恋慕の情、追憶遊戯⑤

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「寝ろ」


 と、玲奈さんから怒気のこもった短い命令をくだされ、ボクは玲奈さんの家の客間に用意された布団の上で、横になっていた。その朝、真琴のベッドで眠りから起きたボクは、いつものように朝食を作り、シャワーを浴びてから、そのままベッドで横になっている真琴に「またね」と挨拶をして、大学に向かった。それから講義を終え、玲奈さんの家に行き、いつも通り玲奈さんの家での雑用を任されに行ったわけだが。


「クマが酷い」


 開口一番、玲奈さんはボクの顔を見てそう口にした。


「拓巳。お前、まだ家帰ってないのか」

「それはまあ……」


 大学に必要な荷物を取りに行ったり、着替えや風呂の為に午前中一度帰ってはいるが、静香がこっちに来てからは一度も夜に帰宅はしていないのは確かだ。


「寝不足の奴に私の仕事は任せられない。帰るか、二十分くらいでもいいから休むかしろ」


 静香さんはそう言って、ボクを客間に案内した。泊まり込みで事務仕事をしていた時なんかに、通してもらったこともあるが、実際にここに布団を敷いて横になるのは、久々だった。そんなに酷い顔だったか? ボクとて、他人からどう見られるかは意識している。特段疲れている自覚があるわけではないが、確かにここ数日、まともに休む時間がなかったのはその通り。仮眠も意識して取るようにしているし、疲労や寝不足なんかのマイナスの印象は、できるだけ相手にわからないよう心掛けているものだが、そこは玲奈さんだ。ボクごとき、彼女の人を見る目から見れば、隠しているものなどお見通し、ということか。スマホも没収されたから、女の子とやり取りをすることもできない。大人しくここで休ませてもらう他ないようだった。休むと決めれば、後は身を委ねるだけだと、ボクは布団の中で力を抜いた。玲奈さんの家の布団は、ボクの物と比べても数段寝付きやすい。だから、最初からここで泊まらせてくれと言ったんだよな、とちょっとした文句も湧く。


「どうだ」


 ガチャリ、と戸を開ける音がして、ボクは目を開けた。


「──どのくらい寝てました?」


 一瞬、意識を失った気はする。けれど一昨日の夜に紫音のベッドで眠った時と同じで、目を閉じて開けたら気づけば時間が経っていた、というような感覚だ。玲奈さんは自身のスマホで時計を確認する。


「大体一時間くらいだな」

「──思ったより寝ましたね」


 玲奈さんが言ってたように、二十分くらいで済ませるつもりが──なるほど、確かに自分でも思っていたより疲労が溜まっていたらしい。


「動けるか?」


 玲奈さんがボクに向けて、手を差し伸べる。


「当然」


 ボクは布団から体を起き上がらせて、玲奈さんの手を取り、立ち上がった。ボクはしばらく玲奈さんと握った手を見下ろし、玲奈さんを見る。


「どうした?」


 玲奈さんが不思議そうに首を傾げる。頭が呆っとする。肩が重くて、少しダルい。


「玲奈さん、提案なんですけど今日バイト代いらないんで、ヤりません?」


 ボクはそんなことを口にした。玲奈さんはそんなボクの物言いに、ニヤリと口元を歪ませる。


「こないだといい、金元の方からそうしつこく誘ってくるのは珍しいな」

「いえ、無理にというわけじゃなく」


 数えるくらいしかしたことがないが、玲奈さんとのセックスは好きだ。普段彼女に対してボクから奉仕している分を補うかの如く、玲奈さんはボクに対しても興奮する箇所を刺激してくる。自分が気持ちよくなることを優先する真琴や遥華じゃそうはいかないし、紫音なんてもっての他だ。ボクは昨夜、真琴の家で独り、ぼんやりと考えていたことを思い出す。ボクは女の子を気持ちよくさせることが好きだ。彼女たちの要望があれば、それに心から応える。けれど、ボクだって時には、ボクが女の子を愛するように、愛されたい。それはきっと、そこらの風俗でも無理だ。


「いえ、忘れてください」


 けれど、ボクはすぐに自分の言葉を撤回した。


「玲奈さんにその気がないなら、ボクは良いです。意味がない」

「そうか」


 玲奈さんはボクの言葉に深入りする様子も見せずにパッと手を離す。


「金元の世迷いごとついでに、私も一つ尋ねて良いか?」

「どうぞ」

「金元にとって、お姉さんはどういう人なんだ?」


 玲奈さんの質問に、ボクは口籠る。いつもなら、思いつかなくても嘘をこしらえて適当に応えるような質問。けれど、こと静香についてそうやって真正面から尋ねられると、適当に濁すことは、ボクにはできなかった。


「大切な人です」


 ボクの口から出たその答えに、ボクは自分で驚く。


「それは家族として?」


 そして寝起きだって言うのに、玲奈さんが畳み掛けてくる。この人も、普段はこんな風にボクのプライベートに突っ込んで聞いてくる人ではない。自分以外の女性に執着しているボクへの嫉妬──では、当然ないだろう。彼女にとっては、ボクとの関係は極めてビジネスライクだ。玲奈さんにとって、ボクを無理にでも休憩させたことから、この一連の問答は、様子のおかしい部下のケア、くらいの気持ちだろう。なんだか、急に年齢が若返った心地だ。女の子の気持ちを慮って、最適な選択肢を探るような余裕のある男ではなく、何か悪いことをして大人に叱られた時にしゅんとしてしまった子供に戻ったような、言ってみればそんな感覚。


「さあ、どうでしょう」


 結果、あまりにも格好の悪い答えを返してしまった。


「なるほど」


 玲奈さんは勝手に納得したように小さく息を吐く。


「若き遊び人金元拓巳は、極度のシスコンだったか」

「──そうまとめられると腹立つんですが」


 思わずムスッと応えてしまったボクに、玲奈さんは大口を開き、声を出して笑った。


「ま、そんな口叩けるなら大丈夫か。事務用品の整理頼む」

「分かりました」


 ボクは玲奈さんに言われた通りに、仕事を始めた。部屋の片付けからメールのチェック、月の領収書の整理など、指示された雑用や事務仕事をこなして、その日は起き抜けに手を握った以外玲奈さんに触れることなく、バイトを終えた。寝室での問答の後では、この間みたいにボクの方から玲奈さんを誘導するような気も起きず、普段よりも少なめのバイト代をもらった。


「今日は家帰れよ」


 帰り際、玲奈さんが玄関までボクを見送りにきて、そう言った。


「今日は帰りますよ」

「結構だ」

「明日。静香──義姉ねえさんと出掛ける予定があるんで」

「へえ、良いじゃないか。家族は大事にしろよ」


 なんか、似たことを大輝さんにも言われたな、と苦笑して、ボクは玲奈さんに頭を下げてから、彼女の家を後にした。玲奈さんの家の駐車場に停めていた車に戻ってからも色々と悩んだあげくに、ボクは真っ直ぐに家に帰ることにした。そもそも、静香から明日の予定も詳しく聞いていない。


「おかえりー」


 家に帰ると、静香が出迎えた。というか、この間と同じだ。風呂上がりなのか知らないが、ボクが玄関の戸を開けたタイミングで、彼女が下着姿で廊下を歩いていたところに、ちょうど鉢合わせたのだ。


「ただいま」


 静香の言葉に遅れてボクは帰宅の挨拶をして、靴を脱ぐ。それから静香に聞こえるようにわざと大きな溜息をついた。


「何で服着てないの」

「一人だったから」


 答えになってねえんだよな。いや、言わんとしていることの意味はわかるが。今日、静香の着ていた下着は、ベージュのスポーツウェアだった。玲奈さんが好んでいる奴と似てる。今夜は玲奈さんからおあずけを食らった形になってしまったことも重なって、静香の霰もない下着姿にボクは余計にイラついた。


「部屋着で良いから着ろよ」

「おやー? 拓巳はあたしの裸が気になるのかなー」


 は? そうだが? それが何か?

 ──とは流石に口にしない。


「俺も風呂入るからその間に服着て」

「はーい」


 ボクは静香の横を通り過ぎ、脱衣所に向かって服を脱ぐ。脱いだ服と、洗濯籠に入ったままの静香の服もまとめて洗濯機に入れて、少し乱暴に蓋を閉めて洗濯機を起動した。バスチェアに腰を下ろし、勃起している自身の男性器を見て、ボクはチッと舌打ちをする。


「童貞かよ」


 今朝も真琴と一発ヤっときゃ良かったな、なんて適当なことを考えつつ、シャワーバルブを捻り、頭からお湯を被った。いつも以上に頭から体までを念入りに洗って、しっかり部屋着を着てからリビングに向かうと、静香もボクの言った通り、部屋着を身に付けていた。ひとまずホッとするが、その服に見覚えがあり、ボクは静香を指差す。


「それ」

「ん? これ? ああ、そうそう。拓巳からもらったやつ、ずっと使ってる」


 それは、かつてボクと静香が付き合っていた頃にお揃いで買ったパジャマだった。


「拓巳は?」

「は? 何が?」


 静香の質問の意味が一瞬分からず、ボクは語気を強めてしまったが、すぐに「拓巳の分のパジャマはどうしたの?」の意だと理解する。


「──破れたから捨てた」

「そっか、残念。可愛かったのに」


 本当は、海からの帰り道に静香から別れ話を切り出されたあの日の翌日、ボクは静香から貰った物の全てをゴミ袋にブチ込んだ。文房具からアクセサリー、鞄に洋服。学生の身分、付き合っていた時期もそう長くはなく、静香から貰った物は思ったよりも少なく、ゴミ袋一つで収まった。

 ──残念。それはどういう意味で? 深い意味なんてない。静香はただ、そう思ったから口にしただけだ。そんなことは分かっているが、それでもやはり、聞きたくなる。


「やっぱり帰ってくるんじゃなかった」


 ボクはボソリと呟く。今度は、自分にだけ聞こえる声量で。


「ん?」

「何でもない。コーヒーでもいる?」

「おー、いるいる。コーヒーメイカーあるのは知ってたんだけど、作るのめんどくさくてさ」


 あっそ。ボクは静香の言葉をしれっと無視して、コーヒーメイカーに挽き豆と水をセットする。コーヒーが淹れるまでの間に、明日の予定でも聞くか。静香はリビングの床に直接座って、ちゃぶ台に半身を預けている。ボクは静香のいるところから少しだけ距離を取って、ゆっくりと床に腰掛けた。

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