第16話 もう一人

 アルバイト最終日の夜。

 最後の配達を終えた俺はいつも通り営業所へと戻っていた。

 休憩室の電気は消え、薄暗くなった営業所。

 所内にいるのは社員の薄井さんだけ。

 これがベストだ。

 この時間であれば他のバイトと会う事はない。

 だから俺はこうしていつも遅れて営業所に戻る。


 結局あれから俺の帽子を狙う『もう一人』は現れなかった。

 ギャルもあれから大人しくなり、俺の帽子を狙う事はなくなった。

 というか俺と目が合うとそそくさと立ち去ってしまう。

 この前の作戦を俺に見破られたのがよっぽど恥ずかしかったのだろう。

 一応、色々想定して用意はしていたが、必要なかったようだ。

 あとは着替えて薄井さんに挨拶すれば俺のバイトも終了だ。


「ん、あれ? ないぞ」

 

 更衣室、俺のロッカーに入れておいた私物の帽子がない。

 この日のために俺が用意した最終兵器。

 バイト最終日の帰りに営業所を出たところを待ち伏せされたら困るからな。

 制服の帽子から自分の帽子に被り変えて帰るつもりだった。


 俺の帽子を狙う『もう一人』は知恵がある。

 少なくともギャルよりは頭が良い。

 俺が一番気を抜くタイミングで仕掛けてくる可能性が高い。

 そう思って帽子を用意していたのだが、なぜか見つからない。

 その時だった。


「早乙女くん、何かお探しかしら?」

 

 俺しかいないはずの更衣室に女性の声が静かに響く。

 ここは男性更衣室なのになぜ女性の声が?

 おいおい、やめてくれよ。

 俺はホラーは苦手なんだよ。

 ああ、でも気になる。

 恐る恐る声の方へ振り向く。


 そこには黒髪ポニーテールを揺らす綺麗な女性が立っていた。

 その手にあるのは俺の私物の帽子。

 器用に人差し指でくるくる回している。

 なるほど、見つからないわけだ。


「あなただったんですね、白槻さん」


 俺の言葉にニヤリと笑みを浮かべる白槻さん。

 普段の落ち着いた彼女とはまるで違う。

 どこか悪そうな雰囲気を漂わせている。

 

「早乙女くん、キミは『帽子の貴公子』という存在に心当たりはあるかしら?」

「いえ、ないですけど」


「ふふ、私の大学にいる先輩なんだけどね。甘いマスクに王子様のような性格を持った男の人が居るんだけど、いつも帽子を被っているの」


「はぁ、それが何か関係あるんですか?」

「私は思ったのよ。彼は絶対に禿げてるってね。だから帽子を取ってやろうとした」


「酷い事を考えますね」

「好奇心旺盛って言って貰えるかしら。でもね、残念な事に帽子の貴公子は鉄壁だったの、帽子を取るどころか、触れる事も出来なかった」


「そうなんですか」

「ええ。そして、その人の名は――早乙女カヅキ、キミのお兄さんよ」

「なッ⁉」

 

 確かに、下の方の兄貴は王子様みたいな性格をしている。

 でも帽子は被ってなかったはず……、いや待てよ。

 あいつにはおかしな点がある。

 朝必死に髪型を整えているのに、帰ってくると髪がぺったんこなのだ。

 薄毛が進行してるから髪型を保てないんだと思っていたが。

 日中帽子を被り続けているとすれば辻褄が合う。

 

 あいつは、カヅキは大学では帽子を被っていたのか。

 何とも言えない気持ちが俺を襲う。

 いつも王子様として振舞っているあいつが、大学では帽子を被る。

 すっかり薄毛を受け入れてさらけ出しているものと思っていたが。

 あいつもまた、戦っているんだな……。


 って感傷に浸っている場合じゃない。

 白槻、こいつは狂ってやがる。

 薄毛戦士の帽子を取ろうとするのもヤバいが、今こうして普通に男性更衣室に入って来て私物である俺の帽子を盗んでるからな。

 普通に犯罪だろこれ。

 

「それで、白槻。お前は何がしたいんだ?」

「私はね。キミのお兄さんの帽子を狙って気付いた事があるの。被っている帽子を取れないなら、被る前に奪えばいいってね。でもいきなり本命を狙う事はしないわ。私はこう見えて慎重なのよ」


「そこで弟の俺を標的にしたわけか」

「そういう事になるわね」


「お前のやっている事は普通に犯罪だぞ」

「あら、私は偶然帽子を拾って預かっているだけよ」


「なら今すぐ返してもらおうか」

「今キミが被っている帽子、それと交換でどうかしら?」


「意地でも俺の帽子を取りたいらしいな、薄井さんを呼ぶぞ」

「呼ぶのは構わないけど、キミに男性更衣室に連れ込まれたって言うわよ?」


「なッ⁉」

「諦めなさい、ここでキミは帽子を脱ぐ運命なのよ」



 ここまで……なのか?

 俺は薄毛戦士として自分の帽子すら守れないのか!

 今被っている帽子を脱げば全て丸く収まる。

 バイトも今日で終わりだ。

 白槻にどう思われようがもう会う事はない。

 なら良いじゃないか、帽子を脱いでしまっても――。


 いや、駄目だ!

 

 俺は薄毛戦士、こんなところで負けるわけにはいかない。

 ここで屈してしまったらこの先、俺は大事なところで逃げる癖がつくだろう。

 そんな男が幼馴染の雪子と付き合えるはずがない!


 何か手はないか!



 

 


 何か、手はないかッ!!!

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