゴルサは言う。


「そこでやってきたのが、戦士『鱗断ち』と魔術士『グリムネル』さまだ。二人はファンテラ族とベアル族という最強の二部族を引き連れて、終の湖を目指した。鱗断ちの異名はそのときつけられる。今まで誰にも傷付けることが叶わなかった黒竜の厚く鋼鉄よりも固い鱗を、野菜でも切るように砕いて裂いた!」


「いいぞ! 若造!」


「メネルに教えてやれ!」


 いつの間にか聞き耳を立てられていた。野次まで飛んできて、ゴルサは立ち上がってジョッキを掲げる。


「鱗断ちの力によって黒竜に攻撃ができるようになり、ファンテラ族が黒竜を翻弄し、ベアル族が黒竜の骨を砕く! そして、魔術士グリムネルが黒竜の動きを封じると……」


 話の佳境らしく、野次馬たちもジョッキを掲げる。


「「鱗断ちは剣を一閃! その黒竜の太い首を一刀両断に斬り落とす!」」


 一斉に皆が叫ぶ。ここは符丁のように揃っている。有名な叙事詩なのだ。


「そうして、湖を我らデーモンの手に取り戻した英雄たちは、ひとりはこの島を去り、ひとりは王となってこの国を創った。魔王と鱗断ちに!」


「魔王と鱗断ち、全ての英雄たちに!」


 ゴルサがジョッキを再度掲げると、食堂は喝采となり、皆の機嫌は有頂天となった。そこで話は仕舞いのようで、皆はそれぞれの席に戻る。いつの間にか、食堂は人で溢れてきていた。帰る者はゴルサに誉め言葉を投げかけ、ゴルサも気分が良くなっていた。

 席で小さくなってやり過ごしていたレイリアルは、ようやく言葉を発することができる。


「それがベルトリア王国建国の歴史なのですね。その鱗断ちの英雄の名は出てきませんでしたが、なんという名前なのです?」


「な、名前? 確か……、ウーメイルなんとかかんとかって長い名前だよ。変なところ気にするんだな」


「そうなのですね。どうして鱗断ちは去ったのでしょうか。話の流れなら、そのまま残っていれば、彼が王になったはずなのに」


 魔人デーモンたちの慣習は単純で、強い者が集団の中においての力を持つ。黒竜との戦いにおいて力を示した鱗断ちが王に選ばれるのが自然だ。


「そこが鱗断ちの格好良いところなのよ! やることをやって、何も言わずに去る。まさに戦士の鑑……。俺もそうなりたいぜ……」


 レイリアルは話を聞きながら、ジョッキの中の液体を飲む。変な味だ。なるほど、ゴルサのこの変わり様。人混みの次は酒に酔ったようだ。


「では、ベルトリアの王都ホルムベルは、昔は終の湖と呼ばれていた場所にあるのですね」


「そうだぜ。俺たちはこれからそこを目指すわけだ。そうだ! 鱗断ちが長になった街に寄っていこう! もしかしたら、本人に会えるかも。ねぇちゃん、その街はどこにあるんだ?」


 ゴルサが酒のおかわりを持ってきた店員に訊ねる。


「この街の西のミスシダって街ですねぇ。けど、王都に向かうならちょっと遠回りですよ」


「では、却下で」


 店員の言葉で、レイリアルは無慈悲に否定した。ゴルサが何かをワメいて抗議するが、レイリアルは無視して思考を続ける。


(建国の英雄、最強の戦士。それが戻ってきたのであれば、私の敵……。どれほどの強さかわからないけど、そんな奴に関わっている時間はない。ミスシダの街は、私たちが上陸後に寄る最初の街だった。ウィル先生たちを探す手掛かりがあるかもだけど……)


 とにかく今は、王都に向かう。これだけ時間が経ったのに、王が死んだとの話を聞かないならば、まだウィルヘルムは王を殺していない。あるいは暗殺に失敗したかだ。ならば、やることはひとつ。


(私が魔王を殺す……)

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