月の光は人工的に造成された窪みですら、均等に照らしている。ある時点でその形と共に役割をも消失してしまった建造物群は、単なる廃墟の群れとして照らされていく。

 【旧東京特別居住区オールド・トウキョウ・レジデンス】及び【旧東京防衛統括本部オールド・トウキョウ・センター】は、四半世紀ほど前のある日に、一体の巨大な【ドラゴン】――それは後に【零式レイシキ】と名付けられた――の襲来とともに壊滅した。地下に何層も積み重ねられた隔壁も、その圧倒的な破壊力で突き破られ、吹き飛ばされた。以後、この地は宇宙線の影響下にあるため一般人は立ち入り禁止とされ、残存していた者たちにより建設された【東東京詰所イースト・トウキョウ・ステーション】の【V】たちの訓練場――または、憩いの場――としてたびたび利用されることとなる。原則としてその利用はシステムで管理され、使用には簡易な申請が必要であるが、特に施錠されているわけではないため、【V】たちはこっそり忍び込んで思い思いの時を過ごしたりしている。

 

 廃墟に、メゾ・ソプラノの歌声が響き渡る。

 鮮やかな緋色の鱗に覆われた四肢が、かれが誰であるかを物語っていた。


 ぱち、ぱち、ぱち。

 背後からの突然の拍手に、エレナ・ペトローヴナ曹長は、恥ずかしそうにさっと振り返った。コギソ・フミコ曹長が崩れた壁に腰掛けていた。

「今のは何の歌かしら?」

 フミコは優しく微笑み、立ち上がった。

故郷の民謡カチューシャよ。ものすごく古い歌だけれど、かつては誰もが知っていた歌」

「聞いたわ。貴女の【参照元ボディ】、歌手さんだったそうね。いい歌声よ」

「そうみたい。私にその記憶はないけれど、それでも時々こうして歌ってみたくなるの」

「みんなの前でも披露したらいいのに」

「やめてちょうだい!」

 柄にもなくはにかむエレナを見て、フミコはいたずらっぽく笑った。

「そんなことより、早く始めましょう!」

「わかったわ」

 エレナがどれくらいの時を生きているのか、フミコは聞いたことがなかったが、おそらく自分よりはだいぶ若いだろうと思っている。そこに微笑ましさを感じることもあれば、危うさを感じることもあった。

「始めましょう」

 エレナの【耐竜装フォース】がちかちかと点滅し、「訓練申請中」という文字が浮かび上がった。フミコの瞳に線がよぎる。

 廿七対零。

 ふたりの間に戦績が浮かび上がった。フミコの【耐竜装】が承認を求める。

 フミコが承認を返すと、ふたりの【耐竜装】は赤く染まり、「訓練」の文字が浮かび上がった。

 この状態で【耐竜装】から出された武器は、【V】同士において殺傷力がなくなる。どちらかが有効打をとるか、双方が訓練を中止する操作をすると訓練は終了となる。

「ちゃんと考えてくれたかしら?」

 フミコは得物の薙刀を取り出し、後ろ手に構えた。

勿論カニエシュナ

 一方、エレナは両手に何も持たず、正対している。

「――もしかして、ハルカの真似?」

 フミコの微笑みに、エレナはかぶりを振った。

「ふざけないで。【人間チェラヴィエク】の真似なんてしない!」

 その決然とした表情に、フミコは安堵を覚えた。


「貴女、その武器向いてないわよ。重たすぎて線が読めるもの」

 七週間ほど前のフミコの言葉で、エレナはある決心をした。


 廿七回目の訓練だった。

 持ち前の破壊力でフミコを廃墟の端まで追い詰めたところだった。

 エレナは二メートルに迫る巨大な鎚矛メイスを振りかざし、建造物の欠片を吹き飛ばした。

「ウラア!」

 高速で砕け散るコンクリート片がフミコの鱗を掠め、わずかに傷をつけた。

 フミコは思わず微笑んだ。エレナの攻撃で傷がつくとは思わなかったからだ。

 エレナは高く跳び上がり、鎚矛をフミコめがけて振り下ろす。

 今度こそ、との思いは届かなかった。

 鋭く繰り出されたフミコの薙刀がエレナの胸元に触れ、甲高い警報が鳴った。

「訓練終了」の文字が互いの【耐竜装】に浮かび上がる。

「そんな! この動きを読めたの?」

 エレナは驚愕の表情を浮かべた。

「いえ」

 フミコは淡々と薙刀をしまった。

「貴女、その武器向いてないわよ。重たすぎて線が読めるもの」

 実際、フミコはエレナが確実に攻撃の挙動に入ってから素早く薙刀を繰り出している。

「ハア?」

 エレナはまごついた。

 【V】は【耐竜装フォース】により、自らの血液を原料にして【ドラゴン】に対峙するための得物を創り出す。【耐竜装】から決まった大きさ、決まった形の得物を生み出すために、かれらは研修期間の大半を割くことになる。

 研修期間内に有効な得物を生み出し、それなりに扱えなければ、最終訓練で生き残ることは難しく、また仮に生き残ったとしても、【詰所ステーション】内の補助作業を中心とした第五部隊への配属となるのが決まりだった。

 エレナは【オールドモスクワ詰所ステーション】でも、この【東東京詰所イースト・トウキョウ・ステーション】でも、膂力りょりょくにおいて右に出る者はいないと自負している。自他共に認める怪力の持ち主であるからこそ、自身の身長ほどもある、重量を生かした高い破壊力を持つ鎚矛メイスを得物としてきた。

 そのスタイルを今、真っ向から否定された。

「言い方を変えるわ。貴女の武器では、私を倒すどころか、有効打すら与えられない」

「なぜ? どうして?」

 確かに、エレナはフミコに一度も有効打を与えることができないでいた。

 いつも、攻撃する直前にフミコの刺突を受けてしまうのである。

「その鎚矛は、貴女が創り出せるぎりぎりの大きさでしょう?」

「ええ」

 鎚矛の柄を長くすることにより、持ち前の膂力を極限まで利用した破壊力を手にすることで、エレナは数々の【竜】を葬ってきた。

「確かに、大きく、鱗が硬い【竜】に貴女の武器はよく効く。他の武器では届かないような鱗を粉砕できるし、仮に粉砕できなくとも大きな衝撃を敵に与えることができる」

 フミコは諭すように言った。

「けれど、それは大きくて動きが鈍い敵にしか効果がない。貴女は、ぎりぎりまで大きくしたその鎚矛を、軽く扱うことは出来ない」

 そう言いながら、フミコは薙刀を取り出した。

 周囲にまばらに生えていた雑草が刈り取られ、吹き飛んだ。

「この動きは、今の貴女にはできないはず」

 エレナにはどう見ても薙刀を取り出しただけにしか見えず、周囲を薙ぎ払うフミコの筋は見えなかった。

「わかったかしら? 今の貴女がどう動こうが、私を狙った瞬間に速さで勝負がついてしまうの」

「もしかして、サエグサに勝てないのも同じってこと?」

 エレナの言葉に、フミコは吹き出した。

「貴女、まさかハルカにも同じように訓練させてるの?」

「当たり前じゃない! 私はこの【詰所スタンチア】で最強の【V】アディンになりたいのよ! 【騎士ルィッツァリ】として【人間チェラヴィエク】に負け続けるわけにはいかないわ!」

 フミコは思わず笑い転げた。エレナに時折浮かび上がる、若さとひたむきさは嫌いではなかった。

「まあ、そうね。理屈は同じこと。ハルカも貴女の攻撃がすべて見えているでしょうから、それより速く反撃できるはずね」

「じゃあ、どうすればいいっていうのよ!」

 拗ねる子どもを諭しているみたいだ、とフミコは思った。

「言ったじゃない。重すぎるの。逆に考えて。武器を軽くすれば、素早い敵にも対応出来ると思うけれど?」

「でも、それじゃ……」

「貴女ほどの力があれば、やりようによっては、軽い武器でも【竜】の爪とやりあえると思うわ。どうかしら?」

 エレナは少し考え込んだ。

「やってみるわ。また訓練してくれる?」

「当たり前じゃない。【詰所】の戦力を底上げするためなら、私は喜んで付き合うわ」



 そう言ってから七週間が経ち、エレナは満を持してフミコに訓練を挑んだ。

「しばらく見ないと思ったら、このための訓練をしていたのね。思っていたより強くてびっくりしたわ」

 廿八対零。

 訓練の結果よりも、フミコの息が上がっているのが、エレナにとって何よりも成長の証だった。

「ここまでやっても、倒せないのね……」

 それでも、エレナは勝ちたかった。ただ、かれの想像以上に、フミコは強かった。

「どうかしら。あと何回かやれば、貴女が勝つ回も出てくるはずだけど」

「あんな技使っといてよく言うわね……」

 普段使うことのない「大技」を使用してフミコは窮地をしのいだ。これこそ、エレナの強さが格段に上がったことの証拠である。

「確かに、あの技は訓練で出す技じゃないわね。私も少し、正気を失っていたわ」

「フミコも勝ちたい気持ちがあるの?」

 純粋に驚きを隠せないエレナに、フミコは自然と笑った。

「そうね。勿論、なくはないわ。訓練とはいえ、これは【V】同士の純然たる勝負なのだから。けれど、今のは『癖』で出してしまった。

 ――つまり、それだけ貴女が私を追い詰めたということ」

「それなら、一歩前進できたのかしら」

「一歩どころではないわね。名実ともに、貴女はこの【詰所】の歴史に残るほどの強さになったと思うわ」

「本当に?」

「ええ」

 エレナはやったー、と跳び上がった。

「待って、でも、フミコとサエグサって、どっちが強いの? サエグサは、フミコより強いの? 【人間チェラヴィエク】なのに?」

 その問いにフミコは少しだけ逡巡した。

 エレナが気づかないくらい、僅かではあったが。

「そうね。時と場合によるとしか言えないわ」

 だから、仕方なく、話を続けた。

「私たちは【純粋兵コレクテッド】だから、【参照元ボディ】の適性による能力のばらつきがたとえいかなるものであっても、【志願者ナチュラル】のハルカと比べれば、その身体能力は大幅に優れているといえる。

 ――けれど、あの子は、研究職とはいえ【旧東京防衛統括本部オールド・トウキョウ・センター】の兵士だったし、【V】となってから信じられないほどの鍛錬を積んで、古今東西様々な体術を習得している。私もそれなりに体術を極めたつもりだけれど――それでも、私とハルカが仮に手合わせをしたとして、どちらが勝つかは私にもわからないわ」

「どうして、サエグサは……」

「あの子はね、特別なのよ。あの身体も、ここに来た理由も、他の【志願者ナチュラル】たちとは違う。あの子は――自分の目の前で【V】だった恋人を殺されたの」

「それって、まさか、【罪深き竜グリェシュニク】?」

 フミコがうなずき、エレナは絶句した。

「もちろん、貴女だって、【零式かのじょ】に故郷を滅ぼされているでしょうけれど、ハルカにあるのは、【零式かのじょ】のみならず【ドラゴン】に対する強すぎる殺意と、人間を守ることへの異常な覚悟ね。これが、私や貴女がハルカに及ばないかもしれない理由。【純粋兵わたしたち】にそれほどの情念なんて、ふつう浮かばないでしょう? それが、【神風カミカゼ】の称号を持つあの子の本当の強さ」

 フミコは一度、まばたきをした。

「逆に、ハルカといくら手合わせをしても、その『本気』を知ることは出来ないわよ。さっきの私みたいに、戦いの中で我を忘れるような子じゃないから。

 ――もっとも、あの殺意にあてられたら、どんな敵でも全力で戦えるかどうかすら怪しいけれど。たとえ、貴女ですらね」

 身体の中にふつふつと湧き上がる嗜虐心を、一生懸命に押さえつけている自分に気づき、フミコは薙刀をしまった。

「そう……」

「さて、夜も更けたわ。帰りましょう」

 フミコに促され、エレナはどうにもままならない表情で訓練場を後にした。

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