第22話 ヒミツの刻印




「イヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

「コボッ!?」



 神殿があった山を下りるのに、半日かかってしまった。

 ようやく麓の森へ足を踏み入れると、辺りは静かで、鳥のさえずりと風の音だけが響いている。


 ほんの10分ほど歩いたところで、私の前を歩くナルサスさんが右手側を静かに指さした。

 すぐに振り返ると、目に飛び込んできたのは、こちらへ駆け寄ってくる犬っぽい顔のモンスター『コボルト』が8匹。


 全身が毛で覆われていて、猫背のせいで私よりも小さく見えるけれど、その動きは俊敏。

 粗末な衣服を身にまとい、持っているのは棍棒や錆びついた剣。さらに、荒い息を吐きながら舌をぴろぴろと出し、涎が垂れている。



「来ないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

「コボボッ!?」



 その気持ち悪い姿に、思わず背筋がゾクッとした。

 でも、逃げるわけにはいかない。焦ってナルサスさんに視線を向けると、彼は腕を組み、顎をしゃくって私に『行け』と無言で命じた。


 私は戦いの術なんて、全く知らない。

 平和な日本で生まれて育ち、身近な害虫は別として、今まで生き物を殺したことなんてなかった。


 だけど、コボルトたちから感じる殺気が、私の中に不思議と勇気を湧き上がらせた。

 一歩を踏み出すと、手にした剣がまるで自分の意志を持っているかのように引っ張り、気がつけば私は戦いの中に飛び込んでいた。



「あっちへ行けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

「コボコボーッ!?」



 これが勇者としての力かと実感した。

 もう一度、言っておく。私は戦いの術なんて知らないし、生き物を殺した経験を持たない。


 けれど、剣が私を導いてくれている。

 それは剣を振るというよりは、剣に振られるというに相応しく、ナルサスさんにはちぐはぐな動きに見えるだろう。


 だって、私は剣を持つ右手だけを突き出して、へっぴり腰だ。

 それなのに、コボルトが襲いかかってくると、どうやって剣を振り、どちらに逃げるべきかを、剣がちゃんと教えてくれる。


 コボルトが断末魔をあげるのは、これで3匹目。

 今も首を切り落とされたその姿が、青い血を撒き散らして倒れていくのは、見ているだけでも卒倒しそうな光景だが、私の意識は次の目標へと向いている。


 重たいはずの鎧も、それを全く感じない。

 身につけた瞬間、重さを感じるどころか、身体にぴったりと馴染んでいる。胸を除いて。


 山の斜面を半日かけて下り、こんなに必死に動いているのに、身体が疲れたと感じることはない。


 ちなみに、私が今振るっている剣は、見た目が最初と変わっている。

 黄金剣のままでは目立ちすぎると、ナルサスさんが魔術を施してくれて、今では普通の鋼のような輝きになっている。


 鞘も豪華な装飾が取り払われて、見た目はずっと素朴なものになった。

 魔術って、やっぱり凄い。


 ナルサスさんはこうも付け加えた。



『君が本当の『何か』を手に入れた時、封印は解けるだろう』



 当然、その『何か』が気になったが、苦笑するだけで答えてくれなかった。

 それを問い詰められない私はやはり『臆病な勇者』に違いない。


 でも、今は剣が導いてくれる。

 いつか、その『何か』を手に入れて、六冊目まで語られた勇者のようになれると信じて、剣を振るう。



「あっ!? 逃げた!」



 4匹目は戦いを仕掛ける前に遁走した。

 その途端、残りのコボルトも一斉に背を向けて走り出す。



「任せたまえ。

 万物に糧を恵む光よ。今は集いて、猟犬となり、我が敵の喉元へ噛み付け。マジックアロー」

「コボコボォォッ!?」



 ナルサスさんが魔術を放つ。

 5つの光の球が現れ、それぞれが尾を引きながら矢となって飛び、コボルトたちを次々に射抜き、1匹ずつ的確に命中してゆく。



「わわっ!? 凄い! 今、木を避けて当たりましたよね?」

「まあ、そういう魔術だからね。

 それより、思った以上に戦えているよ。どうなることかと思ったけど、まずは一安心だ」

「私自身、信じられません。これって、やっぱり刻印の……。勇者の力なんですか?」



 称賛したら、ナルサスさんから称賛が返ってきた。

 それも嬉しそうな微笑み付きで。照れくさくなり、思わず俯いて、ナルサスさんへ上目遣いを向ける。


 知らず知らずの内、私の左手は太腿の内側を触っていた。

 勇者の力の証『刻印』は、私の太腿というより股間近くの太もも付け根に刻まれていた。



「それ、昨日から何度も見せている仕草だけど、止めた方がいいね。

 あとここに居るのは君と私だけとは言え、刻印に関する話題は決して口にしてはいけない。

 例え、こんな場所とてだ。いつ、どこで誰が聞いているか、分からないのだから。

 何度も言うが、君にそれを与えた神は世間の評判が悪すぎる。もし、見つかりでもしたら、君自身が大変なことになる」



 ナルサスさんが顔を背けているのを見て、慌てて私は左手を太腿から戻す。

 顔が真っ赤になっているのが自分でも解るくらい熱がこもっていて、どうしようもなく恥ずかしい。思わず私も顔を背ける。


 『刻印』とは、神に認められた勇者の証とされている。

 歴代の魔王を倒した勇者達がいずれも身体のどこかに刻んでいたと言われる印であり、私の場合はピンポン玉大の七角形の中に闇の神のエンブレムが描かれている。


 但し、その存在は極秘中の極秘。

 何故なら、『刻印』を持つ者が現れるということは、魔王の到来もまた意味するからだ、

 

 もし、その事実が知られたら、たちまち世界はパニックに陥ることは間違いない。


 ところが、皮肉な事に名を『聖印』と変え、真実も違う形で世の中に伝えられていた。

 いつしか、七大神の各宗派の教皇たちだけが本当の意味を知りながらも偽り、それを持つ者を見つけ出すよう教徒たちに命じていた。

 どの時代であっても、常にどこかで『刻印の持ち主』が探され続けていた。


 目的はただ一つ。

 勇者という『奇跡の存在』を抱き込めば、教団としての威信も、信者の数も一気に跳ね上がるから。


 そうして、宗派は栄え、また衰え、そしてまた栄える。

 『刻印』を巡る信仰と欲望の歴史は、まるで循環する季節のように繰り返されてきた。


 そう、ナルサスさんは嘆きながら教えてくれた。

 しかし、私は『だけど』と思う。



「はい……。

 でも、ナルサスさん。こんな場所、教えでもしない限り、絶対に見つからないと思うんですけど……。」



 なにせ、私ですら、刻印の存在に気付いたのは二日目の朝だ。

 用を足した後始末をして、ふと股間を覗き込んだ時だった。


 スカートを下から覗かれた程度では絶対に見えないし、スカートを履いていなくても足を普通に閉じてさえいれば見えない。

 女として、足を大きく開くなんてことは、用を足す時くらいしかない。


 刻印がどんなものか知らず、不安になって、ナルサスさんに調べて貰った時の一回っきりで十分過ぎる。

 あの時は恥ずかしいというか、辛かった。


 七角形に見えるその形の線には、超古代語の文字が細かく書かれているらしい。

 それをナルサスさんがじっくりと観察していた時、かなり動揺した。彼の視線があまりにも近くて、どうしてもイケナイ気持ちになってしまった。


 ナルサスさんが寝静まった後、神殿の私たちが過ごしていた礼拝堂から一番遠い部屋で声を必死にこらえた。

 そんなことをするのは、週に一回有るか、無いかだったのに、ナルサスさんが起きてくるまで七回も。本当に恥ずかしい。



「まあ、左掌に刻まれたファンベルトと比べたら、確かに随分とマシだろう。

 だけど、その油断が思わぬミスを呼ぶんだよ。

 例えば、誰しも気が緩んでしまう風呂場なんて、どうだろうか?

 君の世界と違って、この世界で入浴は贅沢だ。

 でも、君は我慢が出来ないだろ? そうなると、行くのは共同浴場になる。周りは同性しか居ないとなれば、尚更だ」

「あっ!?」



 しかし、ナルサスさんは私が全く気にしていなかった盲点を指摘した。

 場所柄、私はどうしても異性の目だけを気にしていたけど、実は同性こそがもっと注意すべき相手だと教えられ、思わず口を開けて呆然とした。



「それに……。」

「それに?」



 ナルサスさんは私の様子を見て、溜息を漏らしながらも、さらに忠告をしようと口を開きかけた。

 だが、途中でその言葉を飲み込み、思いとどまった。


 彼が何を言おうとしたのか、私にはわからなかった。

 ただ、私を見つめるその目が、どこか辛そうに感じて、胸が締め付けられるようだった。



「いや、何でもない。それより、新しいお客さんだよ」

「えっ!?」



 それに、心をすぐに切り替えなければならないことを諭され、辺りをキョロキョロと見渡した。

 すると、視界の端に新たなモンスターたちが接近しているのが見え、私の緊張感は一気に高まった。



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