十七

 坑道が明らかに上りとわかるようになってからしばらく進むと、奥から光が差してきた。そのまま進んで地上へ出ると、目の前に大きな建物が現れた。

 セリナはかつてあった「学校」を思い出した。ちょうどそれくらいの大きさだったからだ。ただ、異なるのは、真っ白に塗装されていてわかりにくいが、表面全てがうちっぱなしの鉄筋コンクリートで構成されていて、窓ひとつないことだった。明らかに異様な建物だった。

「これが、研究所」

 セリナとミツキは思わず固唾を飲んだ。

「――おやおや、第一部隊長と副長が、そろいもそろってこんなところまでどうされましたかな?」

 とぼけた声と共に、建物のかげからイチセ・セナが現れた。セリナはあっ、と声を漏らした。プロファイルでは金色の髪だったのが、ピンク色の髪に変わり、短く切られていて、一見すると全くの別人に見えたからである。しかし、白衣を纏っていて、紫色の大きなゴーグルをしていたから、本人だろうとかろうじてわかった。

「副長、お連れしました」

「ああ、ミツキくんご苦労さま。

 ――申し遅れました、第二部隊副長のイチセ・セナと申します。階級は軍曹です」

 セナは小さな身体をぴょこり、と折り曲げた。

 ハルカの表情が明らかに曇った。

「さてさて、本来はここで緊急代執行、つまりお二方は粛清の対象ということで、このボクが処分しなければならなかったんですが、ちょっと状況が変わりまして」

「状況?」

「はい、詳しくは申し上げられませんが、こちらがちょっと緊急事態になりまして、ボクはこれから向かうところが出来てしまいました」

 ハルカとミツキは同時に首をかしげた。

「そうそう、ミツキくん、これは部隊長からのご命令なんだけれど、『これ以降は第一部隊として、第一部隊長の命令に従ってください』とのことだ、よろしく。

 ――ではまた、機会があれば」

 イチセ・セナはそう言ったが、何かの匂いに気づいた。

「ところで、サエグサ曹長、あなたから【糧食Cバー】の匂いがするのですが、ひとつ戴いてもよろしいですかね? なにしろボクも強行軍で腹が減ってしまいまして……」

 セナがハルカのすぐ近くに一瞬で移動したことに誰も気づかず、ハルカは戦慄した。自分の感覚を持ってしても、イチセ・セナの足取りを全く感じられなかった。つまりそれは、セナが殺す気で迫ればハルカの喉元まで肉薄できることを示していた。

「イチセ軍曹も【糧食C】が好きなんですか?」

 ハルカはあえてまったく動じない風を装って、【耐竜装】から【糧食C】を一本、セナに手渡した。

「ええ。どこか野生の虫の匂いがするものでね……手放せないんです」

 セナは礼を言うと【糧食C】をひとくちで飲み込み、煙幕を放った。

 気がつくとその後ろに、鋼で出来た大きな扉が控えていた。

「なんだあいつ……」

 セリナの瞳は震えていた。

 ハルカは、セナが肉薄したとき、腕が一瞬四本あったように見えた。だが明らかに人間離れした「何か」を感じていたので、見間違いだったかもしれないと思った。

「イチセ軍曹か……相手にならなくてよかったかもしれない」

 ハルカがぼそりと言った。それほどの相手なのか、とセリナは自然に理解した。

「ミツキ、準備はいいか?」

 ハルカはミツキに声をかけた。

「君はここで引き返すこともできる。先ほどのイチセ副長の言葉から考えても、おそらく、ここに立ち入った時点で問答無用で粛清の対象になるはずだ。そして、これは、僕がこの中身をある程度知っているからこそいえるけれど、おそらくこの中に侵入し、脱出すること自体、困難である可能性が高い。

 ――それでも、僕らと一緒に来るかい?」

 ミツキの紫色の瞳が大きく揺れた。

「――知りたいんです」

 かれはひとこと、そう言った。

「私の【参照元ボディ】は、生前セリナさまに大変お世話になったと言っていました。また、セリナさまのおかげで【参照元】になれたとも言っていました。その意味がよくわからなくって、私は図書館に通いました。その結果、どうやら私の【参照元】は、セリナさまからいろいろ情報を得た結果、自ら検体に応募し、合格したらしいということがわかりました。

 ――つまり彼女は、自ら死を選んだ上で、【参照元】になることを選択したということになります。彼女はそれで幸せだったのか。私の中でそんな疑問が浮かびました。また、そもそも、生きている状態の人間を、【純粋兵わたしたち】を生み出すためだけに殺してしまっていいのだろうか、と考えるようになったのです」

「初めて聞いたな、その話」

 セリナは図書館時代、そんな問い合わせを受けたか思い出そうとしたが、強い靄のようなものに阻まれて思い出せなかった。

 消した記憶の中にあるということがわかり、セリナは内心はっとした。

「ええ、特に言う必要はないかと思ったので。ともかく、私は、【参照元】の方がそこまで恩人としていたセリナさまに対し、ぞんざいに扱い、不用意に傷つけているサエグサ曹長――ハルカさんが大嫌いでした。【識別票ステータス】でも大した能力もないのに、なんで第一部隊長になって、こうも威張れるのか、とも思いました」

「なるほど」

 ハルカはうなずいた。そう思われても仕方がないし、ミツキの視点からはそう見えるだろうと理解した。

「でも、【零式レイシキ】と戦うおふたりの姿と、先ほどの会話で、私はいろいろなことを誤解していたことに気づきました。その節は、大変すみませんでした。

 ――そして、第二部隊で【東東京詰所イースト・トウキョウ・ステーション】の裏側を見たり、引き続き図書館で【純粋兵コレクテッド】について調べながら、ふと思ったのです。【わたしたち】とは何なのか、と」

「つまり、君も研究所に入りたいってことだね?」

「ええ。私の予想が正しければ、この研究所は、倫理的に受け入れがたいものが入っているのだろうと思います。私は、それを受け入れようと思います。たとえ、それで私の存在意義が揺らいだとしても」

 こいつ、こんなヤツだったか?

 セリナはミツキの言葉に驚いていた。一期すらまたがないうちに、これほどまでにかれを成長させたのは何だったのだろう。それは、第一部隊と第二部隊の両方を経験したからなのだろうか。セリナは何もわからなかった。が、わからないなりにミツキのすさまじい変化を受け入れる必要があると思った。

「わかった。なら、気をつけることだ。この中には、ほぼ間違いなく、オガシラ・レイ――【零式レイシキ】がいる。君も見ただろう、巨大な刀を携えた少女を。あれが【零式】の本体、その名前をオガシラ・レイという。もし彼女と戦うことになれば、僕らは無傷では済まない。無事に帰還出来る確率は絶望的といっていい」

「わかっています。それに、よく考えればあの分かれ道で私は一度死んでいます。一度捨てた命と思えば、どうということはありません」

「なるほど。君、本当に強くなったな。――セリナは?」

「ばか、聞くなよ。――わかってるくせに」

 鉈を取り出したセリナに続き、ハルカは長剣を、ミツキは鉞を取り出した。

 そうしてハルカは、入口の硬い扉に手をかけた。

 扉は見た目に反してするりと開いた。


 扉の中はエレベータになっていた。三人は意を決して、中に入る。

「ようこそ」

 天井から聞いたことのある声がした。

「待っていたわ。せっかくだし、わたしの部屋までご案内するわね」

 声の主――オガシラ・レイはそう言ってエレベータの扉を閉めた。中は操作盤などはなく、ただ動かされるままでいるほかなかった。

 エレベータは縦に横に、特殊な動きをして、数分ほどで止まった。どちらかといえばケーブルカーに近いもののようだった。

 扉が開くと、中央が吹き抜けになっている広い部屋に出た。周囲は鋼板で覆われ、配管が無骨に張り巡らされていて、居室というよりは、実験室のように感じられた。床も鋼板で覆われていて、常に微細な震動があり、どこかしらで計算機か何かが動いている気配がした。

 吹き抜けの上層は、人が余裕で入れるほどの大きさの正方形の穴がいくつも並んでいた。

 換気孔にしては、若干多すぎる。セリナはそう思った。

 その真下に、彼女は立っていた。

「わざわざご苦労様。【東東京詰所イースト・トウキョウ・ステーション】の禁忌を犯してまで、あなたたちはなぜここまで来たのかしら?」

 オガシラ・レイは透き通るような微笑みを浮かべた。

 細長い手足と、腰まで届く白銀色の長い髪。真っ白なワンピース様の、何らかの衣装。それらは普通の少女のいでたちを強調するものであるが、ハルカはもとより、セリナ、ミツキですら、そのあまりにも【ドラゴン】らしからぬ姿に異様さを感じていた。

「オガシラ・レイ。久々だな。会えてうれしいよ」

 ハルカは表情を変えずにレイに話しかけた。

「そう。ということは、あなたは記憶を取りもどしたのね?」

「ああ、僕が【V】になる前の記憶を取りもどした。教授が君を創り出したこと、僕がアヤを創り出したこと、そして――君がなぜわざわざ僕の目の前でアヤを殺したのかも」

 最後の言葉を聞き、レイは驚きの表情を浮かべた。

「あら、気がついていたの?」

「ああ。君たち・・は【V】について全てを知る僕を消すために、あえて僕の目の前でアヤを殺した。僕はそれを確かめたかったんだ」

 レイは嗤った。

 そうして髪をかきあげ、話し始めた。

「そんなことをわざわざ聞きにここまで? ご苦労ね。

 ――どうせわかることだから言うけれど、その通りよ。生き残って強大な戦力になればよし、あわよくば他の多くの【志願者ナチュラル】と同じように消耗してもよし、いずれにしても、教授おとうさまの計画を知る者をそのまま生かしておくことはできない。だから最低でも、あなたの記憶を消す必要があった。リーも、フミコも同意してくれたわ。特に、あなたは教授おとうさまにあまり従順ではなかったから。わたしは殺すべきと進言したんだけど、結局命を助けたのは、気まぐれなのか、何かを感じたのか、どちらにしてもわたしの本意ではないわ。

 ――でも、どうしてわかったのかしら? 記憶を取りもどしただけではそこまで気づかないはず。あなたが見た景色は、単に目の前でアヤが無謀にも勝負を挑んで負けただけのものでしょう? それがどうしてそういう風に見えたのかしら?」

 レイは不思議そうに首をかしげた。

 セリナとミツキは互いに顔を見合わせた。

 ハルカは、すっ、と息を吸った。

「アヤはあのとき、左腕で君の攻撃を防御しようとして、君の大太刀オオダチに盾と腕と首を一気に両断されて死んだ。僕はずっと、その死に方を不自然に思っていたんだ……。

 ――そもそも、君たちに誘導・・されるまでもなく、僕は最初から、アヤの身体を使って【V】になることを考えていた。つまり、そう都合のいい状況があるものか、と思ったのがきっかけだ。そして、アヤの死に方。【円卓竜ラウンズ】を壊滅に追い込むほどの、幾多もの死線をくぐり抜けたアヤが、いくら人間の大きさのものとの戦闘経験が少ないからといって、あんなにあっけなく斬られるはずがない。アヤの盾は鱗を肥大化させたものだから、君の大太刀の前には無力だ。そんなことは本人だってわかっていたはずだ。それなのに、君の攻撃を防御しようとし、失敗した理由がわからなかった。でも、今、君から話を聞いて確信したよ。あれは斬り払いの防御の動きじゃなく、アヤが突きを避けるために動こうとし、その最中に僕を見つけ、一瞬硬直したところを、君が斬り払ったから起きたことだと。そして、それは【耐竜装フォース】を通じて僕のいる場所を伝えた何者かが引き起こしたことだと」

 ハルカとレイとの間に起きる緊張で、セリナもミツキも何も考えることが出来なかった。そもそもかれらは、ハルカが何を話しているかすら、よくわからなかった。

「おそらく、フミコが僕の居場所を発した。そしてアヤが僕を見た。だから、僕は刎ねられた瞬間のアヤの顔を見ることになった」

「なるほど。あなたは【そのからだ】で、わたしや教授おとうさまの『計画』を邪魔しようというわけね」

 レイは大太刀を手にした。

「そうさ。僕は教授の意思には賛同できない。人類を自分たちの手で滅ぼそうとするのは、神に近づくということだ。そんなの、ひとりの人間がやるべきことではない。あまりにも傲慢すぎる。だから、僕の手で止める。そう思ったんだ」

 レイは高らかに嗤った。

「面白いわ。あなたのその思いこそ、ずっと傲慢で偽善で恥知らずじゃない。教授おとうさまに一目置かれるだけのことはあるのね。

 ――教授おとうさまは、あなたを恐れていたわ。唯一、自分の『計画』を止めうる存在だ、と」

 遠くで地鳴りがした。

 セリナとミツキはふたたび顔を見合わせ、お互いに周囲を警戒する。

「そこまで思われているとは、弟子として嬉しい限りだ」

 ハルカは剣をとった。

「もうひとつ聞きたい。

 ――【ズィー】は完成したのか?」

 その言葉に、レイは、あはは、と高らかに嗤い、相好を崩した。

「今更何言ってるのよ、当たり前じゃない。あなたの目の前にいるもの、それが【Z】よ」

 レイの言葉にハルカは驚愕の表情を浮かべた。

「なんだって?」

「わたしは【Z】の完全体にして原初の型。

 ――どう? 本気で殺す気になった?」

 地鳴りが大きくなった。セリナは音がどうやら上から響いているらしいことに気づき、無意識に得物を握りしめた。

「そうそう、本当はあなたたちの相手をしてあげたいところだけど、ちょっと今日は用事があるの。だから、特別に遊び相手を用意したわ」

 レイの身体から翼が生え、大きな風が巻き起こった。ハルカたちは身構える。

 その隙に彼女は吹き抜けに到達する。

「【純粋兵コレクテッド】は、人間に成形される際に【参照元ボディ】を使用するけれど、それはあくまで人間の形に整えるのに使用するに過ぎないの。つまり、ひとつの【参照元ボディ】は、『完成』するまで何度も『使用』される」

 上部の正方形の穴から、なにかがいくつも飛び出してきた。

「なんだ、これは……」

「成形に失敗して、使い物にならないものはその場で【ドラゴン】に姿を変え、放つ。あなたたちが【竜段レベル1】の【竜】として出会うもののほとんどがそれ。そして、【V】以外のものとして使いようがあるものが、ここにこうして残されているわけ」

 全体的に人に近い姿をなしていはするが、かれらは鼻が潰れていたり、耳がなかったり、脚が四本あったりしていた。けれど、全員が【耐竜装】を装備しており、何らかの武器を持っていた。

「人間としての形をなしていないだけで、能力は普通の【純粋兵コレクテッド】、つまり【竜段レベル3】の【竜】とほぼ同じ。この研究所にいる【選ばれなかった者アンコレクテッド】は、およそ二百体。いくらあなたたちでも、これを振り払って逃げることは難しいんじゃないかしら?」

 上部の穴からは次々と【選ばれなかった者アンコレクテッド】が出てきており、あっという間にハルカたちを取り囲んだ。

「まあ、せいぜい頑張ることね」

 そう言ってレイは光とともに姿を消した。

「畜生、してやられたか」

「――いや、想定通りだ」

 ハルカの冷静な声に、思わずセリナは、はあ? と声をあげた。

「さっきのレイの話。【純粋兵】が何かの上澄みだけで構成されていて、その上澄みから外れたものがここに眠っているのだろうとは思っていた。これは好都合だよ」

「好都合って……まさか、ここにいる約二百体、全部を相手にするってことですか?」

 ミツキが信じられないような顔でハルカを見た。

「よくわかっているじゃないか、ミツキ。

 ――僕の本当の目的は、未完成品かれらを全て、きちんと送ることさ」

 徐々に囲いを詰められる中、ハルカはこともなげにそう言った。

「言うと思った……」

 セリナは苦笑いする。

 ハルカはまっすぐ剣を構えた。

「ミツキ、セリナ。第一部隊長として命ずる。かれらを逃がすな。ひとり残らず、きちんと送ってやるんだ。特にミツキ、君は、【純粋兵うわずみ】なのだから、絶対に倒されるな」

 ミツキはごくり、とつばをのみ、ゆっくりとうなずいた。二つ結びの髪が揺れる。

「くるぞ!」

 【選ばれなかった者アンコレクテッド】たちが飛びかかった。ハルカたちは己の武器を手に、かれらに向かっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る