第17話 ウィルヘルム 商談に向かう

 店員は客に驚いたように体を起こす。


「いらっしゃい!」


「イェゲナー、暇そうね」


「?」


 イェゲナーと呼ばれた魔人は、セッカの顔を覚えていないようである。

 イェゲナーは長い耳にふっくらとした顔を持っている、兎の魔人である。その恰幅の良さは、種族的なものではなく、イェゲナーが太っているだけである。


「相変わらず恒人メネルの顔は覚えられないの? コルシアだよ、コルシア」


「ああ、コルシアちゃんか。いつも一緒にいる連中じゃないから気が付かなかったよ。前の傭兵隊はやめたのかい」


「うん。みんな死んだからね。今はこの人に雇われてる」


 セッカは傭兵のことはさらりと流して、ウィルヘルムを指す。


「ウィルヘルムと申します。以後、お見知りおきを」


「これはどうもご丁寧に……」


 優しそうなイェゲナーは戦士ではないが、あらくれたちが集う酒場を切り盛りする店主だけあって、腕っぷしは強そうだとウィルヘルムは感じ取った。

 セッカは行く先々で名を変えて生活しているらしい。セッカという名も、魔王軍に登録するときに使った名であり、本当の名は明かしてないそうだ(ガーネルトムは知っているようだが)。この街ではセッカは『コルシア』と言う名で傭兵をしていたそうだ。なんとも用心深いことである。魔王軍がこの事実に気付いていたかはわからないが、潜入工作員としての実力を認められていたことは確かだ。

 挨拶が済むと、セッカは話を続けた。


「しばらく世話になりたいんだけど、部屋は空いている?」


「あ~……」


 イェゲナーが視線を向けた先の薄暗い店内に、人がいた。数人ではない。いくつもあるテーブルを埋め尽くすほどの傭兵たちが、こちらを見ている。誰も彼も沈んだ顔で、しゃべらず静かに酒を飲んでいるので、居ることに気が付かなかった。


「何?」


「部屋が埋まってるんだよ。悪いね」


「ひと部屋も空いてないの?」


「そうなんだよ。全部埋まってる」


「……」


 セッカは当てが外れて不服そうである。八つ当たりするように店内を見渡した。


「この飲んだくれたちは何なの? なんで昼間っからタムロしてるわけ?」


「仕事がないんだよ。格安で泊めてやってるのさ。ほら……、追い出したら、追剥とかし始めそうだろう……。他の宿も似たようなもんさ」


 最後は小声である。このベルトリア大陸には、傭兵雇用を集約して管理する傭兵協会が存在しない。そのため、質の悪い傭兵も多く存在する。恒人社会も通った道だ。

 ウィルヘルムは懐から小銭をカウンターに置くと、空いているテーブルを指差した。イェゲナーはそれで察したようで、頷くとカウンター後ろのキッチンに呼びかける。食事を注文したのだ。狭いテーブルを四人で囲んで席についた。


腹拵ハラゴシラえしたら、宿探しじゃな」


「ごめんなさい」


「謝ることはない。こんな状況になっとるとは、誰も予想してなかったのだからな」


 店内は静かなので、ウィルヘルムたちも声を潜めて話し合った。今後の方針についてだ。


「傭兵業も狩人業も、機能停止か。リンドーの作戦は実行するのは難しそうじゃのう」


 リンドーの作戦は単純なものである。ウィルヘルムの名をベルトリアに轟かせ、レイリアルに居場所を教えるだけだ。単純だが、恐ろしく難しく、危険な行為だが、ウィルヘルムならばこの程度、朝飯前にやってのけるとリンドーは考えていたのだ。


「そうだね。別の方法を考えようか」


 簡単な料理と飲み物が届き始め、四人はとりあえず胃に入れた。リンドーの懐からいつの間にか出てきたフェアリーが、料理を貪り始める。


「こやつら、まだ居ったのか。礼も言わずに食うだけ食うつもりか」


「まだでしょ。でしょ」


「キャハハ。あんたたちが生きてるあいだは、付いていってあげるわ」


 ウィルヘルムはその傲慢さに閉口したようだ。代わりにガーネルトムが口を開く。


「やはり……、レイを探して海岸線を辿るべきではないか。村や街があるのは海岸線だ。レイならば、どこかに辿り着いているはずだ」


「それは……、でも、路銀はどうするの? 私たちの持ってる分じゃ、王都までも足りないんだよ。元々、少しはこちらで仕事を探して、ある程度の路銀を稼ぐ予定だったじゃない。遠回りしている余裕は余計になくなったよ」


「だが、レイがもし身動き取れない状況で、オレたちの助けを待っていたらどうする」


「ハァ……。私もこういうことは言いたくないけど、レイは死んでるわ。身動き取れない状況だったら、尚更、生きてはいないわ」


 セッカの遠慮のない物言いである。だが、実際のところ、それが正しい判断だ。上空まで打ち上げられた人間が生きていられるとは思えないし、大量の魔物の生息する地域で、孤独な少女が無事でいられれるとは思えない。

 セッカはこの魔大陸で生き抜いてきた実績持ちだ。人の生き死にも何度も見てきた。そして、それはガーネルトムも同じである。ガーネルトムはレイリアルになぜか並々ならぬ感情を持っているようで、セッカの言葉に肩を震わせる。怒鳴られるかと思いセッカは身構えたが、その静かな怒りを受けたのはウィルヘルムだった。


「ウィルヘルム、どうしてお前はそんなに冷静でいられる。レイは愛弟子の娘で、お前の弟子でもある。親を失ったレイは、お前が庇護すべき子だ。暢気ノンキにイチジクを頬張っている場合か!」


 ガーネルトムが立ち上がりテーブルを叩いたので、ウィルヘルムとセッカは、跳び上がったコップが倒れないように持ち上げた。リンドーのコップは倒れて、フェアリーたちを酒まみれにする。フェアリーは自分の体についた酒を舐め始める。


「こ、壊さないでよ」


 イェゲナーが怯えたように声をかけてきた。ガーネルトムの体は威圧感があるので、イェゲナーのような一般人が対処するのは荷が重い。突然の騒音に店内の傭兵たちも目線を向けるが、ガーネルトムが大人しく座ったので、皆、自分のテーブルに目線を戻す。


「どうなのだ、ウィルヘルム。お前はレイをなんとも思っていないのか」


「……」


 ウィルヘルムが干し肉を齧り、それを酒で流し込むと落ち着いた様子で、ガーネルトムに目線を向けた。


「ガナー、お前さんがレイを可愛く思っとることは、嬉しく思う。もし、わしの娘が生きておったら、レイくらいの年齢じゃ。血は繋がらずともレイはわしの娘も同然の存在だと思っておる」


「だったら……!」


「もし、血の繋がった娘だったとしても、わしは同じようにしたじゃろう。なぜならば、レイは既に戦士であるからじゃ。まだ剣を取って間もないが、あの子の実力は達人の域に近い。心配しとらんと言えば嘘だが、死んでおるとは微塵も思ってはおらん」


「信頼していると言いたいのか」


「そうじゃのう……。うむ、少し違うな。この程度の苦難、乗り越えなくてはわしの弟子とは言えん。ガナーもあの子の実力は認めるところではないかね」


 ガーネルトムは口を噤んだ。確かにレイリアルの成長速度は他の者を圧倒する。今では彼女と正面から殺り合うことになれば、ガーネルトムすら危ういかもしれない。


「前にも言った通り、無闇に探してもわしらが先に力尽きるだけじゃ。こればかりはレイを待つしかない。わしらが名を上げ、その意図にレイが気付けば、いずれこの広い大地でも出会うことは叶うだろう。それが最善の手だとわしは思う」


 ウィルヘルムの言うことはモットもである。ガーネルトムは魔王軍を無断で抜けた。魔王軍はセッカやガーネルトムを死んだものとして扱っているかもしれないが、大々的に尋ね人をするとなれば、相手にもわかる名を名乗らなければならない。今は愛称で呼び合うことにして隠しているが、いずれは正体がバレるだことになることは確実だ。


「ウィルの言うことは理解できる。だが、その話が今頓挫している。名を上げるための仕事がないのだからな」


 ウィルヘルムは頷いた。


「仕事がないのであれば、作ろうではないか。いや、むしろその方が手っ取り早く名を上げることができるかもしれん。それどころか、最終目標への足掛かりとなるかもしれんな」


 ウィルヘルムが酒に溺れてテーブルで昏倒しているフェアリーを摘まみ上げて助けた。


「食べないで下さいよ!」


 セッカが慌てて言う。


「食べるか!」


 リンドーが何か思いついたようにして、ウィルヘルムに怪訝な顔を向ける。


「まさか、辻斬りでもするきじゃないだろうね。それで名を上げようと……」


「するか! わしを何だと思っておるんじゃ。まったく……」


 ◆5・5


 なかなかの立派な店構えをしている店だった。中に入ると、様々などんな用途に扱うかもわからない物品が所狭しと置いてあり、目的の物を見つけるのに苦労しそうである。

 店主は人の入ってきた気配に顔を上げた。顔に毛がないが、それ以外は剛毛で覆われた店主だ。狒々ヒヒ魔人デーモンだった。

 ウィルヘルムはカウンターに近寄り、挨拶もせずに言う。


「モルテンの質店と書いてあったが、お前さんがモルテンかね」


 ウィルヘルムがそう言うと、狒々はぶっきら棒に返す。


「そうだけど。買うの、売るの?」


 ウィルヘルムは腰の得物をカウンターの上に置いた。魔剣『イカラス』だ。


「いくらになる」


 質屋の店主モルテンは、一瞬だけ驚いた顔をするがすぐに真顔に戻り、剣を手に取り簡単に眺めてからカウンターの上に戻す。刃は見なかった。モルテンの勘が危険だと告げていたからだ。


「こんなボロい剣、高くはないね。けど、手入れは行き届いているから、銀三枚ってところだな」


「そうか、邪魔したな」


 客があっさりと帰ろうとするので、モルテンは慌てて止めた。


「待て! わかった。銀十枚に好きな商品ひとつなら、良いだろう!」


 ウィルヘルムは足を止め、振り返ってその堀の深い顔を見つける。


「モルテン、わしは駆け引きをしに来たのではない。お前さんが出せる限界はいくらじゃ」


 モルテンは固まった。決断のときである。この男に下手な嘘は通じないことは直感的に理解していた。それでも値段を安く言ったのは、商人としての癖と、自分の生活が厳しいからである。

 モルテンはカウンターの下や、床下やら天井やらから、金属製の箱を取り出して開けて見せた。金銀宝石が詰まった箱を見せて、ウィルヘルムを睨みつけた。


「これが今出せる全部だ! それとそこに飾ってある剣、一本好きなのを持っていけ! それでその剣の使い方を教えてくれッ!」


 業物の武器、特に魔剣は需要がある。戦士たちはこぞって欲しがり、値はいくらでも釣り上がる。しかも、使い方のわかっている魔剣であれば、天井知らずの値段となるだろう。このモルテンは長年の勘で、この戦士が魔剣の持ち主であることは感じ取っていた。


「ようわかった」


 ウィルヘルムはカウンターの前まで来ると、モルテンと顔を突き合わせる。


「商談しようではないか」


「商談⁉ 剣を売るんじゃないのか……?」


「わしはこの街で新たな商売を始めようとしておる。お前さんにはその資金提供者になってもらいたい」


「待て待て待て。一体、何の話だ! 剣を売る気がないなら帰れ!」


「良いのか、ここで帰っても。近頃は滅多に客が訪れんのではないか? この箱に入ってる物も、高価ではあるが換金することが難しい物ばかりじゃろう。モントベルグ王国との貿易船が途絶えて、価値は暴落しておる。これから先、家族を養って暮らしていけるのか? 話も聞かずに、わしを返してしまっても良いのかね」


 モルテンは返す言葉に詰まる。それは戦争が始まる前から感じていた不安だ。未発掘の古代魔術師のアトリエはまだ多数あるし、恒人メネルの冒険者が途絶えなければ商売は続けられるだろう。だが、外国人に頼った商売は、戦争のひとつでもあれば吹き飛んでしまう。今がまさにその状況だ。

 モルテンは浮かしていた腰を椅子に落とした。


「わかった、わかった……。聞くだけ聞こう。話に乗るかはそのあとに決める」


「ふむ。良いじゃろう。わしの名はウィルヘルム、これはリンドーじゃ。よろしくな」


 ウィルヘルムは自分で椅子を引っ張ってくると、モルテンと向かい合って腰掛けた。いつの間にかウィルヘルムの横に小さな女の子が立っていて、モルテンは驚いて心臓が飛び跳ねた。


「ドワーフ⁉ 一体どこから……」


「最初から一緒に居いたよ」


 モルテンは一緒に入って来ていたリンドーに気が付いていなかった。フェアリーを頭と肩に乗せた彼女は、幻想的な雰囲気がある。


「ま、魔術士……」


「ほう、慧眼じゃのう! 見ただけでわかるのかね」


「まさかとは思うが、魔術で商売するつもりじゃないだろうな」


「そのまさかじゃよ。このリンドーは土の魔術士だが、調薬魔術も会得しておる。霊薬ポーションを作って売るつもりじゃ。モルテン、お前さんにはそのための装置を購入するための金を準備してもらいたい」


「残念だが、上手くはいかないぞ……」


 モルテンが溜息交じりに頭から話を否定するので、ウィルヘルムは眉を顰める。


「どうしてじゃ?」


「……いいか。魔術に馴染み深い恒人メネルにはわからないだろうが、魔人デーモンたちの中には魔術に否定的な者が多い。昔に比べれば随分とそういう連中も減ったが、まだまだ全然、魔術は恐ろしいものだと思っている者が多数だ。霊薬なんぞ、誰も使おうとしないだろうよ」


 モルテンが言うことは、本当のことである。小さな村なのでは魔術士だとわかると追い出されたり、大きな街でも場所によっては拒絶されることもある。街の結界により魔術の恩恵を受けているとはいっても、一般市民には馴染みのない話であり、霊薬などという理解できない物を受け入れる土壌がない。


「うむ。わかっておるよ。だが、わしはもっと別の市場を考えておる」


「と言うと?」


 モルゲンが理解したウィルヘルムの話を要約すると、こうだ。

 まず、傭兵や狩人・冒険者のような、暇を持て余している戦士たちに仕事を与えるために、霊薬の材料となる魔物を狩りに行かせる。そして、その素材を買い取ることで、経済を回し、霊薬は狩りに出た戦士たちが購入する。

 幸いなことに、この国には魔術士は少なく、治癒魔術を執り行う者は少ない。治療と呼べるものは、フェアリーの鱗粉による感覚麻痺、薬草による効果の薄い医学くらいのものだ。さらに戦争不安があるため、魔人族の中にも霊薬を買い求める者は増えていくとウィルヘルムは読んでいた。


「市場を回すための雇用を生み出すということか」


「そういうことじゃ。市場が動き出せば、お前さんのところに入ってくる金も大きくなる」


 モルテンは考えた。このまま何もせずにいるよりは良い考えかもしれない。


「それだけじゃ足らないな、こっちの取り分が。賭けに乗って初期投資の金を出すのだ。それなり以上の利益を保証してほしい」


「もちろん。売り上げの一割をお前さんにやる。そして、わしらはしばらくこの街に留まるが、ずっといるわけではない。出ていくとき、店は丸ごとお前さんのものじゃ。そのときのために、霊薬作成の後身の育成もしよう。後を継ぐ人物はそちらで用意してくれ」


「一割では足らんだろう。せめて三割だ」


「いや、そこは負けんよ。一割じゃ。その後の利益はお前さんの総取りなのだから良いじゃろう。良し、こうしよう。この剣を担保としておく。もし、この商売が失敗したなら、お前さんがこの剣の持ち主じゃ」


 再びウィルヘルムがカウンターの上に魔剣を置いた。正直、この剣を貰うだけでも充分な利益になる。あまりにも上手すぎる話な気がする。


「使い方は?」


「それはその剣がお前さんの物になったときに教えよう。ひとつ言っておくことは、その剣はとても危険な物じゃ。使い方を間違えば、自分さえも殺してしまうほどにな。だから、隠して仕舞っておくことをお勧めするよ」


 下手な脅しにも思えるが、このウィルヘルムと言う戦士がこんなつまらない嘘をつくとは思えない。確かにこの剣からは、ただならない雰囲気を感じる。いくつもの命を奪ってきた雰囲気だ。モルテンは戦士ではないとはいえ、長年このような古代の遺物を見てきた勘が、危険な物だと告げていた。


「随分と旨い話ように感じるな。旨すぎて、怪しい。あんたたちの利益はどこにある」


 モルテンも商売人である。こんな旨い話には裏があるはずだ。ウィルヘルムと言う人物のことをモルテンは測りかねていた。信用できる人物に感じるが、だからといって人生を懸けた大博打を任せることを、簡単に決めるほどモルテンは愚かではない。


「もちろん、利益はある。わしは金を手に入れることが目的ではない」


「金じゃない? なんだ?」


 ウィルヘルムはニヤリと笑う。


「わしの名をベルトリア全土に轟かせる。それがわしの利益じゃ」


 モルテンは眉を上げた。この恒人メネルはもしかしたら狂っているのかもしれないと、急に不安になる。しかし、なんとなく付いていきたいと思ってしまう自分がいた。

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