愛遠奇縁、好女色の罪⑤

4


 紫音は事前にメッセージアプリで約束した待ち合わせ場所である、ショッピングモールの広場で待っていた。ボクとて約束の十分前には到着したのだが、紫音の方が早い。服はいつもの、紫音お気に入りのワンピースだ。スマホを手にすることすらなく、じっと床を見据えて立っている。


『着いたよ』


 ボクは紫音にメッセージを送った。少しして、紫音が自身のポーチからスマホを取り出した。


『どこ?』


 紫音から返信が届いた。


『目の前』


 ボクがそう返すと、紫音は慌てて正面を向き直して、ボクの姿を捉えた。紫音は髪を整える仕草をして、焦った様子で頭を下げると、こちらに小走りで寄ってきた。


「ごめん、気づかなかった」

「いいよ、行こう」


 ボクは紫音の肩に軽く触れて歩き出す。もはや慣れた道順でモール内の劇場に向かって、予約していたチケットを券売機から発行して、一枚を紫音に手渡した。紫音が財布を取り出してチケット代を渡そうとしてきたので、ボクは紫音の手首を掴んでやんわりと制した。女の子がそう望むならきっちり割り勘をすることもやぶさかではないけれど、紫音の場合はこの間のこともある。紫音がボクに特別に好意を持っているのであれば、普通に接するよりも優位を取っている状態でいたい。


「この間は、お姉さんとは楽しめたの?」


 劇場内に入って上映開始を待つ間に、紫音がおずおずとした様子で尋ねた。


「うん。コーヒーもティラミスも美味しかったし」

「あそこは基本、何でも美味しいよ」

「そうなんだ。まさか紫音ちゃんまでいるとは思わなかったよ」

「あ、うん。私も」


 紫音は恥ずかしそうに視線を下に落とす。自分のプライベートを意図しないところでボクに知られてしまったことを戸惑っているものと見えた。


「今度は紫音ちゃんと一緒に行きたいな。あのパフェも美味しそうだったし」

「あれはおすすめ」


 紫音が下を向いたまま、にんまりと笑みをこぼした。


「紫音ちゃんはあそこ、よく行くの?」


 紫音はコクリと首を縦に振る。なるほど、さっきの発言からしてそうだったけれど、たまたま同じ日に同じ店に行ったのではなく、紫音があの店の常連だったという話だ。


「姉さんはSNSで知ったみたい」

「確か、ショート動画でインフルエンサーの人が紹介してて。それで一部の人に流行ったみたい」

「じゃあ紫音ちゃんはそれより前から行ってるんだ。古参だね」

「そういうことに、なるかな」


 ボクは紫音に返答しようとして、一瞬口をつぐんだ。会話のテンポを阻害するのはよくないのだけれど、紫音と会話する中で何か引っ掛かりを感じるような気がした。それが何かわからない。思えば、あのカフェで話した時も同じ引っ掛かりを覚えた気がする。けれど、これまでに何人もの女の子を相手にしてきた自分の直感が何かを囁いている。そう、これは嘘をつかれている時の感覚だ。そうでなければ、紫音は隠し事をしている。──人間なんて、多かれ少なかれお互いを欺いている。紫音以外の女の子たちだって、隠し事の一つや二つあるだろう。彼女らが職業や年齢だって偽っていたところで、ボクは何とも思わない。そのくらいの嘘、つくのが普通だ。紫音はどうだろう。隆之介さんじゃないけれど、ボクも彼のように頭の中で女の子たちの人間性を類推してみた。真琴や祐実は小さな嘘を重ねていると思う。遥華なんなは、自分でも嘘を嘘と認識していないタイプだ。玲奈さんは自分を偽らない性格だけど、必要とあれば嘘をつくことに躊躇はないだろう。けれど紫音は違うような気がする。純粋だ、なんて言う気はさらさらないけれど、少なくとも今思い浮かべた他の女の子ほどには垢抜けていない。お気に入りのワンピースだってそうだ。ずっと同じ服、それも体のラインを隠すような。自分を出すことに躊躇っている証拠と言えるんじゃないだろうか。


「あ、始まる」


 紫音がポツリと呟いた。劇場のブザー音が鳴り、室内が暗くなる。ひとまずは映画を観るか。ボクは小さく息を吐き、予告編が流れるスクリーンの方を向く。今日の映画も紫音の希望だ。海外のドラマ映画で、ボクもインターネットで話題になっていたのを見たことがある。アクションも何もない。基本的には会話劇だけの作品。静香は絶対観ないな、と思う。遥華も観ない。祐実は確かそれなりに映画好きだったから、観ていてもおかしくない。今度聞いてみよう。上映中、紫音の方をチラリと観る。紫音は食い入るようにスクリーンを観ていた。本来、こういう映画の方が好きなのかもしれない。それでも最初から映画マニアが好きそうな作品に他人を誘うわけにはいかないから、これまでは大衆エンタメ寄りの作品をまずは選んでいた、といったところだろうか。あっちはあっちでちゃんと好きなんだろうけど。自分の好きなものを最初から他人に開陳はしない、というのも小さな嘘ではある。紫音だって、そのくらいのことはする。けれどやはり、カフェの話題の時に感じた違和感はそういうことでもない気がした。

 映画が終わり、劇場の明かりが灯っても、紫音は放心した様子でスクリーンを観ていた。よほど堪能したものと見える。ボクの方は、正直あまり好みでもなかった。


「すごかったね」

「うん」


 ボクが話しかけると、紫音は放心したままの調子で頷いた。それからハッと目を見開いて、ボクの顔を横目で見た。


「あの、拓巳くん。この後って……」

「んー」


 いつもの流れであれば、紫音を家まで送ってそこでセックスをする。ただ、今の彼女はきっとそれは嫌なのだろう、と察した。ボクはフッと笑う。ここでそれを読み取れない男は三流だ。紫音もどうやら勘違いをしているが、ボクは女の子に気持ちよくなってほしくて、その手段として性的な快楽を選んでいるに過ぎない。他の女の子相手だって、同じことだ。


「どこか、飲みにでも行く?」


 ボクが提案すると、紫音は嬉しそうに目を丸めて、繰り返し首肯した。



5


「それでね、あの監督って昔も同じようなテーマで映画を撮っててね」


 紫音はお酒はほどほどに、楽しそうに語り続けていた。

 劇場を出てから、駅の近くにある個室ありの居酒屋に入って、他のお客のことを気にすることのない環境で、まずはボクから映画の感想を適当に口にしていった。その様子を見て、紫音もポツリポツリと感想を口にした。紫音はボクの勧めたカクテルもゆっくりと飲みながら、徐々に口数を増やしていき、今はもう映画の話が止まらなくなっている。ボクは適度に相槌を打ちながら、彼女が話しやすいように促した。

 ──嘘、か。嘘というなら、紫音はそもそもずっと自分を偽っていたんだろう。ボク相手に自分の趣味の話をどこまでしていいか、おずおずと。ボクも、少しずつ壁を取り払っていく紫音を見るのは良い気分だった。紫音がどういう子なのか、ずっと測りかねていた。けれど、好きな映画の話をする彼女を見ていると、それも当たり前だったな、と思う。紫音の飲んでいたカクテルが少なくなっているのを見て、ボクは店員を呼んだ。この後、紫音とセックスできるかどうかはわからない。彼女も今のところその気はなさそうだし、それであればボクの方もアルコールをそこまでセーブすることもない、とビールと日本酒を頼む。ボクと紫音ら日本酒を分け合って、映画の話を続けた。


「その映画ってさ──」


 ボクも、話の途中で紫音が話題にした作品を以前観たことがあったから、その話を広げる。紫音はニコニコと嬉しそうにボクの言葉に頷き、更に話を広げていく。カフェの話題の時に感じた違和感も、そういうことだったのかもしれない。あの店の常連だという紫音は、店の魅力について本当はもっと話したかったはずだ。けれど、ボクはあの店に自ら行ったわけではなく、静香の付き添いとしてついていっただけ、というのは紫音にも話してある。そんなボク相手にカフェの話をして良いものか、悩んでいた紫音の気持ちを、ボクは感じ取ったのか。真琴たちとの関係が固まって、しばらく新しい女の子との仲を深めることもサボっていたから、紫音の心の壁が取り払われていくのを見るのは、ボクも楽しかった。肉体関係ではなく、対話で、というのも久々の感覚だ。紫音とこれだけ会うことになったのは静香のいる家に帰りたくなかったからだし、ここは静香に感謝しても良いところかもしれない。


「拓巳くんは、今日の映画好きだった?」

「うーん、そうだな」


 ボクは目の前に残っていたビールをごくりと飲み干して、大きく息を吐いた。


「ボクはそこまで好みってわけではないかも」


 紫音が本音でぶつかってくれると言うなら、ボクもそれに応えるのを紫音は望んでいるだろう。そう思い、ボクは正直な感想を口にすることにした。


「でも、面白かったよ。が好きなのも分かる」


 ──ボクは最初、ありえないミスをしたと思った。女の子を楽しませるため、自分を偽ることに慣れていた弊害か、それともここ数日はやはりいつも以上に女の子に会いすぎたか。話している相手の名前を間違える、というクソ過ぎるミス。以前、お酒を飲み過ぎて一緒にいた恋人を元カノと間違えて頬を思い切り叩かれていた愛くんを思い出す。大輝さんもよく女の子の名前を間違えるらしいが、彼の場合はそれでも女の子の方が彼を許してしまう。ボクは大輝さんとは違うし、絶対にそんなクソミスはしないと常々、心に誓っていたものだけれど。


「──うん。私はやっぱりアクションよりはストーリーがしっかりしてた方が」


 紫音はボクが名前を間違えたことをスルーして、話を続けた。瞬間、心臓が跳ね上がった。元々世間的には不誠実なことをしているんだから、名前を間違えるくらい許してもらってもいいだろ、とはボクは思えない。紫音が話に夢中で気付いていないなら、ラッキーだ。


「あれ? ……え、と」


 けれど、紫音ははたと自分の口を閉ざして、右手を口元に当てた。さっきまで夢中で話していて楽しそうだった瞳の色が薄くなる。紫音はボクの顔を見て、怯えたように顔を歪めた。


「──いつから?」

「……え?」


 紫音が口にした疑問は、ボクが想像していたものとは違っていた。


「いつから気付いてたの?」

「……紫音ちゃん」


 ボクは弁解の言葉を並べようとしていたが、紫音の疑問を耳にして、一瞬固まる。そこで、ふと気付いた。紫音の顔が、ボクの頭の中で他の女の子と重なった。今まで、忘れていた顔。名前も思い出すことを放棄していたあのクラスメイトの顔。


「あ」


 ボクは思い出す。静香にフラれて自暴自棄になっていたボクの顔を心配そうに覗き込んでいた眼差しや、ホテルや彼女の家で顔を赤く染めて、乱暴に腰を打ち付けるボクに震えていた彼女の肩。あの頃かけていた特徴的だった赤い眼鏡はしていないけれど、それで顔付きの全てが変わってしまうわけじゃない。そして、彼女がいつも着ているお気に入りのワンピースだって、見覚えがあった。

 ──ボクは気付く。彼女が嘘をついていたわけじゃない。彼女が変わったわけじゃない。ボクが忘れていただけだ。


「田口さん」


 ボクは小声で改めて。忘れてしまっていた彼女の名前を呼んだ。

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