第27話 再会

城内の廊下は静まり返り、夜の闇に石造りの冷気が漂っていた。行燈の光が壁に淡く揺れ、影を長く落とす。ローガンとレオンは、王妃の護衛として呼ばれ、控えめながらも確かな緊張感を胸に、重い扉の前に立った。


「ここか……」ローガンは小さく息を吐き、扉に手をかける。その手の動きには迷いがなく、経験と自信がにじんでいた。


レオンは彼の後ろで立ち、肩越しに覗くように視線を走らせる。兜の下、胸の鼓動は少し速くなっていた。お飾りのように、部屋の入口付近に配置される役目――だが、肩にずっしりと伝わる重みは単なる儀礼ではなく、守るべき者の存在感だった。


扉を押し開けると、王妃の部屋の奥から淡い光が漏れ、祈りの場として整えられた空間が広がる。祭壇のような設えに、祈りの光が静かに漂い、神聖な空気をまとっていた。


祈りの光が消えると同時に、マコの膝がぐらりと崩れた。大広間の空気が一瞬で凍り、誰もが息を呑む。


「聖女を我が息子ルークの婚約者とする」

そう言って、王妃はルークの呪いを解くようマチルダに指示した。


ふらつくマチルダを横目で見て、「運べ」――王妃の声は冷たく命令的だった。従者たちが動き出す。

ローガンは素早く一歩前に出る。彼の視線がレオンを捉え、短く合図した。


「お前が担げ」


レオンは無言で前に進み、ふらつくマコを受け止める。そこに集まる視線のすべてを背中で感じながらも、熱と重みは、肩の内側にあるマコだけのものだった。


「式には間に合うようにして」


こんな使われ方をして、彼女を単なる道具扱いする王妃に、レオンは奥歯を噛みしめた。


城内の廊下を抜け、石造りの曲がり角を曲がるたびに、マコの体が小さく震えるのを感じる。部屋の前まで運び終えると、ローガンは扉を固く閉じ、素早く周囲に防音の結界を張った。


「二十分だけだ。外には聞こえない」


ローガンの低い声が、部屋の中に柔らかく落ち着きとして広がる。外の喧噪は、まるで別世界の出来事のように消えた。


レオンはソファに横たわらせるようにマコを抱え、その細い身体のすべてが自分の腕に委ねられていることを確かめる。彼女の頬は熱く、唇は血色を欠き、まつげには小さな光が宿る。震えを抑えられない小さな声が、胸の奥を刺した。


「遅くなって、ごめん。怖かっただろ」


ローガンが肩越しに言ったその言葉は、不意に優しく、遅すぎた慰めのように響く。


「離れていたのは、たった一日だったんだ」

レオンの言葉には焦りが混じる。しかし、レオンには、マコがどれほど長い間孤独を抱えてきたかが伝わってきた。


兜を外すと、汗を流したレオンの顔が現れる。伸びた髪が頬に張り付く。焦り、不安、慈悲が空気感となってマコに伝わった。


「レオン……レオンなの?」


マコはレオンの姿を見るや否や堪えきれず、こぼれるように泣き出した。

「わかってるの……この力を使うたびに、私の大切にしてきたものが、……消えちゃうの」


嗚咽に混じる言葉は、胸を刺す。祈りの代償は記憶の欠落。大きな光を放つたび、彼女の中の何かが蒸発して消えていく恐怖を、誰よりも知っているのはマコ自身だった。


「家に、……帰りたい。帰りたいよ」


その言葉が静かに迸る。前世の匂いをたどるように、子どもたちの笑い声や台所の湯気、夫の声が胸をかすめる。しかし次の瞬間にはそれがすべて薄れ、消えてしまう。


「消えちゃう、忘れちゃう、やだよ……」


レオンは息を呑む。胸の奥に押し込めていた思いが、一気に露出する。森の小屋の灯り、ジラの笑い声、あの日常――それは彼女が望む「家」ではないと理解している。だが今、彼女が望むなら、どんな嘘でも与えたいと心の底から思った。


「帰ろう」


レオンの声は低く、確かな約束だった。

「帰ったら、俺がスープを作る。とうさんが教えてくれた味で」


マコの瞳に一瞬、光が差す。彼女は首を小さく振り、言葉にならない涙をぬぐう。


(その味が、あの家の味でないことは俺も分かってる。未来のことも。でも、それでもいいんだ)

レオンは心の中で呟くだけで、口には出さなかった。


ゆっくりと、レオンは片手でマコの頬を包む。掌の温もりが、かすかな安らぎを運ぶ。


「いいか、今はここにいろ。俺が護るから」


その言葉は宣言でもあり、願いでもあった。マコは顔を上げ、震える目でレオンの顔を見つめる。彼の目には怒りや焦燥、そして秘めた優しさが交差している。どうしてこんなにも自分を守ろうとするのか、彼女には分からない。だが胸の奥のどこかが、ふっとほどけるのを感じた。


レオンはそっと額を寄せた。冷たい石の匂いが混じる城の空気の中で、ふたりの呼吸が近づく。


「祈るよ」


レオンは囁くように言った。声は震え、だが真摯だった。


マコは目を閉じ、小さく頷いた。二人の眉間が触れ合い、指先が絡まる。言葉にならない祈りを交わすように、互いの存在を確かめ合った。


唇が触れそうな距離まで寄せ、レオンはためらいを見せた。行かねばならない現実と、離れたくない気持ちの狭間で、彼の手はわずかに震える。


「時間だ」


ローガンの低い声が背後から告げる。結界の持続時間が尽きる合図だった。


マコは小さな震えをのんで目を開け、レオンを見上げる。涙が零れては、落ちる。


「マコ、マコ、泣かないでくれ」


レオンの声は切実だった。彼は自分が何をしているのか一瞬分からなくなるほど、ただ彼女の痛みを消したかった。


白く、世界が輝くように視界が滲んだ。レオンの唇とマコの唇が、お互いを確かめるように触れ合った。軽く、何度も、触れるか、触れないかの距離を保ちながら、友の境界線が消えそうな距離だった。

二人は言葉を失い、ただ存在を確かめ合った。


これじゃ駄目だよな。レオンは我に返る。そっとマコから離れると、時間は無情にも戻り始めた。ローガンが静かに扉を開け、城の夜の音が再び流れ込む。


「行くぞ」


ローガンは無言で合図を送り、レオンはぎゅっとマコを抱き直し、部屋を出た。廊下に出る瞬間、レオンはもう一度だけ振り返る。部屋の中で、マコは小さく微笑んでいた。

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