廿ニ

「待ってください!」

「待てるわけねえだろ!」

 意識を取り戻したセリナは、研究所上空から【東東京詰所イースト・トウキョウ・ステーション】へ一直線に全速力で向かっていた。

 セリナは体内にえも言われぬ充足を感じている。あれほどの強敵と戦い、途中ハルカに昏倒させられたにもかかわらず、なぜか非常に調子が良かった。であるからこそ、ミツキがついてこられなくなるほどの速度で飛行できている。

 セリナの【耐竜装フォース】に通信要請が入った。

「げっ!」

「オノ! あんたどこいるのよ? サエグサ知らない?」

 通信の相手はもちろん、エレナ・ペトローヴナ曹長である。

「ハルカは【零式レイシキ】のとこにいる! ウチは今、ハギワラと【詰所】に向かってます!」

 セリナは叫んだ。途中でエレナが仮にも上官であることに気づいた。

「【零式】ですって? どこにいるのよ?」

「ハルカの話では【東京防衛統括本部センター】からそっちに向かってくるはずだということですよ! じきにそっちで戦いになるかと!」

「ハア? 【ドラコン】の大群はいるわ、司令もサエグサもフミコもいないわ、挙句の果てには【罪深き竜グリェシュニク】ですって? もういい加減にしなさいよ!」

 理不尽な叱責のうしろでどよめきが起きた。

「オノ! あんたの言う通り、【罪深き竜グリェシュニク】が【詰所スタンチア】上空にきたらしいわ。しかもあの憎たらしい女の姿で!」

 憎たらしい女の姿、という表現は実にエレナらしい、とセリナは内心思い、苦笑した。

「早く来ないと私がぶちのめしちゃうからとっとといらっしゃい! どうせ上空でぶつかってるでしょうからすぐにわかるはずよ。じゃ!」

 エレナは一方的に通信を切った。

「ハギワラ、レイがもう【詰所】上空にいるらしい! もっとぶっ飛ばすぞ!」

「だから待ってくださいって!」

 結局ミツキは、ハルカに言われたことの半分も、セリナに伝えられなかった。セリナが意識を取り戻してすぐ、「行くぞ!」と手を引かれ強引に【東東京詰所】まで一直線の針路をとったからである。

「ハルカの奴、ひとりで全部終わらせる気なんだ」

 セリナの身体には怒りがみなぎっていた。何故自分が置いていかれたのかよくわかっていた。だからこれはほぼ逆恨みに近かった。最後の最後で自分だけ置いてけぼりにされるのが、ハルカからの最大限の嫌がらせに思えたからであった。

 ウチだってやってやるよ!

 その想いで、ハルカより先にレイに追いつけるよう、一直線に向かっているのである。

 一方、ミツキは心中穏やかでなかった。ハルカによれば、【覚醒コラプション】は一度発動させれば最後、意識をとめたり【耐竜装フォース】を再起動するなど、いかなることをしたとしても、その進行を限りなく遅くすることはできても、【耐竜装】を使用している限りいつかは【竜】に変化してしまうとのことだった。そして、セリナが【覚醒】を介して【竜】になれば、どんなに低く見積もっても【竜段レベル4】、場合によっては【竜段6】となる可能性があるとも言っていた。

 つまり、この段階でセリナがいきなり【竜段4】の【竜】に変化することは十分にあり得、その場合ミツキひとりでこれに立ち向かう必要があることを示していた。

 いくら身体能力がトップクラスであったとはいえ、ミツキはまだ新兵で、【零式】とほんの少し戦ったことを除けば、【竜段4】にもなる【竜】の討伐経験などもちろんない。【竜段3】までと異なり、【竜段4】以上は、【V】の実戦部隊であってもそうそう会うことはない。【竜】はその性質上、ほとんど同族で喰い合っているため淘汰が激しく、また新たに生まれる【竜】もその大きさ以上になることは極めて珍しいからである。

 さらに言えば、ミツキの戦闘様式は、セリナのそれと相性が良くないことも自覚していた。ミツキのまさかりは他の【V】たちのものと同様に非常に柄が長く、それを振りかざすことで敵を両断する戦法と相性がいい。逆に言えば、回避と至近戦術を組み合わせたセリナの戦闘様式とは非常に相性が悪いのである。もっとも、ミツキの戦闘様式は【V】ではむしろ一般的で、セリナのような短い得物を使って多くの【竜】を葬っている方がずっと異質であることは間違いない。そういう意味で、オノ・セリナは歴史的にも、間違いなく非常に特異な【V】であった。

 ――セリナを、頼んだ。

 あの時のハルカの眼差しは、まるで恋人を遺して死地に向かう兵士のようであったし、おそらく実際に、かなりの部分そういう気持ちであったとミツキは考えている。

 ハルカさんは、レイと刺し違えるつもりなんだ。

 それをセリナに伝えるべきか、ミツキはまだ迷っていた。ただ、幸か不幸か、実のところ、当のセリナも同じことを考えていたことに、かれはまだ気がついていない。

 

 【東東京詰所】の上空に出撃したのは、第三部隊のうち、部隊長のエレナだけであった。アリシア・ジョンソン伍長とレン・シェン伍長には、【詰所】の治安維持と指示出しを任せてある。エレナもまさに、命をかけての出撃だった。

「敵が出てくるのをのこのこ待っているなんて、なんとお行儀のいい【罪深き竜グリェシュニク】だこと」

 得物の大太刀オオダチを手にただ滞空しているだけのレイに、エレナは嫌味をぶつけた。

「ええ。どう戦ったところで、あなたたちが勝てる道がないことを教えにきたの」

「その減らず口、いつまできけるかしらね」

 エレナはすぐさま尖槍スピアを取り出し投げ放った。尖槍はまっすぐレイの顔へ飛んでいくが大太刀に阻まれる。エレナは立て続けに尖槍を放ち続ける。

「その戦法、何度やっても同じなのよ。つまらないわ」

 だがその次の瞬間、エレナの鎚矛メイスがレイの顔を直撃する。

「――痛いじゃない」

 レイは左頬を押さえ、エレナを睨みつけた。

「嘘……」

 一方でエレナは信じがたい顔をした。

 レイを葬ろうとするほどの全力の殴打をあえて受けただけでなく、そのダメージが「頬が腫れる程度」であることを見せつけられたからである。

「さて、これであなたの恋人を殺した分、清算させてもらったつもりよ。ここからわたしも本気で動くことにするわね」

 レイはふたたび大太刀を構える。

 エレナは我に返り、レイと間合いをとって尖槍スピアを取り出した。

「それより、さっきの武器にした方がいいんじゃない? それ、わたしには刺さらないし」

 レイは嗤いながらエレナとの距離を詰める。

 エレナは、レイの癖を読んでいた。

 レイは大太刀を得物としている。

 しかし、その見かけによらず、最も速い攻撃である突きをよく使っていた。それを、エレナはこれまでの経験から気づいていた。距離を詰め、一気に迫り大太刀を差し入れる。これがレイの最も得意とする攻撃であることに、すでに気づいていたのである。

 突きを繰り出す直前であれば、直進するほかなく、移動の方向を読むことができる。

 だからこそ、レイが突きを繰り出そうとするこの一瞬に、エレナはすべてを賭けた。

 レイの身体が一瞬硬直する。その瞬間をエレナは見逃さなかった。レイの胸元めがけて尖槍を投げ放つ。

 ひゅん。

 レイの身体が消失し、エレナの背中に激痛が走った。緋色の鱗がいくつも舞っている。

「言ったでしょ? もう尖槍それは刺さらないって」

 レイは、エレナの予想を大きく超える速度で肉薄し、至近を通過して後ろに回り込み、大太刀を振るったのだ。

「嘘……でしょ」

 エレナは揚力を失い、空を切り墜ちていった。

「馬鹿ね。素直に鎚矛にしていれば、もっとわたしを叩けたかもしれないのに」

 レイは首を回した。鎚矛の一撃は見た目よりも効いていて、殴打の瞬間目から火花が出るように感じた。いまだに身体が少しふらついている。

「レイ」

 聞き覚えのある声に、レイは振り返った。

 サエグサ・ハルカが、その瞳を輝かせてそこにいた。

「フミコを殺した。とうとう君の番だ」

 ハルカは長剣を取り出す。そこに一切の感情を読み取ることはできない。

「そう。

 ――思ったより弱かったのね、お姉様」

 レイは至極つまらなそうにハルカを見遣った。

「お友達はいないのね?」

「セリナのことか? まあ、もしかしたら僕の後にでも戦うことになるかもしれないな。

 ――勿論、僕にそのつもりはないけどね」

 ハルカはそう言ってレイに直進し、長剣を振るった。

 レイはそれを最小限の動きで躱し、横一文字に大太刀を薙いだ。ハルカはレイの至近でするりと回転し、大太刀を躱すと、レイの顔に回し蹴りを放った。大太刀は重く、ハルカの鋭い蹴りはレイの左頬に深く命中する。

 レイの身体の軸がぶれたのを、ハルカは見逃さなかった。大太刀の柄をつま先で蹴り、剣をしまって正拳突きを放つ。これもレイの額に命中した。間髪を入れずハルカは空中逆上がりをするようにレイの顎を蹴り上げた。

「反則よ……」

 顔が腫れ上がったレイは怒りの表情を浮かべた。

「何がだ? 得物でなければ殺せないわけはないだろう」

 ハルカの素手の攻撃が、エレナの鎚矛の衝撃を上回っていることにレイは僅かに恐れを抱いた。そして、その恐れが攻撃の手をごく僅かであるが遅れさせた。

 ハルカの回転を見切り、レイは急降下するが、ハルカは即座に身体を捻り、頭上からレイに裏拳を浴びせた。

 レイの視界が大きく歪んだ。レイの予想に反して、最初のエレナの殴打が徐々に効いてきていた。

 ――【V】ごときに倒されるなんて。

 レイの焦燥は、ハルカをより有利な方向へと導いていく。

 一方、ハルカは、裏拳を当てたレイの頭からの流血を認め、自らの手を見た。

 すでに両腕は【竜】の爪に置き換わっている。

 ――頃合いか。

 ハルカはふたたび間合いを取り、長剣を出した。

「レイ。とどめだ」

 そして一気に近づき、最後の一撃を放った。

 しかしその剣はレイに届くことはなかった。

 レイが突き出した大太刀が、ハルカの身体を深く貫いたからである。

「馬鹿ね。揃いも揃ってほんと、馬鹿。あのままわたしを殴り続けていれば、あなたは勝てたかもしれないのに。これだから人間はダメね」

 ハルカは口から血を吐き出しながら、にやりと笑った。

 ぞわり、とレイの背筋に何かが走った。

「君こそ馬鹿だ。僕ら・・の恨みを甘く見ている」

 レイは背後に気配を感じ、振り返った。

 ――レイが最期に見たのは、自分に向けて鉈を振り下ろすセリナの姿だった。

 

 レイの首はセリナによって両断され、直後に追いついたミツキの鉞によって四散した。

 揚力を失ったハルカの身体をセリナは支える。

 その瞳は爛々と輝いていた。

「間に合ってよかった。殺せないかと思った」

「言いたいことはそれだけか? あ? おい!」

 はあ、はあ、とセリナの荒い呼吸を聞き、ハルカは意識が徐々に薄れるのを感じた。

「最後まで独りよがりかよ! ウチの気持ちも知らないでさあ! いい加減にしろよ!」

「独りよがりで悪かったな。ついでだから最期にひとつ、お願いしたい」

「最期だあ? ふざけるなよ! ここから助けんだよ! その後ぶん殴らせろ!」

「残念だがもう時間がないんだ。

 ――見ろ、僕の腕を」

 セリナはハルカの腕を見た。

 鱗の色が灰色から濃くなっていて、【耐竜装フォース】を侵食しようとしていた。

「もうすぐ、【覚醒コラプション】が進行しきってしまう」

「ふざけんなよ! あれだけひとに言っといて自分はそれかよ! なんなんだよお前!」

「うるさいな……話をさせてくれよ……」

「うるさいに決まってるだろ! ふざけんなよ本当に! 最期まで一緒にいさせろよ!」

 ハルカの息が徐々に浅くなっていく。

 セリナは涙で前が見えなくなってきていた。

「君の称号――【黄昏タソガレ】は……【ドラゴン】という『夜』を【V】に与えさせない、その様から名付けたんだ……。僕の失態で新たな【竜】が生まれるところを、君は幾度も救ってくれた。『夜』に急速に近づく【かれら】を、『黄昏』の状態のまま終わらせる……その、君の優しさを讃えるために、そしてもし、僕が死を迎え【竜】になりそうになっても、君が救ってくれることを願って、その称号を贈ったんだ……ここまで言えば、もうわかるだろう、セリナ?

 ――僕を、殺してくれ」

 溢れる涙の中、セリナはハルカを睨みつけた。

「一生、恨むからな」

「言ったな。ちゃんと一生恨めよ。地獄の底から見てやるから」

 セリナはハルカの身体を離し、その首を鉈で両断した。

 ハルカの首をセリナは再び手に取った。アヤのものだった身体は、下へと墜ちていった。

「ありがとう……セリナ……」

 ハルカは、セリナの腕の中で、ゆっくりと目を閉じた。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 セリナの慟哭に、ミツキは異変を察知した。

 それは、ミツキが最も恐れていたことだった。先ほどまでのハルカと同じように、セリナの身体もまた、【覚醒コラプション】に飲み込まれようとしていたのだった。

 一か八かだ。

 ミツキは脇目もふらず駆け寄り、セリナを鉞の柄で殴った。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

「うそ、駄目?」

 一瞬声がやんだが、セリナは再び叫び始めた。

 どうしよう。

 ミツキは鉞を構えた。こうなってしまっては、セリナが【竜】になる前に殺さなくてはならない。

 ――セリナさま、ごめんなさい。

 ミツキは目を瞑り、鉞を振り上げた。

 次の瞬間、ごっ、と鈍い音がして、セリナの声がやんだ。

「うるさいわね……傷に響くでしょうが」

 エレナはセリナを肩に担ぎ、左手でハルカの首を持った。右手には鎚矛メイスが握られている。

 袈裟斬りの傷は少しだけ塞がっていて、もう流血していなかった。

「ほら、あんたのとこの部隊長と副長でしょ、しっかり持ちなさい」

 あっけにとられたミツキの前に、エレナはセリナとハルカを差し出した。

「ありがとうございます」

「お弔いならオノが起きた後になさい。怒られるわよ」

 エレナは気だるそうに手を振った。

「とにかく、ここは一旦放棄するしかないわ。住民と全部隊を【旧南東京詰所オールド・サウス・トウキョウ・ステーション】に送っているはずだから、アカネたちと合流して、後を追いましょう」

 その後のことは、その時考えればいいわよ。

 エレナはそう言って、ミツキの肩を抱いた。

「そうですね……」

 肩を抱かれて初めて、ミツキは自分が涙を流していることに気づいた。

 耳元でセリナの微かな呼吸が聞こえる。

 ――セリナを、頼んだ。

 眠ったままのハルカが、もう一度そう言っているように、ミツキには聞こえた。

 あなたに言われなくても、頼まれてやりますよ。

 ミツキは、心の中でハルカにそう言い返してやった。

 ふと空を見れば、夕陽が沈もうとしているところだった。

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