第16話 ウィルヘルム 魔王の作った街に着く

 魔王がベルトリア王国を興して、まず初めに行ったことは、街道の整備である。

 魔人デーモン族たちは部族主義が沁みついている。それは隔絶された村々で、それぞれ干渉せずに暮らしていたである。しかし、好きで小さな村に留まっていた者は少数派であった。村での暮らしは、いつ凶悪な魔物に襲われて、全滅することになってもおかしくはない、危ういものである。食糧を確保するのもいつも命懸けで、長生きできる者は少ない。そんな村で暮らし続けなければならないのは、他に選択肢がないからである。

 魔王が街道を整え、王都を設立する。それによって消滅した村は数知れない。まだ残っている村は、守らなければならないほどの伝統がある部族か、比較的豊な暮らしをしていた村である。

 街道には仕掛けがある。整備された道は移動をハカドらせるだけでなく、所々に魔術による結界を作り、魔物から逃れられるようになっていた。

 これは魔術ではなく、魔法を信奉する魔人族の意識を変えるための布石でもある。

 魔法と魔術の違いは明確ではないが、あえて定義付けするならば、先天性と後天性である。

 魔法は生まれ持っているものであり、『加護』や『天啓』と呼ばれるようなもので、後天的に学ぶことはできない。

 対して、魔術はほとんどの人間が使用することができる。もちろんそれは、全ての人間が無尽蔵に魔術を使えるという意味ではない。術の理論と魔力との邂逅という、一般人には理解不能な難解な学問を履修する必要があるが、学習によってある程度は習得できることができる。

 もうひとつの違いは、魔法は本人の意識から外れるとその効果が失われるが、魔術は効果が永続するように設定すれば、一度発動さえしてしまえば、例え本人が死のうともその効果を維持することができるのだ。

 例えば、魔剣である。剣に魔術を付与することで、通常の剣以上の攻撃力を持たせたり、決して折れない剣を作ることも可能である。

 比較的大きな村や街などでは、魔除けの護符を周囲に張り巡らすことで、魔物を近付けさせないこともできる。しかし、護符は効果が切れれば随時交換する必要があり、複数の魔術士がその地に住んでいなければ立ち行かないことである。

 魔王が街道に作った避難所は、その問題を解決している。丈夫な石造りの建物、それ自体が魔除けの効果を持つ魔術でできており、護符のように交換が必要ない。他国にはない未知の魔術である。恭順を誓った村々をこの街道で繋ぐことで、魔術を忌み嫌う魔人族に、魔王の偉大さを伝えるための政策のひとつであった。

 リンドーはその避難所で、それがどのような仕組みの魔術なのか解読しようとした。石の魔術に秀でたリンドーであれば、隠されている印なども見つけることができるはずだった。


「駄目だわ。全然わかんない」


「護符の魔術とは違うのか」


 石の床に這いつくばっていたリンドーに、ウィルヘルムが言うが、リンドーの機嫌は悪い。石の魔術では、この避難所の中に潜ることもできず、詳しく調べることができないのである。


「違うに決まってるでしょ。護符は近付けば爆発する罠みたいなものよ。これは結界みたいに魔物を近付けさせない。この建物自体も魔術によって頑丈になってる。しかも、その魔力の源がどこにあるのかもわからない。……魔王は、別の時代の魔術士ね」


 この魔術を持ち帰ってひと儲け、という期待で避難所を調べたわけではない。魔王の実力を知るための情報収集の一環だ。


「やはり古代魔術師ということか」


「……その可能性は大いにあるね。認めたくはないけど」


 古代魔術師が滅んでいることは周知の事実である。魔術は一度、完全に失伝し、現在使われている魔術は、数百年前に開発された輝石魔術という分類であり、古代魔術とは全く別の系統ということになっている。三千年の間、古代魔術を扱える者はおらず、それを復活できたものもいない。


「やはりあの悪魔は、古代魔術師の作り出した魔術か」


「あるいは全く未知の魔術かもしれないけどね」


 あの悪魔とは、ビスト・マリフィスの王城を消し飛ばし、ウィルヘルムの右腕を飲み込んだ赤い瞳の魔物のことである。既にガーネルトムとセッカからの情報で、ギリムはただの代理で魔術を行使した者であることがわかっている。


「古代魔術を使い、しかもそれを他人に預けることができる。もし、ビスト・マリフィスを守り切ることができなかったならば、魔王軍とは戦いもせずに降伏する国もあったかもしれんな」


 ギリムは魔石を体内に取り込むことで、魔力の底上げを図っていた。魔石にはあらかじめ魔王の魔術が封じられており、ギリムはその封じられた魔術を好きなように扱えるようになる。だが、魔石を取り込んだ魔術士がどうなるかまでは、ガーネルトムたちも聞かされてはいなかった。屍霊術を扱うギリムは、人間を超越し、魔物と化してしまっていた。人が魔物に変わる例は多くある。が、それは不可抗力によるものであり、人為的に魔物に変えるようなことはできないとされている。

 もし、魔王が人為的に人を魔物と化す技術を持っていて、ギリムにはそれを黙っていたのだとしたら、ギリムも被害者だとガーネルトムは考えていた。魔王は敢えてギリムを魔物に変え、街を破壊するように仕向けたのではないかという疑念がぬぐえない。

 どれもこれも長年研究に打ち込んできたリンドーすら聞いたことのない技術だ。魔王は確実に、現代魔術を凌駕する技術を持っていることは明白である。


「魔王は魔人デーモンなの? どんな容姿をしてる?」


 リンドーが問うと、ガーネルトムをセッカが顔を見合わせた。何故か二人は黙ったまま、答えようとしない。


「どうした。会ったことくらいあるのじゃろう」


 ウィルヘルムが不思議に思って問うと、ガーネルトムが答える。


「ある。遠目にだが……」


 セッカが言う。


「ウィルヘルムに似ていた気がする……? あれ? でも……」


 どうもハッキリしない答えである。


「わしは魔人じゃないぞ」


 ガーネルトムが重々しく口を開く。


「オレには獣に見えた。王冠を被った『原初の獣』に……。けど、こんなことあり得ない」


「どういうことなんじゃ」


 リンドーが険しい表情で答える。


「もしかして、魔王は認識を弄っているのかもしれないね。古代魔術を使えるのなら、それくらい簡単かも」


「人の目に映るものを変えると?」


「というか、人の記憶を変えているのかもね。自分の姿が別の記憶にすり替わるような魔術で、正体を隠しているのかもしれない。けど、直接会ったときには、違和感を覚えない」


 そんなことが魔術で本当に可能なのかウィルヘルムは疑問だったが、実際、古代魔術師が住んでいたとされる遺跡『アトリエ』では、そういった認識を歪める魔術の痕跡も確認されている。

 セッカが顔色を悪くして言う。


「もし、そんなことが可能なら……、ベアル族やファンテラ族のような、武闘派のデーモン族に忠誠を誓わせることもできるのでは……」


 ガーネルトムが反論する。


「オレが精神操作されていると? だが、こうしてオレは魔王に反抗している」


 セッカは首を横に振った。


「私はずっと疑問だった。いくら力が強いからって、死ぬまで戦うことを美徳するベアル族が簡単に配下になって、隠れて裏から操ることが得意なファンテラ族が、逃げもせずに心服するなんて変だって。でももし、精神操作ができるなら、部族主義を逆手にとって、族長だけを操ってしまえばいい。力の消耗は最小限で、部族を操れる力を得られる」


「……」


 ガーネルトムは反論できずに黙ってしまう。それはガーネルトムもずっと感じていたことだ。ファンテラ族の族長であるガーネルトムの父は、ある日突然、魔王に忠誠を誓ったことを告げてきた。部族の皆は族長がそう言うならと文句も言わずに従ったが、ガーネルトムだけは違和を覚え、別の道を模索していたのだ。

 ギリムは魔王のことを妖精エルフ族だと、ガーネルトムに言っていた。それも精神操作の可能性が大いにある。

 ウィルヘルムが口を挟む。


「それにじゃ。容姿も思い出すことができん相手に、どうやって忠誠を誓えるのじゃ。数百年もバラバラに暮らしていたデーモンが、ここ十数年でいきなり一丸となって国造りに励みだしたのも、それで説明がつくかもしれん」


 魔王の虚像がどんどんと大きくなってきていた。人の心を操り、古代の魔術を操り、魔物を操り、その正体はわからない。ウィルヘルムですら、この虚像に僅かな恐怖を覚えた。

 そして、人を操る魔術には、苦い思い出がある。それはもう過去のことであるが、ウィルヘルムの脳裏に大きな傷として残っていた。ウィルヘルムはその思いを振り払おうと、首を勢い良く振った。


「……でも、ひとつ良いこともあるね。もし、精神操作なら、それを解除することもできるかもしれない。もちろん、簡単なことじゃないだろうけど……」


 精神操作を解除できたならば、味方を作ることができるかもしれない。例えば、ファンテラ族を味方につけることができれば、魔王軍に対する強大な影響力を得ることができる。


「情報収集をしながら、魔王都ホルムベルに向かうしかあるまいな。時間がかかることになるだろうが、丁度良いことじゃ」


 ウィルヘルムがそう言うと、皆が頷いた。

 世界中で戦争を始めた魔王軍に、余裕があるとは思えない。いったい何の目的でそんなことをしたのか、理解ができない。それほどの人数の軍隊がベルトリア大陸で作れるとも思えず、実際、ガーネルトムやセッカの話によれば、全戦力を集めても二十万人に満たないとのことである。更に防衛のための戦力、治安維持のための戦力、占領のための戦力、侵攻のための戦力……。多方面作戦を始めれば、いくら兵数があっても足らなくなる。

 モントベルグ王国は甚大な被害を受け、各国の応援は来なくなってしまった。しかし、それでも魔王軍が勝てるかといえばそうではない。

 魔王の正体と、目的。ウィルヘルムが頭を捻っても想像もできなかった。まるで児戯のような作戦。戦術は現場の人間が考え、なんとか形を成していても、戦略がおかしければどうにもならない。

 モントベルグ王国のためにも、ウィルヘルムは急ぎ魔王の首を取るつもりであった。だが、少しばかりゆっくりと歩みを進めることにする。魔王の首を取っただけで、この違和感が終わるとは思えなかったからである。

 そして、その歩みの遅さは、レイリアルを待つ意味もあった。


 ◆


 街道ではほとんど人と擦れ違うことはなかった。

 ありえないことだ。街道は常に兵による巡回が行われる。その兵の姿も見えない。行商や、恒人メネルの狩人や冒険者すらいないのだ。

 道中、何度も魔物に出会い、そのたびに撃退したが、疲労の色が濃くなっていく。兵士による巡回が行われないことで、街道は安全ではなくなっていた。食糧は多めに持ってきてはいたからよかったものの、もし足らなくなれば血抜きもしていない魔物の肉を食すしかなかった。ウィルヘルムとリンドーは食べずに済んで安堵する。セッカとガーネルトムは気にしていないようだった。

 結局、五日かけて街道を抜け、大きな街に辿り着く。巨大な外壁には独特の紋様が刻まれており、それが魔物に対する忌避効果をもたらすようである。さすがに街に近付くにつれ、人々の姿も見え始めた。

 街には様々な部族の魔人デーモンたちが集っており、人種の坩堝ルツボと言っても過言ではない。魔人とひと括りに言っても、その外見は部族によって様々である。そして、部族は百では済まないほど存在する。魔人族からすれば、皆同じ姿をしている恒人メネル石人ドワーフのほうがおかしいのだ。

 幸いなことに門は解放されており、衛兵が立っていたが、呼び止められることもなかった。それはガーネルトムの存在が大きい。

 ガーネルトムはファンテラ族と言う豹の顔を持つ部族だが、その特徴はなんと言っても黒と黄色の斑毛様の美しい毛並みである。だが、美しいだけではない。ベルトリア大陸中央部の大きく豊かな森で暮らしていたファンテラ族は、魔物や他の部族と戦い、勝ち残ってきた。

 ガーネルトムには斑模様の毛皮はない。彼女は戦士の部族の中でもエリートに当たる、黒き戦士である。部族の中に時折生まれる黒き戦士は、闇に紛れる黒い毛皮に、闇を操る加護を持ち、生まれながらの狩人だと言われている。

 そういった話を知らない魔人たちも、ガーネルトムの姿を見れば、ひと目で強者だと理解するし、威圧的な黒い毛皮は、日の光で美しく波打ち、見る者を惹きつける効果がある。ウィルヘルムは老人のように小さくなってガーネルトムの影に隠れ、リンドーは元々が小さいので問題なく、セッカは傭兵らしく堂々と歩くことで門を通り過ぎた。ウィルヘルムたちは警戒していたが、衛兵たちは気にも留めていないようである。

 門を越えたところで都市が広がっているかと思ったのだが、広がっていたのは不気味な景色だった。

 何人もの農夫がそこで働いている。所々にある監視塔は、空からの魔物襲来に備えてある。それだけ見れば普通の田園のように見える。草が生え、実が生っている。その実の形が独特である。羊、豚、牛。植物の茎の先に突き刺さるように、家畜が実っている。


「バロメッツ農園。これが発展の理由……」


 リンドーが呟いた。セッカが少し笑う。バロメッツとは羊型の実が生る植物である。ベルトリア大陸には群生している個所もあり、魔人たちは栄養源として活用していた歴史がある。だが、栽培はしていなかったはずである。なぜならば、バロメッツを餌とする魔物が寄ってくるため、集落の近くで農耕するわけにはいかないからだ。


「不気味だけど、私は慣れました。傭兵だった頃に、食うに困って口にしたこともあるから、初めから抵抗がなかったってのもあるけど」


 バロメッツだけではない。パンのような実が生る木や、ソーセージにしか見えない果実が垂れ下がっているツタ。人の形にしか見えない花、などなど。知らない者が見たら発狂しそうな光景が、門を越えたところに広がっていた。


「襲ってきたりはしないのか」


 ウィルヘルムが訊ねる。セッカは頷いた。


「この門を越えたところに生えてるのは、襲ってきたりはしないです。だから、安全に収穫できる。魔王のおかげらしいですよ」


 この農園の植物は、野生であれば魔物である。不用意に近付けば、手痛い反撃を喰らうことになる。ウィルヘルムもこの植物たちを食べたことはあるが、味はお世辞にもおいしいとは言えなかったはずだが、その問題が解決できたのか疑問である。


「魔王を殺せば、この植物たちはどうなる」


 ウィルヘルムは当然の疑問を口にした。もし、この植物たちが一斉に暴れ出せば、少なくとも農夫たちは助からないだろう。それに隣り合わせた植物同士が殺し合いを始めれば、一気に食糧は減っていく。街の人間は喰うことができなくなり、多くの餓死者が出ることになる。


「さぁ、私も詳しくは……」


「お前さんがこの道を選んだ理由がわかった。この景色をわしに見せておきたかったか」


 セッカは振り向いて立ち止まり、ウィルヘルムを見つめた。


「一応、見せておきたくて。あなたの敵がどんな人なのか。もし、魔王が人を操って、多くの人を殺しているとしても、それより多くの人が生かされているかもしれないってこと。私は傭兵だから、これからのことに反対はしませんよ。ただ、なんで教えなかったと言われるのは嫌なので」


 よくもまぁ目端の利く娘だと、ウィルヘルムは内心で溜息をついた。こうやって長年生き抜いてきて、魔王軍に入り込んだのだろう。


(感情のまま魔王を殺しにかかれば、一生でも償いきれぬほどの罪を背負うことになるかもしれない。と言うことか……)


 レイリアルにもこの光景を見せてやりたかった。不気味に見える景色だが、慣れてくると色とりどり、様々な形の植物は目に楽しいものである。所々で枯れているものも目立つが、概ね良好な発育具合に見える。リンドーが目を輝かせながらウロチョロとするので、ガーネルトムは最後尾から彼女を追い立てるように道を急かした。

 農場を過ぎると、もうひとつの巨大な外壁門に突き当たる。そこには兵士の姿は少なく、外壁の上で遠くを見ている者ばかりである。

 この街の名をミルシダという。ここにあった村の名をそのまま使ったとのことである。ウィルヘルムはその村を知っていた。


(随分と様変わりしたものだ。最早、当時の面影すらないな)


 セッカによれば、この街はベルトリア大陸でも有数の食糧庫であるということだ。料理もおいしく、それが目当ての旅人も多い。近くには古代魔術師の残したアトリエがあり、そこから産出される宝物目当ての冒険者も多く訪れる。大きな市場で良好な経済を持つ街だという。

 街は活気に溢れているだろうと想像していた一行だったが、意外にも街は閑散としており、喧騒もなく、行きかう人々も疎らであった。


「どういうことだ。この辺りは行商でにぎわっているはずだが……」


 ガーネルトムが疑問を口にすると、どこからともなく飛んできた二匹の大きな羽虫が、ウィルヘルムの周りをクルクルと取り巻いた。キラキラと輝く鱗粉が宙を舞い、ウィルヘルムは手で振り払った。


「なんじゃ?」


「なんじゃ……なんじゃだって! フフフフ、どこの田舎者なの?」


「キャハハ、ホント! 旅人なんて遅れてる! 近頃の流行は引き籠りなのにねぇ」


 羽虫たちがクルクルと舞う。どう考えてもこの羽虫が喋っている。良く見ると、羽は確かに虫の薄羽だが、胴体は金色に輝く人型をしている。


「フェアリー? こんなものまで食うのか」


 ファアリーは魔物の一種で、小さな人の体に虫の羽を持つ。人語を介す知能があり、滅多に人前に姿を現すことがない。中には子どもの頃は視ることができるが、大人になると姿が見えなくなるといったまゆつば話もある。

 良く妖精エルフと混同されがちだが、それは恒人メネル族の黎明レイメイ期の魔物図鑑に、フェアリーは成長すると妖精になると記載されていたからである。不老不死で輝くような姿という属性が似ていたからだと言われている。現在では訂正されているが、未だに混同する者も多い。


「まさか。こいつらは勝手に住んでるだけですよ。ほら、こいつらの鱗粉は万病に効くから……」


 確かに鱗粉にはそのような効果があるという伝承もあるが、モントベルグ王国では使用は禁止されていた。外傷に塗ると固まって血を止め、内部の血行を促進して治癒を高める効果があり、痛みを取る。しかし、酩酊状態となり、効果が切れると痛みが増すので、依存性があると言われている。大量に吸引したりしなければ問題ない程度であるが、人の欲望というものはキリがないため、魔術協会の要望で、国が一律使用禁止にしたはずである。


「住んでる? 住んでんですけどぉ? これだからメネルの小娘はつまらないって言われるんだわ。死ねばいいのに」


「キャハハハ、ホント。惨めな毛のない体で、良く生きてられるね」


 毛がないのはフェアリーも同じだが、セッカは反論しても無駄だと知っている。無視して通り過ぎようとするが、ウィルヘルムがフェアリーに話しかけてしまう。


「引き籠りが流行だと言ったな。なぜじゃ」


「うわ。なんか話しかけてきたんですけど。キャハハ、キッモォ」


「田舎者の癖に、私たちに質問とか百年勉強してからにしてくれる? あ、メネルはすぐに死んじゃうから無理か。じゃあ、一生質問できないねぇ」


「こいつ……」


「やめろ、ウィル。こいつらは人を挑発して遊んでいるだけだ。相手にするな」


 ウィルヘルムの手が剣の柄に伸びたので、ガーネルトムが止めた。


「あら、こっちの仔猫ちゃんは随分と寂しがり屋みたいね。群れからはぐれて、メネルに懐くなんて」


「キャハハハ、だっさだっさ! 弱い上に、心まで負け犬なんてねぇ。あ、ごめん。負け猫だったわ!」


 今度はガーネルトムが剣の柄に手をかけたので、今度はウィルヘルムが止めた。リンドーが袖から砂糖菓子を取り出して放り投げると、フェアリーたちはそれを素早く受け取ると、クルクルと踊ってからリンドーの肩に飛び乗った。今度は打って変わって大人しくなると、懸命に菓子をかじっている。黙っていれば美しく可愛らしい生き物だ。


「この子たちは人の持ってる食べ物が欲しいだけだよ。こうやって飛び回れば、お菓子が貰えると知ってるんだ。ここの子たちは口が悪いみたいだけど……」


 リンドーがフェアリーの大きく膨らんだ頬袋を押すが、フェアリーは気にしていないようである。ガーネルトムはうすら寒そうな目でその様子を伺った。


「それだったら最初からそう言えば良いだろうに……」


 ウィルヘルムもリンドーの肩に乗ったフェアリーの頬をツンツンするが、フェアリーは気にしていない。


「それで……、どうして人が少ないの?」


 リンドーが訊ねるとフェアリーは口をモゴモゴさせるが、中にいっぱいに詰まった菓子で何を言っているんかはわからない。「とりあえず食べちゃおうか」とリンドーは彼らが食べ終わるのを気長に待った。


「……魔物狩りも傭兵もいなくなったから、旅なんてできないよ。兵士たちも他の街に行っちゃって、人手が足りないみたいだし。アタシたちもしばらく……ん、食べられてなかったから……」


 また食事を開始し、話は終わった。ウィルヘルムらは、なぜそうなったのか推察する。


「兵士たちは戦争に連れていかれたのじゃろうな」


「そうでしょうね」


 ウィルヘルムが言うと、セッカが答えた。ガーネルトムとセッカが頭を捻る。


「でも、どうして狩人までいなくなる。冒険者や傭兵はともかく。街道を見回る兵士とも擦れ違わないことは不思議だったが……」


「確か、狩人はやってくる貿易船に魔物の素材を売って儲けていたはず。港が封鎖され、船がやってこなくなれば、売る場所がなくなるのでは」


「でも、この街でも魔物の素材の買取はやっているはずじゃない? 農場の肥料にするために……」


 ウィルヘルムが口を挟む。


「農場の肥料? あの魔物の植物は、魔物の血肉を栄養にして育つのか……。だが、肥料に使われる部分なんぞ、素材として売れん部分だろう。二束三文にしかならんのではないか? 命懸けで肥料を取ってくるなぞ、狩人もやりたくはあるまい」


 兵士が足りなくなったことで、街道の完全が確保されず、旅人がいなくなる。旅人がいなくなると行商の護衛で食っていた傭兵は仕事を失う。船が止まれば他国への輸出で食っていた行商はいなくなる。行商がいなくなれば、それに物を売って暮らしていた冒険者や狩人もいなくなる。狩人がいなくなると、農場の肥料がなくなり、供給率は落ち込んでいく。

 まだ戦争が始まってひと月ほどだというのに、既にこれほどまでの影響が民に及んでいる。戦争は自国の経済になるべく影響が出ないように、準備してから行うものだ。これほどの都市を作った魔王が、こんな杜撰ズサンなことをするとは考え難かった。


(これでは魔王が何も考えていないみたいではないか。一体、どうなっておる?)


 ますます魔王の正体がわからなくなってきた。魔術の高度な知識に比べて、作戦はあまりに稚拙。自国の経済は一瞬にして破綻。魔王はこの状況を知っているのだろうか。


「とにかく、ここで話していても仕方がないですよ。宿に行きましょう。お腹も空きましたし」


 セッカは傭兵時代に何度かこの街に来たことがあるらしく、迷うことなく道を進んでいく。外壁はかなり整っていたのだが、街の中は複雑で、入り組んだ構造をしている。石造りの街並みは、道も何もあったものではなく、大通り以外は好き勝手に建てられた建物で覆われ、たまに民家の中なのではないかと思うような場所まで通って、セッカは進んでいった。ウィルヘルムたちは付いて行くのがやっとで、道を覚えることなどできはしない。


「どんな店なのじゃ」


「傭兵の集う店ですよ。ま、そういう宿の中では比較的治安の良い方です」


 セッカが辿り着いたのは、フォークとナイフそれとベッドが描かれた看板の店である。隣の家と隙間なく建てられているので、どの程度の規模の店なのかは外観からは測りかねる。食事処兼宿泊施設であるらしい。こういうところは恒人メネル族の文化を真似しているようである。宿の利用者は恒人が多いから自然とそうなるのだろう。

 宿の中は外観と同じく良くわからない構造である。入口を開けると階段があり、狭い通路を抜けてようやく店の中に辿り着ける。本当に入って良い場所なのかも怪しく感じる。通路には何個かの扉があり、どこに入れば良いのかわからないが、セッカは躊躇なくそのひとつを開けた。

 そこには薄暗く窮屈な店内と、バーカウンターがあり、ウィルヘルムたちを出迎えるひとりの店員が、そこで暇そうに寛いでいた。

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