十六

 ハルカとセリナは休暇の日の夜明け前に、【詰所ステーション】のとある場所で待ち合わせた。

 大きな空洞が奥まで続き、錆びついた線路が延びていた。かつてあった【旧北東京詰所オールド・ノース・トウキョウ・ステーション】へつながる連絡坑であった。

「教授の研究所は、この【東北連絡坑シン・ジョウバン・ライン】の途中にある支線沿いのはずだ。今から飛べば、午前中にはたどり着けると思う」

「そうか。それはわかったんだけど……」

 セリナはハルカを睨んだ。

「ウチの前で食うなっつってんだろ!」

 睨まれたハルカは【糧食Cバー】を飲み込み、包装紙をしまったところだった。

「しょうがないだろ、朝早いんだから。だいたいセリナだって煙草臭いじゃないか」

「ウチはあんたの前で吸ってないだろ! せめて宿舎で食ってこいよ」

「そもそも【糧食Cこいつ】、そんな臭いか? そんなこと言うのセリナだけだけど?」

 ハルカは首をかしげる。

「臭えよ! 犬を拭いた雑巾みたいな臭いするだろ! だから誰も食ってねえんだよそれ」

「そんなにかなあ。確かに僕とアリシア、あとアカネくらいだけど、これ食べてるの」

「てかさあ、携行するにしても、【糧食Aブリトー】も【糧食Bアンパン】もあるのになんで頑なに旧時代の【糧食Cバー】ばっかり食ってるわけ? 全部片手で食えるし栄養価も一緒じゃねえか」

「それは愚問だ。【糧食C】が他と比較して圧倒的に小さいから携行容量を圧迫しないし何しろすぐに食べられるじゃないか。【糧食A】は付属のソースを入れないといけないし、【糧食B】なんか一旦ピンを抜いて膨らませないといけない上に一個で【糧食C】三本と同じ容量だ。携行性で他のより圧倒的に優位だよ。実際アリシアもそう言ってた。どうせ同じ栄養価なら容量を圧迫しない方が何かと楽で便利だろう? 食事も楽だしね」

「はあ、そうですか。ウチはそう言われても絶っ対食いたくないけどな」

「セリナは臭いに敏感でいろいろ損してるよね」

「はいはい」

 そうしてふたりは低空飛行を開始した。

 【東北連絡坑】の中は暗く、じめじめとしていた。

 線路も長く使われておらず、ところどころ錆びている。

「なあ、この中って、【ドラゴン】とかいたりしないよな?」

 セリナが少し嫌そうな顔をする。

 こういった連絡坑のように、セリナは暗くて狭い場所が苦手だった。

 元々好きではないが、急に敵に出会った時に対応しづらいからというのもある。

「まあ、こんなところ、誰も通らないし大丈夫じゃないかな。仮にいても【竜段レベル1】だろうから、僕たちならどうにでもなると思う」

「まあそう言うけどさあ……」

 セリナが【V】をやってこられたのも、シェルターの中に籠らずに空を自由に飛びまわれるからで、狭い空間を低空飛行するのは好きではない。

「セリナ、【竜】がなぜ人を襲うか知ってる?」

「それはこの前ハルカが言ってたじゃん、【竜】はそういう風に条件付けされているって」

「それはそうなんだけど、【竜】は積極的に人間を襲うようにするために、あえて人肉を好む習性を付与されているんだ」

 ひっ、とセリナは小さく悲鳴を漏らした。

「逆に言えば、人間がわざわざ来ないような場所に【竜】がいるのは稀ってこと。ここに【竜】が巣くっているなら、とっくの昔に【東東京詰所うち】に襲来しているはずなんだ。かれらはそれだけ、人間の臭いに敏感だ」

「……なるほどね」

「勿論、【竜】も元は人間だから、【竜】の肉自体も好物なのさ。だからほとんどの【竜】は空を飛び回っている。人肉の方が好むけれど、人間じゃなくても【竜】でも襲うように作られている。こんなところに潜んでいるのは、【竜】からわざわざ身を隠す必要がある、身体の小さいものだけさ」

 ハルカは無表情のまま、低空飛行を続けている。

「僕が研究所に行きたいのは、レイの住処を突きとめるためだけれど、別の理由もある。

 ――教授の研究が完成されているとすれば、おそらく世に出ていない別の『作品』か、その痕跡が研究所にあるはずなんだ」

「レイ以外にも、人類を滅ぼすためのものを用意しているっていうのかよ……」

「あくまで僕の推測だけれどね。そもそも【純粋兵コレクテッド】を生み出せる技術があるならば、当然その応用として創り出せるはずのもの……」

「――人造人間レプリカントか」

 セリナはすぐに思い至った。【純粋兵】は【V】のためだけに特化した技術だが、それを、特に【竜】の影響を受けない一般の人間に応用すれば、ひとりの【参照元モデル】で同じような姿形の人間を複製できることになる。むしろ、研究者であればそれを考えないはずがない。セリナは直感的にそう思った。

「そうなんだ。そもそも【純粋兵】の技術は、【V】以外の民間人を創り出すことだって可能なはずなんだよ。ただでさえ文明の維持が困難なほどに人口が減っているこの時代に、教授がそれを考えなかったはずはない。その技術の方がよほど、人類を救う鍵になるかもしれない」

 ハルカの言葉に力がこもった。一方で、今の言葉で、セリナはなぜ教授がその技術を公にしなかったのかを察した。人間を複製し人口を増やすことにより、人類が「延命」されてしまうことに気がついたのだろう。セリナは「知るべきでなかったこと」を知っていくことに、背徳的な快感を得ている自分に気づいた。自分がこういった快楽に弱いことをよく知っていたし、おそらくハルカもそれを知っていて話をしているのだと気づいた。ハルカは、セリナがそうであることを、誰よりも知っているのだから。

「オガシラ・レイがその痕跡を消しているとしたら?」

「いや、おそらくそれはない。レイは教授の意思そのものだから。それに、おそらく、教授がもしその技術を確立しているのだとしたら、レイの身体の中に何かしらその痕跡を残すと思うんだよね。だからレイがいる限り、痕跡まで含めて、教授の持つ技術を完全に破壊することは不可能だと思う」

 そうこうしているうちに、線路と坑道が二股に分かれている地点にさしかかった。ふたりは一度飛行をやめ、線路のすぐ脇に着地した。

「ここだ。北側の太い方が【旧北東京詰所オールド・ノース・トウキョウ・ステーション】への道、西側が研究所への支線だ。この終点に研究所はあるはずだ」

 セリナは反射的に南側――自分たちの来た方向を見つめた。

 奥に気配を感じたからだ。

「なあハルカ、誰か尾行ツケてきてねえ?」

「そうだね。勿論、想定済みだよ」

 ハルカは特に気にしていなかった。

「どうするんだよ、第二部隊だったら」

「間違いなく第二部隊だよ。別にどうもしないさ。考えてもみなよセリナ、僕らは第一部隊長とその副長だ。第二部隊が仮に粛清のために動くにしたって、部隊長フミコでもない限り、僕らが負けることはまずない。フミコも、それはよくわかっているはずだ」

「返り討ちにするってことかよ?」

「勿論。戦うならだけど」

 セリナは、自分がハルカの狂気を甘く見ていたことに今更ながら気づいた。

「でもフミコさんだったらどうするんだよ? ウチは戦いたくないよ、フミコさんとは」

「それはあり得ない。フミコはアヤとは対照的に、【V】との戦い、つまり内部統制に特化した存在だ。僕や君に見つかるような、下手な尾行はしないさ。それになんでもない日に大佐から離れることは考えにくい。僕らを追っているのは、第二部隊のなかでも日が浅い者だと思う。そもそも低空飛行が下手くそすぎる。僕らの急停止に慌てて身を隠すようじゃ、第二部隊として使い物にならないだろう」

「確かに。ということはつまり、隠す気がないのか」

「うん。フミコは多分、こちらを伺っている、ということをあえて伝えたかったんだろうと思う。だから、この先に進んでも問題ないってこと。本当に粛清する気なら、今頃僕らはフミコと本気で戦っているはずさ。彼女の性格的に、僕らに力で対抗するには自分でやるしかないと思うだろうからね」

 セリナに冷や汗が流れた。

 もしかして、あいつが第二部隊だったってことか?

 セリナの脳裏に見知った顔が浮かんだ。

「もしかして、セリナ、僕らの後ろにいる【】に今さら気づいた?」

「いや、そんなまさか、だってあいつ……」

「もう呼ぶか。いちいち面倒だし。聞いてみたいこともある」

 ハルカは、南に向かってその名を呼んだ。

 しばらくして、かれらを追っていた第二部隊の【V】が、その得物を構え姿を現した。


 ――ハギワラ・ミツキ一等兵だった。


「部隊長と副長であれ、正体を知られてしまっては、第二部隊として看過できません」

「それなら、ここでわたしたちと戦うことになりますが、それでいいのですね?」

 ハルカはしっかりと通常の言葉遣いイングリッシュに戻ってミツキに対峙した。

 ミツキは鉞を構えたまま微動だにしない。それは暗に、戦意を喪失していることの現れだとセリナは気づいた。

「あのさあ」

 セリナはミツキにつかつかと近寄り、頭を小突いた。

「お前、頭固いんだよ。あと飛ぶの下手くそだし」

 よりによって一番第二部隊に向いてないヤツだな。

 セリナは思わずこぼした。

「ここは、普通にウチらと『第一部隊として』行動してりゃいいんじゃねえの?」

「でも、それでは――」

「ハギワラ。コギソ曹長からの命令を忠実に実行するのはいいですが、ここでわたしたちと戦っても、今のあなたの実力では残念ながらここで命を落とすだけ、とは考えられませんか?」

「それはわからないでしょう!」

 ハルカの声に、ミツキはほぼ反射的に反駁した。

「では戦いますか?」

 ハルカは得物を取り出し、ミツキに向けた。

 ミツキは背筋にぞわっとした何かを感じ、鉞を思わず落としてしまった。セリナですら、かろうじてこの「殺意」が「本気ではない」ことがわかったくらいで、ミツキからすれば、もともとそれほど持っていなかった戦意を完全に喪失させるには十分だった。

「わ、わかりました……好きに、してください」

 ミツキは地面に正座し、へなへなとくずれおちた。

 よく漏らさなかったな。

 セリナは内心そう思い、意外にもミツキが強い精神力をもっていることに気づいた。

「よろしい。では今まで通りわたしたちの後ろをついてきてください」

 ミツキは言葉を疑った。

「え? 何もしないんですか?」

「わたしたちは休暇中ですし、それにあなたは『第一部隊』です。何も支障はないでしょう。それに、命令を実行しないと困るのは、ハギワラ、あなたの方です」

「確かに、おっしゃるとおりです……」

 ミツキは不服そうに頷いた。

「つまり、ウチらの邪魔をしなければよし、そうでなければ、ウチらと戦う覚悟をしろってことだよ」

 セリナはハルカの意図を言い直した。

 ミツキはごくり、と喉を鳴らし、ふたりに向き直った。

「――オガシラ研究所に向かわれるんですよね?」

「やはり、知っていましたね」

「はい、〈カ……コギソ曹長から聞きました。ここから先に、【わたしたち】についての研究所があって、【V】である以上は立ち入り禁止であると」

「従って、研究所に入るようであれば緊急代執行――粛清の対象となる。そして、研究所の入口には既に別の第二部隊が待機している、といったところですかね」

 ミツキは驚きのあまり顔が固まってしまった。

 図星を突かれてしまったためだ。

「わたしたちに対抗しうるとしたら、副長と、あと二、三名といったところでしょう」

「副長――イチセ・セナだな」

「えっ、あの、セリナさま、どうして副長のお名前を知っているんですか?」

 ふたりに不思議そうな顔を向けられて、セリナは自分の失態に気づいた。

「あ、ああ……まあ副長だからな、いろいろあってね、第二部隊の副長がイチセ・セナって名前ヤツなのは知ってるってだけさ」

 ――この【詰所】の部隊長と副長は、その全員が、僕を殺すことが出来る。

 セリナはふと、オリガがそう言っていたのを思い出した。

 そこにイチセ・セナが含まれているとしたら、それなりの腕を持つに違いなく、また、第二部隊に所属しているのであれば、これまでの話を総合しても、【V】との戦いに特化した能力を持っているということも大いに考えられる。

 まさか、その副長ひとりってことはないよな?

 セリナに嫌な予感がよぎる。

「私が知っているのは、研究所前で副長が待機しているということだけです。緊急代執行は絶対に行わないよう、曹長には命令されています。絶対に勝てないからやめなさい、と」

「まあ、それはそうだな。フミコさんが正しい」

「つまり、研究所前にたどり着いたとき、イチセ副長とハギワラ、わたしとセリナで衝突する可能性が高い、ということですね」

「その通りです。――お言葉ですが、副長は代執行部隊ですので、どんな相手にも手加減しません。副長の武器を見て、生きているのはコギソ曹長だけ、という噂もあります。私は、正直いいますと、セリナさま――いえ、おふたりに刃を向けたくはありません。今ので私の強さがはっきりわかりましたので。

 ――けれど、副長の動きによっては、そうせざるを得ない、かもしれません」

「――なるほど」

 セリナの予感がどんどん確実なものに膨らもうとしていた。

「事情はわかりました。

 ――では、研究所に向かいましょう」

 ハルカは何も考えていないのか、すべてを考えた上なのかよくわからないままふたりに背を向けた。

「ところで、ハギワラ・ミツキ。

 ――君は日本語ニホンゴ、わかる?」

 ハルカはミツキに向き直り、日本語で話した。

「わかります。ですから追ってきたんです」

 ミツキは日本語で答えた。

「わかった。それじゃ、ここからはセリナと同じように話すから、よろしく」

 そう言って、ハルカは再び研究所へ向けて低空飛行を始めた。

 セリナとミツキはそれに従うほかなかった。

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