第30話 継承式の断罪

広間の空気は、重く、張りつめていた。

「マチルダ、王の延命を施すのよ。何としてもね」

王妃の命令は、もはや懇願でも願望でもなく、冷酷な命令としてマコ……、聖女マチルダの胸に突き刺さった。


ここで「できません」と言えば、どうなるか。

王は死に、ルーク王子の呪いを解く機会は永遠に失われる。民衆の信頼も崩れ、この国全体が大混乱に陥るだろう。


そして何より、マチルダが周囲が望むような「聖女」ではないと知れ渡れば、存在は完全に否定される。


「……承知しました」

声が震えそうになるのを必死に抑え、マチルダは王の枕元に膝をついた。


アルベール王の顔は蒼白で、唇は青紫色に変色している。胸の上下は浅く、今にも途切れそうだった。

マチルダは震える手を王の胸に置き、深く息を吸い込んだ。


祈りとともに魔力を注ぎ込む。

全身をかけめぐる魔力が、血液となって流れ出すように、王の体へと注ぎ込まれていく。


胸の奥が焼けるように痛んだ。吐き気、めまい、そして血の気が引いていく。爪が自分の掌に食い込み、血がにじんでも聖女マチルダは王の手を離さなかった。


「聖女様……!」侍女が悲鳴を上げた。

マコの頬を汗が伝い、唇から一筋の赤い血が垂れた。


だが、アルベール王の胸の上下は一向に変わらない。むしろ先ほどよりも浅く、弱々しい。

その様子を見ていた貴族たちの間に、不安のざわめきが走った。


「効いていないのではないか……?」

「これが聖女の力なのか……?」


そのざわめきを、ひときわ鋭い声が切り裂いた。


「――偽物だ」


広間の奥から、ウィリアムがゆっくりと歩み出てきた。

黒衣をまとった彼の姿は、まるで死神のように冷たい。


「この者はは偽りの聖女だ!見ろ、王に何の変化もない。むしろ弱っているではないか!聖女ならば王を癒すはずだ。だが、この者は祈って見せているだけで、実際には王をさらに衰弱させている!」


「そんな、違います!」

マコは必死に声を上げたが、その声は群衆の動揺にかき消される。


「偽者……?」

「本物なら王を救えるはずだ……!」

「聖女ではないのか……?」


広間にいた貴族や民衆の視線が、一斉にマコへと突き刺さった。好奇の眼差しは、いつしか非難と恐怖に変わっていく。


――私は偽物なの?

魔力を使い果たし、体が震える。


「騎士たち!」

ウィリアムの冷酷な号令が広間を支配した。

「この女を捕らえよ!」


瞬間、数人の騎士が動いた。


「やめろ!」

その前に立ちふさがったのは、騎士団長ローガンだった。

広間の視線が、一斉に彼へと注がれる。


「ローガン殿……何のつもりだ?」ウィリアムが眉をひそめる。


ローガンは短く息を吐き、マチルダの前に立った。


「この場で軽々しく断じるべきではない。王が危篤の時に、聖女を捕らえるなど混乱を招くだけだ」


「今の状況を見て何を言ってる!」

ウィリアムが再び声を張り上げた。

「捕らえよ!」


躊躇っていた騎士たちも、ついに聖女へと殺到する。マチルダは力なく引きずられ、手首に冷たい鎖がかけられた。金の腕輪に鎖がぶつかる音がした。


必死の叫びも、誰も耳を貸さないのは分かっていた。マチルダはただ黙って、捕らえられた。


広間は沈黙に包まれ、人々はただ、捕らえられていく聖女の姿を見つめるだけ。その視線は冷たく、無情だった。



「よく耐えたな」

すれ違いざま、鎧姿のレオンにローガンが低く声をかけた。


「……何があっても動くな。耐えろ」

それは昨夜、二人きりで交わした約束だった。


レオンは奥歯を噛みしめ、広間の光景を見据えていた。目の前で、マチルダ――いや、マコが確かに捕らえられていく。人々の視線は冷たく変わり、さきほどまで讃えていた言葉は、今や嘲りへと姿を変えている。


胸の内に重いものが沈む。声を上げるか、剣を抜くか――衝動は簡単に湧き上がる。短い間に何度も選択肢が行き来し、そのたびに理性が必死に手綱を引いた。だが今、ローガンがここにいるのだ。指示がある。動けば、計画は瓦解する。


レオンは手の中で革手袋をぎゅっと握った。爪先に力を入れすぎて、血の色まで見えそうになったが、その音すら──静かに飲み下した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る