3. 割食う役割【1/3】

 もうすぐ夏休みだ。

 誕生日プレゼントで買ってもらったギターで好きなバンドの曲をコピーしまくる予定。あとは映画を観まくって、漫画を読みまくって、お菓子を食べまくる。

 洲田原すたはら中学を出て左がうちへと続く道だけど右へ行ってみる。よくこうやって回り道や寄り道はしている。人生は回り道の連続らしい。じいちゃんが言っていた。回り道そのものが人生だと。

 最初の角を左に折れると駄菓子屋「にしぐち」が見えてくる。

 ここは小学生のときよく行った。原崎とタナケンとヨッさんと吉岡といつもいた。吉岡とは今でもたまに行く。

 原崎とタナケンは中学に入って疎遠になった。小学校時代の塾が一緒だったときから思ってたけど原崎は他校の連中とつるんでいてそっちのほうがウマがあったみたいだった。今では校区外を縄張りにしてそいつらと不良に染まっている。

 タナケンと疎遠になったのはなんとなくだ。今のタナケンは男女混ざったグループで楽しくやっている。こんなことになるってわかってたなら、家に遊びにいったりしてたあの頃にもっと田中さんと喋っていればよかった。

 タナケンの双子の妹 田中さんは今は学業を優先して活動は一切していないが子供服のモデルをやっていた。別に有名人ってわけじゃない。小学生のときにたまたま見つけたのだ。ネットでモデルのかわいい子を検索していたら出てきた。タナケンに聞いたら「あーそれ、のり子やわ。よう見つけたな」と言われた。急に恥ずかしくなってきて「たまたまな。親が弟たちの服見てたから」と返した。結局田中さんとは一度も同じクラスにならず、家に行ったときの「お邪魔します」と「お邪魔しました」しか言っていない。だから喋ったことにすらなっていない。

 ヨッさんと吉岡は今でも喋るけど、二人とも引退試合が近いからとりあえず遊ぶ約束もなく、夏休みの予定は白紙だった。

 駄菓子屋「にしぐち」を通りすぎ、住宅地の路地を真っ直ぐそのまま大通りまで出ると、角に平井商店がある。中学生になってからはこっちに来ることが増えた。スタ中が買い食い禁止だというのを見回りの教師から聞いたのか、最近は「にしぐち」に制服のまま入ると追い出される。平井商店は何も言わない。

 ここは個人経営のコンビニみたいなもので、この街にコンビニができるよりもはるかに昔からあった。誰に確認したわけでもないけどそうに決まっている。建物はものすごく古びた二階建てで、一階の店内は薄暗く、陳列棚やマジックペンで書かれた黄色い値札は黄ばみが進行しすぎててなんかもう茶色っぽい。二階は多分家なんだろうけど二階だけ綺麗で明るいなんてことはあるわけがない。見たわけじゃないけどそうに決まっている。外壁のコンクリートはところどころひび割れていて、刷毛で「平井商店」と力強く書かれた無骨な看板は塗装がハゲた部分は錆びているし注意深く見るとやや右下がりに傾いている。で、看板が傾いているせいでそう見えるのかと思ってたけど、多分建物も少し傾いていた。

 この雰囲気はここにしかなかった。

 他で見たことがないから、それだけで値打ちがあるような気になってくる。

 店番はばあさんかおっちゃんで、おっちゃんは多分ばあさんの息子。ここでよくお菓子とジュースと漫画雑誌を買って帰る。この先にも家の近所にもコンビニはあった。コンビニはどこにでもあるけど平井商店はここにしかないから平井商店で買う。コンビニで払った金はすぐに社会の仕組みのどこかへ消えてこっちからはその行方を見失い、平井商店に払った金はそのまま店の売り上げになってこの家、平井さん一家の収入にダイレクトに繋がる、そんなイメージがある。経済のことは習ってないし興味もなかったからそれでよかった。それにこの店に立ち寄る理由は全然別のところにある。ここで学校帰りに買い物をする生徒は自分だけだろう、このレトロな感じの雰囲気が渋さとしてわかる人間はそういないだろう、「自分だけが知っている」という優越感を味わっているのだ。


 平井商店を出て大通りを渡るとその先に公園があって、こっちから歩いてきた場合そこを通るコースのほうがショートカットになる。早く家で漫画が読みたかったから公園へ入ると、グラウンドのほうに正嗣と澄治がいた。背中しか見えないけど兄弟だからわかる。昔から公園によく現れる竹とんぼおじさんに竹とんぼの飛ばしかたを教わっていた。正嗣がもっとずっと小さかったときにあんな風に公園に連れていった記憶がある。正嗣自身も憶えていて澄治と来たのかもしれない。正嗣は今年小学五年生になって前よりいっそう弟や妹の相手をする時間が増えた。

 何か思うところがあったのか他にも変化はあって、やたらと本を読むようにもなった。

 父さんや死んだじいちゃんの古い本、分厚いハードカバーでも文庫本でも家にいるときは何かしら正嗣は持ち歩いて、晩ご飯が終わったら食卓に座ったまま読み耽ったり、ソファーに移動して寝そべって読んだり、寝るときも枕元にある小さな電灯を薄暗く灯して読んでいる。多分ほとんどが小説だと思う。それも、中学生にだってまだ早いんじゃないかっていうムツカシそうなブンガクなのだ。

 文庫本なんか古いやつは紙の変色度合いがすごくて、リビングのコンポの隣の本棚の父さんの本は黄ばんでいる程度だけど、ばあちゃんの部屋にある、じいちゃんが生きているときに買った本なんかはもう、平井商店の値札なんか目じゃないくらい茶色くて、背表紙は上も下もぼろぼろで角がなくなってるし、嗅ぐとなんか焦げたような匂いがする。それらは遠い昔の、やっと走り回れるくらいに成長した正嗣を連れて家のなかを隈なく探検したときの記憶だ。ただでさえムツカシそうなブンガクだし、そんな大昔の本というのは漢字とか言葉遣いとかも今とはだいぶ違ってるだろうからいちいち調べたりしなくちゃならんだろうし、それだけで集中力がもたなそうだ。

 下の弟の澄治は来年小学生だけどしっかりした奴で、小村家で一番地頭が良さそう。あとホントに兄弟か? と思うくらい顔がかわいい。小村家で一人だけ目がぱっちりしている。澄治だったら子供服のモデルにもなれるんじゃないかと思う。その澄治も正嗣に影響されて本を読み始め、それを真似て恵媛も最近熱心に絵本を読むようになった。もちろん下の二人は年齢に見合った本を家のなかから見つけてきたり親に買ってもらって読んでいるのだが、澄治くらいの頃はもちろん、正嗣と同じ年齢だったときも、自分は本なんか読もうと思わない子供だったから、知っている物語なんて国語の授業に出てきたやつくらいで、なんか自分だけ違うのがおもしろい。おもしろいと言っても愉快なわけではなくて、晩ご飯のあとのこの、それぞれが本を読みだして、父さんも「懐かしいな」とか言って自分の本を読んで、家のなかが図書室みたいな、ページをめくる音しかしない時間帯がたまにあるそれに居心地の悪さみたいなものはあった。下のみんなが幼いうちから自分が疎かにしてきたそっちの感性をどんどん養っていってる、的な焦り、と言えばいいのだろうか。

 そういう変な比べかたをしてしまうのは母の価値観が影響しているからなんだろうか。

 あの人はわかりやすく「学生たるもの学業最優先」という図式でしかモノを見てなくて、口を開けば勉強勉強だ。父さんが放任主義なところがあるから、夫婦で衝突しない代わりに勉学を促すのが自分の役割という気持ちなのだろう。

 しかしこっちにも限界というものはある。

 こないだだって父さんと喋っているときにギターに興味がある、と言ったら息子の成長を感じたからなのかとても喜んで、買ってくれと頼むより先にネットで初心者用のスターターセットを注文してくれた。その場のノリと言えばそうなんだけど、一応親としての父さんの考えもあるわけで、確かに何も相談なく決められたらムッとするのはわかるが、数日後届いたギターを見て母は激怒した。この夏が正念場だというのに、という、高校受験の時期だったのが良くなかったみたいで、父さんもこればかりはさすがに言い返せずにいて今でも母から小言を浴びせられている。

 勉強は正直そんなに好きじゃないから、どっち側につきたいかと言われれば父さんに決まっていた。だけど小学五年からずっと週に二回も塾に通っているし、宿題だってこれまで一応サボらずやってきた。母に認められたいという気持ちも最初はあるにはあったから、言うことは聞いていた。だけど塾に行くことで成績も上がっていき、それがだんだん当たり前になると要求がエスカレートして「テストで何点以上取れ」だの、「いい大学に行くためには今から勉強する癖をつけろ」だの、「誰それとはあまり遊ぶな」だの、ちょっと履き違えてきたから、

「そういうのは勉強に向いてる奴に言えや!」

 とそれまでは聞き流してきてたけど去年の冬に一度爆発して大声で言い返した。

「口ごたえしなさんな!」

 と怒鳴られて、さすがに腹が立ったから家を出て、その日はそのまま帰らないでおこうと外をほっつき歩いていたら父さんから電話がかかってきた。

「ちょっと母さんも頭に血が昇ってたみたい。父さんから注意しといたから帰っておいで」

 と言われ、確かに自分は悪くないから自分が出ていくのもヘンな話だ、と思い直し、家出をしてからおよそ三十分で帰った。

 帰ると母と父さんとおばあちゃんがダイニングテーブルに揃っていた。



3.【2/3】へ続く

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