恋慕の情、追憶遊戯⑥

5


 次の日、ボクは後部座席に静香と、彼女の友人だという智子さんを乗せて、車を走らせていた。静香の友人というから、同じような雰囲気の人が来るのかと思いきや、待ち合わせ場所にはなかなかにボンヤリとした、フリルスカートとロングヘアの似合うおとなしそうな女性が現れたので、静香にもこんな友人がいるんだなと少しだけ驚いた。


「拓巳くん、だっけ。ありがとうねえ」


 智子さんは車に乗る前と乗った後でそれぞれ感謝の言葉を口にした。静香とは大違いだ、と思う。それと、この人に粉かけるのは無理だな、とも。元々、彼氏がいるという話だけれど、正直それはどっちでも良い。惹かれる女の子にパートナーがいるのは当然と思うべきだ。愛くんに静香の話をした時は「人妻だぞ」と嗜めたし、実際これまでの苦い経験の積み重ねから、既婚者を相手にするのは控えることにしたし、愛くんにも言ったように、以前よりはパートナーの有無も比較的気にするようにはなった。そういったことを踏まえて、智子さんは無理だろうな、と思う。それくらい、所作も何もかもしっかりしている。本気で狙うならまだしも、遊び半分で声をかけて体を許してくれるタイプではない。寧ろ、義姉の友人にも関わらず声をかけるようなことがあれば、その時点で心の扉を閉めるだろう。

 ──攻略のしようがないわけではない。静香の弟という立場を利用して、まずは何度も会うことで信頼と信用を重ねる。それからボクの女癖についてチラリと耳に入るようにして、興味を持つようであれば、そこから攻勢だ。……いや、そんなことやる気はないけど。何より、静香の友人というのがやりにくい。


「車まで出してもらって。ごめんねえ。シズのこと誘ったの、私だからさあ」


 智子さんは後部座席から聞こえる声にも柔らかな雰囲気をまとわせていた。


「そうだったんですか。こちらこそ静香が──義姉あねがご迷惑おかけしてすみません」


 ボクもそんな智子さんに合わせて応えると、話題にされている当の静香が何でもないようにあっけらかんとした口調で会話に割り込んだ。


「良いのよ。どうせこの時期の大学生なんて暇してるんだから」


 お前はもっと遠慮というものを持て。昨夜、静香と今日の予定について話した時も思ったが、結婚してからも彼女の性格は本当に変わる様子がない。


「そんなことないでしょ。拓巳くんだって予定があるところをわざわざシズの為に空けてくれたんだろうから」

「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。実際、今日は空いてたんで」


 できれば静香と一緒にいる時間なんて、一分一秒減らしたいものではあるが、そんなことを智子さんに言っても仕方ない。


「ねえ、拓巳? あたしに対する態度と違くない? トモが可愛いから?」

「そりゃ智子さんは可愛いよ」


 いつも女の子に対して言うようなノリでそう口にしてしまったことに軽く後悔する。いや、問題ない。可愛い女の子を褒めるのは、ある種ボクの責務だ。智子さんは、ボクの言葉に反応を寄越すこともなく、静かにしていた。運転席から智子さんの表情を見ようとは試みたが、角度的にちょうど見えない。バックミラーを動かして見るのも手ではあるが、わざわざそこまですることもない。


「えー、あたしはー?」

「はいはい、可愛い可愛い」


 ボクは投げやりに口にする。そこでようやく、智子さんの含み笑いが聞こえた。


「拓巳くん、聞いてた通り良い子だね。シズに聞いてた通り」


 静香に聞いてた通り──。その言葉に、心臓が跳ね上がる。静香の奴、ボクのことを智子さんに何て言ってるんだ? まさか、家族にも内緒にしている、ボクと静香が昔付き合っていたなんてことを智子さんに言ってはいないだろうが。


「静香はボクのこと、何と?」

「んー、優しくて気立ての良い子って」

 

 ボクは思わず小さく鼻で笑った。静香がそんな言い方をする筈がない。静香が友人なかボクのことを話すとするなら、まだボクが鼻垂れ坊主だった頃のものだろう。


「静香、どうせボクが自分のことをついて回ってた頃の話とかしてるんでしょ」


 ボクの言葉に、静香はうーんと悩むような声を漏らす。


「そーんなことは、ある」


 やっぱりそうじゃん。


「後、あたしが家に来てから、拓巳が一度も帰って来ないから寂しいとか」

「絶対そんなこと思ってない」

「拓巳くん、あんまりシズと話してないの?」


 智子さんが、少しばかり心配そうな声音を出した。


「そうなの。せーっかくあたしが家に来てあげてるのに」

「静香だって遊びに行ってるんでしょ」

「でも流石に何日も夜帰って来ないとは思わないもんよ。不良だ」


 何が不良だ。


「っていうか、実際毎日どこ行ってんの?」

「車で友達んとこまで行って酒飲んだりしてるから、泊まらせてもらってるんだよ。それに、帰ってないわけじゃないから。静香の服も洗濯してるでしょ」

「あ、それはホントありがと。すっごい助かってる」


 そりゃどうも。静香の服だけ放置して、ボクな分だけ洗濯しても良いのだが、そこまで邪険にする気持ちにもなれない。我ながら、中途半端な男だ。


「いや、シズ? 自分の服は自分で洗濯しなよ」


 智子さん、正論ありがとう。


「友達って、こないだ言ってた女の子?」

「そうだったり、バイト先の人のとこだったり、大学のゼミ仲間だったり」

「忙しいねえ」


 静香がボクの回答に溜息混じりに応えた。静香が思ってるよりは余程ね、と噛みつきたくなるのを堪える。毎日別の女の子の家に行って遊び回ってるんだよ、なんて言っても良いが、自分からそれを言うのは格好悪い。実際、この間も静香に対して一度勢いでそんなやり取りをして後悔したばかりだ。二度もそんな恥ずかしい、同じ轍を踏んだら、ボクは腹を切る。それに、智子さんがいる前でする話ではない。


「拓巳くん、モテるんだねえ」


 智子さんが、今の会話をそんな風にまとめてくれた。そう、実はボクはモテる。


「その女の子ってカノジョ?」

「違うって言ったでしょ」

「そうだっけ」


 ほら、静香にとってボクとの会話なんてこの程度だ。何も覚えちゃいない。


「智子さんと静香って、どういう繋がりなんですか?」


 ボクは話題を逸らす目的で、智子さんと静香のことについて尋ねることにした。


「元々ネットの知り合いなのよ」


 静香がボクの問いに端的に応えた。


「それにしては本名由来のあだ名で呼び合ってない?」


 ボクもインターネットで知り合った女の子と遊ぶことがあるが、大抵は知り合ったSNSに登録しているユーザー名で呼び合う。あ、でも本名で登録しているSNSの場合は、元々知り合い同士でやり取りをするから、そこで知り合ったパターンはあるか。


「シズと何度か会ってるうちに本名教えてもらって、それでお互いシズ、トモで呼び合うことになったの」


 なるほど。そういう話も、静香らしいと言えばらしい。智子さんの言葉に、静香が続ける。

 

「そうそう。何で知り合ったかは忘れたけど、SNSで繋がってそれなりに長い付き合い。んで、あたしが舞台鑑賞に興味があって、東京で観たいって話をしたらトモが案内してくれるってことになって」


 それで東京観光か。なるほど、理解した。智子さんの方がやたらと落ち着いているから、彼女の年齢が少し気になったのだけれど、この分だと智子さんの方が少し歳上、だろうか。


「会ってみてわかったんだけど、トモとあたしタメでさ。それで色々気が合うんだよね」


 違った。同い年だった。静香と同い年ということは、二十四か。ボクの脳裏に、色々な女の子の顔が浮かぶ。つまり、真琴や祐実さんよりも歳下か。玲奈さんは年相応、という雰囲気があるが、ボクの知っている女の子と比べても、かなり落ち着いている部類だ。静香と比べると余計にそう思ってしまう。


「……智子さん、すごいですね」


 それもあって、ボクはそんな感嘆の言葉を思わず口にした。


「え? えー? すごいって何が?」


 智子さんが戸惑ったように尋ねるが、やはりその言葉にも余裕があるように感じるから大したものだ。


「いえ、今後も静香をよろしくお願いします」


 ボクが神妙にそう口にすると、静香が「いやいやいや」と運転席と助手席の間から、ずいっと顔を覗かせた。そういうとこだよ。


「お前はあたしの何だよ」


 ──さあ、なんだっけ?


「あ、そろそろ着きます」


 話しているうちに、お目当てのカフェが見えた。周りには建物がない中にある、小さな建物だ。カフェの周りにはいくつも花が植わっていて、ちょっとした隠れ家めいた店を演出している。昨夜、静香から話を聞いた時に軽く調べた店だが、店のささやかな外装から想像するよりも、知る人ぞ知る人気のある店らしい。確かに、店の横にある駐車場もほぼ満車だった。店の敷地そのものはそう広くはないが、郊外であることもあって駐車場はそれなりの面積がある。ざっと数えただけでも、十台以上の車が停まっていた。ボクは慎重に空いているところに車を入れて、エンジンを止める。


「着きましたよ」


 ボクがそう言ってシートベルトを外すと、後部座席の二人も車のドアを開ける音がした。三人で店の中に入ると、順番待ちの列ができていた。なるほど、繁盛している。静香が代表で名前を書いて、空いている店内の順番待ち客用の椅子を探すが、こちらも埋まっている。仕方がないと、しばらく立って待つつもりで順番待ちの客を見回していると、ふと一人見覚えのある顔がいることに気付いた。


「あ」


 ボクは思わず声をあげる。椅子に座って、静かに本を読んで名前を呼ばれるのを待っているのは、紫音だった。眼鏡をかけているが、間違いない。


「紫音ちゃん」


 ボクは静香と智子さんのそばから離れて、紫音のもとに歩いていき、声を掛けた。


「ふぇ? わっ?」


 紫音はボクに声を掛けられた瞬間、ビクリと肩を震わせて、怯えた様子でボクを顔を見上げた。相変わらずのオーバーなリアクションに、笑ってしまう。


「あ、拓巳くん」

「奇遇だね。こんなとこで」


 まさかこんなところで知り合いに会うとは思わなかったが、ボクの車ですぐ来れる行動範囲で人気の店ということであれば、こういうこともまま起こる。以前、美術館で祐実とデートをしている時に、別の女の子と鉢合わせになった時は一瞬だけ肝を冷やした。祐実もその別の女の子も、ボクが色々な女の子と遊んでいることは知っていたわけだけど、だからと言って心の準備なしに、というのはボクにとっても心臓に悪い。それ以来、女の子と遊びに行く時は一応、他の女の子がその日何をしているのかの探りは徹底的にするようになった。けれど、今日は女の子とではない。静香とだ。急だったこともあり、そこまでの根回しはしていない。一応、真琴と祐実、遥華といった子にはそれぞれ、ボクが今日、義姉と外出することは伝えている。でも、そういや紫音には話してなかった。紫音とは数日後に会う予定だし、付き合いも長くないから、静香のことを含め、あまりプライベートに突っ込んだ話はしていないせいだ。だから、ここで紫音と会ったのは本当にたまたまだろう。


「拓巳くんこそ、どうして?」

「ボクは今日、姉さんの付き添い」


 ボクは紫音にも見えるよう、後ろの方にいる静香を指差した。静香はそれに気付いて、ぶんぶんと大きく両手を振る。やめてくれ、恥ずかしいから。静香の隣に立っている智子さんも、変わらずの上品な仕草で頭を下げた。

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