二 人魚の木乃伊
「──庵主の
その鄙びた漁村にある久遠寺という尼寺へ着いた此木戸と甘沢は、まだ若く美しい尼僧に出迎えられた。あの写真に写っていた尼僧である。
「はい。O.P.Aミュージアムの学芸員、此木戸といいます」
「同じく甘沢です」
寺務所の玄関で挨拶をするその庵主に、二人は名刺を差し出しながらそれぞれに名を告げる。
「O.P.AとはOrient Place Artifacts──即ちオリエント地域工芸の略です。我々はアジアを含む東方の伝統的工芸品を収集・研究することを目的としており、そこでこちらの人魚にも興味を抱いたという次第です」
続けて此木戸は、自分達が当地を訪れたその用向きもその流れで付け加える。無論、社会人の常識としてすでに電話でアポはとっているが、詳しく説明するのはこれが初めてだ。
「
「……わかりました。それでは本堂の方へ」
本物の人魚として伝わる寺の秘宝を、暗に偽物の工芸品と疑うようなその言動。気を悪くしてごねられるかとの懸念もあったが、庵主は思案するかのように一拍置いた後、淡々とした口調ですんなりそれを承諾してくれる。
「ありがとうございます。あちらですね?」
此木戸達は頭を下げると、寺務所から出てきた庵主の後について、となりに建つ本堂の方へと向かった。
久遠寺は、寺といってもさほど大きなものではない。むしろ
建物も新しくはなく、藁葺きの屋根を赤いトタンで覆った、よくある田舎のお寺といった感じである。
よほどのオカルト通でもなければ、こんな所に人魚のミイラが存在するとは思ってもみないであろう。
だが、此木戸達が短い木造の階段を昇り、靴を脱いで畳敷の堂内へ足を踏み入れると、そこには確かに人魚のミイラがあった。
本尊の如意輪観音を祀る仏壇の脇、分厚い座布団の上に置かれ、ガラスケースに覆われてそれは鎮座している。
寺宝ではあるが、どうやら秘仏のような扱いではなく、常にこうして普通に公開されているものであるらしい。
「ほう。これがそうですか……」
「確かに人魚ですね……」
此木戸と甘沢は本尊に手を合わせた後、そのガラスケースの中のものをまじまじと覗き見る。
それは、他の場所に伝来する有名な同種のものとだいたいの部分で類似していた……。
全長は赤ん坊ほど。上半身は確かに人の形をしており、下半身は鱗を持つ、まさに魚の尾っぽみたいな形状をしている。ただし、ムンクの「叫び」の如く歪んだ顔に動物らしい眼玉はなく、眼窩は黒い膜で覆われてサングラスをしているようにも見える。
また、このサイズからして猿の可能性も考えられるが、そのわりにカラカラに乾いて劣化した皮膚に体毛らしきものは一切見当たらない。これがもし天然のものであるならば、まったくもって未知の生物と言わざるをえないだろう。
「想像していた以上に興味深いですね……できれば専門の施設でより詳しく科学的な調査を行いたいのですが、お借りすることは可能でしょうか?」
許可を得て、さまざまな角度から何枚も写真を撮った後、さらに突っ込んだ要求を此木戸は口にする。
「この人魚は当寺の開山(※寺の創始)にまつわる大切な品。たとえ学問のためとはいえ外へ持ち出すことは憚られます」
だが、さすがにそれは図々しかったか、表情一つ変えない庵主にきっぱりと断られてしまう。
「あのう、それではほんのちょこっとだけサンプルを採取させていただくなんてことも……」
「以前、大学の先生からそうした相談を受けたこともございますが、やはりそれもご容赦願いました」
それではブツを動かさず、組織分析だけでもできないものかとダメもとで甘沢が訊いてみるも、やはり許可はしてくれないみたいだ。
「そうですか……では、当寺に伝わる八百比丘尼伝説や開山にまつわる古文書などはございますか? もしあれば拝見したいのですが……」
これ以上のゴリ押しも無駄なようなので、此木戸は何か思うところがある様子でその要求を変える。
「承知いたしました。そうしたものは
「ありがとうございます……ああ! そうだ甘沢くん。君は
すると今度はすんなり聞き入れてくれたのだが、ともに庵主の後を追おうとした甘沢に対して、突然、此木戸は妙なことを言い出し他。
「例の件……あ、ああ!
それに最初はキョトンとした顔の甘沢だったが、わずかの後に何かを察すると、此木戸の話に合わせて二人から独り離れてゆく。
「ああ、彼女には別の仕事があるんで気にしないでください。ささ、私達は古文書の調査の方を」
その不自然な行動に、庵主は若干怪訝そうに小首を傾げていたが、愛想笑いを浮かべた此木戸は、彼女の気を逸らすかのようにしてそう促した──。
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