廿一

「――満足かしら?」

 その薙刀でイチセ・セナ軍曹の腹を貫き、コギソ・フミコ曹長は微笑んだ。

「はい。遊んでいただき、大変光栄でした」

「そう」

「最期に有意義な時間を過ごせて幸せでした。

 ――コギソ曹長も、お元気で」

「ええ――本気を出せて楽しかったわ、じゃあね」

 巨大な蜘蛛の巣の中心で、セナは絶命した。

「悪くはなかったけれど、まだまだ足りないわね」

 フミコは蜘蛛の巣を薙刀で払った。その口元は邪悪につり上がっている。

 セナとの戦いでフミコは漆黒の鱗を数枚だけ失った。一方、セナは再生されたものも含めて十六対の手足全てがバラバラに吹き飛んでいた。端的に言えば、それがふたりの力の差だった。

 フミコは【中東連絡坑シン・ケイヨウ・ライン】に入り、【東東京詰所イースト・トウキョウ・ステーション】へ戻ろうとした。

「フミコ」

 意外な人物に声をかけられ、フミコは思わず振り返った。

 サエグサ・ハルカ曹長が長剣をフミコに向け、立っていた。

「全てを知ったようね。もう遅いけれど」

 フミコは妖しく微笑む。

「さあ、どうだろう? 僕はそうは思っていない」

 ハルカは静かにそう言った。

「意外ね。セリナとミツキも連れてくるかと思ったのに。これじゃ殺し合いにならないわ」

 フミコは肩をすくめた。

「なぜ、【東京防衛統括本部トウキョウ・センター】の所属員まで殺した?」

 ハルカの声は冷たい。

「なぜ? それも貴方が言うとは意外ね。かれらは既に【Z《ズィー》】だったわ。人間じゃなかった。人間の存続にはなんら利益をもたらさないどころか、障害となるものよ。貴方が気にする必要なんてないじゃない?」

「そうかもしれない。だが、君がその肉を喰らう必要はなかったはずだ。

 ――それとも、既に【解放リボーン】してしまったのか?」

 その言葉に、フミコの瞳が輝きを放った。

「なんだ、【解放】を知ってるの? 大したものね。ほぼ完全に記憶を回復しているじゃない」

「僕は【耐竜装フォース】を作ったんだ。そんな細工、できるに決まっている。アヤが【解放】してしまっていたことも知っている」

 フミコの表情が動いた。

「おや? 君は気がついていなかったようだね。まあ、無理もない。アヤが【解放】したのは死ぬ三日前で、僕の前でそれを迎えたから」 

 フミコは驚愕の表情を浮かべた。

「貴方、【解放】の時に生じる凄まじい情欲を、全て、ひとりで受け止めたってこと? しかも、あの、アヤのそれを――見かけによらず、強いのね。リーより貴方の方が、よっぽど強いんじゃないかしら?」

 ハルカは苦笑した。

「確かに、アヤのそれを受け止めるのは大変だったよ。死ぬかと思った。でも、アヤも手加減してくれて助かった。お陰で、この身体は【解放】後の力を宿したまま僕に引き継がれたというわけだ」

 ハルカの【耐竜装フォース】が淡い光を放つ。

「まさか、貴方、その身体で、さらに【覚醒コラプション】しているの?」

 ハルカの瞳が輝いた。

「そう、そのまさかだよ。

 ――これで、君もレイも殺すことができる」

 ハルカはそう言って長剣を構え、一気に間合いを詰めフミコに斬り込んだ。鋭い金属音とともに剣は弾き返され、繰り出されたフミコの薙刀を上に跳んで避けた。

 フミコはハルカの跳んだ先に正確な突きを放つが、繰り出された薙刀はハルカの空転により躱された。

「なるほど……元々が【竜段レベル3】相当の身体だとしても、アヤの【解放リボーン】と貴方の【覚醒コラプション】の上昇分が一度に乗ることによって、瞬間的に【竜段7】のレイすら超える身体を得る、しかも、アヤが遺した身体によって人間の姿を保ったままで驚異的な力を得るという理屈ね……面白いわ。よく考えたわね」

 空転した身体の捻りにより急峻となったハルカの回転斬りを咄嗟に飛び退いて躱し、フミコは唸った。

「――丁度物足りないと思っていたところなの。本気でやらせて貰うわね」

 しなやかな脚が不自然に曲がった。

 次の瞬間、フミコの身体が次々と増えていく。ふたり、三人、四人と、フミコがフミコから現れ、その場に五人のフミコが並んだ。

 これこそが、フミコの「大技」だった。分裂したフミコは、その全員が独立した動きをするように見える。フミコの驚異的な脚さばきがそれを可能にした。

「これが――私の本気。五人全員どれも私。たとえレイを超えた力があっても、五人の私を一度に相手できるかしら?」

「君が本当に五人いたら、リーもお手上げだろうな」

 ハルカはそう言って、目にもとまらぬ速さでひとりのフミコに斬り込んでいった。残りのフミコがハルカを取り囲み、五本の薙刀が一度にハルカを襲う。ハルカは素早く頭を落とし、脚を払うべく斬り込んだ。

 五人のフミコは一瞬で収斂しゅうれんし、高く跳び上がる。

「あれ? 五人いるんじゃなかったのか?」

 ハルカのらしからぬ軽口に、フミコは微笑んだ。

「力を手にした男ってみんな粗野になるものね。そういう貴方も嫌いじゃないわ」

 フミコは再び五人に分裂し、ほぼ同時にハルカへと薙刀を差し入れた。ハルカは薙刀の切先に爪先を合わせ、強く踏み込むと、長剣を真横に薙いだ。フミコの左胸の鱗が数枚、吹き飛んだ。

「時に貴方、別に私を殺す理由なんかないんじゃないかしら? アヤの復讐が理由じゃなく、この世界の救済も果たされないなら、何故私と戦う必要があるの?」

 フミコの顔に僅かに憔悴が浮かぶ。

「揺さぶりをかける気か? その手は通用しない。

 ――君が教授の『作品』だから。弟子の嫉妬は殺すのに十分な動機だろう?」

 ハルカは空を蹴り、繰り出された薙刀を避けると、右側に身体を捻って斬り下げた。脚を確実に狙った切先は間一髪で躱され、その間に背後をとったひとりのフミコがハルカの背中を真横に薙いだ。ハルカは躱し損ね、数枚の鱗とひと筋の鮮血が舞った。

「あらもう終わり?」

 フミコは妖しい微笑みを浮かべた。

 ハルカの苦悶の表情が一瞬で消え、残忍な笑みを浮かべた瞬間、フミコに強烈な怯えが走った。

 ――遊ばれたのね。

 実際は刹那の間であったが、フミコはその怯えとハルカの底知れない強さ、曲がらない殺意に固まってしまった。

 勝負はそこで決した。

「終わりさ」

 ハルカはフミコの胸に長剣を突き刺した。

「っ」

 フミコの身体から力が抜ける。

「君が【解放リボーン】したとき、【ドラゴン】ではなく人間の姿を選んだ時点で、勝負は決まっていたんだよ、フミコ。君は自分で僕に殺される未来を選んだ。

 ――さようなら、フミコ」

 フミコの瞳の光が消え、ハルカは剣を抜いた。フミコの身体はあっさりと倒れた。

「――もっとも、【竜】の姿を選べば、今度はセリナやエレナ、ミツキ、果てにはアカネまで相手にしなくちゃならない。君は知らないかもしれないが、みんな僕よりずっと強い。君はどちらにしても、リーを失った時点で地獄を見る運命だった。君がひとのまま逝けたのは、リーに捧げた愛の結果かもしれないな。そのひたむきさは、正直羨ましかった。どうか安らかに眠ってくれ」

 ハルカは長剣をしまい、フミコの亡骸に祈りを捧げると、翼をひろげ、シェルターの上層へと向かった。

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