泰然自弱、愛の切端②
2
『今、大丈夫か?』
紫音との行為を終えて、力尽きた彼女をベッドに連れて行った後、汚れた床を拭きながらスマホを見ると、隆之介さんからメッセージが届いていたことに気付いた。もう、メッセージが届いてから一時間以上経っていた。そんなに長い間、ただただ一心不乱に紫音の体を求めていたことに驚いた後、ボクは一度目を瞑ってどうするべきか逡巡して後、隆之介さんに返事を返した。
『大丈夫ですよ』
隆之介さんから、すぐに既読マークがついた。あの人も大概、通知はすぐに確認するタイプだ。
『ごめん。連絡しといて悪いけど、こっちが今忙しい。明日、時間あったら話そう』
隆之介さんから、そう返信が来た。何の用かと打とうとして、やめた。十中八九、大輝さんのことだろうな。分かっていることをわざわざ尋ねることもない。
『わかりました』
ボクはそれだけ返して、スマホをテーブルの上に置いた。裸のまま、紫音の家のインスタントコーヒーを拝借して、一杯のホットコーヒーを入れる。いつもコーヒーより一段味が落ちるだろう、安物のコーヒーだったが、心身共に温まる気がした。隆之介さんより先に、大輝さんに連絡を入れたらどうなるだろう。一瞬、そんなことも考えたが、当然実行はしない。この件について、わざわざ面倒なことをする気力はなかった。コーヒーを飲み終え、服を着て、寝室に戻った。
「ぐっすりだな」
ボクは、口を半開きにして眠る紫音を見て思わず笑うと、小さく息を吐いた。肩まで布団を掛け直してやり、彼女の頭を撫でた。さっきまで彼女を乱暴にしていた時のことが頭をよぎり、少しだけ身を震わせる。スマホを取りにリビングに向かうと、テーブルの上でメッセージの着信音が鳴った。もしかして静香から? と、どきりとしたが違った。
『今週末、空いてる? ボーナス入ったから、また飲み行こ』
遥華からだった。これから来る年末をどう過ごすか考えあぐねていたが、向こうから誘われたか。元々クリスマスは、誰とも会う気はなかった。複数人の女の子を相手にしている以上、誰かを特別にしてしまうと、後々面倒だからだ。去年はクリスマスは家族と過ごすことにしているから、と話していたが、実際のところは家で一人でいた。ただ、クリスマス当日でないなら誘われて断る理由はない。
──もちろん、と打とうとして、手が止まった。ボクはふと後ろを振り向く。視線の先には寝室がある。今年のクリスマスは誰かと一緒にいるのもありだろうか。ボクは深く溜息を吐く。ボクらしくもない。いや、もうここのところずっとボクらしくないボクらしくないと、言ってばかりだ。
「俺らしいって、なんだよ畜生」
ボクは思わず、独り言を強く吐き捨てて舌打ちをした。
『もちろん。場所は任せて良いの?』
ボクの返信に、遥華はOKのスタンプを返した。そのままやり取りを続けても良かったが、そうしようとしたタイミングで、今度は真琴から連絡が来た。
『今、平気?』
大輝さんと似たような文言だったことに少しおかしさを感じつつ、ボクはさっき遥華がボクに送ってきたのと同じOKスタンプを送った。すぐに電話がかかってきて、ボクは通話ボタンを押した。
『やっほー、たくみ』
「やっほー、真琴」
電話口の真琴の声は上機嫌だった。
「どしたの? 何か良いことでもあった?」
『んー、そういうわけでもない、かな? 今日はお客が多くて、つい飲み過ぎちゃった』
「なるほどね」
単純に酔っ払って電話をかけてきただけだ。酒に強い彼女が、そんな風に酔っ払うのは珍しいが、以前も一度似たような電話をかけてきたことがある。その時は、いつもはするクソ客の愚痴など一言も漏らすことのないまま、最近買った可愛い洋服の話やら、客からもらったお気に入りのコスメの話やら、ポジティブな話をするだけして向こうから通話をやめた。
『ねえ、聞いてよ』
「聞いてるよ」
『あのさあ、妹の旦那の話したでしょ』
真琴の言葉に、ボクは記憶を遡る。もちろん、しっかり覚えていた。シングルマザーとして一生懸命だった真琴の妹が、今の旦那と出会ってまた子供を産み、順風満帆な人生を歩んでいることを、真琴は祝福しつつも、どこか嫉妬の気持ちを拭えずにいて、そのことを以前ボクに愚痴ったのだった。
「してたね」
『その旦那がさあ、ウチの店に来てね』
真琴は「えっへっへ」と楽しそうな笑みを溢した。
「真琴が働いてるって、知らなかったの?」
『知るわけないじゃん。妹にもどこの店で働いてるかなんて、言うわけないのに』
「ふうん。それで、真琴はどうしたの?」
『そうねえ』
真琴は変わらず含み笑い混じりで、続く言葉を口にした。
『ま、ガールズバーなんて浮気のうちにも入らないけど、それでもチラチラと女の子の胸元とか見てるのが傑作でさ。良い弱み握っちゃったーと思って』
「真琴も意地悪だね」
確かに、それは良いことがあったとは言い難い。だけど、真琴も言うように彼女にとってそれだけでも傑作な出来事だったのだろう。真琴はまだ笑いながら、話を続けた。
『まー、話聞くとさ。旦那が来たかったわけじゃなくて、同僚についてきただけみたいなんだけどね。あはは、あたし旦那と肩組んで写真撮っちゃったー』
「大丈夫なの、それは」
『旦那の方のスマホでは撮ってないから大丈夫。旦那もそんな写真、手元に残したくないでしょ』
「そりゃそうだ」
『でも、あたしのスマホの中ではいつでも見れる』
「どうするの、それ」
『んー』
真琴は数秒だけ悩んだ後、やっぱり笑いを含んだ声で言った。
『何にも。あたしが一人で楽しむだけ。その良い顔した旦那、あんたにも秘密あるんだぞーって思いながら妹を見れるなら、愉快でしょ』
「旦那さんが全部、妹さんにも話してるかもよ」
『どうだろ? 奥さんは大丈夫なんですかー、って聞いたら、妻には言いませんよって言ってた』
「なるほどね」
ボクはチラリとまた、寝室の方を見た。紫音は起きてくる気配はない。他の女の子とのやり取りを見せないように、というのはいつも気をつけていることでもあるが、紫音には特に気をつけてやりたいと、そう思う自分がいた。
「旦那さん、楽しんでた?」
『楽しんでた楽しんでた。ま、ずっと恐縮した感じで肩すくめてたのは可哀想だったかな』
「罪悪感でしょ、それは」
『だったら同僚に誘われたとか言い訳しないで、最初から来なきゃ良いし、女の子の胸をチラチラ見ることもないでしょ』
「手厳しいねえ」
ボクにとっても、あまり耳に優しくない話だ。真琴はそこで妹の旦那の話は切り上げたがその後も、今日来た面白い客の話や、同僚の女の子と仲良くなった話など、ポジティブな話を続けた。思った通り、前と同じパターンだ。ボクはその話に適度に相槌を打ちながら紫音の部屋の外に出て、コンビニまで歩いた。コンビニの前でピタリと立ち止まり、ボクは真琴の話がキリの良いところで終わるのを待ったが、一向に話が終わる気配はなかった。
「ねえ、真琴」
『んー、何?』
「話、また今度聞くよ。明日も早いし」
『ん、ああ。そうだね』
真琴はすぐに納得したらしく、特に嫌がる素振りもなく、ボクの言葉に肯定した。
『急にごめんねー。じゃ、またー』
「うん、また」
呆気なく、通話が終わった。次に会う約束を取り付けることもなく真琴との通話をやめたのは、多分初めてだった。そんなものか、と思う。ボクは必死になっていたけれど、真琴もちょうど良い話相手が欲しいだけだ。ボクはその第一候補として、彼女の話相手、そしてセックスの相手に食い込んでいたわけだけど、多分ボクがいなければいないで、真琴は別の相手を探せる。女の子を寂しがらせないためにと言いながら、寂しがっていたのは果たして本当に女の子の方だったのか。そんなことを考えながら、明日の朝ご飯になりそうな適当なパンを買ってコンビニを出た。紫音はまた朝なかなか起きないだろうから、朝急ぐことはないんだろうけれど、今日は何だか疲れた。無理に朝食を作ることはない。
「ただいま」
紫音の家に戻り、小さな声で呟く。ボクはすぐに紫音のいる寝室に向かう。紫音はまだ布団を深く被ったまま眠っていた。既視感を覚えて何かと思ったが、それが何のせいかは分からなかった。あまりにも、似たような夜を過ごし過ぎている。
「なんか、嫌だな」
同じことの繰り返し。女の子達とそうやって夜を過ごすことに、これまで嫌気を覚えたことはなかったはずだけれど、今になってふと、そう感じてしまう。結局、ボクはそれで何を得た? 静香を夫ばかりでなく、大輝さんに盗られて、玲奈さんには相手にされず、紫音からは勝手に許されて。女の子と深い関係にならないというのは、ボクが望んだことだ。いつでも切れる友達。それを良しとしていたのは、ボクの方だ。けれどいざ、自分の方が切り捨てられるのかもしれないと想像すると、得も言われぬ虚無感を覚えた。
「馬鹿か、俺は」
ボクは眠る紫音の頬に触れた。外から帰ってきたばかりの、ボクの冷たい手の感触に、紫音が一瞬だけ顔を歪めたが、すぐに元の表情に戻って、寝息を吐き続ける。
「ホント、よく寝る」
ボクはくすりと笑って、しばらく紫音の頬に触れながら、彼女の寝顔をじっと見ていた。
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