恋慕の情、追憶遊戯②

 紫音が興奮に漏らす声を聞きながら、ボクは執拗に彼女の身体を弄ることにする。反応を見ながら、刺激に弱い場所を探した。首筋と耳裏辺りを撫でると、特に彼女の心音が大きくなった。


「ここは好き?」


 ボクが囁くと、紫音はうんうんと何度も頷いた。左手で彼女の柔肌を弄りながら、彼女の首筋から頬、耳元にかけてまで、それぞれキスをした。紫音は我慢できないとでも言うようにボクの頭にギュッとしがみつく。


「め──」


 紫音にしがみつかれて二人の身体を密着させていると、紫音がか細い声で何かを言った。ボクは彼女の弱い拘束から抜け出ると、正面から彼女の瞳を見つめる。瞳は潤み、頬は紅潮して、彼女の乾いた息がボクの鼻腔をくすぐった。


「目を」

「め?」

「目。目にキス、してほしい」


 それはいわゆる、眼球舐めということだろうか。普段、ボクから提案することはないプレイだが、剥き出しの眼球を舐められるのを、好んで欲する女の子は、これまでにも何人か相手したことがある。ボクがそういうことかと尋ねると、紫音は目を瞑りながら首を横に振った。


「ち、がう。キスでいいの」

「……わかった」


 ボクは彼女の要望にすぐに答えた。唇を閉じて、紫音の瞼にそっと触れるか触れないかの距離感で唇を近付ける。


「あっ!」


 紫音が、今日一番とも思える程の大きな声を出した。余程のお気に入りらしい。ボクは続けて反対側の目にも同じようにする。紫音は跳ねるように体を震わせて、脚を上下にばたつかせてくねらせる。染み込んだ水で濡れたシーツがぐしゃぐしゃになって、ベッドから外れた。それでも紫音は足を動かすのを止められない。ボクはそんな彼女の足を手で持ち上げて、ボクの背後に回らせた。紫音はそのままギュウと両脚でボクの体を締め付けるようにする。


「えっちだね」


 ボクは彼女のその様子から感じたことを端的に言葉にする。体の締め付けが強くなる。ボクはまた紫音の両目にさっきより少しだけ強めに唇を押し付けた。


「他に、してほしいことは?」


 浴槽でスイッチが入ってから、紫音は完全にボクをようになっている。後はもう、ボクは彼女の欲望に応じていけば良い。


「それじゃあ──」


 彼女の蕩けた眼差しが、ボクの顔を捉える。ぼんやりとした心地で、きっとアルコールの酔いもいい具合に回っていることだろう。


「うん。言って」

「あのね──」


 紫音は両腕をボクの首に回す。ボクは彼女が掴みやすいようにより深く屈んで、彼女の瞳を見つめる。


「──すきって、言って」

「──」


 紫音の言葉に、ボクは咄嗟に返事ができなかった。そう、これだ──。

 彼女みたいな女の子を相手にする時に、一番気をつけなくちゃいけないこと。優しくし過ぎて、本気になられてしまっては、困るのだ。ボクの女の子とのやり取り原則──こちらから好きとは言わない。


「紫音ちゃんの髪、ボクは好きだよ」


 ボクはそう言って、彼女の髪を撫でた。浴室から出た時のままだから、髪は後ろで結われたままだ。


「あ──えへへ、そうだよね。ありがとう」


 紫音はすぐにボクの意図を察したらしかった。思っていたより賢い娘だ、と思う。女の子の方から、求められるのなら、潮時かと考えるところだけれど、聞き分けの良い女の子は、助かる。


「髪、解いていい?」

「うん。良いよ」


 ボクの問いかけに、紫音はすぐに応えた。さっきまであった、彼女の熱く蕩けるような情念が薄らいでいるように感じる。ボクは紫音の髪を解いて、少しだけ毛先の濡れるその髪を優しく手で梳いた。


「ちょっと待ってて」


 ボクはすっくと立ち上がり、リビングに向かうと、鞄の中からすぐに取り出せるようにしていたゴムを引っ張り出した。寝室に戻り、紫音の上に再び覆い被さる。紫音は無言で両腕を天井に向けて突き出す。ボクは彼女の求めに応じて、彼女を正面からぎゅっと抱きかかえた。さっき紫音が望んだように、両目にもう一度ずつキスをする。紫音は、さっきみたいに大きく声を漏らすことこそなかったが、それでもビクリと身体を震わせる。ボクは紫音の唇をはむと咥える。紫音も同じように僕の唇を食み、浅い口付けを繰り返す。ボクは彼女のへその辺りから、すうっと手を動かして彼女の身体を撫でた。


「もう、お願い」


 紫音が一言、そう口にした。ボクは頷く。ボクから彼女に、好きだと言ってほしいという願いを叶えられかった分、他の女の子とする時と比べてもいつにも増して、彼女のシンプルな求めにはしっかりと、応じようと思った。



2


 二人でベッドの上から下りた後、改めてシャワーを浴び直した。今度は、二人別々に。紫音が先に浴室に向かい、彼女が体を洗い流す間、ボクはびしょびしょになったリビングや寝室の床を拭いて、ぐしゃぐしゃになってしまったシーツを洗濯籠の中に入れて、布団をたたみ直した。そうしている間に紫音が体をしっかり拭いて上下セットのピンク色の可愛らしいパジャマ姿で脱衣所から出てきたので、ボクはそんな紫音の髪をひと撫でしてから、浴室に向かった。温かいシャワーを浴びながら、紫音との今後を考えた。やっぱり、連日会うのは失敗だった。彼女の性格のことは分かっていたつもりだったのに、彼女にあんな寂しそうな顔をさせたのは、全てボクの不用意さが原因だ。女の子の気持ち全てをコントロールなんて出来ない。これまでも、女の子に帰らないでほしいと泣かれながらも、二度と会わなことに決めたことはしょっちゅうある。それでも今回は、もっとうまくやれた筈だった、


「──静香のせいだ」


 ボクはシャワーを浴びながら、静かにそう呟く。水音にかき消され、自分ですら聞こえないくらいの声で。あの女がウチに来るなんて言い出さなければ、ボクはこんなくだらないことで悩まずに済んだんだ。シャワーを浴び終えて体を拭き、元着ていた服を着直す。リビングに戻ると、紫音がボクの買ってきた缶チューハイを新しく一本、開けていた。


「ボクにもちょうだい」

「あ、拓巳くん」


 紫音はリモコンを片手に配信サイトのおすすめを適当にザッピングしていたようだった。紫音はリモコンをテーブルの上に置くと立ち上がり、冷蔵庫に向かう。買ってきたお酒を冷やしていてくれたらしい。


「あ、待って。日本酒、あったよね」


 まだ空いていない缶チューハイを一本取り出して、冷蔵庫を閉めようとした紫音にそう尋ねる。紫音は閉めかけていた冷蔵庫の扉を開け直し、中から日本酒の瓶も取り出した。


「それそれ。飲む。紫音ちゃんも、飲む」

「はい。えっと、拓巳くんはこの後?」

「車で来ちゃったから帰れない。泊めて」


 図々しいのは承知の上、それが当たり前といった調子で笑顔を作った。


「あ、うん。いいよ」


 紫音はゆっくり頷いて、缶チューハイをボクに手渡した後、二人分のガラスコップを取り出して、テーブルに置く。酒瓶の開けて、二人分の酒を一杯分注ぎ、そのうちの一杯を、自分の前に、もう一杯を少し離して横に置いた。紫音がコップを手に取って、ソファに座ったのに続けて、ボクも彼女の横に座る。


「乾杯」


 ボクは缶チューハイを紫音に向けて掲げる。


「乾杯」


 紫音は日本酒の入ったコップをボクの缶チューハイにぶつけて、一口くいっと飲んだ。ボクもゴクゴクとチューハイを喉に流し込む。缶の中身半分くらいを一気に飲んで、ボクはふうと一息ついた。


「えと、さっきはごめんね」

「何が? 何も謝ることないでしょ」


 ボクは心底何でもない風を装って、紫音に顔を向けてにっこりと微笑んだ。というか、実際何でもない。体を重ね合った相手のことを愛おしくなって、愛を囁いてほしいなんてのは普通のことだ。分かっている。けれど、ボクにとって、それに応えるのは流儀じゃない、というだけ。ボクの女遊びの師匠を自称している大輝さんなら、遊んでいる女の子に「好き」と言ってほしいと言われれば、その気がなくたって、ためらうことなく言うだろう。女の子の望むことであれば即座に、何でも応えるのが原則のボクにとって、ここが一つの境であるというだけの話だ。そういう意味では、決して頭を下げるつもりなどないが、謝るのはボクの方、とも言える。


「続き観よ」


 ボクはテレビの方を指差す。特に気になるわけでもないが、こちらから喋る元気が正直、今はあまりない。何か音が欲しかった。紫音は素直にリモコンを操作し、さっき中断したアニメの続きが画面に映し出された。アニメを観ながら、ボクは缶チューハイの残り半分を飲み干して、それから紫音が注いだ酒も一気にあおった。


「ねえ、膝貸してよ」


 アルコールを一気に摂取して、少しだけくらくらし始めた頭を抱えながら、ボクは本当に何でもないようにそう言って、紫音の膝に耳の方から頭を乗せた。


「ひゃ」


 一度体を重ね合わせたというのに、紫音は相変わらず素っ頓狂な声を上げる。彼女のその声を聞くのはやっぱり何か面白くて、ボクの中にあったごちゃごちゃな溜飲が少しだけ下がる。


「──拓巳くん、優しいよね」


 紫音の膝に頭を預けて目を瞑った瞬間に、紫音がそんなことを言うものだから、ボクは目を開けて仰向けになって、彼女を顔を見上げた。彼女ももう眠いのか、缶チューハイを両手に握ったまま、ぽんやりと目を半開きにした表情で、ボクを見下ろす。

 ──優しい、ね。そりゃ優しいとも。優しさは、女の子を落とす武器だ。女の子をエスコートしたり、まめまめしく家の片付けを手伝ったり、夜を共にした後に朝ごはんを作ったりするのも全て、そうすることが女の子とまた次、体を重ねることに有用だからだ。だから、いつも女の子にそう言われた時に応える言葉は「でしょ」だとか、「君だからだよ」とか、そんな適当なものだ。だけど何故だろう。二人で風呂からびしょびしょのままベッドに押し倒した紫音を見た時や、彼女に嘘でも好意を言葉にしてほしいと求められた時、それに彼女の目に優しくキスをした時もそうだったけれど──今は何となく、本音に近い気持ちを口にしたくなった。


「優しくなんてないよ」


 ボクは自嘲する。鼻を鳴らして彼女の頬に手を当てる。


「色んな女の子に良いカッコして、そう見せてるだけ。そうやって、自分のシたい欲を満たしてるだけのクズだよ、ボクは」


 ここまで言って、大輝さんなら時にはこういう言い草で弱味を見せることも武器にしそうだな、なんてことを考えた。あまりやったことはないけど、ことによっては選択肢の一つにしても良いかもな、とそろそろシャットアウトしそうな脳みそで、思う。


「そうかな。拓巳くんは、優しいよ。ずっと」


 紫音の言葉をボクはまた鼻で笑う。何を根拠に言っているのか。ボクは紫音の頬から手を離して、彼女から缶チューハイを奪い取る。頭を持ち上げて、一口チューハイを口に含んで、また紫音の頬に手を当てて、反対側の手で彼女の口を無理矢理に開けると、お互いの口が覆い被さるように唇を重ねた。重ね合わせた口の端から、酒がこぼれる。口の中で、アルコールと共に舌が絡み合い、なんとも言えぬ幸福感を味わう。口の中にあったチューハイを全て紫音の口に移して、ボクは唇を離す。ゴクリと小さく、口の中の物を飲み込む音がした。続けて、紫音がゴホゴホと咽せる。ボクはそんな彼女を見て、腕で両目を抑えながら笑い、また彼女の膝に頭を預ける。酔いが回ってきたのは、こちらも同じだ。ぐるぐると頭が回るような意識が、ゆっくりと閉じていく。ボクはその意識の溶暗に身も心も委ね、そのまま眠りの快楽を享受した。

 

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