第26話 ウィリアム
王都全体が沸き立っていた。
第一王子ルークの正式な王座継承式が行われるとあって、城下の大通りには旗が翻り、金色の花弁を模した紙吹雪が舞っている。
屋台の香ばしい匂いが漂い、楽団の笛と太鼓が軽やかに響く。
その喧騒の裏側で、静かに動く者たちがいた。
ローガンに呼ばれ、レオンは再びリィの研究室を訪れていた。
磨き込まれた机、窓際に積まれた薬草と魔導具。
硝子の器に青白い液体が揺れ、明滅する魔石が影を映している。
そんな静謐な空間の中、ローガンはいつも通り無駄のない声で告げた。
「レオンは鎧を纏えよ」
差し出されたのは、黒鉄の全身鎧――漆黒の胸甲に銀の紋章が刻まれ、戦場よりも儀礼を思わせる造りだった。
革の内張りが丁寧で、手入れの跡がある。
レオンは静かに腕を通し、留め具を締める。金属の節が軋むたび、低く鈍い音が部屋に満ちた。
重さは体に沈みこみ、呼吸をするたびに胸当てがきしむ。
それでも、どこか懐かしい。戦場に出るときのような緊張が体を走った。
「今顔を割る訳にはいかないのだ、聖女を見ても耐えろよ」
ローガンの声は鋼のように冷たかった。
レオンは兜を手に取りながら短く答える。
「わかってるさ」
その言葉の裏に、抑えがたい想いが潜んでいた。
今すぐにでも――彼女を連れ戻したい。
恋人でも家族でもない。
だが、孤独の中で生きてきたレオンにとって、マコはひだまりのような温もりそのものだった。
彼女の笑顔を思い浮かべるだけで、胸が締めつけられる。
その優しさを思うほど、今この鎧が冷たく重く感じられた。
「君に渡したいものがあるの」
リィがそっと近づき、小瓶を取り出した。
透明なガラスに、淡い光が渦を巻いている。
それを紐で結び、レオンの首にかけた。指先がかすかに触れ、瓶の中の光が揺らめく。
「これは記録瓶(メモリーフラスク)。音や気配、魔力の流れを記録できるの。あなたの見たもの、感じたものを――後で再生して確認できるわ」
「記録……?」
レオンは首元を見下ろした。
小瓶の中の光は、まるで心臓の鼓動と共鳴するように淡く点滅している。
「不思議と、心が落ち着くな」
「それは君自身の魔力を映しているだけよ。……今日の任務を終えたら、私のところに来て。ハムサンドを作ってあげるから」
レオンは小さく笑みをこぼした。
その微笑みにリィもほっと息をつき、光の瓶が二人の間で小さく瞬いた。
鉄の重みが、ほんの少し軽くなった気がした。
やがてレオンは兜を被り、顔を覆う面頬を下ろした。
視界が狭まり、音がこもる。だが、不思議と恐れはなかった。
ローガンの黒い外套が翻る。
レオンは無言でその背に続いた。
――城の裏門。
そこは警備が薄く、儀式準備の人員で慌ただしい。
騎士たちが荷を運び、神官が祝詞を唱える声が遠くで響いている。
ローガンの姿を見るなり、衛兵たちは一様に背筋を伸ばした。
その視線には畏怖と敬意が混ざっている。
森の稽古場で感じた、あの空気――張りつめた鋼の気配。
レオンの記憶に蘇る訓練の日々が、鎧の中で脈打った。
「やぁ、ローガン」
背後から、響きのある声がした。
振り返ると、上質な外套を羽織った男が立っている。
金髪に細い指、整った口元。その立ち姿だけで、貴族の出であることが分かった。
周囲の者たちが自然と道を開ける。
「ウィリアム様、ご無沙汰しております」
ローガンは膝を折り、深々と頭を下げた。
その背後で、レオンも槍の柄を地に突き立てる。
鎧の継ぎ目が擦れ、澄んだ金属音が広間に響いた。
森でローガンから叩き込まれた礼式。その所作が、まさかこの場で生きるとは思わなかった。
「王妃の護衛に就くとはな。手のかかる妹を支えてやってくれ」
ウィリアムはわずかに口角を上げ、軽く頷いた。
その目には、何かを計るような光が宿っていた。
そして、振り返ることもなく、人々の指示を再開した。
「付いてこい」
ローガンの短い声が響く。
レオンは頷き、無言で後を追った。
二人は裏階段を登る。
使用人が行き来する通路は狭く、石造りの壁には古い魔法陣の刻印がかすかに残っていた。
そこかしこに加護の痕跡が漂い、レオンは無意識に息を呑む。
魔力の流れが微かに肌を撫でた。
懐かしい――
けれど、それは帰郷の懐かしさではなかった。
この城に入ったのは初めてだ。
ただ、どこかで感じたことのある気配があった。
ジラが魔法を練っていたときの、あの空気。
遠い日の記憶が、胸の奥で淡く震えた。
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