2.Daybreak‘s bell

「――もう一度言ってくれないか」

 オリガ・イワノーヴナ曹長は驚きのあまり、担当官に今聞いたことをもう一度繰り返させた。

「ええ、ですから、第一部隊長アディンである【灼熱ズノーイ】――アガサ・クラコット大尉が哨戒中に突如【ドラコン】と化し、副長サルミーラ・オレゴヴナ少尉以下、第一部隊は全滅しました」

 【モスクワ詰所ステーション】は混沌の渦に落ち、司令は戦略層に引きこもったままだとも伝えられた。

「そんな――サーリャまでもやられたというのか――嘘だと言ってくれ……」

 オリガは頭を抱えた。

「残念ながら、事実です。

 ――司令は当該【竜】を【竜段レベル6】、その名を【獄焔竜インフェルノ】と指定、第二部隊長ドゥヴァであるオリガ様に討伐を要請しました」

 担当官はオリガへその報告に来たところだった。

 深夜、オリガの個室を訪ねるブザーでかれは起床し、担当官を迎え入れた。当時の【モスクワ詰所】では、軍曹以上に専任の担当官がいて、司令との連絡や【V】本人のマネジメントなどを行っていた。古くは【東京詰所トウキョウ・ステーション】の運用から派生したこの方法は、今となっては【モスクワ詰所】をはじめとして世界の様々な【詰所】のスタンダードな運用方法となっていた。

「僕の記憶によれば、【円卓竜ラウンズ】以来初の【竜段レベル6】のはずだが?」

「仰るとおりです。【竜段レベル6】は、【獄焔竜インフェルノ】で四体目の出現ということになります」

「残りは、東京トーキオのコウサキ大尉が全て倒しているはずだな?」

「はい。公式記録ではその通りとなっております」

「――なあ、サイモン。僕にやれると思うか?」

 担当官のサイモンは少しだけうつむいて、オリガの言葉にこう答えた。

「こんなことを言うのも憚られましょうが――もしオリガ様が【獄焔竜インフェルノ】の討伐に失敗すれば、【モスクワ詰所】が消滅し、他の【詰所】に吸収されるのみであると、私は思います。今、本【詰所】の実戦部隊は実質的に第二部隊しかおりませんので」

「――そういうことだよな」

「はい」

「アランは――戦力にならないな」

「私もそう思います」

 第二部隊副長となったアラン・デニソービッチ伍長は、他に副長となれるものがおらず、仕方なく副長に指名されただけであった。オリガの一期後に入職したかれは、討伐数と配属期間に原則として昇格制限がある軍曹にも上がることが出来ておらず、戦力としてはその程度であった。そもそも第二部隊の主戦力は、【死神ジュネーツァ】の称号を得ているオリガしかおらず、当時の【モスクワ詰所】には、【灼熱ズノーイ】の称号を得ていたアガサを除けば、称号持ちの【V】はオリガしかいなかった。



「フッ、【死神ジュネーツァ】などと大層な称号を貰っておきながらこの程度とは。私からすればお前は【死神ジュネーツァ】などではない。

 ――さしずめ、サバーカだな」

 数週前、訓練場でオリガの先攻を一撃で切り返したアガサはこう言い放った。オリガが、サルミーラから【死神ジュネーツァ】の称号を賜ったばかりのことであった。

 オリガにとってアガサは一期先輩にあたる。【モスクワ詰所ステーション】で屈指の実力者であったふたりは、互いに切磋琢磨し、常に訓練で腕を磨くことを怠っていなかった。

「お前は待たない。常に先を読んでその先へ動き、相手よりも先に動いて殺そうとする。それはお前より目が遅い相手には有効だが、そういう者達ばかりでもないし、少なくとも私はそうではない。だからお前のそれは一切通用しない」

 アガサの得物は何の変哲もない、大した長さもない両刃の直剣ソードだった。アガサはその直剣で多くの【ドラゴン】を葬り、訓練でも無敗を誇った。その得物の形が奇しくもコウサキ・アヤに似ていたこともあり、称号制度が設けられる前から〈北欧のコウサキ〉と呼ばれていた。称号制度が正式に導入され、世界で初めて生きながらにして称号を手にした【V】である。

 称号を名付ける【V】を選ぶにあたり、アガサはかなり悩んでオリガとした。オリガは、その紅く波打つような髪と、力強い戦い方から【灼熱ズノーイ】の称号を贈った。

「――あいかわらず、手厳しいな……」

「それとお前、サーリャに惚れているのか?」

「なんでだ、今関係ないだろう?」

 図星を突かれて、オリガはうろたえ、むっとした。

「関係あるから聞いているんだ。お前の動きそのものは、前よりもずっと鋭くなっている。その代わり、お前の筋には焦りが見えた。

 ――私は覚えがある。それは、守りたい者が生まれた者の動きだと」

「それとサーリャと何の関係がある?」

 オリガは苛ついた視線を送った。

「それは推測だ。お前の称号を名付けたのはサーリャ。お前の好みはサーリャのようなゲルマン人離れしたエキゾチックな風貌。そこからの推論だ。違うなら謝ろう」

「うるさい。当たっているから苛ついているんだ」

 オリガは苦虫を嚙み潰したような顔でアガサを見た。

「それこそがお前の弱点だ。移り気で「待て」を知らない。

 ――サバーカそのものだろう?」

 アガサは冷たく微笑んだ。

 オリガはしおらしくうなだれた。

「まあそう落ち込むな。お前の技は確かに磨かれている。ただ、私のように、お前の動きが手に取るように判る相手に、お前の技は直線的すぎて通用しないと言っただけだ。緩急と、駆け引き。本来お前が恋愛において得意としているものは、実質的に戦いでも必要だ。ただ、それだけの話だよ。お前にできないはずがない。

 ――ひとつ、話をしてやろう。お前の名付けた【灼熱ズノーイ】、これでも私は気に入っていてな。もし私が【ドラコン】になるとしたら、お前にその止めを刺して貰いたい。できれば、故郷ペテルブルグの冷たい海の上でな。あの海なら、私の火照りも冷ませるだろう――」



 オリガは、アガサの言葉を思い出した。

「なあ、アガサ――【獄焔竜インフェルノ】は、【西モスクワ特別居住区ペテルブルグ】付近にいるのか?」

 【西ウエストモスクワ特別居住区レジデンス】は、かつてロシア有数の都市があった場所の近傍にあり、そこから、その都市の名前をとって〈ペテルブルグ〉と呼ばれている。

「はい。【西モスクワ特別居住区ペテルブルグ】北西の海上にいるとのことです。なぜそれを?」

「――昔アガサが言っていたんだ。死ぬなら故郷の海で、と」

「アガサは、確かに【西モスクワ特別居住区ペテルブルグ】の出身でしたね。それなら、オリガ様を待っているのかも知れません」

「だといいがな」

 オリガは【耐竜装フォース】のチェックを始めた。

「二、三人でいい。余りに多いと僕が失敗したとき、ここには何も残らなくなるだろうから」

 すっかり兵士の顔になったオリガは、サイモンにそう告げた。

「承知致しました」

「アランは残しておけ。共倒れになってはいけない」

「――アランに、後を託すということですか?」

「逆だ。もし僕が死んだら、アランだけでもどこかに移せるだろう。違う場所なら花を咲かせられるかもしれないしな」

 オリガはそう言って部屋を出た。



 オリガは揃った部隊員を見た。並んだ【V】たちは若く、四十九期――五期めのサブリナ・エンレイ一等兵が筆頭であった。戦力というよりは、記録係と露払いということだろう。

 その中に普段見ない顔があることに気づく。

 体躯が大きめの【モスクワ詰所ステーション】の【V】たちの中でも、ひときわ大きく、立派な身体をしていたかれに、オリガの視線は自然と止まった。

 特に、その金色の髪は生粋のモスクワ生まれのように思われた。オリガはなんとなく、惹かれるものを感じた。


「君は……?」

 【識別票ステータス】を見ながら、オリガはかれに尋ねた。

「今期から第二部隊に配属されました、エレナ・ペトローヴナと申します。階級は一等兵です」

 エレナは初めて見る部隊長に敬礼を送った。

「なるほど、新兵ノヴィチョクか。

 ――サイモンめ、容赦ないな」

 ――一等兵配属か。膂力以外は【騎士ルイッツァリ】としては並だが、その膂力がずば抜けているからだろうな。武器によっては長く生き残るだろうが、いいとこ、副長が務まるかどうかだろう。僕やアガサには及ばないか。

 オリガはエレナを見て、淡泊にそう思った。

 担当官のサイモンはオリガの戦力としての有用さを少し過大評価しているところがあった。オリガは常にぎりぎりのところをどうにか切り抜ける癖が付いており、それが部隊運営の基本になっていた。

「よし、みんな、行くぞ」

 オリガは全員にそう次げ、【モスクワ詰所ステーション】を飛び立った。

 本来であれば【西モスクワ特別居住区ペテルブルグ】まで輸送用の高速鉄道で向かい、そこから飛び立つのが速くて近いが、【特別居住区レジデンス】という性質上【V】が気軽に立ち寄れる場所ではないため、【詰所ステーション】から直接飛び立つことになった。


 飛び立ってからしばらくは荒涼とした大地が続いた。月はその大地が何に覆われていようと平等にかれらを照らした。

 地平線が途切れ遠くに海が見えた頃、見て判るほど大きな、紅い【ドラゴン】を発見した。

 オリガの予想通り、冷たい海の上に、月に照らされてその【竜】は滞空しており、何かを待っているように見えた。

「君たちは攻撃が届かないところで距離を保っていてくれ。僕がすべてやる。下手に動けば命はない。頼むから、僕が指示を出すまで、自分を守る以外のことはしないでくれ」

 オリガの言葉に、若き【V】たちは固唾を飲んで頷いた。

 オリガはまっすぐ【竜】に近づく。

 【耐竜装フォース】が【竜段レベル6】の【獄焔竜インフェルノ】であることを知らせた。

「まさか僕が〈北欧のコウサキ〉を討つことになろうとは。

 ――元気かい、アガサ?」

 オリガは得物の大鎌サイスを取り出し、アガサ――【獄焔竜インフェルノ】の眼前に飛んだ。

 【獄焔竜インフェルノ】はオリガを認め、骨に染み渡るような咆哮をあげた。

「【死神ジュネーツァ】、オリガ・イワノーヴナ、君の命を貰い受ける!」

 オリガは口上をとなえた。大きな【竜】に接するとき、かれは必ず口上をとなえ攻撃に移る。

 ――緩急と、駆け引き。

 ――言ってくれるじゃないか。僕がそんなこと、考えていないとでも?

 オリガは【獄焔竜インフェルノ】にまっすぐ突っ込んだ。【獄焔竜】はその爪を素早くオリガに向ける。オリガはそれをするりと躱し、さらに【獄焔竜】の首へ迫った。

 ――アガサ、君はまっすぐで、ただただまっすぐでひたむきな僕が好きだろう?

 【獄焔竜】の幾多もの爪を全て躱し、オリガは【獄焔竜】の首に肉薄した。

 ――そうして欲しかったことに、僕が気づいていないとでも思っていたのか?

左様ならダスヴィダーニャ、アガサ」

 ――可哀想に。

 オリガは【獄焔竜】の首を大鎌サイスで両断した。

「――すまない。僕はただ、君が好きな『僕』でいただけなんだ。そう、していたかっただけだったんだ」

 オリガはそうつぶやいて、海に墜ちていく【獄焔竜】を見つめていた。

 風を切る音でオリガは我に返り、振り返って大鎌を構えた。

 だが、敵の爪が僅かに速く、オリガの左肩を大きく傷つけた。

「くそっ!」

 オリガはその正体に向き直る。

 【耐竜装フォース】は【竜段レベル4】を示していた。

 真っ黒な、首の長い【竜】だった。

「サーリャ……なのか?」

 オリガは【竜】の正体を、一瞬で見破った。

 黒い【竜】は、もう一度オリガに肉薄し、爪を振りかざした。オリガは無事な右腕で大鎌を振り抜き、【竜】の爪をはじき返す。

 ――こちらの回復を待っているほど行儀良くはない。サーリャならなおのことそうだ。あいつは、手段を選ばない。

 オリガはサルミーラの流し目と、誘うような妖艶な微笑みを思い出した。

「【ドラコン】になっても、悪魔ジアーヴォルのようだな、君は」

 オリガの言うとおり、この【竜段4】の【竜】は、くねくねと身体を折り曲げ、漆黒の鱗が月の光を跳ね返しており、どこか艶めかしく見えた。

「手負いでやれるか……」

 オリガは救援を呼ぶか迷った。

 その一瞬を、【竜】は見逃さなかった。

 それは猛烈な速度でオリガに近づく。

「しまった!」

 オリガは迫り来る爪を大鎌で受けようと構えた。

 が、爪が振りかざされる前に、【竜】の動きは止まった。

 【竜】の頭が完全に潰され、黒い【竜】は暗い海へと墜ちていった。

 オリガは視線を上げた。

 新兵のエレナが、巨大な鎚矛メイスを構え、凜とした表情でそこにいた。

「君か……」

 エレナはオリガに近寄った。

「お怪我は大丈夫ですか、部隊長?」

「ああ、問題ない、ひとりで飛べるさ」

 オリガは大鎌をしまって、顔を歪めながらそう言った。

 ――なるほど、思っていたよりも強いな。いずれは実戦部隊の部隊長くらいにはなれるだろう。根性も度胸もある。僕としたことが、見誤ったようだな。

 オリガはその言葉を心にとどめた。

「助かったが……命令違反は今後重大な懲罰の対象となるから気をつけることだ、ペトローヴナ一等兵」

「申し訳ありません。

 ――ですが、指示を受けたのは【獄焔竜インフェルノ】についてだけで、この【竜段レベル4】についてまでの指示とは理解しておりませんでした。現に、部隊長が危機的状況だったので差し出がましくも救援を行ったまでです」

 エレナは表情を変えず、そう言った。実力よりも自信が勝る、一等兵配属の【純粋兵コレクテッド】にありがちな態度であった。

「――ああ、おかげで助かったよエレナ。だが、ほどほどにするんだな。僕ですらこうして敵を見落とすんだ、君はまだ新兵ノヴィチョクなのだから、周りを気にした方がいい」

 ――まあ、こんな格好では伝わらないか。

 オリガは内心そう思った。

「わかりました。今後は気をつけます」

「納得していない顔をしているな」

「――はい」

 エレナは素直にそう言った。

「今納得できなくても仕方がない。だが、僕が言うことは生き残るために必要だと心得てくれ。いくら【騎士ルイッツァリ】でも、そんな無茶な動きをしたらすぐに死ぬ。【ぼくたち】は常に、戦場にいるのだから」

「わかりました」

 エレナは、もう一度うなずいた。

 周囲は仄かな明かりに包まれ始めていた。

 夜が明ける。

 東の空から眩しい光が差し込んできた。


 ゴーン。


 【西モスクワ特別居住区】から、夜明けを知らせる鐘が鳴った。

「【西モスクワ特別居住区ペテルブルグ】は、夜明けに鐘を鳴らすのだな。ここに来なければ、知らなかった」

 オリガは緩やかに昇っていく日を見つめながらそう言った。

「美しい景色ですね」

 エレナは半ば見とれながら、そう言った。

 ――アガサは僕に、これを見せたかったのかも知れないな。

 オリガはなぜか、その言葉を口にしてはいけないような気がして、口を噤んだ。

 太陽はゆっくりと昇り、いまやその身体の全てを空に現した。

 夜明けの鐘はまだ、遠く鳴り続けていた。

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