泰然自弱、愛の切端④
4
「あ、拓巳。おかえり」
家に帰ると、静香が神妙な面持ちでテーブルの前に座っていた。事前に「帰るよ」とメッセージを入れたのが既読になっていたし、ちゃんとボクを待っていたらしい。
「はい」
と、ボクはコンビニで買って来た酒類をテーブルの上に置く。日本酒にビール、ハイボールと、とにかく「これだけあれば酔えるだろう」というだけの量を買ってきていた。
「とりあえず乾杯しよ」
ボクはビール缶を開けてグラスに注ぎ、静香に渡した。静香は黙ってその缶を受け取る。ボクも同じようにビールをグラスに注いで、グラスを掲げた。
「乾杯」
「うん、乾杯」
二人で軽くグラスをぶつけて、カツンと音を立てる。ボクが一口飲むのに続けて、静香もグラスを傾けた。静香はグラスに入っているビールを、喉が渇いた時に水を飲むようにゴクゴクと飲み干す。それから、ぷはぁと一息ついた後、ボクの目を見て頭を下げた。
「ごめんなさい」
「何が?」
静香の謝罪の言葉に、ボクは疑問を呈した。
「謝るの、ボクじゃなくない?」
「え?」
ボクは溜息をつく。少しは頭を働かせてみろよ、と思う。静香と夫との間に何があったかは知らない。知りたくもない。けど、この二人に会話が足りていない様子を見ていると、イライラする。静香を夫から掻っ攫う妄想は、何度もした。ボクなら静香を幸せにできたのに、と思っていた。
「静香」
ボクは椅子から立ち上がると、静香の前に立った。静香は両手でグラスを持ちながら、ボクを見上げている。ボクは静香からグラスを取り上げてテーブルの上に置いた。静香の肩に手を乗せる。静香が、びくりと肩を震わせた。
「キス、しても良い?」
「え」
静香は困惑した様子で、ボクを見上げた。その瞳の中に映るボクの姿が、歪んで見える気がした。
「拓巳は、あたしにキス、したいの?」
静香がボクにおずおずと尋ねた。やっぱり、静香も他の女の子と同じだ。きっと、このままやり込められないわけじゃない。それに、静香は大輝さんとした後だ。ボクを拒む理由は、彼女の中で希薄になっているはず。今も、静香を押し倒してやりたい気持ちはある。
──だけど、嫌だ。
「裕貴斗さんと、ちゃんと話しなよ」
ボクはそう言って、静香の肩から手を退けた。
「えと、拓巳、裕貴斗から何か──」
「聞いてない。聞いてないし、静香が何したかも話してない。興味ない。今も説明なんかするなよ」
ボクはもう一度、静香の向かいに座り直して、グラスの中のビールを飲み干した後、日本酒の瓶を開けた。台所からお猪口を二つ取ってきて、注ぐ。
「いる?」
ボクはお猪口を一つ、静香に差し出した。静香はすぐにそれを受け取ったが、手に持ったまま動かなかった。
「説明はしないで良いけど、何か言いたいことがあるなら、聞く。……家族だろ」
言いながら、胸の辺りが痛む気がした。それは好きという言葉と同じで、これまでボクが避けてきた言葉だった。
「そうか……うん、そうだね」
静香はボクの言葉に対して、どこか納得したように頷くと、受け取ったお猪口を口に運んで、酒をグッと一息に飲んだ。とても良い飲みっぷりだった。
「もう一杯いる?」
「いる」
即答だった。ボクは静香のお猪口に再度、酒を注ぐ。ボクも自分の分をぐいっと飲んで、大きく溜息をついた。そんなボクを見て、静香はくすりと笑った後、口を抑えた。
「えと、ごめん」
「全然。いつも通りにしてよ。ムカつくから」
「ごめ……」
「あー! 謝るなってば!」
ボクはまた深く溜息をつく。
「何で大輝さんなんだよ」
「え」
まだキョトンとした顔の静香にイラついて、ボクはテーブルを片手で軽く叩いた。
「だから! 何で大輝さんの誘いに乗ってんだよ!」
「えーっと、流れ?」
そうだろうよ。そういうの上手いもん、あの人。
「拓巳に距離取られて……それから寂しくなって」
「馬鹿なの」
「裕貴斗も拓巳もあたしのこと相手にしてくれない、と思ったら嫌になって。その話したら大輝さん、慰めてくれて?」
「待って。大輝さんと会うの何回目?」
「えと、十回くらい? あ、でも違うよ!? 寝たのはあの日だけで!」
「言わんで良い! 聞いてない!」
あのイケメン、ふざけんなよ。ボクが家にいないのを良いことに。
「とりあえずもう一杯」
「うん」
そこからは二人とも、体の中にどんどんとアルコールを入れていった。
「あたしさ、悪くないと思うんだよね」
最初は紫音ばりにおどおどしていたように見えていた静香も、段々と普段の調子を取り戻してきた。脚を組みながらバンバンとテーブルを叩き、ボクを睨みながら、ぐいぐいと酒を飲む。お猪口やグラスの酒がなくなれば、自分から注ぎ直していた。
「だって裕貴人、あたしが誰と寝ても気にしないって言うんだよ?」
話は結局、静香の夫に対する愚痴になっていた。酔いに任せたまま、取り留めもなく話すものだから、全体像はよく分からなかったし、やはり詳しく聞く気もないけれど、結婚数年目にして、夫婦間でセックスレスなことに対して静香に文句があった、ということらしい。
「僕じゃ満足させられないなら、外でやってくるのも手だと思う、とか。キレたね、あたしは。そういう問題じゃない」
何となく想像はついていたものの、静香がボクのところに来たのはつまり、夫への当て付けだ。静香とボクの昔の関係については、夫も知っていて、その上で静香はボクのところに来た。
「じゃあ、静香はボクに抱かれたかったわけ?」
「いや、それはない」
「即答しやがって」
「今更さあ、無理だよ」
「昔はあんなにヤったのに」
「ぶっちゃけあんまよく覚えてない。そんなだっけ?」
殴ったろうか、この女。
話は移り変わって、ボクの話になった。ボクが今、複数人の女の子と関係を持っていることや、静香がいる家に帰りたくなかったボクが、そうした女の子のところに毎晩行っていた話を、改めてした。
「あたしは拓巳が女たらしになってるってのがショックだよ」
「こっちの勝手でしょ」
「昔はあんなに可愛かったのに。お姉ちゃんお姉ちゃん言ってさ」
「覚えてないね」
「あっそ」
静香の表情が、段々柔らかくなってきたのにボクはどこかホッとしつつ、話を続けた。
「満足って話なら、ボクは静香を満足させられるかもしれないよ。何なら、それでお金取ってるもん」
「え、怖っ」
「事業で稼いでる女社長がいてさ。その人のところに行って、夜の相手してる」
「待って。怖い怖い。ホントに」
「だから、静香も興味あるなら、ボクは全然相手するよ」
「やだよ。それだったら、まだ拓巳とヨリ戻すって形の方がマシ」
そんな話もしながら、二人で酒を飲み進めた。段々とボクも酔いが回ってきて、視界がボヤけてきた。気付けば、静香はいつの間にか席を立っていて、トイレの方から盛大に嗚咽する声が聞こえてきて、ボクは腹を抱えて笑った。けれど、そのせいでボクも吐き気に襲われてしまい、いつまでもトイレから出てこない静香に声をかけて追い出し、すぐにボクも吐いた。胃液も逆流して、喉の辺りにヒリヒリした物を感じながらリビングに戻ると、静香が片手にビール缶を持ちながら、テーブルに顔を突っ伏して寝ていた。ボクは溜息をついて、静香からビール缶を取り上げた。中がまだ半分以上残っている。ボクはそれを飲もうとしたが、飲み過ぎて吐いたばかりの体がアルコールをもう受け付けなかったので、仕方なく台所のシンクに流して、缶をゴミ箱に入れた。
「静香?」
テーブルの上をある程度片付けた後、ボクは静香の肩を揺さぶった。返事はない。その代わりに、ぐうぐうといびきが聞こえる。ボクは静香の脇の下に手を入れて持ち上げると、抱き起こす。なんだか、懐かしさを覚えた。昔、酔ってこの状態になった静香を、何度介抱したか知れない。
「おやすみ」
ボクは静香を布団の上に横たわらせて布団を被せると、寝る前の挨拶をボソリと呟く。そのまま静香の横に潜り込もうかと一瞬考える。
「くだらない」
ボクはそう言って、静香を寝かせた布団ではなく、ソファの上に寝転がり、目を閉じた。アルコールが効いたせいで、ボクはすぐに意識を失う。
目を覚ましたのは、まだ外も明るくなっていない早朝で、ソファからむくりと起き上がり、スマホの通知でも確認しようと、充電前に寝てしまったせいで場所がわからなくなったスマホを探した。どこかにあるはずのスマホを探す間、ボクはまたも吐き気に襲われてトイレに駆け込んだ。
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