第8話

「吉子、僕だよ!」


そう言うなり、彼女は吉子に突進するようにして抱きつき、頬ずりした。


伊沙那は反射的にソファーから立ち上がり、二、三歩後ずさる。


「おめでとう。本当に嬉しいよ。かわいいね。ドレスもよく似合ってる」


美しいというより派手、華やかというより華美な女性だった。


ルビー色のドレスは肩から背中にかけてざっくりと開いており、惜しげもなく大胆に肌を露出している。


その代わりといっては何だが、二の腕から指先までドレスと同じ素材でできた長手袋で覆われている。


真紅のドレスと唇、黒髪と漆黒の瞳、そして真っ白な肌が相まって、目にも鮮やかな赤、黒、白のコントラストを織りなしていた。


「ありがとう。きょうはぜひ楽しんでいってね」


吉子は動じることなく、おっとりとした語調で言う。


「もっとよく見せて。かわいいよ。天使。最高すぎる。そうだ!カメラ。写真撮ろう、写真!」


熱のこもった調子で彼女はまくしたて、吉子をもう一度ぎゅっと強く抱きしめると、慌ただしくハンドバッグの中を探り始めた。


そこでようやく伊沙那と目が合った。


「あ」


これ以上赤くはなれまいというほど見事に紅い唇を半開きにして、ぽかんとこちらを見つめている。


絶妙のタイミングで吉子が口を入れた。


「関谷伊沙那ちゃんよ。前に話してた、わたしのお友だち」


「ああ!君が」


ポンと手を打った彼女は、屈託なく右手を差し出すと、


「僕は涼原杏樹すずはら・あんじゅ。吉子とは、職場の同期で同僚なんだ。君のことは吉子から聞いて、よく知ってるよ。会えるのをすっごく楽しみにしてたんだ。よろしくね」


ぽんぽんと歯切れはいいが舌足らずな喋り方と、短いボーイッシュな黒髪に女優のような豪奢なドレス。


息を飲むほど白い肌に小さな顔、長い手足、人形のように細い体。


おまけに、大きな瞳は尋常でない吸引力と熱を有している。


何もかもがアンバランスで、どことなく危うさを感じさせる女性だった。


「初めまして。よろしくお願いします」


伊沙那が言って頭を下げると、杏樹はスマホを差し出して、


「悪いんだけど、カメラ頼めないかな」


「いいですよ」


快く応じて写真撮影すると、杏樹は恋人のように吉子の腰を抱いた。


「本当に残念だよ。吉子があんな奴のものになるなんて」


伊沙那は軽く目をみはった。


『あんな奴』――というニュアンスは、明らかに相手をけなしている。


それに気づいた吉子が、たしなめるように杏樹の頭に手を置いて、


「こら」


杏樹ははっとした。


「ごめんごめん。言わない約束だったね」


子どものようにぺろりと舌を出し、ばつが悪そうに笑う。


そして吉子の手をとり、目を見て言った。


「本当におめでとう」


「ありがとう、杏樹」


不思議な光景だった。杏樹はとても女らしい容姿をしているのに、会話だけ聞いていると元恋人のようで。


「それじゃ、私はこれで失礼します」


辞去するタイミングを逸していた伊沙那だったが、ようやくのことで腰を上げる。


「じゃ、僕も。吉子、また後でね」


と言って、杏樹も手を振った。


「二人ともありがとう。また後で」


吉子を残し、伊沙那と杏樹はブライズルームを出た。


出たところで隣の部屋から出てきた新郎、西浦洋介と鉢合わせする。


先ほどの一件があったばかりで、伊沙那は気まずく目を伏せた。


だが、杏樹は予想だにしない行動に出た。


ずかずかと大股で洋介に詰め寄ると、いきなりネクタイを引っ張ったのだ。


「吉子を泣かせたら許さないからね」


突然の珍事に、洋介もぎょっとした顔で硬直している。


杏樹は吉子と同じくらいの身長で、女性としても低いほうだ。


洋介はかなり下のほうからネクタイを引っ張られているため、自然と頭を下げて杏樹のほうに顔を近づける格好になった。


「幸せにしなきゃ殺してやるから」


凄味のある声で杏樹は呟く。


ようやく我に返った伊沙那は、杏樹の手に手を重ねて言った。


「涼原さん。とにかく手を離しましょう」


すると杏樹は、けろっとした顔でネクタイから手を離すと、


「ごめんごめん。冗談だよ」


無邪気すぎる笑い声が廊下にこだまする。


「ね?西浦さん」


杏樹の口元は笑みを形づくっているが、目は全く笑っていない。


伊沙那はうなじが粟立つのを感じた。

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