9. でも、間違いなく神には近いね【2/7】
ついついノートを読み返しちゃったせいで身の回りの大掃除は予定より大幅に遅れた。夕方四時を回ったところだった。もうあと数時間で今年が終わる。今年の大晦日は和崇兄さんが旅行、正嗣兄さんがお世話になっているライブハウスの年越しイベントにバンドで出演するとかで二人とももう家にはいなかった。恵媛は家にいるのかいないのかわからない。よく部屋にこもって本を読んでいるから夜ご飯まで姿をまったく見かけないということもざらだった。
リビングに行くとおばあちゃんがダイニングテーブルに座って編み物をしていた。大人たちは大掃除なんて数日前に済ませている。大晦日や元旦はひたすらゆっくり過ごす。
「あれ、おばあちゃんだけ?」
「みな出かけはったで。お父さんはいつものお仲間や。今年はお母さんもちょっと顔出すって。そのあと年越し蕎麦買って先帰ってくるって」
「おお、お母さんまで」
お父さんのいつものお仲間というのは高校時代の友人たちだ。何かにつけて飲みにいく。大晦日はみんな仕事が休みだからなのか昼間に集まり、夕方には解散してそれぞれの家庭へ帰る、というのが恒例行事になっている。お母さんがそこに参加するというのは珍しいことだが二人が結婚する前だとか付き合うようになってすぐとかってくらいの大昔にもお父さんの高校時代の友人たちは周りにすでに存在しているわけだから、ちゃんと彼女として紹介したり結婚をみんなから祝ってもらったりしてきたはずで、おれからしたら物心がついたときからお父さんは高校時代の友人に会いにいってる人だが実際の歴史はそんなもんじゃなくもっともっと長い。途切れていなければ四十年近く遊んでいるってことになる。一体何を話しているんだろうと思う。親世代の男たちが何十年も定期的に遊んで過ごすのは冷静に考えてみると想像を絶することだ。小学校と中学校で友達のメンツだって微妙に変わったおれにとっては来年から始まるであろう高校生活でお父さんのように卒業後もずっと付き合い続ける友達ができるようなイメージはやっぱりできないのだった。
「今日はぼく、蕎麦食べたら出かけるから。初詣行くんで。前にも伝えたと思うけど」
「ああそうかそうか」
おばあちゃんはぐうーっと前屈みにおれのほうへ顔を近づけて、「例の、カノジョやな」
と小声で言った。誰に聞かれているわけでもあるまいに、と思いながらおれは、
「そうそう」
と平然を装うが、やっぱり家族に「付き合っている女の子がいる」と伝えることにはどうしても、既出と言えども改めて、今日もまた新鮮な気持ちで照れてしまうのであった。
おれの知る限りこれまで小村家の四兄妹から恋人がいるという事実が本人から発表されたことはない。もちろん家族に黙ってそういう相手がいることはなんも不自然でなく、できればおれだってそうしたかった。だが付き合っている
おれたちの担任の小沢先生という人もそうで、三十半ばだがふつうにしていても大学生みたいに見える。服装が若いというのもあるが表情豊かで笑うと子供みたいになる。めっちゃめちゃ剛毛の髭面だというのに! 担当の教科は美術で、職員室での評価は知らないけど生徒人気はかなり高い。この先生は「スタ中 卒業ライブ」の主催者でもあった。
五年前正嗣兄さんはこのイベントでライブハウスデビューした。小四だったおれは和崇兄さんに指示されながらカメラを持ってちょろちょろ動き回ってライブを撮影した。正直、前のほうでじっくり観たかったから当日は不満もあったのだが、あとになってスミエダさんたちができあがった映像に感激して何度もお礼を言ってくれたからその時点で不満は解消された。
その日の小沢先生は今よりさらに若々しくて髭もなくて、「小村のお兄さん、弟さん、お二人は出演バンドのスタッフさんなんでこちらをどうぞ」と開場前に声をかけられ、おれたちはシールを二枚渡された。バックステージパスってやつだ。これがあれば楽屋にも入れるからドキュメンタリー作品を撮ることが目的の和崇兄さんは喜んだ。おれはなんだか仕事してるみたいでテンションが上がった。着ていた黒いパーカーの右裾にそいつを貼り、仕事が始まるまで少し緊張しながら、ダンスや漫才のパフォーマンスを観る。初めて体感するライブハウスのでかい音に面食らいつつも、観ながら何度も右裾のパスを見ては指でそいつを撫でてうっとりしていた。
正嗣兄さんのライブが終わってからも小沢先生は「お疲れ様でした」とやってきて、和崇兄さんはどっか行ってておれはカメラ片手に所在なく突っ立ってたからか、「撮影はどうでしたか?」と声をかけてくれた。「あ、なんかよくわからんうちに終わりました。初めての撮影やったから」おれは緊張して答えた。「ははは、でも素材がたくさんあれば編集大変ですけどきっといいものができますよ」にこにこしていた。おれは、この人めっちゃかっこいいな、と思った。小学生相手にもスタッフとして丁寧に迎えてくれて始終敬語を使う。こんな大人もいるんだ、と衝撃を受けた。
帰り際、出口のところで和崇兄さんが店長の人にお願いしていたライブの「ライン録音」ていうCD-Rを受けとるために待っていたとき、小沢先生が現れて、今度はおれから声をかけた。
「あの、今日はありがとうございました。これ」
と右裾を引っ張ってバックステージパスを指す。
「ああ、いえいえ。お疲れ様でした。次、春から小学何年生ですか?」
「五年生です」
「あと二年で中学生か。もし洲田原中学に入学するのであればそのときはよろしくお願いします、と思いまして」
おれはそんな先のことはあまり考えたことがなかったが、大人と同じように対応してくれた先生からそのように言われたことが嬉しくて、
「行きます。スタ中絶対行きます。お願いします!」
と言った。
「おおお、即答が嬉しい。では、小村たちが卒業してさみしいけど、二年後楽しみにしとくわ! そのときまで元気でな!」
とスタ中入学宣言をした途端イベンターとスタッフじゃなく教師と生徒の間合いになったのがおもしろかった。「とか言っといて、おれが二年後スタ中転勤してたりして」
と小沢先生は続けた。緊張が解けていたおれは笑う。同時に先生も笑い、友達みたいな感じもしたのは先生がきっと子供のときからこんな笑いかたで、擦れずに、て言うかブレずに大人になったからだと今は思う。小沢先生は転勤することなくあの頃と同じ調子で「スタ中 卒業ライブ」を継続していて、あれから五年経ったおれらの代でも開催予定だ。
純真さというものは大人になっていくうちにどこかで喪失するものだ、というのはこっちの思い込みだったらしい。当然失わないためには物事に対してセンスのいい捉えかたをしなければいけないんだけど、まずはそのことに自覚的でいることが第一条件なんじゃないか。それは自分が大人側に回ってからじゃないと確かなことかわからないんだけど、人生、というものを一つのまとまりで捉えようとすると反射的に、そんなものは最期にならんと判定できんやろ、という反発が起こる。でもどういう風に育ってどういう人間として生きるかは「人生」とは関係ない。人生の本質は本当はいつだって常に感じることができる。全然死ぬときやっとわかるみたいなまとめの話じゃなくて、もう始まっていて今考えているこれのことなんだ、今感じてるこのこれが、「いつか」だと思い込んでいた未来の一部分だし未来を思い描いているのは「今」なわけだから、いつかというのは全部今で、過去とか未来とかもそのときそのときの「今」のなかにある、現在地点に全部ある。小沢先生はそれを体現しているかのようだ、とおれは感じていた。他の生徒たちも先生の子供っぽい笑いかたや軽いノリに親しみやすさは感じているだろうけれど、おれからしたらそれだけではなくてちょっと畏れ多い、近づくほど慎重に接したい相手というか、機嫌を損ねるようなことはまずしたくないし、尊敬していることが誇らしい存在、初めて真似したいと思った大人、というか、師匠? まぁ正真正銘の恩師なのである。
9.【3/7】へ続く
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