第24話 冷たい水と熱い血




「アオイ君、いいかな?」

「は、はい……。き、来て下さい」



 私とナルサスさんが泊まっているのは、二階建ての少し古びた宿だった。


 一階は酒場兼食堂になっていて、冒険者たちや商人たちが夜遅くまで賑やかに飲んでいる。

 トイレは男女共同だし、お風呂に入りたければ外の浴場まで出かける必要があるけど、客室は静か。隣の部屋のいびきも聞こえない。


 だから、不満はあまり無いけど、問題はお金。

 この宿は週単位でしか部屋を借りられなくて、どうしても最初にまとまった額を払う必要がある。


 冒険者になりたての私の収入では本当にギリギリで、ナルサスさんに少し援助して貰っていた。

 だけど、青銅ランクになれたから、明日からはちょっと余裕が生まれる。それがなんだか誇らしい。



「じゃあ、行くよ?」

「……は、はい」



 夜も更けたこんな時間に、ナルサスさんが私の部屋に訪れているのは、一週間前から始まった『アレ』のためだ。


 この部屋は狭くて、シングルベッドと小さなサイドテーブルがあるだけ。

 クローゼットなんて無いから、吊るしたい服がある時は、壁にかかっているハンガーを使うしかない。

 ベッドの横のわずかなスペースに荷物を置くと、もう人が動けるほどの余裕なんて残らない。


 だから、ナルサスさんと二人で過ごす時は、必然的にベッドの上になる。


 今夜もそうだった。

 私はナルサスさんの膝の上に座り、背後から優しく抱きしめられる。



「んぁっ!? んんっ……。ぃやっ……。ぁはっ……。」



 首筋に走る鋭い痛み。

 思わず顎が跳ねるが、それはすぐに甘い痺れに変わって、背筋を伝って全身を震わせた。

 サイドテーブルに灯るランプの揺らめきの中、私の身体はナルサスさんの腕に縛られ、どうしようもなく跳ねるしかなかった。


 そう、これは吸血。

 ナルサスさんが、私の血を吸っている。


 もちろん、初めてお願いされた時は驚いた。

 でも、ナルサスさんは吸血鬼。太陽は克服していると聞いていたが、やっぱり辛いらしい。

 それまで気付きもしなかったけど、良く見れば、ナルサスさんは明らかに疲れていた。



『アオイちゃん、あんまり彼を搾り取ったら駄目よ?

 でも、アオイちゃんは若いからね! 私もそういう時期あったし!』



 その日の朝、馴染みの冒険者ギルド職員のお姉さんがそうニヤニヤと笑われながら言われた時は何の事だろうと思ったけど、今は解る。

 私たちはそういう風に見られていたのかと、つい頬が緩んでニマニマしてしまう。


 そんなお姉さんに今ならはっきりと言える。

 『搾り取られているのは私の方です』と。


 だけど、もちろん言えない。

 それを口にしたら、ナルサスさんが吸血鬼と暴露しているようなものだから。



「ぁっ……だめぇ……。ぁんっ……。」



 私は男の人を知らない。

 しかし、吸われる度、たまらない熱が体を駆け巡り、知らなかった世界へ連れて行かれる。


 どうしても内股になって、膝を擦り合わせてしまう。

 そんな仕草を自分で意識してしまって、余計に顔が熱くなる。止めたいのに止められない。


 吸血鬼にとって、処女の生き血は特別だと、ナルサスさんは言っていた。

 しかも、私は勇者。他には無いほど美味だとも。



「ありがとう。もう充分だよ」



 だからだろうか。

 ナルサスさんがその鋭い牙を離す時、もっと欲しい、もっと吸って欲しいと、そんな気持ちが胸の奥から込み上げてしまう。



「えっ!?」



 振り返った私の顔は、きっと物欲しそうに見えたのだろう。

 ナルサスさんは溜息を短かく漏らして、抱きしめていた腕を解いた。


 まだ胸の奥がじんじんしているのに。

 熱く火照った身体、荒く乱れた息。その全部を見ているはずなのに、ナルサスさんは冷静で、私だけが取り残されているみたいだった。


 寂しい。どうしようもなく寂しい。

 もっとナルサスさんを感じていたい。

 もし、勇気を振り絞って、このまま押し倒したら、ナルサスさんは受け入れてくれるだろうか。



「ほら、しっかりしなさい」



 しかし、腰を掴まれて膝から降ろされ、隣に座らされる。

 ほんの少し離れただけなのに、急に寒くなった気がして、すぐにでも寄り添いたかった。


 けれど、彼はもう立ち上がってしまった。

 伸ばして空を掴んでいた右手にコップが差し出される。



「水、飲めるかな?」

「はい……。いただきます」



 その手は微かに震えていたけど、それが『落ち着け』という無言の命令だと分かって、私は俯いた。

 胸がぎゅっと痛くて、唇を濡らした水がやけに冷たく感じた。



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