幕外 WXY

1.Beyond the time



 全は一。

 ひとつはすべて。

 だから、彼はわたしのすべてになった。

 わたしという存在がこの地球の運命を握っているのだとするのならば、彼こそが、地球そのものだった。


 それほどまでに、わたしは彼を愛していた。

 愛してしまっていた。


 また、夢を見た。

 彼が【ブイ】になって、巨大な【ドラゴン】に殺される夢。

 わたしはその夢の中で、実体のない空虚な存在だった。


 わたしたちが生きている世界は、無数に存在する並行世界のうちのひとつでしかなく、並行世界は互いに存在しあいながら相互作用を生じて収束と分裂を繰り返していくのだ、という理論を図書館で読んでから、並行世界をのぞき込むような夢ばかり見るようになった。

 そして、どの世界ゆめでも、彼は【V】となり、【竜】たちに立ち向かう中で、白銀に輝く鱗を持つ巨大な【竜】に殺される。


 目を覚ますと彼はわたしに背を向けて眠っていた。手を伸ばし、ゆっくりと彼を抱きしめる。力をかけるとすぐに鎖骨が折れてしまうから、繊細に、小動物をなでるように彼を抱かなくてはいけなかった。わたしは特別な【V】だからかもしれないが、【V】と人間が共に生活するのはとっても難しい。

 力加減ひとつで、愛する彼を傷つけてしまうのは、わたしにとってつらいことだった。

――ハルカは弱い個体だから、しょうがないわね。

 昔、フミコにそんな嫌味を言われたこともあった。フミコはそういうところは器用だから、リーとうまくやっているのだろうと思う。だいいち、【竜】との戦いでもフミコが本気を出したところを見たことがない。本気を出せば、多分わたしよりも強いはずなのに、フミコは常に力を抜いている。

 わたしは、たぶん、不器用だ。

 空の上でも、地面の下でも常に本気で生きている。フミコみたいに、力を抜くことが出来ない。

 【円卓竜ラウンズ】の中でも最も強い力を持つ、【重騎竜ガウェイン】の爪を受けた時の、怯えたような表情を忘れられない。化け物が、自分を超える「化け物」を見たとき、そんな顔をするのだと思った。その怯えた表情のまま、【重騎竜ガウェイン】はわたしに首を刎ね飛ばされた。手加減など、しようもなかった。

 わたしにとって【円卓竜ラウンズ】は、他の身体の大きな【竜】と同じだった。強大ではなく、むしろ的が大きくなった分、斬りやすいだけの大物。フミコだってきっと、そう思っているに違いなかった。

 【詰所ステーション】と呼ばれる、味気のない地下シェルターの中で、わたしは多くのひとびとに恐れられていた。最強の【V】といわれ、様々な数字によってその記録を創り、ひとびとはみなわたしを讃えたが、讃えと恐れの差を、わたしは感じることが出来なかった。


 彼だけが、わたしを「ひと」として見てくれていた。それがある種の打算に基づいた行動だと、わたしは知っていた。けれども、わたしは彼だけを、どうしても愛したかった。

「アヤ」

 彼がわたしの名を呼んだ。わたしは彼のすべてを抱きしめる。

「大丈夫?」

 彼は優しくそう言った。

「大丈夫、じゃない」

「そうか。おいで」

 失いかけたその身体を取りもどすように、わたしは彼を抱いた。彼はわたしを導いてくれる。わたしは赤子のように、それに従うだけだった。

 彼だけがわたしを心地よくしてくれた。だから、わたしは彼を一生愛することに決めたのだ。


「人間は滅びると思うかい?」

 彼はおもむろにそう訊いた。

「滅ぼさせない。わたしがいる限り」

 わたしは常にそう答える。

「なら、君がいなくなってしまったら?」

 彼はまっすぐわたしを見た。真っ黒な瞳に困った顔のわたしが映っている。

「――君がいなくなった後の世界を想像することがあるんだ」

 彼はそう言って、天井を見つめた。

「いくら強い君でも、今後現れる【ドラゴン】を常に討伐できるとは限らない。けれど、君ほどの強い【V】はなかなか現れないはずだ。ならば、君を倒した者は、人間を滅ぼしうるということになる。

――それに、君が【竜】になってしまったら、僕らはきっと、誰も止められない」

「わたしは【竜】にはならないわ。そうなったら、止めてくれるでしょう?」

「勿論。僕も人間を滅ぼされたくないからね」

 彼はもう一度、わたしを見た。

「ねえ、夢を見るの。あなたが【竜】に殺される夢」

 そう言うと、彼は目を大きく見開いた。

「その【竜】は、白銀色の鱗で、信じがたいほど大きくなかった?」

 彼はわたしの夢を言い当てた。

 確かにそうだった。彼を殺すのは、いつだって白銀色の鱗をした強大な【竜】。

 わたしが見たこともないほどの、とてつもない大きさの【竜】だった。

「なぜ、わかるの」

「僕はそれを知っている。やがて現れる【竜】だ」

「【円卓竜ラウンズ】よりも大きな【竜】が、この世に現れるというの?」

「ああ。近い将来、それはこの【詰所ステーション】に必ずやってくる、恐らく史上最強の【竜】だ」

 彼がなぜ知っているのか、わたしはあえて深く訊かなかった。訊いてはいけないことだから。

 ただ、わたしはもう知っている。

 彼のその言葉が真実であることを。

「わたしは、それを倒せるかしら?」

「わからない。僕は君が倒すことに賭けたい。

――けれど、もし倒せなければ、僕が倒すさ」

 はっきりと、彼はそう言った。

 わたしはこの意味にもう気づいていた。

「わたしが倒せなかったら、わたしの身体を、使うのね?」

 彼は小柄で、わたしと身長と座高、首回りがぴったり同じだった。

 彼はわたしを創り出した。その身体は、彼が選び出したものだった。

 彼の上司が本当はどういう人で、彼がどう思っているのかも、わたしは知っていた。そうして導き出した結論は、別になにも、おそろしいことでも、驚くべきことでもなかった。

「知っていたのか?」

 彼はうろたえていた。隠しているつもりだったのかもしれない。

 でも、だとしたら、彼の怜悧な打算と、それを隠そうとする態度は、むしろわたしに対するやさしさに思えた。

 彼は人間たちを深く愛していた。わたしよりも、ずっと。それがわかるだけで、わたしにはよかった。

「なんとなく、そんな気がしただけ」

「君の勘は恐ろしいな……」

 そんなに焦った顔をしなくてもいいのに。

「わたしの身体、使いにくいと思うけれど、それでもいいの?」

「君の身体を創ったのは僕だ。君の次には、君の身体をうまく使える自信はあるよ」

 その言葉は信じられた。信じられるに足るほど、わたしと彼は交わっていたから。

 それはわたしが生きた証そのものだった。

「それを聞いて安心した」

「安心した?」

 その言葉を聞いて彼は不思議な顔をした。

「【わたしたち】は、強ければ強いほど、長く生き残るけれど、それは、生き残れば生き残るほど、ひとからはほど遠くなってしまうから。今、わたしはもう、ひとから遠く離れた存在になっている。

――そうして、何かの間違いで死んだとき、今まで守ってきたひとたちを傷つけることになるのが怖かった」

 わたしは知っていた。

 いや、誰に教えられずとも、【V】となった者は、最初から感じているのだろうと思う。

 その身体が、いつの日か【竜】になってしまうことを。

「そう思える君は、十分に人間だよ。【竜】なんかじゃない」

 彼はわたしを抱きしめた。

 狡いひとだと思う。彼は常にほんとうのことだけを話す。その狡さも、わたしは愛していた。わたしは彼によって創られたのだから、彼を愛するのは、考えてみればあたりまえのこと。

 そこに理由なんか、必要ない。

「僕がその【竜】を倒そう。君の夢は、現実になることなく、夢のまま消すよ」

 彼は耳元でそう囁いた。



 フミコに促され、ついていった先にいた少女を見て、わたしはすべてがわかってしまった。

 彼女の銀色の輝く髪。

 不敵な笑みを浮かべた顔。

「わたしは、オガシラ・レイ。お姉様たち、お見知りおきを」

 言葉とは裏腹に、彼女は横柄にわたしを見つめた。

 敵だということが感覚でわかった。

 彼女は、人類を滅ぼす【竜】だった。言われなくても、わかってしまった。

 微笑みは禍々しく、それまでの敵とは明らかに質が異なっていた。

 わたしは彼女に勝てるだろうか。きっと一瞬で殺されてしまうだろう。だから彼は、彼女に向かっていく。そして、殺される。

 それも、手に取るように、わかった。



「どうしたの?」

 気がつけば、彼の居室に戻っていた。

 怖かった。

 彼女と戦うことも、そうしてわたしが死ぬことも、彼が、結局は彼女に殺されることも。

 私は泣きながらあったことを話した。

「知ってしまったんだね。オガシラ・レイを」

 震えるわたしの身体を彼はゆっくりと抱きしめた。

「いいかい、僕の言うとおりにするんだ」

 彼は耳元でそう囁いた。


 身体の隅から隅まで、力がみなぎっていた。

 彼は力なく嗤いながら、ベッドに倒れていた。多分、わたしのせい。

「これは……」

「生まれ変わったような気分かな?」

 わたしはわけもわからずうなずいた。

 気持ちよかった。感覚もすべて研ぎ澄まされていた。今のわたしなら、なんでもできそうだった。

 この地球の全てを、破壊することですら。

「君の持つ潜在能力の全てを解き放ったんだ。僕はこれを【解放リボーン】と呼んでいる」

「ということは……【耐竜装フォース】の機能ということ?」

「隠された機能といえるかな。普通の【V】は知らないし、知らされることもない」

 そういえば、彼女には【耐竜装】がなかった。つまり、彼女は最初から【竜】だった。

 彼は興味深そうにわたしを見つめた。この力を今すぐ振るいたいという欲求に駆られる。

「辛くない?」

「少しだけ。この力をどこかにぶつけたいという気持ちがあって、何かを壊してしまいそう」

「そうか。僕でよければ、受け止めよう」

「だめよ。死んでしまうわ」

「君が手加減してくれれば、きっと死なないさ。

――できるだろう? おいで」

 わたしはうなずいて、彼を抱きしめた。鳥の雛を扱うみたいに、そっと。

 身体の奥から何かが放たれる。

 壊してしまいたい。

 食べてしまいたい。

 そんな声が聞こえる気がする。

 わたしはそれらを一生懸命振り払って、彼を抱きしめた。ただただ、抱きしめた。そうしないと彼を壊してしまいそうだから。彼が壊れてしまいそうだから。

 気の遠くなるような長い時間が過ぎたような気がした。わたしの中から徐々にうねりが消えていき、いつの間にか静かになった。

「終わったようだね」

 彼が囁いた。

「これで、あの子を殺せる?」

 彼の目に動揺が浮かんだ。

「君は――レイを殺したいのか?」

 わたしの言葉は、彼をひどく驚かせた。

「彼女は、確実に人間を滅ぼす。わたしはそれをさせたくない。人間を守るには、彼女を殺すしかないでしょう?」

「その通りだけれど……君に出来るのか?」

 彼の声色は、わたしを心配しているかのように聞こえた。

「あなたが、言ってくれたから」

――けれど、もし倒せなければ、僕が倒すさ。

 わたしは彼を信じることにした。

 彼の言葉から考えても、今のわたしですら、彼女には及ばないのだろう。それならば、この身体を確実に、彼に引き継いでもらう方がよかった。

 からっぽだったわたしの身体に使命を与えてくれた彼へ、こんな形で恩を返すのは気が引けるけれど。

 もし、それがかなうのなら、わたしが最も望んだ愛のかたちでもあった。

 だってわたしは、彼との子どもを残せないのだから。

 彼に執着している、のっぽの女が聞いたら、きっと泣いて悔しがるだろう。彼の心を奪っているのはあの女の方なのに、いっこうに気づこうとしない、愚かなひと。わたしはひそかに、あの女を出し抜きたかったのかもしれない。それくらい意地悪なのも、人間として生まれた証拠だ。


 ああ、これで筋書きは揃った。


 わたしの首は彼女によって両断され、最期の刹那、わたしは彼と目を合わせられた。

 薄れゆく意識の中、最期の夢を見た。

 彼が彼女に貫かれ、息絶えようとする中、あの女が彼女の首を刎ねた。

 彼女はようやく、絶命する。

 ふふ。

 いいでしょう。

 それで勝ったつもりなら、そう思えばいい。

 わたしは今を超え彼の身体の中で、彼とともに生き続ける。それがわたしの愛のかたち。そしてわたしの、愛のあかし。


 さようなら、地球。

 さようなら、わたし。


 そうして彼はわたしとともに、息絶える。

 そう、だから、これでわたしと彼はいつも一緒。死ぬまで離れられないし、離すことはない。

 この未来はもう、変わらない。

 悠久とわに、

 悠久とわに、

 悠久とわに……

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