第21話 ウィルヘルム 狩りをする

 ウィルヘルムは有言実行。本当にひとりで狩りに行ってしまった。一週間は戻ってこないと言い残して。

 ガーネルトムは付いていくと主張したが、ウィルヘルムに説得され、街に残ることになる。

 彼女に任されたことは、傭兵たちの実力を確かめることと、そして、信の置ける人物か見極めることだ。

 モントベルグのような恒人メネルが多数の国には、『商会』と呼ばれる商人たちの寄り合いの場があった。工房商会、農業商会、魔術商会、傭兵商会、冒険者商会、狩人商会。似た業種同士で集まり、様々な商会が生まれた。それらは価格の安定と、業種自体の安定を図ることが目的である。ひとつの店ではできないような国との大きな交渉も、商会を通して行うことで、話を有利に持っていくことができる。恒人国家では貴族よりも商人たちのほうが強いことが多い。

 ベルトリア王国の街ミスシダでは、商人たちのやり方はまだまだ黎明期である。まだ、街・国自体が生まれてから、二十数年しか経っていないからだ。リンドーは魔人デーモンたちは、恒人メネル社会を参考にしていると言っていたが、それでも全てを真似できているわけではない。

 ウィルヘルムがモルテンに頼んだことは、商会の設立である。

 しかも、同じ業種同士の集まりではなく、全ての商人・工房・戦士の集まる、複合商会である。


(とんでもないことを言い残して行きやがって……。手探りで始めるには、あまりにも規模がでかすぎるぞ。大体、わしはそんな器じゃないだろうが)


 モルテンは額に青筋を立てながら、街を練り歩いていた。それが少しの貫禄を追加している。今は専属の護衛として、ガナーと呼ばれているファンテラ族の女戦士が付いている。街行く人々は、道を開けるどころか、彼女と同じ道を通るのを避けているようだ。

 ガナーは物静かな戦士だと思っていたのだが、意外にも話しかけてきたのはガナーのほうである。ガナーはガーネルトムの愛称であるが、モルテンには本名を明かしていない。この街に来てからは、皆、愛称で呼び合うことで、本名を隠していた。


「息子を魔術士にしたいのか、モルテン」


「別にしたいわけではない。ただ、信の置けるやつが、あいつしかいなかっただけだ」


「こちらとしては、もう少し人数がいても良かったのだがな」


「そう簡単に都合の良い人材が見つかるわけもない。そちらでひとりは確保したのだから、それで我慢してくれ。大体、どれだけの需要があるかもわからない霊薬ポーション生産に最初から人手を使うことなどできないからな」


「そうか」


 モルテンのひとり息子リオンテンは、体格こそ大きいものの喧嘩すらしたことのない優しい性格であった。幼い頃からモルテンが座学や算術を教えていたおかげで、忍耐力と共用、理解力を持っている。

 もうひとりの人材というのは、フェンネルである。加護の力を器用に扱うのは、手先が器用なのと同義だ。さらにたったひとりで生き抜き、レイスと交渉する胆力を持ち合わせている。

 どちらも霊薬を作るための調薬魔術には欠かせない才能を持っている、適正充分の人材だ。そして、二人とも若い。これからの魔人デーモン族の未来を決める二人になる。

 街にある集会場は、役場に申請をすることで誰でも使用できる。大抵は農家たちの寄り合いに利用されているが、今日は商人たちで満たされていた。


「重役出勤か、モルテン。人を集めておいて」


「すまんすまん。もっとみんな遅れてくると思っていたのだ。話に興味がある者たちばかりだったらしい」


 モルテンがそう言うと、商人たちは彼を睨んだ。皆、不景気で苛立っている。興味のないものは最初から訪れない。

 先に集会所に入って受付をしていたセッカに、モルテンが話しかける。


「来ていない者は?」


 セッカはリストをモルテンに見せる。線で消されている名前は来ている者、呼んではいないが追加されている名前、それ以外は来ていない者だ。商人以外にも、鍛冶職人や木工職人なども訪れている。そして、端のほうには傭兵たちもいた。


「む。やはり、あそこは来ていないか。いや、これだけ集まってくれたならば恩の字か」


 モルテンは半円形状の集会所の一番下の段にある壇上に立つ。皆から見下ろされる位置だ。視線が集まり、モルテンは緊張した。何も考えずに立ってしまったが、こうして視線を集めることなど初めてだ。


「ううん。まずは……まずは、こうして集まってくれたことに感謝する。忙しくはなかっただろうが、時間は貴重だ。話を始めよう」


 モルテンはぐるりと見渡し、皆が話を聞く体勢になるのを待った。時間を少し置いてから、モルテンはゆっくりと口を開く。


「まずは皆の認識を食い違いを正すために、現状について話しておきたい。喫緊の問題と、今後の商売についての展望だ」


 商人たちが頷いた。モルテンは話を続けた。

 食物は、兵糧のために国が大量に購入するため、値が跳ね上がり市場に出回りにくくなっている。兵士はほとんど戦争に行ったため、狩りが行えず、街の周囲には魔物が増えている。そうなると行商は魔物から身を守るために傭兵を大量に雇う必要があるが、景気が悪く商品が売れるかどうかわからない状態で、高い金を出して旅に出るのはリスクばかりが大きい。結果、特産品や工芸品が出回らなくなり、この街で作っている商品も行商は仕入れなくなる。

 兵が狩りをしなくなったことで、問題はもうひとつある。植物系魔物である農作物は、魔物の血肉を栄養にするところが大きい。この街の食料源である植物系魔物の農園の肥料が足らなくなり、生産性が落ちている。それが物価の高騰に拍車をかけている。

 農家は今この場にはいないが、農作物を売る商人はいる。農家は国の買い上げで潤っているが、この状況が続けばいずれ国からの金も尽きる。そうなれば強制徴収が始まることへの不安は沸き上がってくる。その不安は消費の低迷を招き、経済が回らなくなっていく。

 鍛冶職のような手に職を持つ職人たちも、今は国の買い上げによって潤っている。しかし、流通していた鉄鋼や木材などの資源が途絶えて久しく、備蓄で何とかしているところもあれば、作成済みの製品から材料を取り、作っている職人もいる。国からの発注分を製作するのに手一杯で、民間に武器などは回り辛くなっている。そうなると加護のない恒人メネル族の傭兵などは武器が壊れた時点で、一巻の終わり。旅など完全にできなくなり、この街に閉じ込められることになる。

 老商人が鼻で笑った。


「モルテン。そうなったらそうなったで、私たちはこの街を捨てれば良いだけじゃ。ほんの二十年前まで、我々は壁の外で暮らしていたのだ。また、村を作って暮らせば良い」


 モルテンは眉を上げた。


「本気ではないでしょう? 村に住んでいた頃の生活に戻りたい者がいますか。夜は魔物に怯えて寝付けず、増え過ぎた子どもは口減らしに谷に投げ込む。その生活を知らない者たちにそれを強要するなど、私にはできない。いや、絶対にさせはしない。失礼……」


 少し強い語気になってしまったことをモルテンは謝罪した。


「……現実的に考えても、これだけの人が暮らせる村など作れるはずもない。まして、村時代は同一部族で団結して暮らしていたが、それでも仲間内でのイサカいもあった。部族もバラバラで、混血の進んだ魔人デーモンをどうやって纏め上げるというのは、イササか骨の折れる話になるでしょう。あなたも孫に、魔物の血を生で飲む暮らしをさせたいのですか」


 老商人は何か言おうと少し腰を上げたが、途中で思い直して座った。魔物の血は酷い臭いで吐き気を催すが、貴重な栄養源である。一滴も残さずに飲み干さなければならない。

 仲間を喰らった魔物を殺し、その肉を食べる。それは地獄などではない。村での唯一の安らぎのときなのだ。仲間の仇を討てたこと、腹が満ちること、それだけが楽しみだった。老商人は昔を思い出し、身震いした。

 モルテンは改めて、一同を見渡した。


「私はこの街を守りたいと思っている。私の故郷は既になく、帰るところのない私にはこの街が故郷だ。そのために、皆の力を貸して貰いたい」


 商人の中には目付きの変わった者もいる。だが、本題はこれからだ。


「現状説明は仕舞いだ。ここからは実務的な話に入る。既に概要は伝わっている通りだ。我々、商人職人で拠出し合い『商工士組合マルチギルド』を作りたいと思っている」


 概要で伝えた内容は、簡単なものだ。

 商人で金を出し合い、基金を設立。職人たちとの不当な安値でのやり取りをしないように見張り、契約や揉め事の仲介を行う。傭兵や狩人を雇って行商を安定させ、自治を維持。保険によって、万一の際には全員で助け合う。そして、組合銀行を作り、新業種などへの投資などを円滑に行えるようにする。

 商人のひとりから質問が飛んでくる。


「気になるのは……、自治を維持とあるが、傭兵を雇うことで、その武力によって、不当な取引をさせられる結果になるのではないかね」


「基本的には商工士組合は、傭兵の紹介をするだけだ。そこからは商人の個人の契約となる。もちろん、目に余るほどの武力を保有しようとするならば、組合が止めるように圧力をかけるとになるだろう」


「権力の一極集中は危険に思える」


「確かに、それは懸念がある。いずれは商工士組合を解散し、商人商会・職工商会・傭兵商会に分裂させるつもりだ。この組合はあくまで臨時的なものと考えて貰いたい」


「もうひとつあるぜ。誰がこの商会の頭になるかだ。あんたがなる気か、モルテンさんよ」


 最後の質問は、見知らぬタヌキ顔の若者からの言葉だ。モルテンは彼の方を向く。


「失礼だが、君はどなたかな」


「ハッ、オレのことはどうでもいいんだよ、おっさん。あんたの目論見はわかってるぜ。そうやって金を集めて、権力の中心に立つつもりだ。自治なんて綺麗な言葉で飾っているが、要は国へのだろうが」


 反逆という言葉に、商人たちがざわついた。


「ここにいる全員、明日には打ち首かもなぁ。今は戦争中だぜ。国はこういうことに敏感だろうよ」


 何人かの商人や傭兵が腰を上げ、出口を目指した。ひとりが立ち上がると、それにつられる者が現れ、集会場は騒然となる。モルテンも動揺し、どうするべきかわからない。出入り口の扉が開かれようとしたとき、凄まじい破裂音が会場に響き、全員の動きが一瞬止まった。


「全員、黙って座れ。下らない妄言に動揺するな」


 ガーネルトムが会場の床を足で叩いたのだ。床は石でできているが、そこに大きな亀裂が入っている。それを見た者は、何も言わずにゆっくりと席に戻らざるを得なかった。ガーネルトムは皆が席につくのを鋭い目付きで見守ると、重々しく口を開く。


「お前たちは、自分がどういう状況に置かれているか気が付いていない。税を取られた上、そこにいる男、カリオンたちにまで金を脅し取られている。このまま、状況で良いと思っているのか」


 狸顔の若者が苦虫を噛み潰したような顔で、ガーネルトムを睨みつける。


「だ、誰がカリオンだ。ここには呼ばれてねぇだろう。勝手に決め付けやがって!」


 ガーネルトムは指を差した。


「その隣の男と、その扉近くのやつ。お前たちからは腐った根性の臭いがする。この三人はカリオンの団員だ。話を聞くな」


「おま、なんで……」


 狸顔の男が動揺した。図星であったらしい。この会議を妨害する目的で、狸顔の男が大声を出し、解散を先導するために他にも団員を仕込んでいたのだ。

 ガーネルトムはカリオンを無視し、話を続けた。


「しばらくの間は、モルテンが臨時会長として動く。その後は選挙を行い、会長を決めることとなる。だが、この集まりの本当の長は、ただひとりだ」


 老商人がガーネルトムを見つめて言った。


「その人物とは誰かね」


「ウィルヘルム・フォン・ベルン。その人だ」


 老商人が動揺した。若い者は知らない者も多い名だ。しかし、老商人やモルテンのような長くこの国で暮らしている者には聞き覚えのある名である。


「まさか……、鱗断ちの英雄が帰ってきたのか」


 魔人たちが顔を見合わせ、『鱗断ち』と口々に言う。その異名の方が、ベルトリア王国では有名だった。今度はセッカとリンドーが動揺する番だ。モルテンに小声で訊ねる。


「一体、何? この反応は」


「私も驚いている。ウィルヘルムはあの『ウィルヘルム・フォン・ベルン』なのか?」


「そうだけど……」


 モルテンは額を揉んで、動揺を抑えようとした。


「……この国の創設に関わった人物だぞ。それを知らずに一緒にいたのか」


 セッカは思い出していた。確か、軍に入るとときに、この国の創設際、ひとりの戦士が大変な貢献をしたという。そのとき、名前は『鱗断ち』という渾名だった。


「ベルトリア大陸にまだ国がなかったときには、中央部には巨竜たちのネグラがあったとか。ベアル族とファンテラ族が協力し、中央部を取り返そうとしたとき、ひとりの恒人の戦士が、たったひとりで幾匹もの竜を打ち倒し、ついには竜王の首をも落としたと聞きました。その戦士が、ウィルだと……?」


 カリオンのひとりが叫ぶ。


「そんなバカな話があるか。今更、英雄さまが帰ってきたとして、何ができるって言うんだ。そいつはこの国を見捨てて出ていったやつだ! それにもうずっと前の英雄だ。もう、年寄りに違いない!」


 年寄りだからなんだという話だが、カシラになる人物があまりに年寄りでは、あまり先は明るくない。


「悪かったな、年寄りで。おお、皆さん、お集まりで。遅れて申し訳ない」


「ウィルヘルム!」


 集会場に入ってきた人物は、場違いなほど薄汚れていた。土埃と返り血で汚れ、それを洗い流すためか服ごと川を泳いだような姿だ。


 ◆


 皆の視線がウィルヘルムに集まる。彼は少し照れたように肩を竦めた。今のウィルヘルムは老人にはとても見えない。壮年の、油の乗り切った、歴戦の戦士の覇気を纏っている。

 ガーネルトムが彼に言葉を向ける。


「レイは見つかったのか」


 ウィルヘルムは狩りに行くと言っていた。だが、それは方便だとわかっていた。皆にレイリアルを探さないと宣言した建前、ひとりで探し行くとは言えなかったのだ。ウィルヘルムは残念そうに首を横に振った。ガーネルトムはただ頷き、ウィルヘルムの肩に手を置いた。


「ウィルヘルム。帰りが遅いから、死んでいるかと思ったぞ。どうしてこんなに遅れたんだ!」


 モルテンが彼を問い詰めるが、ウィルヘルムは苦笑いした。


「いや、実は、数日前には帰っていたのだが、どうせなら少し観光しようと思ってな。役所に入り込んで、街長の裏帳簿を掻っ攫ってきた」


「は⁉」


 今、あっさりととんでもないことを言われた気がしたモルテンは、自分の耳がおかしいのかと触ってみた。毛で隠れているが、しっかりとそこには耳が付いていた。


「何がわかったの」


 リンドーが冷静に問う。いまさらウィルヘルムの行動に驚きはしない。


「どうやら事態はわしが思っていた以上に悪いらしい。魔王はどうやらこの街を見捨てたようだ。もう、あとは奪うだけで、関わるつもりはないらしい」


 ウィルヘルムが懐から取り出したのは、皮布に包まれた小さな台帳である。とても、役所にある公式の物とは思えない。モルテンにそれを投げて渡すと、他の商人たちも集まってきて、それを覗き込んだ。そこには税金の収支が細かく書かれ、さらに臨時の収入が定期的に入っていることが書かれている。確実とは言えないが、商人たちの裏台帳のような暗号に満ちている。明らかに真っ当なものではないが、その書いてある金額は、街の予算級だ。一介の商人のものではない。


「この収入は?」


「カリオンが街長に払っているだ。街長はカリオンの行動を見逃すかわりに、民から二重に税を取り立てている」


「な……⁉ だが、それで国がこの街を見捨てたとなぜわかる」


「わからんか。国はただただ取り上げるだけで、経済のことは考えていない。今後の回復のこともな。おそらく、必要な分の物資の確保は終わったのだろう。それでこの街から兵を引き上げ、あとは街長に丸投げじゃ。街長はそれを良い事に、自称自警団のカリオンと手を結び、税を取れるだけ取って置こうということじゃろうな」


 商人たちがさらに動揺する。その隙に逃げ出そうとしたカリオンの三人は、出入り口を塞ぐガーネルトムを呆然と見つめた。


「殺すか、ウィルヘルム」


「ひとりは生かしておけ」


 その無慈悲な言葉の前に、カリオンの三人は腰が抜けたようだ。へたり込む三人を見て、ガーネルトムは反吐が出たようだ。


「やっぱり、お前がやってくれ」


「ん? そうか。まぁ、別にここで命を奪う必要はないから、それでも良いぞ」


 必要はないのに奪おうとする倫理観はどうかと思うが、商人や職工たちが拳を鳴らした。


「待て待て、一応、ひとりは生かしておきたいのだ。全面対決のための使者として残して置きたい」


「全面対決?」


 モルテンのその問いには答えず、ウィルヘルムはへたり込むカリオンたちに話しかける。


「今の話。間違いはないか?」


「し……知らない! 頭目が何をしてるかなんて……。街長の使者が時々、事務所に来ていたのは知ってるけど……」


「うむ。素直で結構。では、頭目に伝えてくれ。先日、お前たちの仲間を殺したのは、ウィルヘルム・フォン・ベルン。わしじゃ。デーモンを探しても無駄じゃとな。それと子どもを攫って痛めつけて殺すやつらに、自警団と名乗る資格はない。この罪は必ず償ってもらうとも言っておいてくれ」


 ウィルヘルムがカリオンたちの尻を軽く蹴ると、三人はガーネルトムの脇を抜け、転がるように外に逃げていく。


「良いのか」


 ガーネルトムが短く問うと、ウィルヘルムは頷いた。モルテンはまだ動揺しているようで、なんだかわけのわからない動きをしている。


「あ、おま、なんてことを……」


 これでここにいるものは共犯者である。


「全面対決だと? 国が出てきたらどうするつもりだ!」


「わしらが狙うのは、カリオンの頭目と街長じゃ」


「それがまずいと言っているのだ!」


「我々は自らの命を守るために起ち上がっただけじゃ。それを訴えるしかないのう。だが、少なくとも初戦は我々が取る。さぁ、皆さま方、ここで呆然としとる暇はないぞ! 我々の正当性を街中、国中に広げるために、駆け回れ! ああ、ちゃんとわしの名を添えてな。そのあとは武器を集めて、カリオンの事務所を襲撃する。さぁ、行け! この街を守るために!」


 そう言われ、尻を叩かれた馬のように、魔人たちは走り出した。自分の命が惜しいし、街長やカリオンが憎いのである。すっかり扇動された彼らは、ウィルヘルムが言わなくとも行動を開始したはずだ。

 モルテンはその様子を呆然と見送った。


「さてと、あとはどうなるかな。しばらく、休憩しようか。おや……」


 会場から出ていかなかった集団がいる。傭兵たちだ。彼らはウィルヘルムに向かい合うと、軽く目礼した。


「今回の話、モントベルグ王国による作戦なのか。俺たちを利用して、ベルトリアを内部崩壊させるのが目的か」


 ウィルヘルムはモントベルグの騎士である。名誉騎士という名ばかりのものとはいえ、他者から見れば関係のない話だ。モントベルグの離間工作だと思われても仕方がない。傭兵としてただ働きはしたくないし、戦争に知らない間に巻き込まれるのは御免被る話だ。

 ウィルヘルムは不敵に笑った。


「これはわしのじゃ。騎士としてではなく、戦士としてのな。魔王はわしの尾を踏みつけ、逆鱗を殴りつけた。それ相応の代償は払ってもらう。それだけじゃ」


「そうか」


 傭兵のひとりが皆と目を合わせる。頷き合うと、もう一度、ウィルヘルムを見る。


「あなたについていこう、戦士ウィルヘルム。他の傭兵にも声をかけておきます。モントベルグ出身の者も多い。必ず戦力になるでしょう」


「感謝する。お前さんの名を聞かせて貰っても?」


「俺はゲラーバルト。五年ほど前までリディナー師範の元で世話になっていました。あなたの話も聞かされている。こうして、英雄ウィルヘルムとともに起てることを誇りに思います」


 ウィルヘルムはゆっくり首を振る。


「そうか、リッドの……。英雄などとなどは呼ばないでおくれ。わしはお前さんの師を、魔王軍の手から救うことができなかった、ただの人間じゃ」


「!……そうか、師範は……」


 ウィルヘルムの尾と逆鱗の所在を、ゲラーバルトは理解した。


「行くぞ」


 他の傭兵たちとともにゲラーバルトは出ていった。

 リンドーはウィルヘルムに近付き、事実を問い質した。


「この街を滅ぼすつもりなの、ウィルヘルム。もし、魔王軍が兵を向けてきたら、どうするつもり?」


「そうはならん。兵はおらんし、街長とはするからな。それよりもここからどうやって王都に乗り込むかだが……」


「つまり計画なしなわけね……。ハァ……」


 リンドーは頭を抱えた。モルテンもセッカも頭を抱えた。唯一、ガーネルトムは落ち着いている。


「ウィル、王は軍を動かさないかもしれない。だが、王のが動くかもしれない。なるべく、早く魔王の元に向かった方が良いだろう」


 ガーネルトムの言葉にウィルヘルムは頷いた。


 ◆


 魔人デーモンたちの行動は早かった。元々、血気盛んな者たちが多い上、近頃の街の政策には不満が募っていたのだ。そこに子どもの痛ましい死を切っ掛けとした、カリオンへの怒り。裏帳簿の噂による、金の恨み。武器ならざる武器を持った民たちは、カリオンの事務所を襲撃した。群衆によってカリオンはあっさりと壊滅し、その構成員は嬲り殺しにされることになる。

 ウィルヘルムが慌てたのは、役所まで襲撃し始めたことだ。止めようとする兵士たちとの間で、怪我人が出る騒ぎとなる。死人が出る前に止められたことは幸いである。

 リンドーは霊薬ポーションを使って、怪我人の治療に当たった。リンドーは完全に善意だったが、セッカはちゃっかりしたもので、宣伝も忘れない。これによって、霊薬は魔人デーモン族の間に広まることになる。

 こうして、反乱は三日で終わりを告げた。多数の死傷者は出たものの、事態の収拾は早かった。他の街から兵が送られてくることもなく、一先ず街は、落ち着きを取り戻したのである。

 捕らえられた街長エデュケオンは、その長い馬の顔を殴られたのか、少しだけ膨らましていた。

 ウィルヘルムは柱に括り付けられた街長を見下ろした。


「いやいや。殺される前に見つけられて良かった。貴様が死ぬと、少しわしらの正当性が揺らぐからのう」


「お前……、お前! わかっているのか。これは明確な反逆行為だ! 魔王さまが黙ってはいないぞ!」


「うむ。まだ帳簿を全て確認できたわけではないのだが、税収と国庫に納めるはずの金額に差があるようじゃ。一体、どこに消えたのかのう。貴様の屋敷を詳しく調べてみるとするかの」


「な、お前……。そんなことをしても無駄だ! 王が反逆者の言うことに耳を貸すと思うか、愚か者め!」


「さて、どうなるかな。この街で起こったことは、国全体に伝わるだろう。そうなったとき、魔王がどう動くか。見物じゃな」


 傭兵のゲラーバルトがやってきて、ウィルヘルムに報告する。


「ウィルヘルムさま、職員の話によれば、カネは別の場所に隠してあるとか。人を向かわせてもよろしいですか」


 エデュケオンの明らかに表情を悪くした。


「ああ、向かわせて……。ゲラーバルト、お前さんが何人か連れて行ってくれ」


「ま、待て! わかった。今回の件は水に流そう。私も鬼ではない。王には軍を動かなさないように言う。だから、見逃してくれ!」


「見逃す? 何も悪いことはしていないのではないのか? 見逃すも何もないじゃろうて」


「うぐ……。そうだ! 街長には次の街長を選任させることができるのだ。お前が街長になると良い。それでカネも地位もお前のものだ」


「ほう。それは魅力的じゃな。どれ。では、人々の前で宣言し、わしを街長にすることを王都に報告する旨の手紙を、書いてもらおうか」


 あっさりと富と権力を受け入れたウィルヘルムに、ゲラーバルトは驚いた。

 街の兵士や職員の中には、協力的な者もおり、話はあっさりと纏まった。事の顛末を報告する魔道具による通信と、ウィルヘルムに正式に街長の地位を譲る旨をシタタめた、前街長の直筆の伝書を送ることになる。しかし結局、ベルトリア王国王都ホルムベル行政府からの返事は来ることはなかった。

 こうして約ひと月の間に街の実権を握ったウィルヘルムは、遺憾なくその権力を振るった。

 まずは資金を使って、傭兵たちを雇い入れ、街周辺の安全の確保に努めた。ウィルヘルムが指揮を執り始めたとき、この街には常駐の兵が五百人に満たなかったのだ。三交代制でも百五十人程度しか実動していない状況では、この規模の街の業務を熟すことは難しい。訓練も休暇も取れず、上からのもないのでは、仕事が疎かになるのも当然である。

 傭兵たちは商工士組合マルチギルドを通して雇い入れることで、民間に金の流れを作ることに成功する。商工士組合は今のところうまくいっている。モルテンが代表となり、金の流れをうるさく監視している。さらには接収する税も組合銀行を通すことで監視し、逆に街は銀行を監視することで、相互監視の状態を作り出し、不正を許さない姿勢を見せた。

 さらに優秀な人材を街の運営の矢面に立たせると、権力を分散させて、自身の権限を削っていく。街長の仕事はただの治安の維持のみになり、ウィルヘルムは忙しさから逃れることに成功する。ここまでが街長就任からひと月の話である。

 街が安全になり行商が再開されると、ウィルヘルムの噂は一気にベルトリアに広まった。何せクーデターが起きて、正式な街長は放逐されたというのに、王都が動かなかったのだ。

 他の街の状況が民にも知れ渡ると、ひとつの不安が持ち上がってくる。国王に見捨てられたのではないか、という不安だ。

 長距離連絡用の魔道具に、王都からの返信はなく、それは他の街でも同じだったらしい。他の街も変化を求められた。

 食糧都市ミスシダを中心とした、新たなる経済圏の形成である。英雄ウィルヘルムの名に便乗し、魔王からの独立を計ろうとする動きまで出始めた。

 ウィルヘルムがベルトリアに上陸してから、約三か月目の快挙である。だが、滞在予定を大幅に超過してこの街に留まったウィルヘルムの元に、レイリアルの情報が入ってくることはなかった。

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