2.Daybreak‘s bell
「――もう一度言ってくれないか」
オリガ・イワノーヴナ曹長は驚きのあまり、担当官に今聞いたことをもう一度繰り返させた。
「ええ、ですから、
【モスクワ
「そんな――サーリャまでもやられたというのか――嘘だと言ってくれ……」
オリガは頭を抱えた。
「残念ながら、事実です。
――司令は当該【竜】を【
担当官はオリガへその報告に来たところだった。
深夜、オリガの個室を訪ねるブザーでかれは起床し、担当官を迎え入れた。当時の【モスクワ詰所】では、軍曹以上に専任の担当官がいて、司令との連絡や【V】本人のマネジメントなどを行っていた。古くは【
「僕の記憶によれば、【
「仰るとおりです。【
「残りは、
「はい。公式記録ではその通りとなっております」
「――なあ、サイモン。僕にやれると思うか?」
担当官のサイモンは少しだけうつむいて、オリガの言葉にこう答えた。
「こんなことを言うのも憚られましょうが――もしオリガ様が【
「――そういうことだよな」
「はい」
「アランは――戦力にならないな」
「私もそう思います」
第二部隊副長となったアラン・デニソービッチ伍長は、他に副長となれるものがおらず、仕方なく副長に指名されただけであった。オリガの一期後に入職したかれは、討伐数と配属期間に原則として昇格制限がある軍曹にも上がることが出来ておらず、戦力としてはその程度であった。そもそも第二部隊の主戦力は、【
「フッ、【
――さしずめ、
数週前、訓練場でオリガの先攻を一撃で切り返したアガサはこう言い放った。オリガが、サルミーラから【
オリガにとってアガサは一期先輩にあたる。【モスクワ
「お前は待たない。常に先を読んでその先へ動き、相手よりも先に動いて殺そうとする。それはお前より目が遅い相手には有効だが、そういう者達ばかりでもないし、少なくとも私はそうではない。だからお前のそれは一切通用しない」
アガサの得物は何の変哲もない、大した長さもない
称号を名付ける【V】を選ぶにあたり、アガサはかなり悩んでオリガとした。オリガは、その紅く波打つような髪と、力強い戦い方から【
「――あいかわらず、手厳しいな……」
「それとお前、サーリャに惚れているのか?」
「なんでだ、今関係ないだろう?」
図星を突かれて、オリガはうろたえ、むっとした。
「関係あるから聞いているんだ。お前の動きそのものは、前よりもずっと鋭くなっている。その代わり、お前の筋には焦りが見えた。
――私は覚えがある。それは、守りたい者が生まれた者の動きだと」
「それとサーリャと何の関係がある?」
オリガは苛ついた視線を送った。
「それは推測だ。お前の称号を名付けたのはサーリャ。お前の好みはサーリャのような
「うるさい。当たっているから苛ついているんだ」
オリガは苦虫を嚙み潰したような顔でアガサを見た。
「それこそがお前の弱点だ。移り気で「待て」を知らない。
――
アガサは冷たく微笑んだ。
オリガはしおらしくうなだれた。
「まあそう落ち込むな。お前の技は確かに磨かれている。ただ、私のように、お前の動きが手に取るように判る相手に、お前の技は直線的すぎて通用しないと言っただけだ。緩急と、駆け引き。本来お前が恋愛において得意としているものは、実質的に戦いでも必要だ。ただ、それだけの話だよ。お前にできないはずがない。
――ひとつ、話をしてやろう。お前の名付けた【
オリガは、アガサの言葉を思い出した。
「なあ、アガサ――【
【
「はい。【
「――昔アガサが言っていたんだ。死ぬなら故郷の海で、と」
「アガサは、確かに【
「だといいがな」
オリガは【
「二、三人でいい。余りに多いと僕が失敗したとき、ここには何も残らなくなるだろうから」
すっかり兵士の顔になったオリガは、サイモンにそう告げた。
「承知致しました」
「アランは残しておけ。共倒れになってはいけない」
「――アランに、後を託すということですか?」
「逆だ。もし僕が死んだら、アランだけでもどこかに移せるだろう。違う場所なら花を咲かせられるかもしれないしな」
オリガはそう言って部屋を出た。
オリガは揃った部隊員を見た。並んだ【V】たちは若く、四十九期――五期めのサブリナ・エンレイ一等兵が筆頭であった。戦力というよりは、記録係と露払いということだろう。
その中に普段見ない顔があることに気づく。
体躯が大きめの【モスクワ
特に、その金色の髪は生粋のモスクワ生まれのように思われた。オリガはなんとなく、惹かれるものを感じた。
「君は……?」
【
「今期から第二部隊に配属されました、エレナ・ペトローヴナと申します。階級は一等兵です」
エレナは初めて見る部隊長に敬礼を送った。
「なるほど、
――サイモンめ、容赦ないな」
――一等兵配属か。膂力以外は【
オリガはエレナを見て、淡泊にそう思った。
担当官のサイモンはオリガの戦力としての有用さを少し過大評価しているところがあった。オリガは常にぎりぎりのところをどうにか切り抜ける癖が付いており、それが部隊運営の基本になっていた。
「よし、みんな、行くぞ」
オリガは全員にそう次げ、【モスクワ
本来であれば【
飛び立ってからしばらくは荒涼とした大地が続いた。月はその大地が何に覆われていようと平等にかれらを照らした。
地平線が途切れ遠くに海が見えた頃、見て判るほど大きな、紅い【
オリガの予想通り、冷たい海の上に、月に照らされてその【竜】は滞空しており、何かを待っているように見えた。
「君たちは攻撃が届かないところで距離を保っていてくれ。僕がすべてやる。下手に動けば命はない。頼むから、僕が指示を出すまで、自分を守る以外のことはしないでくれ」
オリガの言葉に、若き【V】たちは固唾を飲んで頷いた。
オリガはまっすぐ【竜】に近づく。
【
「まさか僕が〈北欧のコウサキ〉を討つことになろうとは。
――元気かい、アガサ?」
オリガは得物の
【
「【
オリガは口上をとなえた。大きな【竜】に接するとき、かれは必ず口上をとなえ攻撃に移る。
――緩急と、駆け引き。
――言ってくれるじゃないか。僕がそんなこと、考えていないとでも?
オリガは【
――アガサ、君はまっすぐで、ただただまっすぐでひたむきな僕が好きだろう?
【獄焔竜】の幾多もの爪を全て躱し、オリガは【獄焔竜】の首に肉薄した。
――そうして欲しかったことに、僕が気づいていないとでも思っていたのか?
「
――可哀想に。
オリガは【獄焔竜】の首を
「――すまない。僕はただ、君が好きな『僕』でいただけなんだ。そう、していたかっただけだったんだ」
オリガはそうつぶやいて、海に墜ちていく【獄焔竜】を見つめていた。
風を切る音でオリガは我に返り、振り返って大鎌を構えた。
だが、敵の爪が僅かに速く、オリガの左肩を大きく傷つけた。
「くそっ!」
オリガはその正体に向き直る。
【
真っ黒な、首の長い【竜】だった。
「サーリャ……なのか?」
オリガは【竜】の正体を、一瞬で見破った。
黒い【竜】は、もう一度オリガに肉薄し、爪を振りかざした。オリガは無事な右腕で大鎌を振り抜き、【竜】の爪をはじき返す。
――こちらの回復を待っているほど行儀良くはない。サーリャならなおのことそうだ。あいつは、手段を選ばない。
オリガはサルミーラの流し目と、誘うような妖艶な微笑みを思い出した。
「【
オリガの言うとおり、この【竜段4】の【竜】は、くねくねと身体を折り曲げ、漆黒の鱗が月の光を跳ね返しており、どこか艶めかしく見えた。
「手負いでやれるか……」
オリガは救援を呼ぶか迷った。
その一瞬を、【竜】は見逃さなかった。
それは猛烈な速度でオリガに近づく。
「しまった!」
オリガは迫り来る爪を大鎌で受けようと構えた。
が、爪が振りかざされる前に、【竜】の動きは止まった。
【竜】の頭が完全に潰され、黒い【竜】は暗い海へと墜ちていった。
オリガは視線を上げた。
新兵のエレナが、巨大な
「君か……」
エレナはオリガに近寄った。
「お怪我は大丈夫ですか、部隊長?」
「ああ、問題ない、ひとりで飛べるさ」
オリガは大鎌をしまって、顔を歪めながらそう言った。
――なるほど、思っていたよりも強いな。いずれは実戦部隊の部隊長くらいにはなれるだろう。根性も度胸もある。僕としたことが、見誤ったようだな。
オリガはその言葉を心にとどめた。
「助かったが……命令違反は今後重大な懲罰の対象となるから気をつけることだ、ペトローヴナ一等兵」
「申し訳ありません。
――ですが、指示を受けたのは【
エレナは表情を変えず、そう言った。実力よりも自信が勝る、一等兵配属の【
「――ああ、おかげで助かったよエレナ。だが、ほどほどにするんだな。僕ですらこうして敵を見落とすんだ、君はまだ
――まあ、こんな格好では伝わらないか。
オリガは内心そう思った。
「わかりました。今後は気をつけます」
「納得していない顔をしているな」
「――はい」
エレナは素直にそう言った。
「今納得できなくても仕方がない。だが、僕が言うことは生き残るために必要だと心得てくれ。いくら【
「わかりました」
エレナは、もう一度うなずいた。
周囲は仄かな明かりに包まれ始めていた。
夜が明ける。
東の空から眩しい光が差し込んできた。
ゴーン。
【西モスクワ特別居住区】から、夜明けを知らせる鐘が鳴った。
「【
オリガは緩やかに昇っていく日を見つめながらそう言った。
「美しい景色ですね」
エレナは半ば見とれながら、そう言った。
――アガサは僕に、これを見せたかったのかも知れないな。
オリガはなぜか、その言葉を口にしてはいけないような気がして、口を噤んだ。
太陽はゆっくりと昇り、いまやその身体の全てを空に現した。
夜明けの鐘はまだ、遠く鳴り続けていた。
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