四
確かに生活は保障された。けれど自由はどこにもない。
確かに賃金は高い。けれど使う時間がない。
確かに危険はない。けれど身体は限界だ。
第五部隊は主に【詰所】の保全や物資の補給、長距離遠征の連絡などを担当する補助部隊である。
カタヒラ・チグサ三等兵はその末席で、各部隊の支給品の集配を担当していた。五部隊、二百名程度の規模だが、その支給品はかなりの種類に及ぶ。これらを発注し、納品を確認し、各部隊に振り分ける仕事だ。チグサは小学生の時、莫大な借金を背負った親に頼まれ、【
だが、【
当然、空を飛べればすぐに済むような用事でも、他の【V】が使用しない階段を駆使しないとならず、余計に時間がかかる。上官にもそれを考慮する余裕はなかった。第五部隊は人数は多いものの振り分けられる資源が少なすぎるのである。
「おや、君は残業かい?」
泣きそうになったところに、声をかけられた。
見慣れない、目立つ姿の【V】だった。紫色のゴーグルをかけ、髪は金色に染め、なぜか白衣を着ている。しかもすごく小柄だった。身長百五十二センチのチグサより小さい。【
「ペンが三本足りないって言われたの」
支給品のペンが足りていないから探せ、との命令を受け、かれこれ数時間探し続けている。探し物は苦手だった。
「そんなもののために残業させられているのか」
「でも、私がなくしたものだから」
セナは腕を組む。
「んじゃ、占ってあげよう」
「占う?」
「うん、ボクの占い、よく当たるんだよ」
知らないの? とセナはチグサの顔をのぞきこんだ。びっくりするチグサを笑いながら、セナはカードを使ってなにごとかつぶやいた。
「どれどれ。うーん」
柄のないカードをぱらぱらとめくっている。
チグサには、かれが何をしているのかわからなかった。
「意外と近くにある、って言ってるねえ」
セナは白衣から大きな虫眼鏡を取り出した。
「君の机の下、なんか怪しくない?」
チグサは祈るように自席の机の下をのぞき込んだ。隙間の奥に、ペンが三本倒れていた。
「あった!」
「ほらね、当たったでしょ」
「すごい! どうやるの?」
チグサはきらきらとした目で尋ねた。
「うーん、素人には出来ないよ。ボクじゃないとできないんだよね」
「へえ。変なの」
ありがとう、とチグサは手を振った。
セナは小さくうなずいて、すたすたとその場を去っていた。
「ペン三本で残業の指示ってひどすぎるよ!」
宿舎に帰ってきて今日の出来事を話すと、ルームメイトのキノモト・メイ三等兵は憤怒の表情を浮かべた。
「いつもそんなのばっかりなんだよね」
「さすがに横暴だよ」
メイは現状に大きく不満を抱いていた。
「それでも、上官の命令は絶対だからさ」
「その上官がひどすぎる! ふつうさ、そういう状況なら一緒に探したりするよ!」
メイは何かにつけて、自分やチグサの扱われ方に怒っていた。
「こうなったら部隊長にお願いしに行かないと」
「そ、それは大げさだと思うよ!」
チグサはうろたえる。
そこで、もうひとつの出来事を思い出した。
「そうそう、あんまり見たことない人に助けられたんだ」
「誰?」
「セナちゃんっていう子。知らない?」
「あっ、もしかして、【占い師】?」
「そうそう、占いでペンの場所あててくれたの!」
「へえ、本当に当たるんだ、あれ」
メイは鼻で笑った。
「私もこの前占ってもらったんだけどね、行きつけの喫茶店で」
「そこにもセナちゃんいるんだ」
「たまたま会っただけ。白衣着てるから目立つでしょ?」
そういえば、あれだけ目立つ恰好なのに、どうして今まで見たことがなかったのだろうとチグサは不思議に思った。
まして、三等兵なんて期が経てば勝手に昇格するものらしいので、チグサとそこまで期が離れているはずはない。
「そしたら、隣の酒場には行かない方がいい、って言われたんだ。私の行きつけなのにだよ? ひどくない?」
メイはふたたびむき、と怒りを顕わにした。
「やっぱりたまたまなのかな」
「たまたまだよ。そう簡単に占いなんて当たるわけないじゃん」
メイは笑って、ベッドに潜り込んだ。消灯時間が近づいていた。チグサもベッドに潜り込んで、明日を待つことにした。
何日かして、やはり遅くまで仕事があって、チグサは疲れてしまった。宿舎にまっすぐ戻る元気もなく、宿舎への道の途中、大きな吸排気筒の前で座り込んでしまった。
「おや、君はこの前の」
そこに、白衣を着たセナが通りかかった。
「セナちゃ……どうしたの?」
セナの白衣の胸元に、大きな血の染みができていた。チグサは指をさし固まった。
「ああ、これね。作業してたら転んじゃってさ、鱗が剥がれちゃった」
あはは、とセナは笑って、剥がれてしまった橙色の大きな鱗を見せた。白衣の隙間から大きな絆創膏が見えた。
「大丈夫?」
「うん、ボク、傷はすぐ治るんだよね」
「そうなの?」
「うん、慣れてるから」
「そうなんだ。私なんかまだ、鱗も全然生えてこないよ」
チグサは自分の両腕を見る。外での任務がないチグサには鱗の成長が促されることはない。どうみても、人間の頃のままだ。
「そういえば、チグサくんは武器持ってる?」
セナは隣に座り、チグサをみつめた。
「出せないんだよね、空も飛べないし」
チグサはうつむいた。
「そうか。空が飛べない子は初めて見たかも」
「そうだよね。みんな翼があってうらやましいなあ……」
「まあ、ボクも翼が小さいから、空飛べないんだけどね。浮くことならできるんだけど」
セナはそう言って、【
「セナちゃんも飛べないんだ」
「うん、だからずっと地下と地上を行ったり来たり」
「そういえば、何の仕事してるの?」
チグサは初めて、セナに興味を持った。今まで、かれが何をしているのかすら、よく知らないことに気がついたのである。
「ああ、そうだね。まあ、いろいろかな。上官が忙しくて結構ほったらかされちゃってて」
セナはえへへ、と笑った。
「仕事早いんだ! うらやましいな」
「確かに、いつも仕事早いって言われる!」
紫色のゴーグルがぴょん、と跳ね、セナはゴーグルをかけ直した。
「チグサくんのルームメイトって、確か……」
「メイちゃんだよ! 最近帰りが遅くて心配」
「そうそう、メイちゃんね。もしかして、酒場に行ったりとかかな?」
「うん、そうそう、会ったことあるよね」
「まあ、何度かね。『酒場に行かない方がいい』って占ったことあるし」
それはメイから聞いた話だった。
「それ、メイちゃんすごく怒ってたよ」
チグサの言葉に、セナは一瞬だけ無表情になり、怪訝そうな表情をした。
「行きつけなのに、あんなこと言われたって言ってた」
「じゃあ、今も行ってるってことかな?」
セナの口調が静かになったことに、チグサは気づかなかった。
「うん、多分今日も行ってるんじゃないかな」
「ふむ……そっか」
セナは腕を組むと、立ち上がった。
「気になるの?」
チグサは不思議そうに訊いた。
「まあね。一応占ってあげたし、ちょっと気になることがあるから」
じゃーね、また。
セナはチグサに手を振り、さっと闇の中に消えていった。
チグサはどこか胸騒ぎがして、立ち上がり、宿舎へと歩き始めた。
帰ってみるとやはりメイはいなかった。
なんだ、やっぱり酒場に行ってるのか。
チグサは力が抜けて、大きくため息をついた。何か変なことに巻き込まれていないか心配だった。なんとなく、セナの占いの結果が気になってしまったのかもしれない。消灯時間も近いし、今日はこのまま寝る準備をしようとした。
その時。
部屋の扉が荒々しく開かれ、メイが帰ってきた。憔悴しきった顔で右手に数センチくらいの小刀を持っている。メイの出せる唯一の得物だった。
「チグサ!」
「ど、どうしたの?」
チグサは突然現れたルームメイトの姿に困惑した。
「逃げろ! あいつは危ない!」
「え、どういうこと?」
「イチセ・セナは……」
警告は最後まで発されることはなかった。
声を聞こうと見上げたチグサは、メイの喉に、真っ白なカードが突き刺さっているのを見た。チグサの身体が固まる。よく見れば、カードは喉だけではなく、眉間、肩、脇腹にも突き刺さっていた。
「メイ、ちゃん?」
メイの大きな身体は少しの間部屋の入口を塞いでいたが、ばたりと大きな音を立てて倒れてしまった。
「あーあ、結局失敗しちゃったなあ……」
その後ろから、イチセ・セナが現れた。白衣のあらゆる場所に血の染みがついていて、紫のゴーグルが割れていた。
「セナ、ちゃん」
「仲良くなれると思ったのに、残念だね」
状況がよく飲み込めていないチグサの目と、割れたゴーグルからのぞいたセナの目が合った。
「セナちゃん、【
どうして、という言葉の先は出なかった。チグサの首はセナによって両断されてしまったから。
「どうして、なんだったんだろうな」
セナは、倒れたチグサの亡骸を見つめて、首をかしげた。
どうして隠していたの?
どうして第五部隊に?
どうしてキノモト・メイを殺した?
「まあ、なんでもいっか。しっかし、厄介なことになったなあ……こりゃ大チョンボだよ」
ため息をつきながら、セナは【
「〈カスミガセキ〉へ、報告です」
「――どなたかしら」
「〈サクラダモン〉、決定された全ての標的に対し執行を完了。第四部隊七名、第五部隊十二名の執行、及び現場に居合わせた第五部隊一名を緊急代執行しました。申し訳ありません」
「――相変わらず仕事が早いのね。許可が降りて何時間かしら。まあ、それはいいとして。お疲れ様。貴女の位置は特定できた。
――宿舎の緊急代執行ね。それは大変。直ちに〈カグラザカ〉と〈カヤバチョウ〉をそちらに向かわせます。それまで現場を保全すること」
「承知いたしました」
「いつも仕事が早くて助かるわ」
「いやあ、今回はだいぶ失敗しちゃいました」
「いえ、標的を殲滅したのだから、成功よ。緊急代執行のことなら、命の遣り取りをしているのだから、仕方ないわ。そういう運命だったのよ。私から大佐には言っておくわ」
「ご配慮、感謝いたします」
「いえ、こちらこそ。これで【詰所】の不穏分子はほぼ消滅するでしょうから」
「引き続き任務にあたります」
「よろしく頼むわ――イチセ・セナ
セナは通信を切った。
「はあ、なんだか疲れちゃったな」
セナはゴーグルを外し、カードを【耐竜装】にしまい込み、かわりに【
「そうそう、チグサくんさあ、ボクは厳密には【
――まあ、知らないだろうけれど」
紫の瞳は、うつろに亡骸を映し続けていた。
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