自己愛、歪んだ思い出⑧

「参考程度に聞いておきますよ」


 ボクは笑顔を崩さない。気持ちを落ち着かせるため、酒をあおり、ふうと一息ついた。


「玲奈さんに比べたら、ボクなんて経験の足りない若輩ですから」

「んー、どうだろうな。人数だけなら流石に金元の方が上じゃねー?」


 稀代のプレイボーイだし、と玲奈さんは付け加えた。


「そうですよ。玲奈さん、それもよく言うじゃないですか。自称はしませんけど、まあ言われて悪い気はしないです」

「それはそれで歪んでる気がするが。まあ実際のとこ、金元のテクはすごいと思うよ。女風とかでもそこそこやれるんじゃない」


 つい最近、遥華から似たようなことを聞いたな、と思い出す。ボクにハマると沼だと言っていたっけ。玲奈さん的にも同じような認識ではあるのか。


「まあ、私個人的には金元は専属のセラピストみたいなもんだけど」

「そうですね」

「体で客を雁字搦めにするホストとかもいけそう」

「ボクはそういうの嫌いなんで」

「素で色恋避けるしなあ」

「それで、社長はそんな専属セラピストの何が気に入らないわけで?」

「別に気に入らないってわけじゃなくな」


 玲奈さんは腕組みをして、天井を仰いだ。それからボクに向き直り、少し深めに鼻から息を吐き出す。


「私はセックスって、お互いの気持ちがお互いに入った形でやりたいからさ」

「分かりますよ」


 だからボクは、女の子の求めに応じられるように手を尽くすのだ。触られて気持ちのいいところ、言われて嬉しい言葉、ベッドに向かうまでの雰囲気、その何もかも。


「でも金元は最初から壁があるだろ」


 玲奈さんは言う。その眼差しはボクを子ども扱いする、昔の静香のようだと感じた。話の流れとは関係なかったが、やはりボクは静香の面影を付き合う女の子たちの中に感じていたのだなと、改めて思った。


「自分を見せない男の気持ちよくセックスなんてできない。少なくとも私はな」

「そうですか」

「それにお前は考え過ぎだ。こうしたら気持ち良いだろうとか、こういうのが好きだろうとか」

「考えない方が良いって言うんですか?」

「いや?」


 玲奈さんは首を横に振った。


「それは別に良い。でも、そればかりだ。金元のしたいことが見えない」

「ボクは、玲奈さんに気持ちよくなってほしいんですよ」

「だから、お前の方はどうなんだよ」

「ボクは──」

「お互いの欲望をぶつけ合ってこそのセックスだろ。じゃないとつまらん」


 玲奈さんの言いたいことは分かった。まだまだ言いたいことは当然山ほどあったが、これ以上食い下がっても、自分が惨めなだけだと思い、言葉を飲み込む。

 玲奈さんは俯くボクを、酔いで赤らんだ顔で見た。


「で、どうする?」

「どうするとは」

「セックス」

「今の話の後で?」

「私はお前がしたいなら構わないんだよ。好きにしろ」

「……横になってくださいよ」

「ん。布団でも良いか?」

「もちろん」


 玲奈さんは残った缶ビールを一気に流し込むと、空き缶をくしゃりと潰してゴミ箱に捨てた。ボクも自分の分を一息に飲み、玲奈さんと同じようにする。


「こっちだ」


 玲奈さんの導きに従って、ボクは家の二階に上がる。先日使わせてもらった客間ではなく、しばらくは入らせてもらえなかった彼女の寝室に二人で入った。玲奈さんは一足先に寝室奥のベッドの上に座り、大きく伸びをした。ボクも彼女に続いて、ベッドに近付く。部屋のディフューザーから、ムスクの香りが漂ってきた。玲奈さんの寝室は、ビジネスホテルの一室と言われても信じるような簡素な部屋だが、それがかえって彼女らしい。


「ん」


 玲奈さんが脚をボクに差し出した。ボクは玲奈さんの腰の辺りに手を回すと、彼女の履いているレギンスを脱がせにかかった。玲奈さんが脚を上げるのに合わせて、ボクは黒い生地に包まれた彼女の生脚をゆっくりと露わにする。脱がせたレギンスをしっかり畳んでベッド脇に置いた。


「手、上げてください」


 ボクが言うと、玲奈さんは両手を天井に上げる。ボクは彼女の上着も脱がせると、それも畳んで置いた。下着姿になって両手を上げた玲奈さんがベッドの上で座っている。無防備で、何をさてれもおかしくない姿。この姿に女の子を剥く瞬間は嫌いじゃない。


「うつ伏せで」

「ん、頼んだ」


 玲奈さんはベッドの上でうつ伏せになる。ボクは彼女の腰を跨ぐようにして、背中に手を伸ばすとブラのフックを外した。普段玲奈さんをマッサージする時はスポーティなインナーを着ているから、少しだけ新鮮な気持ちがする。急に押し掛けて迷惑をかけてしまったのだし、それ以上の快感は提供するつもりだった。玲奈さんに「お前とセックスしても気持ちよくない」と言われたのはショックだが、だからと言ってボクの価値が損なわれたわけじゃない。ボクは念入りに彼女の体をほぐしていく。玲奈さんも気持ち良さそうに息を吐く。背中から腰周り、二の腕や腿までを両手で揉みほぐす。


「ふわあ」


 筋肉のこわばりをほぐす度に、玲奈さんはだらしない息を吐いた。アルコールが回っているせいだろう。いつもの玲奈さんより、少しだけ隙が多い。


「あン。そこだそこ」


 揉まれて気持ち良いところを都度伝えられ、ボクは彼女の求めに応じてマッサージを続けた。足裏まで含めて、一通りのマッサージを終える。ボクは汗だくになったシャツを脱ぎ捨てて、ベッドの外に投げた。


「社長? こっちも脱がしますから」


 ボクは玲奈さんの返事は待たずに、彼女のショーツを脱がせた。ボクも下着を脱いで、二人して全裸になる。ボクは玲奈さんを仰向けの状態にして、肌をぴたりとくっつけつつ、体重をかけないよう、彼女の脇の下に手を入れた。乳房の周りから、ゆっくりと優しく、刺激する。大事なところは触れずに、じっくりと。


「やっぱり上手いな」


 玲奈さんがボソリと呟く。


「当然です」


 ボクはそう返して、今度は鼠蹊部から股間にかけてまでにも、焦らして焦らして、刺激を加えた。


「ん」


 そうやって、性的な快楽を促していくうちに、玲奈さんは体をビクリと震わせた。とろんとした表情で天井を仰いでいる。


「で、どうする?」


 玲奈さんが、にやりと意地悪そうに笑う。ボクは玲奈さんの唇に自分の指を当てた。当然、玲奈さんは抵抗しない。ボクの好きにしろと、そう言っている。ボクは玲奈さんの顎を掴み、くいと持ち上げると、唇を重ねた。玲奈さんとは、久々のキスだった。玲奈さんは大きく手をボクの首元に回して、ボクの背中を指先でつうとなぞる。その刺激に、ボクの方がゾクゾクと震えた。


「ぷはぁ」


 唇を離すと、玲奈さんは少しわざとらしげに蕩けた声を出した。挑発的な笑み。ボクは自分の性器に手を伸ばす。しっかりと勃起したそれは、これから先を促している。けれど、考える。考えてしまう。考え過ぎ、ね。その通りかもしれない。まだ絶頂も迎えないうちから、ボクはゴムの中でどろりと行き場をなくした射精をした時の感覚に襲われた。ゴムの中に精子が溜まった時の、ペニスが虚空に宙ぶらりんになったような心地は、ボクがセックスの中でもあまり好きになれない瞬間だ。


「──生でヤっても?」

「良いわけないだろ」


 玲奈さんが面白い冗談だとでも言うように、鼻で笑った。


「ですね」


 玲奈さんが鼻で笑うのを聞いて、ボクはふうと一息ついた。


「今日は、やめときます」

「良いのか?」

「玲奈さんがしたくないなら」

「したくないとは言ってない」

「良いですって」


 ボクとのセックスに、玲奈さんは価値を感じていない。それはもう、分かった。ボクと玲奈さんとの関係は、ビジネスライクだ。そう決めている。


「やっぱり、泊まるのもやめます」

「帰るのか」

「帰りません。当てはいくらでもあるんで。玲奈さんと違って、セックスを懇願してくるような子が」

「ふ、流石は稀代のプレイボーイ」

「それ、やめてくれません?」


 ボクは呆れたように溜息をついて、ベッドから降りて立ち上がると、自分の服を拾った。惨めだ。だが形だけ見れば、女の子とのセックス前で怖気付いてやめた形だ。これ以上に惨めなことはない。それ以上の細かいことは、どうでも良い。


「待った」


 玲奈さんもムクリと起き上がると、チェストの棚を開けて、中から財布を取り出した。こんなとこにもお金置いてるのか。用心深いのか不用心なのかわからないな。


「今日の分」


 玲奈さんはそう言って、ボクにお札を渡した。


「ありがとうございます」


 ボクは渡されたお金を一旦、ポケットの中にしまった。玲奈さんとはこれで良い。これが、良い。


「次のバイト、どうする?」

「また今度連絡します」

「分かった。私はいつでも良いからな」


 ボクは玲奈さんに深くお辞儀をして、彼女の家を後にした。アルコールも入ってしまったし、運転はできない。


「あ」

「どうした?」

「シャワーだけお借りしても?」


 玲奈さんは呆れたように鼻から息を吐いて苦笑した。


「……好きにしろ」

「ありがとうございます」


 ボクは玲奈さんの家のシャワーを借りて、頭は洗わず、体だけ汗を洗い流した。着替えは持ってきていないので、元々着ていた服をそのまま着る。玲奈さんは二階から降りてこなかった。多分、もう寝てしまったのだと思う。ボクは玲奈さんの家を後にして、駅までの道をトボトボと歩きながらアプリでタクシーを呼ぶ。駅につくと、呼んだタクシーに乗り込んだ。


「行き先は?」

「……ショッピングモール」


 ボクはタクシーの運転手に、紫音の家の近くにあるショッピングモールの住所を伝えた。運転手は「あいよ」と短く返事をして、車を発車させた。さっきまでアルコールの効いた体で激しく汗をかいたせいか、暖かい車内の空気にぼんやりとしてきた。目を瞑ると、すぐに眠気が襲ってきた。ボクはその眠気に抗うのも諦めて、寂しさと惨めさを感じながら、意識を閉じた。

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